熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
熟年夫婦が推薦する東海道五十三次テクテク旅
 
なんでも BEST おまけ
 えっえっ、ここも
  東海道なの?

  東海道三大大橋
 1、「えっえっ、ここも東海道なの?」おまけのベストスリー

  草津宿   天井川の
「草津川」を徒歩で渡る
 
「草津川」は、周辺の地盤より、川底が高い天井川である。現在は、川底の下にトンネルを掘って、通っている。江戸時代はどうであったかというと、旅人は、通常の地盤から高い高い堤防を上り、徒歩で川を渡って、堤防から低い低い地盤の街道まで下りたのである。増水すると人足の肩車で渡ったようである。(なお、草津川の下をくぐるトンネルが掘られたのは、明治19年(1886年)であった。)
 また、昭和50年代まで、水が流れていたようだが、その後、川の流れを切り替え、今は水は流れていない。
 (周辺地盤より高い川底を歩く? えっえっ、ここも東海道なの? 2008・2・11)

(天井川の草津川)

(今は水は流れていない)

(川底の下を国道が…)
  薩捶峠を越え
   墓地の間を行く
      (由比宿~興津宿)

 薩埵峠で悠然と富士が座する風景を楽しみ、心地よい風を受けながら、みかんを食べた。
 そして、興津宿に向かう。下る道は狭く、水仙やみかん畑の中を行く。すると、突然、墓地が出てきて、墓地の間を旅人が行く。
 (墓地の間を行く? えっえっ、ここも東海道なの?2007・1・16)
 岡崎宿の
 「岡崎二十七曲り」

 宿場の出入口の道路は、直角に折れまがる、「曲尺手(かねんて)」と呼ばれる構造がとられていた。敵の侵入を防ぐためという。岡崎宿は、城下町でもあり、その防衛のために街道のジグザグは二十七もある。
 (二十七曲り、全部歩いた、 えっえっ、ここも東海道なの? 2007・4・2)
 2、江戸時代からいわれていた「東海道三大大橋」
吉田宿
 豊川に架かる「吉田大橋」
 (現在は豊橋)

 長さ96間(174.5m) 幅4間(7.3m)
 橋杭は、4本立7組、両袖付きの板橋であったとのこと。
 豊橋市の地名となった橋。

             (2007・4・1)
  岡崎宿 矢作川に架かる「矢作橋」

 矢作橋で、日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀子六が出会ったともいわれ、その伝説にちなむ「出会いの像」がたもとに建てられてある。そのはずであったが、工事中のため、像は一時撤去され、代わりに像の写真が貼られてあった。
 また、江戸時代の橋は、現在よりも、20m、下流にあり、長さが374mで東海道一の長橋であった。

                                                      (2007・5・12)
大津宿
 瀬田の唐橋
     

 瀬田の唐橋は、応仁の乱や本能寺の変など、合戦の度に焼け落ちた。現在の橋は、昭和54年に架けられたもので擬宝珠だけが昔をしのばせている。
 近江八景のひとつ「瀬田の夕照」
 びわ湖毎日マラソンでもおなじみ。 
                  (2008・2・12)
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