日本列島徒歩縦断記

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Happy Dog
1【日本には親切な人が多い】

 縦断中,様々な人達から色々な親切を受けた。
 「家に泊まっていけ」と言う人
 「飯を食っていけ」と言う人
 「これを食べなさい」と言ってスイカをくれる人
 「暑いでしょう」と飲み物を渡す人
 「私にも同じぐらいの年の息子がいるんだよ」と言って代金をまけてくる食堂の人
 「何かの足しにしなさい」と餞別をそっと差し出す人
 「何!そうか,よし頑張れ!」と言って食堂の代金を全部払ってくれた人
 「車に乗るか〜」と言ってくれる人
 「挑戦する気持ちをいつまでも忘れないように」と人生のあり方を教えてくれた人
 「頑張れ〜」と声を掛けてくれた多くの人
 などなど,数え切れない親切を受けた。
 これらは私の一生の宝である。
 






2【車の人達の好意】

 歩いていると,至る所で数え切れないぐらい「車に乗せてやるよ。」「乗っていきませんか。」と親切に声を掛けてくれるトラックや乗用車の人達がいた。
 乗せてもらえば楽だが,しかし,それでは「徒歩」で「縦断」するという目的に反することになる。
 だから,足がどんなに痛くても,孤独であっても,夜の山道であっても,土砂降りの中であっても,炎天下でめまいがしていても,全てお断りした。例え,10mであっても許されないことであった。

 でも,その人達の気持ちは本当に嬉しかった。涙が出るほど嬉しかった。
 辛く苦しく孤独な時に,そのような親切な声を掛けてもらうと,人の暖かさが例えようもなく嬉しくなって,再び元気が出た。
 私が断ると,中には「人が乗せてあげようと言うのに,どうしてだ!」と怒る人もいたが,「どんなことがあっても,這ってでも自分の足で鹿児島まで歩くことにしています。すみません。」と説明したら,その後はどんな人も口を揃えて「そうか,絶対に最後まで頑張れ!」と大きな声で激励してくれた。
 こういった激励がどれほど嬉しかったことか。
 この人達の中には,トラックの積み荷から直径30センチはあろうという業務用の缶詰を差し入れてくれたり,一旦は立ち去ったものの,その後わざわざ引き返してきて買ってきたお菓子や飲み物を差し入れてくれた人がいっぱいいた。

 このほかにも,北海道では,通り過ぎる車がクラクションを鳴らしたり「頑張れー」と声を掛けてくれたりしてくれた。北海道は旅行者が多いからであろう。
 若いときに,このように人の親切に数多く触れることが出来たことは,今思えばとても幸せなこと,貴重なことた。

 





3【マメに苦しむ】

 いくらトレーニングを積んで準備万端で日本列島徒歩縦断に臨んだとはいえ,やはり長時間歩くことによるマメ(靴擦れ)には苦しんだ。
 
 1日目は大丈夫だった。
 2日目になったら足の裏にマメが出来た。痛いので潰した。一つ目のマメ。
 3日目は,その下にマメができた。痛いので潰した。二つ目のマメ。
 4日目になると,更にその下にマメが出来た。痛いので潰した。三つ目のマメ。
 5日目になっても,更にその下にマメが出来た。痛いので潰した。四つ目マメ。
 6日目になったら,もう出来なかった。
 結局,同じ箇所に四つのマメが出来た。
 この時,足の裏の厚い皮は四重構造になっていることを知った。だから同じ箇所に4個のマメが出来ることも理解出来た。そして,それ以上マメが出来なかったのは,その奥は肉になっていたからだった。一番奥の赤身の肉が見えたときはちょっと驚いたが(笑)
 それにしても痛かったな〜。
 
 マメの治療は,まず針で潰して中の水を抜いてから,次に赤チンをたっぷりと塗った。
 休憩のたびに何度も塗ってばい菌が入らないようした。








4【足の裏がツルツル】

 手の平には,指の指紋と同じように掌紋がある。
 それと同じように足の裏にも足紋がある。あの細い溝で出来た紋様である。
 ところが,鹿児島に到着したときには,その紋様が無くなって,足の裏がまるでプラスチックみたいにツルツルになっていた。60日余り歩き続けるとこのようになるとは,これには驚いた。







5【日焼けを通り越して火傷に】

 1日目の7月20日は北海道編に書いたように霧の1日だった。
 ところが二日目からは雲一つ無い晴天になった。その晴天は7月21日から本州に渡る8月4日までの間続いた。
 このため強烈な紫外線を浴びることになるのだが,これは想定外だった。
 4日目からは日焼けを通り越して,服から露出している肌の部分が火膨れになってしまったのだ。熱湯がかかったときの火傷のように皮膚の下に水が溜まる,あの状態である。腫れた皮を破ると水が流れ出すひどいことになってしまった。外見は火傷患者である。その状態で歩いているのだから,私を見た人が唖然としてた。申し訳ありませんでした。
 特に,稚内から留萌までは道路沿いには草原が広がっているのみで,日陰になるものは何もない。休憩のときは電信柱の横に立って,直射日光を避けていた。
 この火傷は10日目ぐらいで治って,後は大丈夫だった。人間の体は直ぐに順応してくれるからたいしたものだ。
 今思えば,学校に行っている以外は,資金準備のアルバイトとそれが終わってからのトレーニングで忙しく,ほとんど太陽の光に当たることは無かった。このため,ひ弱な肌になっていたのだろう。
 中年の今なら日焼け止めクリーム持参の発想があったろうに,当時はお肌のメンテナンスにはとんと無頓着だった。あれ?これって年をとったということかな。









6【暑さとの闘い】

 歩いた時は,7月20日から9月20日までと1年で最も暑い季節。
 このため,とにかく暑かった。暑いというよりも熱いと表現した方が良いほどだ。
 毎日,アスファルトの道路を歩くのだが,アスファルトの直射日光の照り返しはすごく,上からは太陽で,下からは照り返しで焼かれ,暑さのために目眩がして倒れそうになる。こういう状況のところを丸1日歩くのである。でも熱中症にもならずに当時は耐えられた。今ではとてもできない。だはは,若いって良いな〜。
 
 気象台が観測した「気温30度」は,芝生の広場の地上1.5メートルの高さに設置された通気性の良い観測箱の中の温度計で計測したものである。
 アスファルトの上とは全く違うのだ。
 あるテレビ番組で,夏のアスファルトの温度を測っていたが,表面温度は60度もあった。大人の高さでも,場合によっては40度になるらしい。
 歩いている時に,吸った息を熱く感じていたのは,体温よりも空気の方が熱かったためだろう。
 
 




7【北海道から鹿児島までの距離】
 北海道稚内駅から鹿児島県枕崎駅まで行くとした場合の鉄道の距離を、Yahoo!の路線検索で調べれば3140.9km。
 私の場合は、当時、道路地図に書いてある距離を電卓で計算して約3,000kmという数字を出したが、カーブの多い道路に比べ、鉄道は道路よりも直線に近く、目的地と目的地をほぼ最短距離で結んでいるので、もしかしたら、北海道から鹿児島までの道路はもっと長いのかもしれない。
 なお,北海道から鹿児島までの直線距離は約2,000km。









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    第1章 Why?   


    第2章 3,000km&63日
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        関西・中国編  
        九州編  


    第3章 あんなこと,こんなこと
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3,000km 一人旅
第2章 3,000キロメートル&63日間
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