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イタリア人とは
イタリア人とは
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個人個人のばらつきが日本人より大きい気がする。
個性的と言うべきか。
なので、ステレオタイプ的に、イタリア人はこうだ、というのが言えない。
■日本人との違い(その1)
僕の感じる日本人との大きな違いは(これも当然個人差があるが)、
『頭に浮かんだことがそのまま口に出てくる』ということ。
心と頭と口(行動)がそのまんまつながっている感じである。
なので、逆に、言葉や態度に表さないということは、
「何も考えていない」、「感じていない」、と誤解される。
日本人の教育・美徳とは、逆のようである。
「良く考えてから言いなさい。」なんて教わらない(と思う)。
なので、言葉の重みが低い。そのため失言も多い。根拠のない情報も多い。
そんな世界を生きているので、イタリア人自身はいちいち言われた事を気にしない。
その結果、
「何を言われようが気にしない」、「忘れっぽい」
という人間ができる。(と思う)
そして、「言ったもん勝ち」な世界ができる。(と思う)
僕自身、とても失礼なことを言われたことがあるが、
こっちは「一生忘れんぞ。」と思っていても、
当の本人は言ったことすら覚えていない様子。
覚えていても、気にするに値しない些細なこと、という認識か。
また、配慮とか、気配り、”ツウと言えばカア”というようなものも期待できない。
つまり、こちらが何も言わなければ、彼らは何も気が付かないのだ。何もしないのだ。
ここでは、
「主張する」、「口に出す」、時には「文句を言う」、
という行為は決して悪いことではなく、必要なことなのだ。
『謙虚』とか『遠慮』というものは、ここでは何も意味をなさない。
自分の足を引っ張るだけのものだ。
主張をするものが勝ち、何も言わなければ負け、
ということが普段の生活で頻繁に起きる。
「良識ある日本人」には大きなストレスであろう。
■日本人との違い(その2)
もう一つ感じる大きな違いに、「他人に迷惑をかけること」に対する
「罪悪感」
の違いがあげられる。
日本人には「他人に迷惑をかけること」は
「ものすごく悪いこと」という意識があるが、
ここではそれほど悪もの扱いされてないようだ。
『必要悪』
とでも言おうか。
自分が生きるためには周りに迷惑をかけることは仕方なく、
また、時には迷惑をかけられることもあるから、
「まあ、迷惑かけるけどいいじゃん」
といった感じではないかと分析している。
なので、
イタリアに来られた際、列の先頭でコインを探すのに戸惑っても、
「まあいいじゃん。」と、落ち着いて処理しよう。
ただし、
(その1)のような人達なので、文句や嫌な顔/態度は露骨である。
でも、こちらが思うほど彼らは本気ではないし、
気にしてはならない。
■日本人との違い(総括)
その他、あげればきりがないが、僕が文章に表現出来るもの
(現時点で考えがまとまっているもの)を上げてみた。
このような違いがもたらす現象や、それぞれの特徴,風習,習慣,文化などへ与える影響は、
とても大きいと考える。
ちなみに、イタリア人に「イタリア人ってこうだよね」
なんて話を持ちかけてみても、不毛である。
なぜなら、彼らはイタリア以外、あるいは自分らの住む町以外の国や人々のことをよく知らないので、
自分らが他と比べてどうなのかを理解できていないのだ。
おそらく、同意を得るのはかなり難しいだろう。
これは、何もイタリア人に限ったことではなく、日本にいる日本人にも言えることで、
外に出てやっとその違いが理解できるものであろう。
■”伊”の中の蛙達
- 日本食もフランス料理もスペイン料理もまともに食べたことがないくせに、「イタリア料理が世界一」と自信たっぷりに言う人。
- 世界の都市と比べ、
ミラノは中規模であり、
コンビニはなく、
デパートは一つしかなく、
大型店舗は中心街に少なく、
交通網は貧弱で、
世界の都市と比べめっちゃ不便なのに、
「ミラノは大都会でとっても便利」と自信たっぷりに言う人。
- 海外生活どころか、海外にほとんど出たこともないのに、「イタリア、あるいは自分の住む町は、世界一住み良い国(町)」などと言う人。
- イタリアは世界から注目されていて、世界中の人がイタリアのことを知っている、知りたがっている、と思っている人。
- 外国人観光客が来れるのは、自分達のおかげ、と思っている人。
- 逆に、観光客が落とす外貨で、自分達の生活が潤っている(成り立っている)なんて考えもしない人。
そして外国人を差別的に見る人。
- 夜7時頃まで働いて(普段は6時ごろ帰る)、「俺は働きすぎだー」と言う人。
その後、日本はどうなの?と聞く人。
- 自分らの常識は世界中の常識だと思っている人。
このような人たちがたくさんいる。
まあ、僕の実家あたりのおばちゃんも同じようなものかもしれないが、ここまで自信を持って言えはしないだろう。
ある意味、あっぱれだ。
■店員
『お客様は神様です』
この考えは、イタリアにはない。
店員はまわりとおしゃべりしながらレジを打ち、だらだらと仕事をする。
これは何もスーパーやお店に限ったことではなく、病院や市役所、警察署などの公共の場でもよく見られる光景。
どんなに長い列があっても全く動じることなく、だらだらと仕事をする。
接客も日本のような丁寧なものは期待できない。
フレンドリーなことも多いが、逆にとてもめんどくさそうな対応も少なくない。
しかし、一旦気に入られたり、顔を覚えられたりするとサービス満点になる。
もちろん、これらについても人によるばらつきがとても大きい。
ある人に言わせると、イタリア人は気が合わない客には売ることも拒むとか。。。
さすがに、そこまでの人には僕は会ったことがないが、この辺の日本との違いは、十分理解しておいた方が良いだろう。
■子供好き
子供をつれて歩いていると、老若男女問わず、見知らぬ人が子供に声をかけてくる。
しかもかなり大げさに。
「まあ、なんて可愛いいんでしょう!ぼくちゃんお名前はー?いくちゅー?」
といった具合だ。
これも、心と行動が直結している結果かもしれない。
日本人は、、、
日本人は声をかけたくても色々変な気を回して見て見ぬふりをしているだけだ、
と思いたい...。
イタリアでは、子供連れだとバスや電車の中でも良く席を譲ってくれる。
子供連れだと、店員や周りの態度がとてもよいので、こちらが愛想良くしていると得をすることが多い。
しかしながら、
この「子供好き」が「甘やかし」につながり、
結果、わがままでマザコンな国民性と繋がるのではないか、
と、僕は分析している。
■犬好き
いたるところで犬を連れて歩いている人を見かける。
お店の中でも犬と一緒だ。
食品を扱う店の中には一部入れないところもあるが、大概のところは犬同伴OKのようだ。
犬好きのおかげで、道にはそころいらじゅうに糞がある。
何度踏んずけてしまったことか(怒)
飼い主は袋等携帯していないと罰金らしいが、袋どころか片付けているのを見たことがない。
機能していない法律がたくさんあるようだ。
しかしながら、こんな犬好きなイタリアでも、夏休みの時期になると犬捨てが増える。
悲しいことだ。
ヴァカンスの国イタリアと、犬好きの国イタリアが生み出した歪み部分だ。
■弱いものをいたわる(?)
町には物乞いが多くいる。
日本ではホームレスは多くいても物乞いはそうはいないと思うがどうだろう。
東京駅で物乞いがコップを差し出して座っていたとする。
さて、どのくらい入れてもらえるだろうか?
イタリアでは人の集まるところには必ず物乞いがいる。
そして、その中にはコインが入っている。
(イタリアだけでなく、欧州の都市部は皆同じ様相。)
で、コインを入れるところも良く見かける。
カトリックの教えだろうか。
ボランティアなどの活動に参加している人も多いようだ。
このことを会社の連中と話し合ったことがあるが、
「働かざるものくうべからず。俺は絶対コインを入れない。」
といった考えを持っている者もいた。
まあ、人それぞれである。
ちなみに、僕はまだコインを入れたことがない。
どうにも違和感を覚える。
■がんばるじいちゃんばあちゃん
杖無しでは歩けないようなお年寄りが、バスや電車を利用したり、町を歩いたりしている光景を良く見かける。
日本ではこれほど見かけなかった。
ミラノの町は石畳や多くの段差、人ごみ、歩道への駐車車両、などなど、決してお年寄りやハンディーキャップには優しくない。
バスや路面電車についても、旧型が多く、段差が激しく狭いステップや、荒い運転(僕でも立っているのに疲れる)など、
体の不自由な人に対し、やさしいとはとうてい思えない。
しかし、それでもお年寄りは町に繰り出そうというのだから関心する。
もちろん、周りの人はお年寄りにとても親切で、このサポートのおかげでお年寄りもがんばれるのかもしれない。
見習うべきところだ。
■列
イタリア人は列を作るのが苦手。
というか列がない。
こちらでは列(のようなところ)で順番待ちさせられることが多いが、気が付くと列がむちゃくちゃになっている。
後ろにいた人はいつの間にか前に。
文句を言っても知らん顔。
スキあらば...という輩が実に多い。
市役所や警察署、スーパーの惣菜売り場、など、
最近は整理券を配るしくみが一般的になっているので助かるが、ファーストフード店、近所のパン屋、郵便局、などなど、まだまだ並ぶことも多い。
その度、神経をすり減らす。
■会社の人
意外に良く働く。
集中力はすごい。
周りがどんなに大声で話していようと、黙々と仕事をしている。
通常、6時頃にはほとんど人がいなくなる。
(あくまでうちの会社の話)
マネージャークラスの人たちは比較的遅いが、一般社員はみな早い。
もちろん、遅くまで残ることもあるが、トラブルがあったり、時期的なものだったり、特別な状況のみだ。
早く帰るために、一生懸命働いているようだ。
うちのオフィスの連中のキャラクターは上記イタリア人の特徴を少しマイルドに味付けした感じ。
やはり、同じ会社に集まってきた人たちなので、ある程度似たタイプなのだろう。
あるいは、ふるいにかけられた人たちと言うべきか。
しかしながら、日本のオフィスの連中と比べるとやはりバラエティーに富んでいるようだ。
隣のオフィスから歌声が聞こえてくることもある。
慣れてくると、その個性的な集団も悪くないと思えてくる。
しかし、雑音をシャットアウトする集中力を必要とする。
この点ではイタリア語があまり分からなくて良かったと思う。
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