アイスバーグ作戦(沖縄攻略)1945年4月1日-6月26日
沖縄
日本との戦いの最終段階として、日本軍に休む間を与えず、圧迫するために硫黄島攻略、ついで、1944年10月に沖縄攻略が決定します。
当初予定は3月でしたが、諸般の事情(マッカーサーの我が儘とか、マッカーサーの我が儘とか、マッカーサーの我が儘)と天候の関係で、アイスバーグ(氷山)と名付けられた沖縄攻略作戦の決行は4月1日に変更されます。
この間に日本は牛島中将を司令官に任命。牛島中将も、硫黄島の栗林中将同様に水際防御作戦を放棄し、奥地へ引きずり込んで出血を強いる方針を選択したことが、一般市民の大量の犠牲者をうむことにもなります。
※但し、一部で言われているのとは逆に日本軍は一般市民を巻き添えにしないよう尽力しています。疎開も人口や海上封鎖により、事実上不可能―むしろその方が危険という状況でした。
防備が固められる中、連合軍は上陸部隊編成を開始します。陸軍第24軍団と海兵隊IIIAC(第3水陸両用軍団)によって第10軍(指揮官バックナー中将)が形成され、ここに18万人という史上最大規模の上陸部隊が誕生します。
1945年4月1日から二ヶ月間続く戦闘でアメリカ軍は実に45万人の兵力を投入する太平洋におけるアメリカ海兵隊最大のそして最後の地上戦が開始されます。