熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
                 
 海の向こうに悠然と富士が座する風景、薩捶峠を歩く 
                           … 由比宿〜興津宿〜江尻宿
第九日目 
2007年1月16日(火) 晴れ時々曇り
今日のコース : 由比宿〜興津宿〜江尻宿
日記の記録  : 旅人の J (熟年夫婦の夫 J、妻 M)
  いよいよ薩峠へ !
  宿の前は旧街道。いつもの通り、写真を撮り、万歩計をチェックして、午前8時25分、宿を出て、西進、薩峠に向かう。今日の「東海道テクテク旅」のポイントは、峠からの富士山の景色にある。非常に楽しみだ!!
  また、今日は、どこまで歩くのか、興津宿に着いた時点で決めることにしている。
   集落の古い街並みを歩く

由比町内の東海道は「由比桜えび通り」と名付けられており、その道を西進する。
  JR由比駅を過ぎたあたりで、右手の旧街道に進む。寺尾沢橋を渡り、寺尾、倉沢などの集落を歩くと旧寺尾村名主の「小池邸」や「東海道あかりの博物館」など古い街並みが残っており、往時の面影に浸ることが出来る。


  街道を行く

 日本橋から四十一里一町
  (161.1Kmあたり)

 
  (静岡県庵原郡由比町東倉沢)
 
   峠への急坂を上る

 寺沢橋を渡り、間の宿「西倉沢」の明治天皇御小休所跡や日本橋から数えて40番目の一里塚跡を過ぎると、いよいよ、急坂、難所の薩峠への登りが始まる。薩峠への道は、上道、中道、下道の3コースありと、資料にはあるが、周辺がみかん畑となっている街道を進むと、それが中道であり、午前9時53分、峠の駐車場に着く。

   海の向こうに悠然と富士が座し …

笠雲をかぶった富士がひときわ高く聳えている眺めは絶景だ。トイレ休憩をして、無人販売所でみかん一袋(100円)を買い、展望台に向かう。展望台で振り返えると、海の向こうに悠然と富士が座し、眼下には、波打ち際にJR東海道線、国道一号線、東名高速道路が曲線の美しさを競いながら走っている。この薩峠は、興津宿から登ってきた昔の旅人には、山塊斜面の背後から突然富士が見えるという感動的な地点であったという。展望台では、下からの心地よい風を受け、みかんを食べながら、『きっと江戸時代の旅人もこの景色に感動し、いまと同じように、一息ついたんだろうね。』と話をした。

   街道を行く
  日本橋から四十一里七町
      (161.7Kmあたり)
   峠、展望台
      (静岡県庵原郡由比町西倉沢)
  水仙の道を歩き、興津宿へ
 興津宿へ下る道は狭く、水仙やみかん畑やお墓の真ん中を進む。
 『こんな狭い道を大名行列は通れたのであろうか?』と、素朴な疑問がわく。ある資料によると、天保期に参勤交代で東海道を利用していた近江国以西の大名は146家あったという。それが一年おきに数十日を費やして江戸との間を往復していた。当然、大名行列のラッシュであり、それによって、宿場が発達し、街道が整備された、とあるので、今よりは往来が激しかっただろうから、もう少し道幅は広かったのかもしれない。
 下りの道を下りきり、旧街道が鉄道で分断されている箇所は、すこし手前を左折し、JR東海道線の踏切を渡った。国道に出て、興津川橋を渡り、いったん、右折し狭い家並みを抜けて、再び国道に合流する。
   宗像神社と「一里塚跡」

 西進すると、宗像神社の鳥居が見える。さらに進み、右手に「一里塚跡」や民家の前の無人野菜販売所などを見て、右折するとJR興津駅前である。

 午前11時20分着。一休みした。ここが興津宿として、写真を撮り、時間や万歩計の数を記録した。一昨日の疲れはほとんどなく、明日は仕事だけれども、時間はまだ早いので、江尻宿まで歩くことにした。
 東海道五拾三次 駿河国
 興津宿

人口:1668人
 総家数:316軒
 本陣:2軒
 脇本陣:2軒
 旅籠屋:34軒

興津 [興津川]
 関取二人が興津川を渡っている。
 一人は、四人で担ぐ駕籠に乗り、もう一人の関取は、馬で渡っている。
 遠景として、駿河湾と松林が描かれている。

 
  「興津宿」
 興津宿は、東海道十七番目の宿場で、江戸に向かう旅人にとっては、難所で知られた薩峠を控えた重要な宿場であった。かっては、現在のJR興津駅を中心に本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠34軒などが立ち並んでいたが、往時の面影は無い。
   「東本陣址」「西本陣址」の碑
  JR興津駅前をたち、旧街道に戻り、西進する。すぐに、「東本陣址」の碑、「西本陣址」の碑がある。さらに進むと、右手に「東海名区」という額を掲げた山門が見える。JR東海道線をはさんで見えているのが「清見寺」である。
 実はこの辺りに「清見ヶ関跡」があるはず、興津は古くから交通の要衝で清見ヶ関という関所が設けられており、「更級日記」にも柵が海際まで結ばれていた関所の姿が描かれていたという。残念ながら、「清見ヶ関跡」は見つからなかった。

  街道を行く

 日本橋から四十二里三十五町
  (168.7Km)
 
  (静岡市清水区横砂東町)
  「秋葉山常夜灯」と「細井の松原」

旧街道を進み、バイパスの下をくぐり、JR東海道線の踏切を渡って、再び国道と合流する。角に「秋葉山常夜灯」があり、左折して国道を進むと右手に往時からの松が一本見える。庵原川を渡り、橋のところで休憩する。午後0時22分。再び西進し、今度は左手に往時の松があり、街道が国道から右手旧道に分かれるところに「細井の松原」がある。


  街道を行く

 日本橋から四十三里四町
  (169.3Kmあたり)
 
  (静岡市清水区横砂中町)
 東海道五拾三次 駿河国
 江尻宿
 
 人口:6498人
 総家数:1340軒
 本陣:2軒
 脇本陣:3軒
 旅籠屋:50軒

江尻 [三保遠望]
 江尻宿は、巴川河口に発達した町で、河口に位置したことから江尻とよばれたという。
 中央の松林は、三保の松原で、羽衣伝説で有名な「三保の松原」がある。今でも日本平の展望台からこのような風景を見ることが出来るという。
 
 「江尻宿」
 江尻宿は、JR清水駅前の清水銀座から巴川にかかる稚児橋あたりまでをいう。現在の地名は、静岡市清水区であるが、街道一の大親分、清水次郎長の清水港のまち、といったほうがわかりやすい。ちなみに、江尻とは巴川の尻、すなわち下流ということで、川のほとりに出来た宿場という意味。
 江尻宿は、駿河では府中に次ぐ宿場であったが、いまは往時の面影は無い。
  充実した「五十三次テクテク旅」の三日間

清水銀座を西進し、駅前通りと交差した角で、九日目の「五十三次テクテク旅」はここまで。午後1時5分。江尻宿到着の写真を撮り、清水駅に向かう。駅前でなぜか中華を食べ、あわただしくお土産を買って、清水駅発午後1時58分の列車に乗る。千葉駅には午後6時5分、自宅には午後6時50分に着いた。充実した3日間だった。

  第九日目 2007年1月16日(火)

    前日まで       158.3Km(248、042歩)
  今日のコース   由比宿〜8.4Km~〜興津宿〜5.5Km〜江尻宿
  今日の歩行距離  13.9Km(今日の歩数 22、250歩)
  今日の歩行時間  4時間40分(休憩、昼食、見学を含む)
     日本橋から       172.2Km(270、292歩)
     京・三条大橋まで、あと 351.1Km
《参考》
  今日の全所要時間(宿〜由比宿〜江尻宿〜自宅)10時間25分
  今日の全歩行距離(万歩計換算)15.5Km
吉原宿〜蒲原宿〜由比宿  このページ  江尻宿〜府中宿〜丸子宿
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