熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記 |
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袋井宿の「東海道どまん中茶屋」で、楽しいおしゃべり…
… 掛川宿〜袋井宿〜見付宿 |
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第十四日目 |
2007年2月28日(水) 晴れ |
今日のコース : 掛川宿〜袋井宿〜見付宿 |
日記の記録 : 旅人の J (熟年夫婦の夫 J、妻 M) |
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今日はなんといっても、袋井宿の「東海道どまん中茶屋」が楽しみだ。
宿を午前8時15分に出て、旧街道に向かう。旧街道は、掛川宿を過ぎると西進するにつれ右に大きくカーブしている。途中、「平将門十九首塚」の標識があるが、時間がないので寄らないことにする。国道1号線と合流し、大池橋を渡ると左折する。やがて、天竜浜名湖鉄道が見え、西掛川駅付近で休憩する。午前9時5分。 |
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「大池一里塚」と美しい松並木
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しばらく進むと、左手に「大池一里塚跡」があり、この辺りから美しい松並木が続く。掛川バイパス、東名高速道路をくぐると、右手に「善光寺」がある。寺の阿弥陀堂に祀られている阿弥陀は平安時代の初めに活躍した武将、坂上田村麻呂の守り本尊といい伝えられているという。
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松並木に江戸気分!! |
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間の宿「原川」に入ると、松並木がますます美しい。我々旅人もゆっくり歩きながら、江戸気分を味わい、写真を何枚も撮った。右手に「富士浅間宮」の赤い鳥居を見ながら進み、左手にある「東公民館」で休憩する。午前11時5分。公民館の横の広場では大勢の方がゲートボールを楽しんでいた。
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街道を行く
日本橋から六十里二十一町
(237.9Kmあたり)
(静岡県袋井市国本) |
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東海道どまん中小学校 ? |
旧街道に戻ると、すぐに、左手に「東海道五十三次どまん中東小学校」という名称の小学校があった。袋井宿は、東海道五十三次の江戸からも京からも27番目の宿場で、東海道のまんなかに位置することから、袋井市は、どまん中を、売り物にしている。
その袋井市の心意気には、驚かされる。どまん中東小学校の正式名称は、袋井市立袋井東小学校であり、その庭に「久津部一里塚跡」があるが、一里塚より、どまん中小学校のほうが印象深い。一里塚は、60番目の一里塚ということであり、江戸・日本橋から約240kmの距離ということになる。
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「七ツ森神社」 … 怪鳥の返り討ちにあった七人の墓 |
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旧街道を進むと、右手に村中安全と書かれた秋葉山常夜灯があり、その先に「七ツ森神社」がある。七ツ森(塚)の云われは、桓武天皇の頃、日坂宿に出没していた怪鳥を退治するために朝廷から七人の武士が派遣されたが、退治できずに逆に怪鳥の返り討ちにあい、命を落としてしまう。哀れんだ村人が墓をつくり彼らを葬り、その墓が七ツ森と伝えられているという。 |
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「東海道どまん中茶屋」 |
趣のある松並木を進むと袋井市役所があり、その左の「天橋(あまばし)」を渡ると「東海道どまん中茶屋」がある。この茶屋は、「東海道どまん中袋井」をキャッチフレーズに街づくりを進めている袋井市のシンボルだ。茶屋内の東海道グッズと、広重の浮世絵「袋井・出茶屋の図」、そっくりの茶屋前のつくりは必見だ。茶屋ではお茶をいただき、楽しい話を聞かせていただいた。午後0時31分(「五十三次の出会い 7」 を見てね!) |
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東海道五拾三次 遠江国 |
袋井宿
人口:843人
総家数:195軒
本陣:3軒
脇本陣:0軒
旅籠屋:50軒 |
袋井 [出茶屋ノ図] |
通常、宿場の出入り口には、旅人や人足が休憩できるように茶屋が数件並んでいる。
茶屋のないような場所には、絵のような「出茶屋」があったという。
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「袋井宿」 |
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袋井宿は、他の宿場よりも15年遅れた1616年に設置された宿場で、東海道の中で最も町並みが短かったという。また、この地は、むかし、四方が丘で真ん中の田んぼに大きな井戸があったことから袋井といわれていたようである。
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往時の景観をイメージできる宿場公園! |
「東海道どまん中茶屋」を過ぎると、旧街道の右手に東本陣公園があり、その公園内に「袋井東本陣跡」や本陣の間取りが表記されている。また、公園内には、小庭園や冠木門がつくられ、旅人の休憩や市民の憩いの場となっている。その先、左手に「袋井宿場公園」、すぐ、右に「問屋場(人馬会所)跡」がある。さらに旧街道を進むと、御幸橋のたもとに本町宿場公園がある。往時をしのばせる高札場や「従是袋井宿」と記された棒鼻などがあり、往時の景観をイメージすることが出来る。そして、ここが袋井宿の西の入口という。袋井市内の東海道に関する施設には、往時の雰囲気があり、また、案内板の解説は非常に詳しく、新しい知識を得ることができ、うれしい。
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街道を行く
日本橋から六十二里十三町
(244.9Km)
袋井市御幸橋
(静岡県袋井市袋井) |
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「東海道どまん中西小学校」 |
旧街道を西進すると、「東海道どまん中西小学校」(袋井市立袋井西小学校)があり、その先、川井交差点付近のレストランで昼食とする。午後1時23分。ゆっくり休憩した後、しばらく行くと「木原一里塚跡」と「木原一里塚復元」がある。その先、「木原畷(きはらなわて)古戦場」がある。家康が武田信玄の大軍の前に一蹴され浜松城へ逃げ帰ったという三方ヶ原の合戦の前哨戦の場である。 |
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宿の出入り口「木戸風モニュメント」 |
太田川にかかる三ヶ野橋を渡るが、元気な小学生が、『こんにちは』と我々に声をかけて行く。旧街道は、国道一号線の左手になり、合流して右手になると下り坂となる。坂を下っていくと「木戸跡」があり、ここからが「見付宿」である。国道には、「木戸風モニュメント」が建てられており、見付宿では、東と西の入口に木戸が設けられていたとある。当時、五十三次の宿場の江戸側と京側の出入り口には、見付、または、木戸が見張り、保安用に設けられていた。
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東海道五拾三次 遠江国 |
見付宿
人口:3935人
総家数:1029軒
本陣:2軒
脇本陣:1軒
旅籠屋:56軒 |
見付 [天竜川図] |
天竜川は、通常、中洲があり、二つの瀬を渡らねばならなかったという。
しかし、「あばれ天竜」の名前の通り、この瀬も変化したり、水中に沈んだりしたという。 |
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「見付宿」 … 初めて富士山を見付けた場所 |
見付宿の見付とは、京から江戸に向かう旅人が、初めて富士山を見付けた場所だから名付けられたといわれている。地元の方に聞いてみると、『その通りで、現在も「富士見」という地名がある。』とのこと。見付は、古代、国府や国分寺がおかれた場所で、中世以前は遠江の中心であったという。
また、「旧見付学校」郷土資料館の資料によれば、「天保末期の見付宿の職業分布」は、旅籠屋41軒、茶屋22軒、荒物屋(笊や箒などの雑貨を売る店)19軒、古手屋(古着屋古道具を売る店)16軒、米屋13軒、小間物屋(化粧品、文房具、調度品などを売る店)13軒、大工12軒、肴屋11軒、酒屋10軒、足袋屋10軒、菓子屋8軒、餅屋7軒、青物屋(野菜や果物を売る店)8軒であり、このほかに農業122軒、その他(医師、無職など)7軒であったという。
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「旧見付小学校」に、宿や旅のコーナー |
旧街道を進むと、「問屋場跡」「本陣跡」「高札場跡」がある。「見付宿町」というバス停をすぎて右折すると、現存する日本最古の洋風木造建築小学校「旧見付小学校」がある。5階建ての白亜の美しい建物で明治から大正にかけての教科書や学用品などがあり、そのときの授業風景も再現されていた。また、見付宿や旅のコーナーもあり、非常に良かった。
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旧街道に戻り、西坂町交差点を左折すると、あと1kmほどで、今日の宿である。午後5時2分、到着。歩いた距離がそう長くもないのに疲れた。三日目のせいかもしれない。
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第十四日目 2007年2月28日(水)
前日までの距離 234.9Km(381、325歩)
今日のコース 掛川宿〜9.7Km〜袋井宿〜6.5Km〜見付宿
今日の歩行距離 16.2Km(今日の歩数 32、056歩)
今日の歩行時間 8時間47分(休憩、昼食、見学を含む)
日本橋から 251.1Km(413、381歩)
京・三条大橋まで、あと 272.2Km
《参考》
今日の全所要時間(金谷宿〜見付宿)8時間47分
今日の全歩行距離(万歩計換算)16.2Km |
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熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記 |
五十三次の出会い 7
「東海道どまん中茶屋」の番頭ら「どまん中で売り込み…年中無休」
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出会いの人 : 袋井宿「東海道どまん中茶屋」番頭 S.Hさん
出会いの日時 : 2007年2月28日(日) 午後0時30分
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旅人のJ(私):「東海道どまん中茶屋」は東海道を歩くための本などに
よく載っています。旅人のオアシスのような場所だと思いますが、いつ
ごろできたのですか?
東海道どまんなか茶屋の番頭S.Hさん:歴史は浅く、この「どまん中茶屋
」が出来たのは、8年前です。実は、20年ほど前に、袋井宿が江戸から
も京からも27番目の宿場町に注目して「まんなか」で売り込んだのですが、 いまいちPR不足なのか、パンチが足りない、それで「ど」をつけて、
「どまん中」にしてみたんです。その後、茶屋もつくり、一挙に盛り上が
りました。
J:東海道を歩く旅人は必ず立ち寄って、お茶をいただき、楽しいおしゃべり
をし、情報と活力をもらって、次の宿へと出立していくと思いますが?
番頭:そのようですね。旅人との話の中で、『東海道を歩いて、どこがお気に
入りか?』と聞いてみると、箱根峠と薩捶峠が圧倒的に多い。詳しく聞く
と箱根宿での富士と芦ノ湖、薩た峠での富士と駿河湾がいいという。
「富士と水(水面)」が「日本人の旅の風景」の原点なのでしょうか?
J:旅人と話しをされていて、面白いエピソードなどありますか?
番頭:ありますね。北海道から来た人が江戸から京に向かった歩き、この茶屋
での話。その人は、「江戸時代は、東海道を12〜15日くらいで歩いたらし
いので、わたしも12日程度で歩きたい。そのために、宿を全部予約して
から歩き出した。しかし、毎日40Km歩くのは、大変。大変なんてもの
じゃない。足は豆だらけ、どうやら、今日はこの茶屋まできたが、明日は
もうだめだ。」といいながら、足を引きずりながら宿に向かった。果たし
てどこまで行ったやら。
J:その北海道の方、毎日、40Kmを歩いて、袋井宿まで来た。それだけで
私は最敬礼です。
番頭:ある学生が立ち寄って、その日の宿が決まっていない。所持金が必ずし
も…、という方を自宅に泊めたこともあります。家内が洗濯を手伝って
いました。
J:街道筋で、「日本で一番小さい歩くための道の駅」というような、看板を
見ましたが…。
番頭:はい、この茶屋のモットーは、「日本で一番小さい歩くための道の駅で
年中無休、日の出から日没まで。」でやっています。
平成の旅人は、必ず「どまん中茶屋」に寄ってほしい。楽しいおしゃべりをして、情報と活力をもらって(多分、お茶もいただけるはず)元気にまた歩こう!!
地域の方々も我々旅人も皆んなで袋井宿を、どまん中茶屋を、より元気にしよう!
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金谷宿〜日坂宿〜掛川宿 このページ 見付宿〜浜松宿 |
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旅人 J&M |
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