日本列島徒歩縦断記 北海道→鹿児島 |
12【トンネルは怖い】 山の多い日本は,至る所にトンネルがある。 このトンネルが徒歩旅行者泣かせである。自転車の旅行者もそうであろう。 何が泣かせるかと言えば,ものすご〜く危険なのだ。 私の歩いたルートは,95%が国道である。 国道だから安全面には配慮がされているのはないかと思うが,それが全く無い所が多いのだ。 縁石等によって車道と区分された歩道が設置されているトンネルなんて微々たるもので,それも市街地付近の一部のトンネルに限られていた。 多くのトンネルは,路側帯を示す線が引いてあるだけで,その線とトンネルの壁の間(人一人がやっと通れるような間隔)を決死の覚悟で歩かなければならない。トンネルによってもは路側帯さえないところもあった。 大型トラックが横を通過するときは接触しそうで,本当に緊張した。自分の30センチほどの横をゴーという轟音とともにトラックが走っていくのは恐怖であった。事実,手に持っていた傘を引っ掛かけられて傘が吹っ飛び,肝を冷やしたこともあった。服やバッグに引っ掛からなくて本当に良かった。 しかも,トンネルの中は暗いので,車からは歩行者を発見し難いし,車の運転手も,まさかトンネルの中を人が歩いているなんて普通は思いもしないことだ。 それに,車が連なって走ってくるときは,2台目以降の車からは前を歩いている人間が極めて見えにくい。一応,人が歩いていることを知らせるためにライトを持つようにしていたが,2台目以降の車には効果は無かったように思う。 車ならアッと言う間に通過するそんな危険なトンネルも,歩けば時間がかかる。 まさに綱渡りのようなトンネル通過であった。 おまけでもっと言えば,長いトンネルは排気ガスが充満し,もの凄く臭かった(笑) しかし,トンネルには必ず出口がある。この先には出口が待っている,そう思いながら歩いたものだった。 当時は,出口のあるトンネルの闘いだったが,今は心のトンネルとの闘いをしている。心のトンネルは,出口がなかなか見つからない。 12【食事は6食】 普通,食事は朝,昼,晩の3食である。 私も1日3食が当たり前と思っていた。 ところが,毎日50キロ近く歩くという運動は,想像以上にエネルギーを消費し,とにかくお腹がすくのである。 毎日歩くことだけしていると,体の筋肉が強化されて更に長い距離を歩けるようになり,そして,歩く距離に比例し食事の回数も増していった。 スタートした北海道での最初の10日間は,丸1日かかって30キロ余り歩くのがやっとで,日によっては30キロにも至らないこともあり,目標の1日40キロ超には到底及ばなかったが,それでも1日中歩いているとお腹がすき,3食の間にパンなどのおやつを食べていた。 そして,歩くことに慣れ1日に歩く距離が伸びるに従って,食欲も比例して伸び,1日50キロ前後歩けるようになった中間地点の静岡県を過ぎる頃には,1日に5食,あるいは6食も食べることがあった。 例えば,8月25日は静岡県を通過している時であるが,この日の日記には次のように書いている。 「今日も食ってしまった。 1 朝6時 カレーライス 2 8時 カツ丼 3 12時 レバニラ炒め(ライスおかわり) 4 2時半 お好み焼き 5 3時 おはぎ,あんこもちetc 6 6時半 野菜炒め,さんま2匹,ポテトサラダ,ライス2杯 ひえぇぇ〜。」 だはは,ホントに良く食べた。「ひえぇぇ〜」は食べたことに驚いたのではなく,縦断資金が食費でどんどん飛んでいくことに嘆いているのである。腹が減れば銭も減る,それが問題なのだ。 歩き続けるという所為は,とにかく腹が減る(笑) 13【体力】 時間に余裕があって,ゆっくりと歩くのであれば,3,000kmと言えども体力はそれほど必要ない。 実際,60歳を過ぎた人が4か月以上かけて縦断に成功している。 しかし,2か月で完歩するとなると,あるいは重い荷物を背負って野宿をしながら毎日50km前後を歩くとなれば,それ相当の体力が必要になる。 私の場合,普段から空手やサッカーで体を鍛え,また,登山で長時間歩く訓練をしていたにもかかわらず,最初の一ヶ月間は脚の痛みとの戦いでもあった。 特に,すね周りの前脛骨筋の痛みはハンパではない。 前脛骨筋が痛くても休むことは出来ないので,毎日歩く。そうすると痛みの上に痛みが重なっていって,どんどん痛くなる。 破壊された筋繊維が再生する前に,更に筋繊維を破壊していく,という流れだ。 この前脛骨筋の痛みが和らいだのは,スタートして一ヶ月してからであった。この頃,毎日50km前後を歩ける体力にようやく達することが出来た。 14【体重の変化】 出発するときは72sで,終わったときが68s。 3,000km歩いたのに,それほど痩せてはいない。 ただし,脂肪は完全に落ちた。お腹をつまんだら全く脂肪がなく,手の甲をつまんだのと同じように,薄い皮の状態だった。体脂肪率は一桁前半になっていたに違いない。 以来,二度とそのような除脂肪のシェイプアップされた体型には戻っていない(笑) |
||||||||
|
←日本列島徒歩縦断記のトップへ |