熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
                 
  感激の三条大橋 … ついに、完全踏破 !!
 弥次さん、喜多さん、皆さん、応援ありがとう  (誓いから508日目のこと)
                              … 大津宿三条大橋
第三十日目 
2008年3月8日(土) 曇り
今日のコース : 大津宿〜三条大橋
日記の記録  : 旅人の J (熟年夫婦の夫 J、妻 M)
  記念すべき「三条大橋にゴール」ということで、三条大橋で息子が待っている、という予定であったが、息子も、折角、京都まで行くのであれば、自分も歩きたい。というわけで、今回は、旅人3人で、大津宿から三条大橋をめざすことになった。

 自宅を午前6時25分に出て、バスで千葉駅へ、快速で東京へ、東京駅発午前8時13分の新幹線で京都へ、京都から東海道線(琵琶湖線)で大津駅まで戻る。
 大津駅には午前11時15分に到着する。

  滋賀県庁前(ひとつ北側・京町通り)から、スタート ……

  大津駅を出て、すぐ右に折れ、とりあえず滋賀県庁に向かう。前回の「東海道五十三次テクテク旅」は、小雨のなか、滋賀県庁までだった。県庁前で写真を撮り、県庁前の通りのひとつ北側(京町通り)が、旧東海道なので、そこまで歩き、その角で「第30日目 熟年夫婦の東海道五十三次テクテク日記 大津宿 スタート」の写真を撮った。
 午前11時26分

  札の辻跡、大津宿の中心 ……

  旧街道は、京町通りとよばれ、一部古い町並みも残っている。すぐに京町一丁目交差点があるが、そこが「札の辻跡」である。ここは、東海道と北国街道の合流地点であり、江戸時代には、江戸幕府の高札が掲げられていたことから起こった地名である。かってはこの角に、旅人に人足や馬を提供した人馬会所が置かれていて、大津宿の中心地としてにぎわいを見せていたという。また、現在でも「札の辻」という名称は、大津宿のほか、静岡市の府中宿、東京の品川にも交差点名、地名として残っている。

  「札の辻跡」左折、左側歩道を行く ……

 旧街道は「札の辻跡」を左折する。左折してからは、道路の左側歩道を進むと良い。近江歴史回廊推進協議会発行の地図「宿駅散策近江東海道中絵巻」では、印刷上の手違いか、道路の右側を歩くよう「赤いライン」が引かれているが、右側は、途中で歩道がなくなる。(左側歩道は、ずっと続いている。)途中、旧街道が一号線を分かれて、右の細い道に入っていくが、国道一号線を横断する個所には、信号が付いているので問題はない。


  街道を行く

 日本橋から130里11町
  (511.7Kmあたり)
   札の辻付近
   (滋賀県大津市京町)

  「逢坂山関址」 …… 三関といわれた昔の関所

  左折してすぐ、左手に「大津本陣跡」がある。旧街道は、東海道線(琵琶湖線)を越えて国道一号線と合流する。国道の左側歩道を進むと左の擁壁に、蝉丸の詠んだ有名な句「これやこのゆくも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」が書かれた石板が埋め込まれている。大昔、百人一首を教わったが、「逢うものは別れる」という、人生のはかなさを歌ったものと記憶している。百人一首カルタ取りも懐かしい。
 国道一号線を信号で渡ると「逢坂山関址」の石碑と「逢坂常夜灯」がある。「逢坂の関」は「鈴鹿」「不破(ふわ)」と共に三関(さんかん)といわれた昔の関所である。

  蝉丸神社でおにぎりを ……

 旧街道は、国道一号線と分かれて右の細い道に入ると緩やかな下りとなり、右手に蝉丸神社がある。午後0時20分。
 自宅から、おにぎり、おかず、果物など持参してきたので昼食とした。資料によれば、蝉丸は、宇多天皇の皇子に仕えていたが、いつのころか、逢坂山に庵を結び、つれづれにひく琵琶の音に旅人の心を悲しませたとあった。境内には、車石があった。


  街道を行く

 日本橋から130里28町
  (513.5Kmあたり)
   逢坂山関址碑付近
   (滋賀県大津市大谷町)

  「旅人J&M」の歩いている写真を撮る!!

 昼食を終え、旧街道を下ると左手に京阪電鉄の大谷駅があり、その先、陸橋で京阪電鉄と国道一号線を越え、国道の左側歩道に出る。息子が「せっかく自分が来たのだから「旅人のJ&M(我々二人のこと)」の歩いている写真を撮るという。旅人J&M、2人の歩いている写真は、このテクテク旅で初めてのことだ。

  「月心寺」 と 「走井茶店」 清水と走井餅 … 街道の名物

  やがて、左手の山に張り付くように月心寺があるが、中には入れない。江戸時代、このあたりに、走井の清水で知られる茶屋があり、清水とその名水でつくった餅・走井餅は、共に街道の名物であったという。走井餅は、今も売られており、前回の「東海道五十三次テクテク旅」の時、大津駅で購入し帰りの新幹線でいただいた。口当たりがよくおいしかった。

広重の描いた東海道五十三次 大津宿「走井茶店」
後ろの山からの水がここに走り下って湧いているのでこの名があるという

  「追分道標」 …… 右は京みち、左はふしみみち 

 旧街道は、名神高速道路の下をくぐり、山科の方へと進む。すぐに国道一号線から分かれて、左手の狭い道を行くが、少しだけ、街道の雰囲気がする。ほどなく、追分道標があり、「右は京みち、左はふしみみち」の石柱がある。
  右の旧街道を進むと、すぐ右手に「閑栖寺(かんせいじ)」があり、偶然、十七世住職と出会う。その住職から、旧東海道のこと、車石が軌道のように敷き詰められていたころの、活気にあふれていた街道筋のことなど、貴重なお話を伺った。
「五十三次の出会い12」を見てね!)午後1時40分。

 いよいよ、京都市へ … 

  旧街道は、国道一号線を歩道橋で渡る。いよいよ、大津市から京都市山科区へと入る。JR東海道線、京阪電鉄と並行している山科の商店街を通る。JR山科駅前を過ぎ、さらに府道143号線を越えて、次のT字路を右折する。JR東海道線のガードをくぐると、次は左折するが、その左折個所が分かりにくいという。

 左折すると … 旧東海道で一番狭い道 ??

  「閑栖寺(かんせいじ)」の住職に教えられたとおり、「かなり狭い道」を探しながら行くと「たこ焼き屋」があり、それを右手に見て左折する。旧東海道で一番狭い道だろう、それゆえ、左折個所は見落としやすい。

 「車石を利用した牛車道の広場」 … 車石がよくわかる !

  旧街道は、落ち着いた町並みの中、緩やかな上り坂となり、上りの途中、大乗寺で一休みする。午後2時40分。休憩後、細い道をさらに進むと、府道143号線と合流する。
 合流地点に「車石を利用した牛車道の広場」があり、車石がよくわかった。

 三条大橋まであと1.5Km …… 弥次さん、喜多さんに誓った昔? を思い出す

  旧街道は、ここからは、府道143号線の歩道を進む。九条山を越え、蹴上駅をすぎると道は、いよいよ、三条通りとなる。三条大橋まであと1.5Kmだ。蹴上駅の向こう側(北東)は南禅寺。1年半ほど前、銀閣寺を見学して、哲学の道を歩いて、南禅寺まで来た事を思い出す。そして、そのあと、三条大橋の弥次さん喜多さんの像に誓ったんだよ。

銀閣寺を見学し、弥次さん喜多さんに「日本橋からここまで、きっと歩いてくるからね」と、昔、誓ったことを思い出す。
銀閣寺 弥次さん喜多さん

  街道を行く

 日本橋から133里2町
  (522.5Kmあたり)

  三条通り
  (京都市東山区)

 平安神宮の真っ赤な鳥居が見え … もうすぐ

 今日は土曜日で、そのせいか、歩道はあふれんばかりの人だ。三条通りは、微妙に曲がっていて、また、大勢の人のせいか、三条大橋はまだ見えない。途中、右手に平安神宮の大きな真っ赤な鳥居が見える。もうすぐだ。

 三条大橋 … ついに、旧東海道完全踏破 !!

  人をかき分け進むと、交差点の信号が赤になっており、突然、人の波が引き、前が見える。感激の三条大橋だ。ついに、500Km歩き通した!
 足掛け3年、延べ30日を要しての旧東海道完全踏破、目標達成の瞬間だ!

 午後3時35分。


 日本橋(スタート)      京・三条大橋(ゴール)
                                                           (約500Km)
箱根宿・石畳み
(約100Km)
島田宿・大井川川越
(約200Km)
御油宿・御油の松並木
(約300Km)
庄野宿・まちなみ
(約400Km)
 東海道五拾三次 
   
 
 

京 [三条大橋]
 江戸の日本橋から京三条大橋で東海道は、終点を迎える。三条大橋は様々な人々が行き来する。茶道の盛んな京のまち、茶筅売りも描かれている。
 鴨川に架かる三条大橋、背景は、遠くに比叡山、その手前は、清水寺の清水山。
 東海道完歩記念写真を撮る
  この三条大橋を目指して、江戸の旅人も平成の「旅人J&M(我々夫婦のこと)」もずっと歩いてきたんだ、と思い、ゆっくり橋を渡り、人並みが途切れるのを待って「東海道完歩記念写真」を何枚も撮った。橋を渡りきった左手に弥次さん喜多さんの像がある。
  弥次さん、喜多さん、皆さん、ありがとう!!

 1年半ほど前(2006年10月22日)京都・お寺巡りの時、三条大橋の弥次さん喜多さんの肩に手を置き「きっとここまで歩いて来るからね。」と誓ってから、実に508日目のことだった。
 旅人J&M(我々二人のこと)は、弥次さん喜多さんの像の前で(像の後は、東海道の方向、日本橋、わが社の方向)『弥次さん、喜多さん、宿場や街道で出会った多くの皆さん、そして、わが社の皆さん、応援、ありがとうございました。』と(心の中で)お礼を述べた。

 かくして、「東海道五十三次テクテク旅」は無事終了し、旅人J&Mプラスにわか旅人1人の3人は、某ホテルの懐石料理で旧東海道完全踏破のお祝いをした。

 めでたし、めでたし

しかし、このあと、テクテク旅よりもっともっと大変なホームページ作りが待っている。でも、
 このホームページを皆さんが見ている頃は、きっとどこかの街道の「旅人」になっているに違いない。


  街道を行く

 日本橋から133里9町
  (523.3Km)

  三条大橋・弥次喜多像 ゴール
  (京都市東山区)
  第三十日目 2008年3月8日(土)

    前日までの距離    511.6Km(811、834歩)
  今日のコース    大津宿〜11.7Km〜三条大橋
  今日の歩行距離  11.7Km(今日の歩数 22、308歩)
  今日の歩行時間  4時間9分(休憩、昼食、見学を含む)
     日本橋から       523.3Km(834,142歩)
     京・三条大橋に、ゴール
《参考》
  今日の全所要時間(自宅〜大津宿〜三条大橋〜宿)9時間21分
  今日の全歩行距離(万歩計換算)15.5Km
熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
  五十三次の出会い 12  
  「石で軌道をつくり、荷車の往来を楽にした …… 」
         街道沿いお寺の住職から、車石の貴重な話を伺い…
  出会いの人  : 閑栖寺十七世住職 S.Kさん(元京都大学事務官)
  出会いの日時 : 2008年3月8日(土) 午後1時40分
  出会いの所  : 閑栖寺(大津市横木・旧東海道沿い)

左の方が十七世住職

お米を積んだ荷車?
 
 閑栖寺十七世住職S.Kさん:「東海道を歩いているのですか?」
 旅人のJ(私):「はい、日本橋をスタートして、延べ30日目で、今日、
   やっと三条大橋です。ところで、このあたりは車石が敷かれていたとあり
   ますが、石に車の轍(わだち)をほったものですか?」

 住職S.Kさん:「車石とは、車の轍をほった石を軌道のように敷き詰めて
   物資を運搬する荷車の往来を楽にしたものです。」
  J:「その荷車でどんなものを運んだのですか?」
 住職S.Kさん:「米や北陸からの物資を京の町まで運んだようです。この
   街道筋には、旅人を相手に大津絵、そろばん、赤玉などの薬を売ったり
   して、昔は活気があったとあり、、また、街道の坂道を利用して水車を
   回し、精米が行われたという記録もあります。」

 J:「車石の軌道を敷設したというのは、どこからどこまでの話でしょうか?」
 住職S.Kさん:「文化2年(1805年)に、大津札の辻・京都三条大橋
   間に車石敷設工事が行われ、明治時代の道路工事で姿を消したといわれて
   います。」

 J:「車石について、すごく詳しいですね。」
 住職S.Kさん:「実は、車石研究会というのがありまして、埼玉県川口市
   の中学校の校長先生や京都市の小学校の先生たちが中心になって立ち
   上げられました。私は研究会に参加する一人です。」
 Fさん:「貴重なお話ありがとうございました。
 住職S.Kさん:「三条大橋まで、気をつけて。今度はゆっくり、このあた
   りの散策に来てください。」

  優しいしゃべり方で親切な住職S.Kさんから、車石の他、旧街道の道案内や閑栖寺のことなど、いろいろお聞きし、非常に勉強になりました。住職は、近在の人はもとより、東海道五十三次の跡を訪ね歩く人々の目と心に法語を書き続けているという。五十三次テクテク旅の最終日を飾るにふさわしい方との出会いで、非常にうれしい一日でした。
              
車石に関心のある方(ない方も)こちら
≪参考≫
 「放光山 閑栖寺(かんせいじ)(真宗大谷派)」について
○当寺は、今から約450年前、即ち天文23年(1554年)美濃の武士 佐藤某、法名釋西向が東海道追分札の辻北側に一宇を建立し、阿弥陀如来の絵像を本願寺十代証如上人(蓮如上人曽孫)より賜り念仏の道場を開きました。
○第二世釋空心の代、寛永16年(1639年)に東本願寺宣如上人より、閑栖寺(日本唯一の寺号)と阿弥陀如来の木像を賜りました。真宗寺院にはめずらしい智証大師の座像があり、今乗院住持南松院前大僧正敬祐が「所修功徳 …… 寺門繁栄・村家安穏・五穀豊穣・萬民快楽」の銘文を記している。

     (閑栖寺案内資料から)
             
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  車石・車道フィールドワーク in 大谷・逢坂峠
    下を向いて三条街道ー車石・車道を訪ねる
日 時:平成20年10月13日(体育の日)
    午後1時30分〜4時30分
集 合:京阪・京津線(三条ー浜大津)大谷駅前・蝉丸神社
   (受付:午後1時から)
解 散:京阪・京津線 大谷駅
コース:旧東海道(三条街道)
 大谷・蝉丸神社(車石復元公園)→ かねよ(庭園)→ 逢坂峠 →
 逢坂山大師堂 → 櫻井米穀店 → 水車谷(保井・吉田氏・
 片原自治会館) → (逢坂峠)→ 南出氏 → 月心寺 → 
 楠井氏・資料、まとめ → 京阪大谷駅
案 内:車石・車道研究会会員
 山嵜  廣(本会会長)
 久保  孝(京都女子大学付属小学校教諭)
 早川 幸生(京都市立向島小学校教諭)他
参加費:500円(資料代)児童で資料不用の場合は無料です
主 催:車石・車道研究会
 問合せメール 久保 ica27515@nifty.com
   http://aaa.or.jp/kurumaishi/   kurumaishi@aaa.or.jp
 会 長 山嵜 廣 … Tel/Fax 048−885−7694
 事務局 久保 孝 … Tel/Fax 075−611−7687
                           (申込先)
※原則予約(確実に資料が用意出来ます。Fax申込み)
 当日参加、可能です。
車石は京都郊外にしか存在しなかった隠れた文化遺産です。