熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記 |
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熟年夫婦が推薦する東海道五十三次テクテク旅
なんでも BEST 3 その5 |
○ 友人に受けたと
思われる話
○ 常夜灯 |
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12、「五十三次のおしゃべり・出会い」のうち、友人に受けたと
思われる話、ベストスリー
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江戸時代に
つくられたの石畳
石が磨り減って
丸くなっている |
明治以降に
造りかえられた石畳
石がそんなに丸くなっているわけではない。 |
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箱根旧街道「石畳の石」の話
江戸時代の石畳の石はすり減っていて丸い。しかし、明治以降に造りかえられた石畳の石はそんなに丸くなっているわけではない。
年間、10万人の人が歩いたという、旧街道、足と石との板(?)ばさみの「草鞋さん」お疲れ様!
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浄瑠璃姫伝説の語り方から
「浄瑠璃」という日本文化が誕生!!
の話
「浄瑠璃姫と義経の恋の物語」の語り方から、「浄瑠璃」という、日本文化が誕生したそうだ。
岡崎公園を散策中の郷土史に詳しいS.Tさんから教わった。
五十三次の出会い 8 |
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誓願寺・十王堂の浄瑠璃姫の墓 |
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復元された箱根関所(一部工事中) |
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「関所を守もる役人の粋な計らい!」の話
箱根関所のあった250年間に死罪は6人、あとは、「薮入り」という関守の判断、また、時代は違うが、安宅関における関守富樫の義経に対する関所通行許可など、関所を守る役人の粋な計らいがあった。
五十三次のおしゃべり 4 |
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13、旅人の行く手を照らす「常夜灯」ベストスリー
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(手前は、旅人のM) |
鈴鹿峠の
「万人講常夜燈(万人講大石灯籠)」
坂下宿~土山宿
江戸時代中期、四国の金毘羅参りのため、金毘羅神社にあったものをここに持ってきたといわれている。現在は、国道一号線を往来する車両、旧東海道をゆく旅人の安全を見守っている。
(坂下宿から登って、鈴鹿峠まで来るとほっとする。その休憩所がここだ。2008・1・15) |
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宮宿の「七里の渡しの常夜灯」
宮宿の「宮の渡し公園」 ここは、桑名宿への七里の渡し場跡で、「常夜灯」と復元された「時の鐘」がならんでいる。
往時の面影があり、七里の渡しのにぎわいをしのぶことができる。
(周辺が埋め立てられたとはいえ、七里の渡しの常夜灯はしっかり、街道文化を伝えている。風情があり、好きな場所だ。2007・5・13) |
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街道随一の規模
「横田の渡しの常夜灯」
水口宿~石部宿
横田川、横田の渡しは、「東海道十三渡し」の一つで、文政5年(1822年)万人講で大きな常夜灯が建立された。横田川の堤にあり、旅人の夜間の目標として灯がともされたという。
(大きさと存在感、ひときわ目立つ。2008・2・10) |
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