熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
                 
 浄瑠璃姫伝説の語りから
     「浄瑠璃」という日本文化が誕生 !!
                               … 岡崎宿〜知立宿
第二十日目 
2007年5月12日(日) 晴れ
今日のコース : 岡崎宿〜知立宿
日記の記録  : 旅人の J (熟年夫婦の夫 J、妻 M)
  今回の「五十三次テクテク旅」は、1泊2日で、岡崎宿から宮宿までの予定である。自宅を午前5時50分に出発、千葉駅発午前6時32分の快速で東京へ、東京発午前7時36分の「ひかり363号」で豊橋へ、そして、豊橋、東岡崎と名鉄を乗り換え、岡崎公園駅には午前9時43分に到着した。
 前回、見学できなかった岡崎城、岡崎公園へ
 午前9時50分、岡崎公園前駅の駅前広場にある「岡崎二十七曲り」の案内図の石碑の前で,出発の写真を撮り、徳川家康が浜松城に移るまで本拠にした岡崎城のある岡崎公園に向かう。本来は北に進み、旧街道に出て、西進し知立宿に向かうのだが、前回の「五十三次テクテク旅」で見学できなかった岡崎公園を先に寄ることにした。

  一丁(約109m)ごと、歩道面に案内表示板が ……

 岡崎公園に向かうと、その歩道面には、「岡崎城まで330m、八丁みそ蔵まで550m」の案内表示板が埋め込まれている。
 八丁味噌蔵がならぶ八帖町(昔は八丁村)の八丁とは、岡崎城から八丁(約870m)離れていたことから、名づけられたという。そして、岡崎城と八丁味噌蔵を結んでいる歩道上には、案内表示板が一丁(約109m)ごとに埋め込まれており、非常にわかりやすい。

  岡崎公園で、浄瑠璃姫伝説を、聞く !

ほどなく、木々の梢越しに天守閣が見え、岡崎公園に着く。公園内の竹千代通りを歩いていると、川の水面から水を高く上げている噴水が見える。乙川噴水とある。さわやかな風が若葉を揺らし、水の流れの音がかすかに聞こえてくる。そんな小道を歩いている、旅人J&M(我々二人のこと)は、ゆったりした気分になり、会話も弾む。
 『あの噴水はすごい勢いだね。』とか、『この乙川に浄瑠璃姫は身を投げたんだね。』などと話をする。すると、散歩中の年配の方から声をかけられ、『乙川の噴水は、高さ30mまで水をあげる。』とか、『義経を慕った浄瑠璃姫は、ここから少し上流の吹矢橋から身を投げたんだ。』などと、郷土史に詳しい男性は、我々旅人に親切に教えてくれる。(「東海道五十三次の出会い 8」 を見てね。)

  「左江戸、右西京」の道標あり ……

  ジョギングや散歩、家族づれに親しまれている「岡崎城」をあとに、再び、岡崎駅に着くと、すでに午前10時28分となっている。
  急ぎ足で旧街道に出て、八丁みそ蔵などを見ながら西進すると「左江戸、右西京」の道標があり、右折して矢作橋に向かう。

 日吉丸と蜂須賀小六が出会った、矢作橋

  江戸時代の矢作橋は、現在よりも、20m下流にあり、長さが374mで東海道一の長橋であったという。また、東海道三大大橋(豊川に架かる吉田大橋、岡崎宿の矢橋橋、瀬田の唐橋)の一つでもある。さらに、この矢作橋では、日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀小六が出会ったともいわれ、その伝説にちなむ「出会いの像」がそのたもとに建てられてある。そのはずであったが、工事中のため、像は一時撤去され、代わりに像の写真が貼られてあった。

 義経への恋慕、… 浄瑠璃姫

  矢作橋を渡ると、旧街道は、国道一号線と離れて北側を平行に進む。やがて、浄瑠璃姫の墓のある「誓願寺、十王堂」につく。午前10時58分。
旅人のJ&Mは、再度、浄瑠璃姫の義経への恋慕の情の話になった。
 
「東海道五十三次の出会い 8」 を見てね。)


  街道を行く

 日本橋から104里20町
  (343.9Kmあたり)

  柿崎松並木
  (愛知県安城市柿崎町)

  さらに西進すると、猫田交差点で国道一号線に合流し、柿崎交差点で離れると立派な松並木になる。
  松並木は、夏は緑の蔭をつくり、冬は風雪を防ぐ役割を果たしてきたという。この松並木の松は、百数十本が現存し、資料によれば、大きなものは樹齢200〜250年と推定されるとある。午前11時42分。

 天に昇ろうとする竜 「雲竜の松」

さらに進むと右手に「一里塚跡」の碑がある。その先には、永安寺があり、その境内のクロマツは、幹が地を這うように四方に伸び、雲を得て天に昇ろうとする竜を思わせることから「雲竜の松」と呼ばれている。

 八橋伝説の地には寄らず…
 名鉄、新安城駅近くの「JAあいち中央」で昼食とする。午後0時53分。
  再び松並木を歩き、猿渡川を渡ると右手に八橋への道標がある。右に折れるとつきあたりに無量寿寺、その境内には、見ごろが五月中旬という「八橋かきつばた園」がある。このあたりは、伊勢物語や在原業平を偲ぶ史跡(業平の歌碑や業平塚など)が多く、八橋伝説の地である。
  われわれ旅人は、時間の関係上、八橋伝説の地には寄らず、道標を西進する。
  両側に現存している「来迎寺一里塚」
 すぐに、「来迎寺一里塚」がある。
  一里塚は、東海道の整備を行った際、一里(約4Km)ごとに築いた里程標で、塚の上にはエノキやマツなどを植えたという。来迎寺一里塚は、代々マツで、塚の大きさは直径約9m、高さ約3mに土を盛ってあり、街道の両側に現存している。

  街道を行く

 日本橋から八十九里七町
  (350.2Kmあたり)

  知立の松並木
  (愛知県知立市牛田町)

 
  昔は、池鯉鮒(ちりゅう)
 その先、約500mにわたり「知立の松並木」がある。
  松並木が始まるとすぐ左手に歩道の一部に池があり、小公園的に利用されている。
 『この池に鯉や鮒が泳いでいると面白いね。』
 『知立は、昔、池鯉鮒(ちりゅう)と書いたので、それを表現したかもしれない。』
  「知立の松並木」と馬市…  

「知立の松並木」の特徴は、側道があることだろう。通常、松並木は街道の両側に並木があるだけであるが、「知立の松並木」は、並木の外側にさらに道がある。馬市の時に馬を繋ぐためだろうといわれている。知立は、4月から5月にかけての馬市が有名で広重も馬市を描いている。並木の終わる手前に「馬市之碑」が立っている。


  街道を行く

 日本橋から八十九里十四町
  (350.9Km)

  愛知県知立市山町名鉄三河線踏切
 銀座商店街が、江戸時代の宿場の中心地
  松並木を過ぎると、旧街道は、国道一号線の地下道を通り、南側に出る。名鉄三河線を渡ると商店街が始まる。中町交差点を進むと銀座商店街となり、このあたりが江戸時代の知立宿の中心であったという。 
 東海道五拾三次 三河国
 知立宿
 
 人口:1620人
 総家数:292軒
 本陣:1軒
 脇本陣:1軒
 旅籠屋:35軒

知立 [首夏馬市]
 毎年首夏(陰暦4月のこと)25日から5月5日まで行われている馬市を描いている。
 野原には多くの馬が杭につながれており、遠くに市にかけようと馬を連れてきた農夫が見える。
  知立宿の「問屋場跡」と「本陣跡」
 街道をはさんで、、巨大なホテルとマンションの間の右手に「問屋場跡」の碑があり、さらに進んで雑貨店裏、うなぎ屋の駐車場に「知鯉鮒宿本陣跡」の碑がある。今日は、ホテル泊まりとする。
  第二十日目 2007年5月12日(土)

    前日までの距離    337.9Km(556、977歩)
  今日のコース    岡崎宿〜13.8Km〜知立宿
  今日の歩行距離  13.8Km(今日の歩数 24、906歩)
  今日の歩行時間  5時間17分(休憩、昼食、見学を含む)
     日本橋から       351.7Km(581、883歩)
     京・三条大橋まで、あと 171.6Km
《参考》
  今日の全所要時間(自宅〜岡崎宿〜知立宿〜宿)9時間17分
  今日の全歩行距離(万歩計換算)15.1Km
 熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
 五十三次の出会い   
  岡崎公園を散策中の方から、浄瑠璃姫の伝説を
                  教えていただき…
  出会いの人  : 岡崎公園を散策中の郷土史に詳しいS.Tさん
  出会いの日時 : 2007年5月12日(土) 午前10時5分

訪れた義経の耳に
『浄瑠璃姫の琴の音が…
  
 旅人のJ(私):「浄瑠璃姫の話に詳しいようですね。」
 郷土史に詳しいS.Tさん:「源義経が奥州に向かう途中、三河国の矢作
    の長者に宿泊を申し込んだ。その時、長者の娘、浄瑠璃姫の琴の
    音が聞こえてきた。
    長者の屋敷に宿泊した義経は、浄瑠璃姫の琴に合わせて笛を吹い
    たが、たちまち、二人は恋に落ちた。その後、旅立った義経に恋慕
    の情がきわまった姫は、この乙川に身を投げた。実際には、ここ
    から少し上流の吹矢橋から身を投げ、この船着場あたりで遺体で
    見つかったという。」

 J:「東海道を歩いている途中、蒲原宿の話では、『奥州に向かう途中
    の蒲原宿で義経は病に倒れるが、手紙で知った浄瑠璃姫が駆けつけ
    看病する。回復した義経は奥州へ、浄瑠璃姫は故郷の矢作に戻るが、
    再び、姫は義経を慕って奥州を目指し、蒲原宿で力が尽きた。』
    といわれているようだが…」
 S.Tさん:「岡崎にある資料では、浄瑠璃姫は旅に出たという記録は
    ないね。
話は戻って、娘を失った長者は、十王堂を建てて、そこに
    義経から姫に贈られた薄墨の笛と姫の手鏡を安置したといわれてい
    る。これから知立宿に向かうんでしょう。十王堂にぜひ寄ってくだ
    さい。」

 J:「貴重なお話、ありがとうございました。このようなことがある
    から、東海道のテクテク旅は、本当に楽しいものです。十王堂に
    寄ってお参りしていきます。」


   郷土史に詳しいS.Tさんは、郵政省のOBで、その会合と合わせ
 て、喜寿のお祝いがあり、その会場に向かう途中であるという。
  喜寿のお祝い、おめでとうございます。
  それにしても歴史に詳しく、また、元気な方である。
  いつまでもお元気で!
  十王堂に寄り、お参りをしました。
  浄瑠璃姫の伝説は、他にも多く伝えられている。

  
ちなみに浄瑠璃姫の物語に節をつけて語るようになったのが、
  「浄瑠璃」の始まりといわれている。
 

             
五十三次の出会い 五十三次の出会い
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