スティルメイトII作戦(ペリリュー攻略)1944年9月6日-10月20日
パラオ
1944年9月、第1海兵師団の三個連隊の隊員たちはLVTに詰め込まれ、五つの上陸地点へと前進を開始しました。
彼らは、この戦いが厳しいが短期間で終わる楽な勝いだと歴戦の、そして現在に至るまで全ての海兵隊員が叩き込まれる"海兵隊信条"の起草者でもある師団長ルパータス少将から聞かされていました。
ペリリュー島攻略作戦"スティルメイトII"は、ガルヴァニック作戦から始まる中部太平洋から日本へと突き進むルートから、少し外れていました。
作戦の目的は、南部太平洋を進撃するマッカーサー将軍の側面を守ることだけでなく、マッカーサー将軍の固執するフィリピン奪還、そして日本本土上陸までの足掛かりとなる前線基地を設けることでした。
サイパン・ティニアン攻略と硫黄島攻略の狭間に行われ、続くフィリピン、硫黄島、そして沖縄の激戦に埋もれながらも、海兵隊が唯一作戦目標を達成できなかった場所。
日本軍が初めて、縦深陣地戦術に切り替え、同時期、硫黄島の要塞化に尽力していた栗林中将の考えに説得力を与えた戦い。
損失が少なかったのは、ただ参加部隊が少なかっただけという激戦地こそ、ペリリュー島でした。
INDEX |