熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記
                 
 雪の富士が見守る駿河路をゆっくり、楽しむ 
                           … 吉原宿〜蒲原宿〜由比宿
第八日目 
2007年1月15日(月) 晴れ
今日のコース : 吉原宿〜蒲原宿〜由比宿
日記の記録  : 旅人の J (熟年夫婦の夫 J、妻 M)
  だから「五十三次テクテク旅」は、やめられない!
  昨日の「鯛屋旅館17代目ご主人」「鯛屋旅館資料館スタッフ」への二つの取材は、どちらも勉強になったし、非常に楽しかった。清水次郎長、山岡鉄舟の話や吉原のまちおこしのための一店逸品のことを、聞かせてもらえるなんて、なんという贅沢。これが今回の旅の醍醐味。このような出会いがあるから「五十三次テクテク旅」は、やめられない。
   旅人の背中に、道中無事の火打石が…

 午前7時50分、宿の方にお礼を言って出発。すると、18代目若主人が道中無事を祈って旅人二人の背中に火打石を打つ。これが昔からのしきたりという。我々は、江戸時代の旅人となった気分で、旧街道である商店街を西に進む。最初の角で振り返ると若主人はまだ立っていて、ジェスチャーで「左折する」と再度教えてくれる。頭を下げ手を振って、左に曲がったが、角に「道しるべ」があったので、戻って、写真を撮った。「道しるべ」には次の宿「蒲原宿」まで、三里とあった。

   富士が顔を出し、見守ってくれているようで…

富士市は東海道の案内がよく整備されていて旅人にとっては心強い、優しい街だ。今日は朝から快晴で富士が良く見える。道中、雪をかぶった美しい姿の富士がところどころで顔を出し、旅人を見守ってくれているようでうれしい。
 そのような中、吉原宿の「西木戸跡」をあとにして旧街道を南へと進み、潤井川を渡ると、やがて「鶴芝の碑」が見える。当時、ここは間の宿「本市場」で「鶴の茶屋」があり、ここから雪の富士を眺めると中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたという。富士市フィランセで一休みした。
 午前8時50分。


  街道を行く

 日本橋から三十七里
  (145.3Km)

  富士市 富士本町交差点付近
  (静岡県富士市本町)

 
   富士と歩いている旅人の写真を撮る

 秋葉常夜燈を見ながら旧街道を進む。JR柚木駅を過ぎると雪をかぶった大きな富士が街道に迫って見える。江戸時代の旅人もきっとこのような景色の中を歩いたんだということになり、「雪の富士が見守る街道を行く旅人」をテーマとした写真に撮ることになった。そして、街道をわざわざ、戻ったりしながら、富士山と歩いている旅人の写真を撮った。再び国道一号線に合流すると、東海道一急流といわれた富士川は近い。

   富士川橋の記念写真
 富士川は、昔は渡し船,、いまは橋を歩いて渡る。富士川橋の上でも「富士と歩いている旅人」の写真を撮る。
  富士川橋の調査に来ている富士川管理者と思われる若い調査官(女性)から、『写真を撮りましょうか?』と声をかけられ、旅人二人、記念写真におさまる。
最近は、官庁の方も親切だ。

  街道を行く

 日本橋から三十七里二十八町
  (148.4Km)
  富士川町 富士川橋
  (静岡県庵原郡富士川町岩淵)
 
   間の宿「岩淵」を行く

 

橋を渡りきり、少し上流に進んでから急坂を上っていくと、間の宿「岩淵」だ。振り返ると、家並みと雪の富士の景色が素晴らしかった。街道を歩きながら、何度も振り返り、写真を撮った。

「小休本陣」を過ぎ、さらに街道を進むと、榎の大木が両側にある「岩淵一里塚」がある。午前10時50分。少し進んでから右折し、東名高速道路、新幹線のガードをくぐり、少し上ってから東名高速道路を渡る。その後は一気に下ってつきあたりを右折すると、日本橋から数えて38番目の「一里塚跡」があり、その少し先に蒲原宿の「東木戸」がある。「東木戸」は枡形になっており、そばに「常夜灯」が立っている。文政13年(1831年)ものとされ、「宿内安全」という文字が刻まれている。ここから約1キロメートル先にある「西木戸」までが蒲原宿内で、そのほぼ中央に「本陣跡」がある。



  街道を行く

 日本橋から三十九里四町
  (153.6Km)
  蒲原宿の東木戸
  (静岡市清水区蒲原)

 
 東海道五拾三次 駿河国
 蒲原宿

人口:2480人
 総家数:509軒
 本陣:1軒
 脇本陣:3軒
 旅籠屋:42軒

蒲原 [夜之雪]
 
 街道も宿場もすっぽりと雪に覆われ、静寂な世界が描かれている。
 雪に埋もれる寒村、という広重の代表作のようであるが、実際の蒲原は温暖の地、すべては広重の作りだした虚構の世界らしい。

 
  「蒲原宿」

 蒲原宿は、土蔵造りの家屋や黒塀が多く残されており、さらに案内板もわかりやすく、十分時間をかけて散策したい宿場である。特に「志田邸」は、米・塩を扱い、後に醤油を醸造した商家であり、室内を一般公開しているほか、当家の歴史ある資料を集めた資料館が併設されている。事前に予約すれば、宿内の案内もするという。

   「高札場跡」から「西木戸跡」へ
 右手に「高札場跡」を見て、左に曲がり、さらに右に曲がる。枡形の角に「西木戸跡」がある。
 蒲原宿到着は、午後0時20分

 なぜか近くのイタリアレストランで昼食、一休みした後、再び街道に戻り、由比宿を目指し、西進する。
  紀州徳川家の七里飛脚の役所跡

海道沿いに一部、古い街並みが残っている。東名高速道路をくぐり、分岐を左手に進むと「一里塚跡」の標識がある。その先右手に「お七里役所之跡」があり、「此処は紀州徳川家の七里飛脚の役所跡である。同家では江戸〜和歌山間584キロメートルに約7里、28キロメートル毎に中継ぎ役所を置き、5人一組の飛脚を配置した。主役をお七里役、飛脚をお七里衆といった。普通便は毎月3回、江戸は5の日、和歌山は10の日に出発、道中8日を要した。特急便は4日足らずで到着した。」とある。


  街道を行く

 日本橋から四十里七町
  (157.8Km)
 
  (静岡県庵原郡由比町由比)
  「東海道広重美術館」

「お七里役所之跡」からほどなく、由比本陣跡地を整備した由比本陣公園があり、「東海道由比宿交流館」「東海道広重美術館」が開設されている。
 ここが由比宿の中心であり、由比宿到着の写真を撮る。午後3時40分

 東海道五拾三次 駿河国
 由比宿
 
 人口:713人
 総家数:160軒
 本陣:1軒
 脇本陣:1軒
 旅籠屋:32軒

由井 [薩捶嶺]
 由比宿と興津宿の間に海側が切り立った断崖となった山がある。この山頂に、地蔵薩捶の仏像を祀ったことから「薩捶山」と呼ぶようになったという。
 昔も、今も変わらぬ薩捶峠からの美しい富士の風景である。
 
 「由比宿」と由比本陣公園

由比宿は、小さな宿駅ながら、道幅や家並みに往時の面影が残っている。一度は訪れてみたい宿場であった。
 今日の目的のひとつである「東海道広重美術館」に入った。広重の作品や当時のまち並みが再現されたミニチュアが展示されていた。広重を中心として、800点以上の作品があるという。
 また、「東海道由比宿交流館」では、由比宿にまつわる情報や観光情報があった。

  富士山と一緒の旅…

由比本陣公園の向いには、江戸初期に倒幕を企てたとされる由井正雪の生家「正雪紺屋」があるが、一部改築中であり、見学できなかった。
 街道を西に進み、由比川を渡って、宿に着いた。午後4時20分
 今日は一日富士山と一緒の旅で楽しかった。

 由比は昔から桜エビ漁が盛んで、「由比の桜エビ」として、有名だ。宿の夕食も桜エビの「かきあげ」「なべもの」「さしみ」「お味噌汁」と桜エビづくしで、しかもどれもおいしくMは大喜び。結局、自宅に「ゆで桜エビ」を送った。
  第八日目 2007年1月15日(月)

    前日まで       142.1Km(221、415歩)
  今日のコース   吉原宿〜12.5Km~〜蒲原宿〜3.7Km〜由比宿
  今日の歩行距離  16.2Km(今日の歩数 26、627歩)
  今日の歩行時間  8時間30分(休憩、昼食、見学を含む)
     日本橋から       158.3Km(248,042歩)
     京・三条大橋まで、あと 365.0Km
《参考》
  今日の全所要時間(宿〜吉原宿〜由比宿〜宿)8時間30分
  今日の全歩行距離(万歩計換算)16.2Km
三島宿〜沼津宿〜原宿〜吉原宿  このページ  由比宿〜興津宿〜江尻宿
日記・詳細目次 ベスト3目次 道しるべ目次 歩き方Q&A 旅姿持ち物
出会い 日本橋〜 絶景ポイント 道しるべ1
おしゃべり 〜三条大橋 えっえっここも?
トップページへ
旅人 J&M