熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
                 
 お江戸 日本橋 熟年夫婦は五ツ立ち(午前八時)
                           … 日本橋〜品川宿〜川崎宿
第一日目 
2006年11月4日(土) 曇り時々晴れ
今日のコース : 日本橋〜品川宿〜川崎宿〜[熊野神社]
日記の記録  : 旅人の J (熟年夫婦の夫 J、妻 M)
  口は災いの元、日本橋に立つ羽目に!

「広重の東海道五拾三次
旅景色」
 先日、夫婦で自宅付近の公園を散歩中、なにげなく、『旧東海道を歩いてみようか?』 なんて言ってしまった。最近購入した「広重の東海道五拾三次旅景色」に感動して、歩いてみたいと思ったのか? あるいは、テレビ番組の影響か? いずれにしても口は災いの元、結局、一ヵ月後、日本橋に立つ羽目になってしまった。 
 夫婦ふたり、日本橋に立ったからには、後には引けず、500キロメートル先にある京都三条大橋を目指して歩くことにした。宿場やその家並み、関所や松並木などに、往時の名残りを探しながら! 
 東海道五拾三次
 日本橋
日本橋 [朝の景]
 
 大木戸が開かれて、「お江戸日本橋七ツ立ち」(午前4時)する参勤交代の大名行列が描かれている。魚を盤台に入れ、頭の上に載せて運ぶ魚屋、野菜売りなどが高札場の前を通り過ぎる。

 
   日本橋にて、Nビルに向かって一礼

 西暦1601年、徳川家康によって江戸から京までの街道が整備され、1603年には江戸の起点として日本橋が架けられたという。現在の日本橋は、1911年に架けられ、1991年には、橋の四隅に、花の広場、乙姫の広場、元標の広場、滝の広場が整備された。元標の広場にある日本国道路元標をしっかり見てから出発することにしよう。

 でも、スタートはちょっと待って、その前に。
 私は某株式会社の社員。私の勤務する会社の本社が入っているNビルが目の前にある。Nビルに向かって一礼、心の中で『三条大橋まで歩けますように、そして道中、夫婦とも無事でありますよう、社員の皆様、祈ってね、そして、エールを送ってくれー。』とつぶやいてみた。そして『会社の皆様、いつもお世話になっております。おかげさまで楽しく仕事をさせてもらっています。』も追加した。
  日本橋…午前8時5分  お江戸日本橋、熟年夫婦は五ツ立ち

午前8時5分、旅人J&M(私たちのこと)は、リュックを背負い、万歩計をチェックし、今日の目的地、川崎宿に向け、歩き出した。昔の人は、お江戸日本橋七ツ立ち(午前4時頃)で一日に、十里(約40キロメートル)歩いて、戸塚宿まで、女性や高齢の人でも日本橋から七里、神奈川宿まで行ったという。
  しかし、己を知っている旅人のJ&M(私たちのこと)、出発も5ツ立ち(午前8時頃)なら、歩く距離も半分の5里が目標、それでも歩けるかどうか?不安がいっぱい、そんな晩秋の旅立ちだった。


  街道を行く

 日本橋から
  品川宿の方向を望む
  (0〜1Km)

  中央区中央通り
  (東京都中央区日本橋)
 
  「いまもむかしも日本の中心街」を行く

  歩き出して100mほど、行ったところで振り返り、高速道路に掲げられている橋名板を見た。ここ数年、日本橋の上を覆う高速道路を地下化しようとする動きがある。再度振り返り、高速道路の覆いがかぶさっていない青空の下の今の日本橋と江戸時代の日本橋・木の反橋を想像してみた。
  日本橋から銀座にかけては、最近建ったコリドー日本橋や老舗の高島屋、松屋、三越、松坂屋などのデパートが建ちならび、この辺り一帯は、いまもむかしも日本の中心街。この中央通りには、「江戸歌舞伎発祥の地」の碑、「銀座発祥の地」の碑などがあった。


  街道を行く

  日本橋から一里十九町
  (6.0Km)

  港区高輪大木戸跡付近
  (東京都港区三田)
  いまも残る「札の辻」の名

 午前9時5分、芝第一局前で早くも休憩。
 品川宿近くになって「札の辻(ふだのつじ)」交差点があった。幕府の発した法度や掟などを記した「高札」を掲示した場所を『札の辻』と呼ばれていたという。札の辻は、品川のほか、府中宿(静岡市)大津宿(大津市)にも交差点の名前として残っている。

  浅野家の菩提寺[泉岳寺]

  高輪大木戸跡を過ぎ、日本橋から6.2キロメートル、午前9時46分、右手に折れ、播州赤穂の城主、浅野家の菩提寺、泉岳寺に寄る。大石内蔵助ら四十七士のお墓にお参りがてら、最初の休憩とする。左足のふくらはぎが少し痛くなってきていたので、ホッとした。境内の古い土産物店に寄りたい気持ちを抑えて、先を急ぐことにした。

 東海道五拾三次 武蔵国
 品川宿
 
 人口:6890人
 総家数:1561軒
 本陣:1軒
 脇本陣:2軒
 旅籠屋:93軒

品川 [日之出]
 東海道最初の宿場「品川宿」の日の出時
の風景である。
 宿場を通過しているのは、日本橋を七ツ
立ちして2里程を歩いてきた参勤交代の
大名行列である。品川沖に停泊する廻船
や出帆しようとする廻船が描かれている。

 
 「品川宿」…午前10時20分
 JR品川駅をすぎて、八ッ山橋を渡り、旧街道は左に折れると北品川の商店街、そこが江戸から一番目の宿「品川宿」である。品川宿は、江戸を出る旅人の見送りや江戸に来る旅人の出迎えでいつも賑わっていたという。
 午前10時20分北品川の商店街に入ると、すぐ「品川宿のお休み処」(品川観光協会)があり、そこで一息したら、何かホッとした。歓迎を受けたのである。「五十三次の出会い 1」 見てね。)
北品川の商店街は宿場町の風情が残り、初めてちょっと旅人の気分を味わった。
  問答河岸跡  私は一人問答で … 

  旧東海道である商店街を進むと「問答河岸跡の碑」があった。資料によると、徳川三代将軍家光が東海寺(とうかいじ)を訪れた際、河岸まで見送りに来ていた沢庵和尚との問答がある。
  徳川家光が「海近くて、東(遠)海寺とは、これ如何に」と問うと
  沢庵和尚は「大軍を率いて、将(小)軍というがごとし」と答えたという。

   下着が汗ばんできた旅人J(私のこと)は、ひとり問答をやってみた。
   
「私が着ていても、アンダーシャツ(あなたのシャツ)とは、これ如何に」 と問うと、
    「あなたが着ていても、ワイシャツ(わたしのシャツ)というがごとし」 ともうひとりの私が答えた。
   おそまつ。
    Mは、『ややっこしいけど、面白いね。 フフフ 』
    と笑っていた。
 
  街道を行く

 日本橋から二里六町
  (8.5Km)

  品川区北品川商店街
 (東京都品川区北品川)
 八百屋お七や天一坊が処刑された「鈴が森刑場」跡
 さらに、商店街を進むと、浜川崎(泪橋)に着く。ここは鈴が森刑場に送られてくる罪人を見送る最後の別れの場所になることから、泪橋と呼ばれていたという。泪橋を渡ると、すぐに鈴が森刑場跡、八百屋お七や天一坊らが処刑されたという。
 六郷橋を渡る
 ここからは、京浜国道沿いや旧街道の美原通りを歩く。また、京浜国道に戻り、しばらくは黙々と歩くが、のども渇き、つかれてきたので、道沿いのモスバーガーで一休みした。山ぶどうスカッシュでのどを潤したが、たったの一杯で生きかえるようだった。六郷神社を過ぎて、多摩川に着く。江戸時代は、六郷川といい、たびたび洪水で流されたため舟渡しになったという。『六郷川の渡しは、30メートルほど、下流というからあの辺りだね。』と指差しながら、六郷橋を渡る。
 
  街道を行く

 日本橋から三里十六町
  (13.5Km)

  大田区美原通り
 (東京都大田区大森東)
 東海道五拾三次 武蔵国
 川崎宿
 
 人口:2433人
 総家数:541軒
 本陣:2軒
 脇本陣:0
 旅籠屋:72軒

川崎 [六郷渡舟]
 早春の晴れた長閑な日に川崎宿に向かう渡船の有様を描いている。舟上では、煙草を吹かす行商人、両掛荷物を運ぶ供を連れた旅人、厄除けの川崎大師参りの女たちが、はるかに富士や大山を望みながら渡船を楽しんでいる。
 「川崎宿」…午後2時40分
 六郷橋を渡るとすぐ、右の旧街道に入り、京浜急行川崎駅の周辺まで歩く。この辺りが「川崎宿」で、午後2時40分に到着した。当時、川崎宿は、旅人の休憩や昼食で賑わった、とあるが、今では宿場町の面影は全く無い。しかし、総合案内板や道標などが設置されており、本陣跡や問屋場跡など説明は丁寧である。


  街道を行く

 日本橋から四里三十町
  (19Kmあたり)

  川崎市本町一丁目交差点
  (川崎市幸区本町)
  初日は、熊野神社まで

この川崎宿が今日の目的地であるが、ちょっと体力に余裕があったので、少し足を伸ばしてみた。途中、芭蕉の句碑などを見ながら、横浜市鶴見区の熊野神社まで歩いた。
 到着は、
午後3時30分、疲れたけれど、気持ちの良い「五十三次テクテク旅」の初日であった。
 

 このあと、熊野神社から鶴見市場駅まで歩き、京浜急行に乗って川崎へ、川崎でJRに乗り換え、千葉駅に午後5時30分、自宅には午後6時20分に着いた。初日としては、大成功!! ご苦労様でした。(自分で自分自身をいたわってみた。)
  第一日目 2006年11月4日(土)

  今日のコース   日本橋〜8.3Km~〜品川宿〜11.4Km〜川崎宿〜1.5Km〜[熊野神社]
  今日の歩行距離  21.2Km(今日の歩数 32、768歩)
  今日の歩行時間  7時間25分(休憩、昼食、見学を含む)
     日本橋から        21.2Km(32、768歩)
     京・三条大橋まで、あと 502.1Km
《参考》
  今日の全所要時間(自宅〜日本橋〜[熊野神社]〜自宅)11時間55分
  今日の全歩行距離(万歩計換算)24.5Km
 熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
 五十三次の出会い   宿場の風情が漂う品川宿で歓迎され…
  出会いの人  : 品川観光協会 事務局長、スタッフ
  出会いの日時 : 2006年11月4日(土)午前10時30分   
品川観光協会へ

品川観光協会の
事務局長、スタッフと記念撮影


   京浜急行北品川駅の駅前から南に北品川商店街が続く、この通りが
  旧東海道で、このあたりが品川宿という。進むと品川観光協会とかかれた
  瀟洒な建物から『いらっしゃい。』の声、協会の事務局長、スタッフである。
   一息つきたくて、たずねてみた。


 J(私) : この商店街の通りが旧東海道ですね。
 事務局長 : そうです。この北品川商店街あたりが旧東海道の品川宿です。
        この通りの幅員はむかしのままで、大名行列がすれ違える幅員と
        いうことのようです。
 J : 品川宿の見どころは何ですか?
 事務局長 : この先、角に三代将軍徳川家光と沢庵和尚の問答河岸跡の碑
       がある。更に、その先の品海公園には、「日本橋より二里」の道標が
       立っている。これは、近年立てられたものだけれどね。

 J
品川宿は、冊子も充実し、最近「品川が元気」というニュースをよく
    耳にするね。
 事務局長 : 皆でがんばっていますよ。応援してください。

   つかの間の出会いを楽しみ、品川観光協会のスタッフとの記念撮影を
  終え、「がんばって」「道中、気をつけて」の声援を受けながら観光
  協会をあとにした。品川宿さん、ありがとう。皆さんもがんばって。

五十三次の出会い12 五十三次の出会い
熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
 五十三次のおしゃべり  お江戸日本橋七ツ立ち … 江戸の刻の話

 この歌をご存知だろうか?
 
 
「お江戸日本橋、七ツ立ち 初上り 行列そろえて アレワイサノサ
  コチャ 高輪、夜明けて ちょうちん消す コチャエ コチャエ」
 

 資料によると、明治の初めに流行った「お江戸日本橋七ツ立ち」の歌で、江戸時代は、「道中歌(上り歌)」とも「コチャエ節」ともいわれ、歌われていたようである。
 日本橋を七ツに立ったという、七ツの時刻とは、午前4時頃(夏場は午前2時半頃)のことで、大名行列は一日の徒行距離を長くするため、まだ薄暗いなか、出立したようである。そして、高輪あたり(日本橋から一里半・六キロメートル)で、夜が明けてちょうちんの火を消したとある。
 江戸時代の時刻の単位は「一刻(いっとき)」で、概ね、現在の2時間にあたるという。一日を昼の時間と夜の時間にわけ、昼の時間とは日の出から日の入りまで、夜の時間とは日の入りから日の出までとしている。さらに昼の時間、夜の時間をそれぞれ6等分し、その一区分を一刻とした。夏と冬では日の出、日の入りの時刻が違う。従って、必ずしも2時間ではないのである。
 大雑把に今の時刻の呼び名と江戸時代後期の時刻の呼び名を比較してみると
     午前 0時  九ツ時(九ツ)
     午前 1時  九ツ半
     午前 2時  八ツ時(八ツ)
     午前 3時  八ツ半
     午前 4時  七ツ時(暁七ツ)
     午前 5時  七ツ半
     午前 6時  六ツ時(明六ツ)
     午前 7時  六ツ半
     午前 8時  五ツ時(朝五ツ)
     午前 9時  五ツ半
     午前10時  四ツ時(昼四ツ)
     午前11時  四ツ半
     午前12時  九ツ時(九ツ)
     午後 1時  九ツ半
     午後 2時  八ツ時(八ツ)
     午後 3時  八ツ半
     午後 4時  七ツ時(夕七ツ)
     午後 5時  七ツ半
     午後 6時  六ツ時(暮六ツ)
     午後 7時  六ツ半
     午後 8時  五ツ時(宵五ツ)
     午後 9時  五ツ半
     午後10時  四ツ時(夜四ツ)
     午後11時  四ツ半
  
ちなみに、「お江戸日本橋、七ツ立ち」の七ツとは、暁七ツのことであり、
 午前4時頃をさす。「熟年夫婦の五ツ立ち」とは、午前8時のこと、午前8時
 の出立であった。
  また、「お八ツ(おやつ)」とは、午後3時頃食べる間食のことであるが、
 江戸の中頃までは一日二食だったため、八ツ刻(やつどき)に間食をした
 ことから、この時間の間食を意味するようになり、さらに他の時間でも間食
 のことを「おやつ」と呼ばれるようになったという。

五十三次のおしゃべり16 五十三次のおしゃべり
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