熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
                 
 東海道名物「とろろ汁」「安倍川餅」をいただく
                           … 江尻宿〜府中宿〜丸子宿
第十日目 
2007年2月11日(日) 晴れ
今日のコース : 江尻宿〜府中宿〜丸子宿
日記の記録  : 旅人の J  (熟年夫婦の夫 J、妻 M)

    原点 … ゆっくり、ゆったりと歩き、「歩くことで見えてくるものはなにか?」

 「五十三次テクテク旅」も、今日で十日目、全コースの三分の一を越え、我々なりの「五十三次スタイル」を出そうということになった。といっても、「ゆっくり、ゆったり」歩き「歩くことで見えてくるものはなにか?」の原点は変わらない。ゆっくり、ゆったりと歩きながら、五十三次の風情があればその雰囲気に浸り、名物があれば味わい、出会いがあれば楽しいおしゃべりをする、というスタイルに変わりはない。
 要はその日の見所、ポイントを決めて、旅人二人がしっかりその日を楽しむことである。
  「安倍川餅」「とろろ汁」が今日のポイント
 今日のポイントは、東海道名物「追分羊羹」「安倍川餅」「とろろ汁」をゆっくり味わうこと。ゆったり、ゆっくりといいながらも、現地でゆっくり味わうためには、早めに家を出なければならない、という矛盾を抱えながら、結論としては、今日も早立ちとなった。

  昔…  東映の正月映画は「清水の次郎長」

 自宅を午前4時20分に車で出て、千葉駅午前5時6分発の快速で東京に向かう。東京発6時23分の新幹線で静岡に向かい、静岡から東海道線で清水まで戻る。清水には8時6分到着した 。
 清水(静岡市清水区・旧清水市)は江尻宿という。江尻宿は、駿河国で、府中宿に次ぐ大きな宿場といわれているが、我々には清水次郎長のいた宿場のほうがわかりやすい。
 古い話で恐縮であるが、私が子どもの頃は、東映の正月映画といえば、スター総出演による「清水次郎長」か「忠臣蔵」「水戸黄門」の三本のうちのどれかであったような気がする。そして、次郎長といえば、森の石松、石松といえば、「寿司くいねえ、寿司くいねえ」で、当時、みんなで「寿司くいねえ、寿司くいねえ」と真似をしたものだった。

「江尻」という名称は町名に…

 清水駅から旧街道である清水銀座商店街まで歩く。駅前通りと清水銀座商店街との交差点が今日のスタート地点で、午前8時23分、江尻宿をスタートする。往時の面影はほとんどないが、「江尻」という名称は町名として残っている。交差点を西進し、すぐに右折するが、次郎長の生家がある次郎長通りは、この先にあるようである。しかし、旧東海道から離れているので、生家には寄らないで先を急ぐことにする。「道しるべ」で写真を撮っていると、『撮りましょう。』といって若い女性が近づいてくる。旅人二人写真におさまったが、今日は幸先が良い。


  街道を行く

 日本橋から四十三里二十五町
  (171.6Kmあたり)

  清水駅前銀座
  (静岡市清水区江尻東)
  渡り初めに河童の稚児が現れて「稚児橋」に

 旧街道は巴川にかかる稚児橋を渡る。渡り初めのとき川の中から稚児が現れたことから稚児橋と名付けられたという。また、その稚児は巴川の河童だろうとのことから、橋の親柱に河童の像がある。

   残念「追分羊羹」食べられず

 旧街道を進むと街道沿いに追分羊羹本店がある。資料によれば、江戸時代、旅の途中、病いに苦しむ僧を介抱したところ、お礼に小豆を使った食べ物の秘法を伝授したという。それが、「追分羊羹」の由来。「微妙な甘さ」が売り物らしい。
 いま、時間はまだ9時前、残念ながら、追分羊羹本店は空いておらず、江戸時代からの名物「追分羊羹」を食べることはできなかった。

  振り返ると雪を被った美しい富士が…

  東海道本線を横切り、旧街道を進み、静岡鉄道狐ヶ崎駅前で、休憩した。午前9時14分。旧街道を進むと、右手に「草薙一里塚の碑」が立っている。さらに進み、静岡鉄道草薙駅前で左折し、旧道に入る。振り返ると雪を被った富士が美しい。東名高速道路をくぐり、草薙総合運動場を右折すると県総合運動場駅前にでる。午前10時31分、駅前で一休みした。


  街道を行く

 日本橋から四十五里六町
  (177.0Kmあたり)

 
  (静岡市清水区中之郷)
 跨線橋を渡り、しばらく進むと左手に「一里塚」がある。静岡鉄道と並行している街道を進むと、踏み切りで警報がなっており、電車の来る気配。振り返ると電車を覆うように富士山が見えた。
  府中宿の入口は 「曲尺手(かねんて)」
 ふたたび、鉄道をガードで潜ったりし、西進すると「東見附」があり、ここからが、府中宿である。午後0時3分。府中宿は、駿河国の国府が置かれたところから駿府あるいは府中といわれた。徳川家康や東海道五十三次の作者、十返舎一九でも知られたところ。また、府中宿は、「枡形」あるいは「曲尺手(かねんて)」といわれる、宿場の出入り口が直角に折れ曲がった構造で知られている。敵や曲者の侵入を防ぐためにつくられたという。
 東海道五拾三次 駿河国
 府中宿
 
 人口:14071人
 総家数:3673軒
 本陣:2軒
 脇本陣:2軒
 旅籠屋:43軒

府中 [安部川]
 三人の女性が、安部川の川越しをしている。
 肩車、駕籠、蓮台と三者三様と違った川越しを描いている。
 
 府中宿でとろろ汁を食する
 宿の中心、五差路周辺の地下レストラン街で少し待って、とろろ汁定食を食べた。とろろ汁は、丸子宿の丁子屋のとろろ汁が有名であるが、そこで食べられるかどうかわからないので、昼食に食べることとした。麦入りごはんにさらっとしたとろろ汁をかけて食べたがおいしかった。
 おでんフェスタの中、「里程元標址」「札の辻址」を確認
 昼食を終え、旧街道を進み、呉服町交差点を右折すると、道路内は交通規制をして「おでんフェスタ」が行われていた。おでんを求めてあちらこちらに長い行列が出来ていた。その人ごみを掻き分けて、「里程元標址」「札の辻址」を確認して、今度は左折して、七間町通りを進んだ。その名の通り、道幅が七間あり、両側の店には特産物が並んでいた。

  街道を行く

 日本橋から四十七里一町
  (184.7Km)

  静岡市新通
  (静岡市葵区新通)
 
  石部屋(せきべや)の「きな粉と餡の安倍川餅」を食べる
 右折、左折を繰り返し、新通りをまっすぐ進み、安倍川畔に向かう。安倍川の手前に安倍川餅で有名な「石部屋(せきべや)」がある。午後2時10分、今日の楽しみのひとつ、石部屋で「きな粉と餡の安倍川餅」を食べた。一皿500円、小粒だがやわらかくて非常においしい。店内は客でいっぱいだが、次々と客が押し寄せていた。
  「鞠子宿場祭冬の陣」のポスターが…

「石部屋」を出て、安倍川橋を渡り、いったん、国道一号線と合流するが、佐渡交差点で左折し、旧街道に入る。しばらく進むと、右手に「丸子宿本陣跡」「お七里役所」の碑がある。その前後して「鞠子宿場祭冬の陣」のポスターが目に付き、地元の方が近づいてきて『今度、鞠子宿では、宿場祭りをするので、ぜひ見に来てください。』と声をかけていく。


  街道を行く

 日本橋から四十七里二十一町
  (186.9Kmあたり)

  静岡市間の宿「手越宿」
  (静岡市駿河区手越)
  丁子屋・とろろ汁・1時間待ち・あきらめる…

やがて、右手に400年の歴史を持つとろろ汁の「丁子屋」が見え、左に「丸子橋」があった。午後3時34分、丸子宿到着とする。今日のもうひとつの楽しみ、東海道名物とろろ汁の店、「丁子屋」である。ところが「丁子屋」は、長蛇の列で、1時間待ちの張り紙がある。やむをえず、とろろ汁を食することはあきらめて、店内の街道の資料展示コーナーを見せてもらう。店は裏側に大きく広がっており見た目の数倍の広さがあった。

  見ごたえのある展示コーナーにいると、『私たちは2時間待ったのよ。』と「麦飯とろろ」を食べたと思われる女性4〜5人のグループが、なぜか得意そうに、我々に声をかけていく。
 東海道五拾三次 駿河国
 丸子宿
 
 人口:795人
 総家数:211軒
 本陣:1軒
 脇本陣:2軒
 旅籠屋:24軒

丸子 [名物茶屋]
 「名ぶつとろろ汁」の立て看板があり、旅人二人が、とろろ汁を食べている。
 この広重の丸子[名物茶屋]を見てから、現地で「丁子屋」の建物を見ると感動する。
 「丸子宿」

丸子宿では、宇津ノ谷峠の登りをひかえた京に向かう旅人も、また、宇津ノ谷峠を降りてきた旅人も、休憩し、茶屋が軒を並べ大いに賑わったという。

  宿(やど)で、絶品のとろろ汁を…

 「丁子屋」からは、丸子橋をわたらずに、丸子川沿いに進み、国道一号線を歩道橋で渡ると今日の宿「とろろ汁のお宿 若松」である。午後4時8分、到着。
 実はこのあと、この宿で絶品のとろろ汁をいただいたのである。
   「五十三次の出会い 6」 を見てね!)

  第十日目 2007年2月11日(日)

    前日までの距離    172.2Km(270、292歩)
  今日のコース    江尻宿〜11.0Km〜府中宿〜4.2Km〜丸子宿
  今日の歩行距離  15.2Km(今日の歩数 29、577歩)
  今日の歩行時間  7時間32分(休憩、昼食、見学を含む)
     日本橋から       187.4Km(299,869歩)
     京・三条大橋まで、あと 335.9Km
《参考》
  今日の全所要時間(自宅〜江尻宿〜丸子宿〜宿)11時間48分
  今日の全歩行距離(万歩計換算)16.7Km
 熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
 五十三次の出会い   
 「とろろ汁お宿・若松」の若女将から、絶品のとろろ汁をいただき、
                  たのしいおしゃべりも…
  出会いの人  : 丸子宿「とろろ汁お宿・旅館若松」若女将 S.Hさん
  出会いの日時 : 2007年2月11日(日) 午後6時 
「とろろ汁お宿・若松」へ

『宿場祭りに、ぜひ来てね。』と
美人の若女将(左の方)
 J(私):とろろ汁は味噌のやさしい味、非常においしかったで
    す。麦ご飯とのバランスが絶妙で、舌触り、のど越し、のどをさらり
    と越えていきました。

 「お宿若松」若女将 S.Hさん:ありがとうございます。丸子宿のとろろ
    汁は、400年もの間、旅人に愛され、賞味いただいています。
    ところで、再来週、丸子宿では、宿場まつりを行いますが、途中ポス
    ターなど見ましたか?

 J:街道筋で見ましたし、地元と思われる方から、ぜひまた来てくださ
    いと声をかけられました。「鞠子宿場祭冬の陣」ですね。指導とし
    て、日光江戸村と書いてありましたが?

 若女将 S.Hさん:そのとおりです。街道の一部を車止めにして、日光
    江戸村の指導で、地元の方々が出演して時代劇を行います。

 J:おもしろそうですね。若女将も出るのでしょう。どんな時代劇です
    か?
 若女将 
S.Hさん:出入りしている酒屋さんに、私も出るように何度も
    誘われましたが、いそがしくて、今回はお断わりました。時代劇は
    若い女性の「助けて〜」とか「アレ〜」とかが、あるのではないで
    しょうか?

 J:「アレ〜」の一言でストリーがわかる気がします。この辺りは
    散策するところがいろいろありそうですね。

 若女将 S.Hさん:はい、国道沿いの梅園は今が見ごろです。ここの北側
    には丸子城址があります。丸子城は、武田信玄の侵攻により、武田
    氏の領有となったようですが、今でも城の曲輪や土塁、空濠などが
    残っています。丸子宿は、夏も宿場祭りをやっていますし、ぜひ、
    また来てゆっくりしていってください。


   次の日、『道中お気をつけて』で、宿を後にしたが、資料によると
 どうやら、品のある、美人の若女将は、1500年代に丸子城を守った
 斉藤安元氏の子孫とかかわりがありそう。来年の「鞠子宿場祭冬の陣」
 ではお姫様役で時代劇をもりたててほしい。
  地域の方々も我々旅人も皆んなで丸子宿をより元気にしよう!
 
             
五十三次の出会い 五十三次の出会い
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