熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
                 
 また、来たい、藤川宿 施設も内容も素晴らしい !!
                           … 赤坂宿〜藤川宿〜岡崎宿
第十九日目 
2007年4月2日(月) 晴れ
今日のコース : 赤坂宿〜藤川宿〜岡崎宿
日記の記録  : 旅人の J (熟年夫婦の夫 J、妻 M)
  今回は、3泊4日の「五十三次テクテク旅」で、今日はその最終日、4日目である。身体も疲れているだろうし、なるべく早く帰宅したい、そのため、午前8時前に赤坂宿をスタートし、午後4時前に岡崎駅到着を目指す。

赤坂宿本陣跡、午前7時48分、スタート

  豊橋駅近くのホテルを6時50分に出て、豊橋駅へ、豊橋駅から名鉄名古屋本線で国府駅へ、乗り換えて赤坂駅に向かう。赤坂駅から旧街道の赤坂宿本陣跡まで歩いて行く。
  午前7時48分、赤坂宿本陣跡をスタートする。

江戸時代から営業続ける旅籠「大橋屋」

 旧街道を西進すると、すぐに連子格子のついた二階家の旅籠「大橋屋」がある。正徳5年(1715年)頃から営業を続け、芭蕉も泊まったという。東海道沿いで江戸時代から営業を続けている旅籠は、この大橋屋と吉原宿の「鯛屋旅館」のみという。大橋屋には宿泊を申し込んだが満員で断られた。ちなみに、鯛屋旅館には宿泊した。

「赤坂宿休憩所よらまいんか」、休憩できず!

 旧街道を進むと、「高札場跡」があり、その先には「赤坂宿休憩所よらまいんか」があるが、9時からオープン、とあり、休憩することが出来なかった。その先に「見付跡」がある。赤坂宿の西の入口である。

  街道を行く

 日本橋から八十一里十六町
  (319.7Kmあたり)

  赤坂宿
  (愛知県宝飯郡音羽町)
  「誓林寺」で休憩、午前8時41分

  赤坂宿を過ぎると、旧街道は音羽川に沿った一本道となる。「一里山庚申道道標」を左手に見て、音羽川を渡ると左手に「長沢一里塚跡」の碑がある。さらに旧街道を進み「誓林寺」で休憩する。午前8時41分。

  「本宿記念碑」と「冠木門」

  旧街道は「千両橋」を渡ると、国道一号線に合流する。しばらくは、名鉄名古屋本線、東名高速道路と並行して進む。国道沿いに「本宿記念碑」があり、その先に「本宿村歴史」の説明板、「冠木門」がある。このあたりは国土交通省のプロジェクト「東海道ルネッサンス」で整備されたとある。旧街道はその先で国道一号線と分かれ、左手に入っていく。

  「家康が幼いころ過ごした「法蔵寺」
 すぐ先に、「法蔵寺」がある。この法蔵寺は、徳川家康が幼いころ過ごしたところといわれ、手習いを学んだとされる遺品が現存しているという。法蔵寺橋を渡って西進すると右手に「本宿一里塚跡」の碑がある。
 旧街道は再び、国道一号線と合流するが、山中地下道で国道の下を通り、国道と名鉄の間を進む。名鉄山中駅を過ぎ、舞木橋を渡ると、再度国道一号線と合流する。
  広重の浮世絵版画と「藤川宿の棒鼻」
 国道一号線を進む。市場町交差点の角(左奥)は工事中であり、その先を左手に入る。左手に入るといっても、実際には、国道一号線が右に大きくカーブしているので、旧街道はほぼ直線で進むことになる。すぐ先に復元された「藤川宿東棒鼻」がある。資料によれば、広重の東海道五十三次浮世絵版画「藤川宿・棒鼻の図」を、平成5年(1993年)京都遷都1200年プレイベントとしておこなわれた「茶壷道中」にあわせて、東西の棒鼻として復元したとある。ちなみに、広重の版画は、幕府が毎年八塑(8月1日)朝廷へ馬を献上する一行がここ東棒鼻に入ってくるところを描いている。
  また、この場所は、外敵から宿場を守るため、クランク状に道が曲がっている「曲尺手」になっている。
 東海道五拾三次 三河国
 藤川宿
 
 人口:1213人
 総家数:302軒
 本陣:1軒
 脇本陣:1軒
 旅籠屋:36軒

藤川 [棒鼻ノ図]
  上記のコメント 参照 
  「藤川宿」
 藤川宿は、慶長6年(1601年)に宿場となったが、一村で宿場を維持することが困難なため、慶安元年(1648年)に隣の山中村から68戸は加宿された。
 現在、旧東海道は国道一号線の南を走っており、宿場の出入り口には、「説明板などを立てた棒鼻」が復元されており、旅籠や商家など昔を偲ばせる建物も一部ある。また、松並木の名残も見られる。

  街道を行く

 日本橋から八十三里二十九町
  (329.1Kmあたり)

  藤川宿
  (愛知県岡崎市藤川町)
  芭蕉の句碑 「ここも三河 むらさき麦のかきつばた」
 その先、藤川宿駐車場があるが、ここは東海道も含めた「藤川宿の史跡探訪」の案内やトイレ、ベンチなどがあり、旅人に優しい。芭蕉の句碑「ここも三河 むらさき麦のかきつばた」、芭蕉の句にある「むらさき麦」は、食用や染色用として栽培され、藤川宿の名産だったが、最近、栽培に成功したという。
  「問屋場跡」と「脇本陣跡」   問屋場(といやば)の仕事とは…
 宿場内を西進すると、右手に「問屋場跡」「本陣跡」の碑があり、その先に「脇本陣跡」がある。問屋場の仕事は、人馬の継立や御用宿の手配、飛脚業務などで、藤川宿の問屋場には、問屋2人、年寄5人、帳付4人、飛脚番6人、人馬指6人、小使6人が交替で勤めていたという。また、「橘屋」と呼ばれていた脇本陣は、明治時代は藤川村役場として利用され、現在は「藤川宿資料館」となっている。しかし、月曜は休館であった。さらに西進すると、「西棒鼻」があり、「東棒鼻」と同様の施設や案内がある。
  藤川宿まちづくり研究会の方に感謝 !
 藤川宿は日本橋から数えて、37番目の宿であり、テクテク歩きながら夫々の宿場を見てきたが、宿場や街道の紹介について内容の深さと表現で群を抜いて素晴らしい。機会を作ってまた来たいと旅人Mと話した。藤川宿まちづくり研究会の方に感謝!

  街道を行く

 日本橋から八十四里十三町
  (331.3Km)

  藤川宿の松並木
  (愛知県岡崎市藤川町)
  「藤川の松並木」をワクワクしながら、歩く !
 「西棒鼻」の筋向かいに「藤川の十王堂」「芭蕉の句碑」「藤川宿の一里塚跡」の案内板がある。旧街道を進み、吉良道との分岐を右に進み、名鉄の踏切を渡ると「藤川の松並木」である。松並木はいつでもワクワクしながら歩き、写真を撮る。交通量の少ないのがよい。松並木が終わると藤川西交差点で国道一号線と合流する。
  「大平一里塚」
 国道一号線は1kmほど歩いて、左の旧街道に入り、美合の街中を進む。乙川を国道一号線にかかる大平橋で渡り、また旧街道に戻り、大平東交差点を直進して進む、「大平一里塚」がある。
  いよいよ、岡崎宿の二十七曲り
  旧街道は国道一号線に沿って進み、岡崎インターチェンジの下をくぐり、更沙川を渡る。その先を右に進むと、岡崎市若宮町の三叉路に出る。この角が岡崎宿の入口で、冠木門と「二十七曲りの碑」と「二十七曲りの案内図」がある。
 また、二十七曲りは、天正18年(1590年)岡崎城に入城した田中吉政が防衛の視点から10年かけて整備したといわれている。

  街道を行く

 日本橋から八十六里二町
  (337.9Kmあたり)

  岡崎宿の中心(伝馬通り)
  (愛知県岡崎市伝馬通り)
  伝馬通りあたりが、宿場の中心
 二十七曲りは、曲がり角を何度も地図で確認しながら進んだが、実際には、道路上に標石があり、それに従って街道をたどることが出来る。若宮町から両町へと進み、「両町角より伝馬町角」の標石を見て右折する。次の標石で左折すると伝馬通りとなり、そのあたりが宿場の中心である。
 東海道五拾三次 三河国
 岡崎宿
 
 人口:6494人
 総家数:1565軒
 本陣:3軒
 脇本陣:3軒
 旅籠屋:112軒

岡崎 [矢矧之橋]
 岡崎宿の西を流れる矢矧川にかかった矢矧橋は、長さが208間(約374m)で、東海道で最長の橋であったという。
 岡崎宿に向けて、大名行列が渡っていく。 
 「岡崎宿」は、城下町、宿場町、港町
 岡崎宿は、城下町、宿場町、湊町の機能をもって発展した宿である。また、家康の生誕地でもある。
 「五万石でも岡崎さまは、お城下まで船が着く」とうたわれ、矢矧川(やはぎがわ)には荷を運ぶ船が往来していたという。また、矢矧橋は、日吉丸が蜂須賀小六に出会った橋としても知られている。
 連尺通りを西に進み…
 道標「西本陣前角」で左折し、道標「東京みち・京みち・きらみち」で右折する。籠田惣門跡を右折し、籠田公園を北へ横切り、連尺通りを西に進む。更に右折、左折を繰り返し、伊賀川手前を左折し、三清橋で伊賀川を渡る。更に左折右折を繰り返し、道標「板屋町角」を右折すると、愛知環状鉄道のガードとなる。今日の「五十三次テクテク旅」は、ガードをくぐったところまでとする。午後3時32分。

 愛知環状鉄道のガードをくぐり、中岡崎駅まで歩く。愛知環状鉄道で岡崎に出て、JR東海道線で豊橋へ、豊橋からは新幹線を利用し、品川へ、乗り換え、快速で千葉へ、自宅に着いたのは、午後9時45分、だった。
 今回の「五十三次テクテク旅」は、収穫がいっぱい。うまいものの名物こそ、なかったが、本陣、旅籠、資料館などの遺構や施設、岡崎宿の二十七曲りに見られる曲尺手、景勝地「潮見坂」、御油の松並木、飯村小の植栽された松など、見どころが多かった。久しぶりの我が家で資料整理だ。

  第十九日目 2007年4月2日(月)

    前日までの距離    319.2Km(524、876歩)
  今日のコース    赤坂宿〜10.5Km〜藤川宿〜8.2Km〜岡崎宿
  今日の歩行距離  18.7Km(今日の歩数 32、101歩)
  今日の歩行時間  7時間44分(休憩、昼食、見学を含む)
     日本橋から       337.9Km(556、977歩)
     京・三条大橋まで、あと 185.4Km
《参考》
  今日の全所要時間(宿〜赤坂宿〜藤川宿〜岡崎宿〜自宅)12時間55分
  今日の全歩行距離(万歩計換算)20.9Km
二川宿〜吉田宿〜御油宿〜赤坂宿  このページ  岡崎宿〜知立宿
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