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装備=バックパック

第2次世界大戦が始まった2年後の1941年。海兵隊は、ようやく増えた予算によって幾つかの装備を開発します。

 この際、陸軍が1910年に採用して以来のハバーサックの代わりに、M1941パックシステムが採用されました。このパックは当時としては画期的で、4点の構成パーツで、15通りの組み合わせが可能であり、また、必要な物を上部に、そうでない物を取り外し可能な下部のバックに納めることで必要の無い荷物を抱えて走り回る労苦から兵士たちを解放させました。

 後に陸軍がこのシステムを真似してM43フィールドパックを採用し、また、M1956装備を開発した際にも参考にするなど、この分割式のシステムはアメリカ軍装備の基礎となりました。

  しかし、画期的なM1941でしたが、内容量が少ないという欠点がありました。これは再三、問題となり、バックボードを活用したりしていました。 ベトナム戦争が始まると、内容量の少なさは更に問題となり、結果として南ベトナム軍の背嚢(俗に言うARVNパック)を海兵隊では大量に購入して支給することとなります。

  ベトナム戦争が終わり、アメリカ軍の装備全体の見直しが始まると、南ベトナム軍の背嚢を発展させたナイロン製のトロピカルリュックサックと陸軍のライトウェイトリュックサックを元にALICEパックが採用されます。 当初、単色だったALICEパックも後期には森林迷彩の物が使用され始めますが、90年代に入るとシステム化したMOLLE装備の支給が始まります。

M1941パックシステム

 1941年に、新装備として支給が始まった画期的な背嚢。上下に分割できるために常に背負う上部には戦闘に必要な物(糧食など)、下部には当面必要の無い物(替え着など)を納めることで身軽さを確保できるようにしてあります。

 左側面のアイレットは銃剣を取り付けるための物でフラップのアイレットはトレンチングツールを取り付けるための物。  ストラップは、テントもしくはポンチョを固定するための物。
※ポンチョは本来、内部の背中側に収納してクッションにします。
 フックはベルトを固定するためのもので理屈ではサスペンダーが必要ありません。
フィールドパックとカーゴパックの連結。  採用から、まもなく上下ともストラップの縫い付けが変更になっています。左が初期型、右が改良された物。

 第2次世界大戦が終わると、アメリカ軍は国境警備隊(主にメキシコ側)から海外遠征軍へと役目を替えます。その関係で、装備の色もアメリカの砂漠の色だったカーキから、森林などで目立たないODへと変化します。

※海兵隊は、元々、海外遠征部隊ですが。

 これに基づき、M1941にも改良が加えられました。

M1941
M1941
 左が第2次世界大戦時、右が朝鮮戦争以降使用された物……色以外変わってませんね。

ベトナム戦争が開始された時点でも、まだ生産支給が続けられました。既に容量不足は明らかだったために現地で南ベトナム軍の背嚢を購入して支給するようになっていきます。

 また、ベトナム戦争の頃には、下部のカーゴパックはほとんど使われなくなりました。

 当時の写真から、ベトナム戦争時の着用例。左はともかく右は無理矢理です。
キャンティーンの取り付け方は、採用当初から割と普通にやっていたようです。

1968年頃に、フィールドパックはさらなる改良を受けます。湿気を帯びると重くなるコットンから、濡れてもすぐに乾くナイロンに素材が変わったためです。

 左がコットン製、右がナイロン製以降使用された物……素材以外変わってませんね。

しかし、このナイロン製のパックが、実際に前線へ支給されたかは不明です。

※当時の写真を見る限りでは。

 最後にどのように変化したかがわかるように並べてみました。これで、このフィールドパックが、1941年に採用されてから30年の間に、どのように進化したかが分かるかと思います。

 染色と素材以外、全く変わって無いように見えるかもしれませんが、良く確かめてください。全く変わっていません。

 おそらく、誰もやっていないだろうと思われる正式な組み方。
 肩に食い込むことで不評なサスペンダーが肩の上を通るのはパックと組み合わせる際にはあり得ない。
ナップサック

 後に陸軍がM1956装備の開発に参考にしたと言われる組み合わせ。
 主に無線機などの荷物を背負う際に、この組み合わせを用います。

※銃剣は、ヨハンさんに協力していただきました。

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