熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
                 
 新天竜川橋、歩道設置で景色を楽しみながら歩く
                                  … 見付宿〜浜松宿
第十五日目 
2007年3月1日(木) 晴れ
今日のコース : 見付宿〜浜松宿
日記の記録  : 旅人の J (熟年夫婦の夫 J、妻 M)
 今日の楽しみは、天竜川の川風を受けながら堤防を歩くことと浜松城公園を散策することだ。しかし、明日は仕事なので、あまりゆっくりは出来ない。

宿泊した宿は旧街道筋。宿を午前7時58分に出発し、旧街道を磐田駅の方向に向かう。地図では、磐田駅手前の交差点の角に旧東海道の道標と観光案内所があり、そこを右折するとあるが、道標、観光案内所があるという場所では、ビルが建築中だった。

 「江戸時代の中泉絵図」

 右折してから中泉公民館付近の「江戸時代の中泉絵図」を見ながら進むと、右手に「宮之一色一里塚跡」があり、さらに少し行くと左手に「秋葉常夜灯」がある。豊田南小学校を過ぎて左手を進み、若宮八幡宮で一休みする。午前8時54分


  街道を行く

 日本橋から六十四里二十五町
  (254.0Kmあたり)
 
  (静岡県磐田市森下)
  立場(たてば)は、旅人や人足、駕篭かき、伝馬などの休憩所!!

 旧街道に出て西進すると「長森立場」と書かれた案内板がある。江戸時代、宿場と宿場の間には、間の宿(あいのしゅく)や立場(たてば)があった。立場は、旅人や人足、駕篭かき、伝馬などのための休憩所で、茶屋が設けられていた。茶屋で旅人たちはお茶を飲んだり、名物のお餅を食べたり、また、馬もここで湯や麦などを補給した。

 川風に吹かれながら、ゆっくり、新天竜川橋を歩く、ラッキー!!
 「長森立場」の案内板を右折し北に向かって進むと、いよいよ天竜川を渡ることになる。天竜川には、天竜川橋と新天竜川橋の二つの橋があるが、どちらも歩道がないため、「危険に付き、バスを利用すること」とある。また、やむをえず、歩いて渡った先人たちの報告にも「13分かかって、命からがら橋(端?)を渡った。もう二度と渡りたくない。」とある。
 我々はバスで行こうとバス停に向かうが、途中「浜松方面に行かれる歩行者、自転車はこちら」の立て看板がある。その看板に沿って進むと、なんと、新しい歩道付きの「新天竜川橋」があった。まだ、橋全体では工事中ではあるが、歩道は完成している。ラッキーだ。幅の広い歩道を川風に吹かれながら、ゆっくり、天竜川を渡った。気持ちが良かった。1512歩、約14分かかった。江戸時代は、もっと上流を渡船で渡ったという。
  「かやんば高札場跡」「金原明善の生家」安間の一里塚」
 橋を渡ってすぐに左に折れ、一部工事中の堤防管理用道路を進み、六所神社のところから西に進む。やがて、左手に「かやんば高札場跡」があり、天竜川の治山、治水に功績のあった金原明善の生家を過ぎて、しばらく行くと安間の「一里塚跡」の標柱がある。

  街道を行く

 日本橋から六十六里十六町
  (260.9Km)

  浜松市薬師北交差点付近
  (静岡県浜松市薬師町)
  「浜松アリーナ」で休憩

安間川を渡り、国道一号浜松バイパスをくぐり、ところどころ左手にある松並木を通り過ぎると右手に「浜松アリーナ」があり、休憩する。午前10時56分。この日、アリーナは特にイベントなど予定がないらしい。広いロビーを独占してコーヒーを飲み、持参してきたお菓子を食べた。このような公共的な場所を利用できるのはありがたい。

  「馬込一里塚跡」

一息入れると、不思議なくらい元気になる。「植松原」の道標を見て、芳川にかかる琵琶橋を過ぎる。この辺り、道路は広く、往時の面影は全くない。さらに進むと、左手歩道上に「馬込一里塚跡」の標柱があるが、気をつけていかないと見過ごしそう。
 標柱には「江戸日本橋より六十五里(約260Km)であり、馬込の名称は史料に寄れば向宿ともいう。」とある。

  レストランで食事
 馬込橋を渡り、遠州鉄道の高架をくぐると、そこは浜松の繁華街。さらに進む、連尺交差点で、旧街道は左折するが、我々は浜松城公園に寄るため、右折する。右折してすぐのレストランで昼食、疲れた身体を休める。午後0時25分
  「浜松城公園」
 十分休養した後、浜松城公園に向かう。浜松城は、天下盗りの夢を育てていた若き日の徳川家康が17年、在城した。浜松城は、天下を取った家康以後も水野忠邦をはじめ老中などに出世するものを輩出し、出世城として知られる。城の中は、石垣や三方ヶ原の合戦などの詳しい説明資料があり、興味深い。また、城の周辺は日本庭園やせせらぎがつくられていて、季節の花を楽しみながら散策した。
 東海道五拾三次 遠江国
 浜松宿
 
 人口:5964人
 総家数:1622軒
 本陣:6軒
 脇本陣:0軒
 旅籠屋:94軒

浜松 [冬枯ノ図]
 大きな木の元で焚き火をしながら暖をとっている駕篭かき、旅人たちが描かれている。
 かなたに、浜松上の天守閣が見える。

「浜松宿」

徳川家康はこの地を引間から浜松と改め、城下町と宿場町を合わせた町に整備した。浜松宿は、旅籠94軒、本陣6軒の東海道最大規模の宿場だった。

 「伝馬町交差点」までとする。
  浜松城、浜松城公園を見学したあと、連尺交差点まで戻り、「佐藤本陣跡」「梅屋本陣跡」の案内板を見る。午後2時58分。道路の反対側歩道上に「高札場跡」「杉浦本陣跡」「川口本陣跡」の案内板があるようだ。今日の「五十三次テクテク旅」は「梅屋本陣跡」のある伝馬町交差点まで(午後3時5分)とし、そこを左折して、JR浜松駅に向かう。

  街道を行く

 日本橋から六十七里三十三町
  (266.7Km)

  浜松市伝馬町交差点
  (静岡県浜松市伝馬町)

 浜松駅到着は午後3時9分。浜松駅、午後3時26分発の新幹線で東京に向かった。千葉で食事をし、午後7時20分に家に着いた。

  第十五日目 2007年3月1日(木)

    前日までの距離    251.1Km(413、381歩)
  今日のコース    見付宿〜15.6Km〜浜松宿
  今日の歩行距離  15.6Km(今日の歩数 27、019歩)
  今日の歩行時間  7時間7分(休憩、昼食、見学を含む)
     日本橋から       266.7Km(440、400歩)
     京・三条大橋まで、あと 256.6Km
《参考》
  今日の全所要時間(宿〜見付宿〜浜松宿〜自宅)11時間22分
  今日の全歩行距離(万歩計換算)16.5Km
掛川宿〜袋井宿〜見付宿  このページ  浜松宿〜舞坂宿
日記・詳細目次 ベスト3目次 道しるべ目次 歩き方Q&A 旅姿持ち物
出会い 日本橋〜 絶景ポイント 道しるべ1
おしゃべり 〜三条大橋 えっえっここも?
トップページへ
旅人 J&M