日本列島徒歩縦断記

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                       縦断中のハッピードッグ。北海道の国道40号線沿いにあるサロベツ平原にて。


【何故,日本列島を歩いたのか】

 わざわざ飛行機で北海道まで行って,そこから歩いて鹿児島まで行くなんて発想は,今の自分には絶対に出来ない。
 そのような発想をして,かつ,実行したのは,どう考えても「若さ」である。
 世間知らずで,怖い物知らずで,こうと思ったらテコでも曲げないワガママでアホな当時の若い自分でなければ出てこない発想だ。
 歩いている途中に数え切れないぐらいの人から,「どうして歩いて縦断しようと思ったのか。」と聞かれたが,恥ずかしくて「世間知らずですから」「アホですから」とは言えず,
 「自分への挑戦です。」
 「心身の鍛練です。」
 「若いときでなければ出来ないからです。」
 「日本の大きさを自分の足で実感したいからです。」
と格好良いことを答えていた。嘘つきだったのだ(笑)

 ま,それはさておき,当時,パキスタン経由でアフガニスタンに入り,そこからイランを抜け,トルコのイスタンブールまでを徒歩とラクダで行く「シルクロード横断計画」を進めていた。
 しかし,その走破予定距離である1万キロ余りの距離感覚がイマイチぴんと来ない。何しろ,普段歩く1キロなどと比べると桁が違いすぎるのだ。
 そんなとき,植村直己さんが日本列島を徒歩で縦断したことを知って,じゃあ,自分も日本列島を歩いてみて,とりあえず3,000キロメートルという距離がどの程度のものかこの足で確かめてみよう,ということになったのである。軽い気持ちで。後で大変なことを始めちゃったな〜と思った(笑)






【何故,徒歩にこだわったのか】

 日本列島徒歩縦断は,どちらかいうと自転車が一般的であり,自転車であれば,縦断にとどまらず日本一周さえも視野に入ってくる。
 が,自分の力のみで歩きたい,となれば徒歩ということになる。
 それに,縦断の目的が,シルクロード横断の準備として,長〜い距離の感覚を確かめることにあったので,やはり日本縦断も徒歩でなければならない。
 そうなれば,それ以前の問題として,では何故シルクロードを徒歩で歩こうなんて思ったのかとの疑問が出る。
 それは,やはり,前の方に書いたとおりアホだからであろう(笑)
 何しろ寝る前に「神よ,我に艱難辛苦を与えたまえ」などと唱えていた頃だから,当時はアホなことしか考えつかなかったのだ。
 敢えて過酷な条件を自らに課し,極限状態の中で目標達成に挑む,これぞ青春だぁ〜,だったのだ(爆)

 昭和53年ごろ,シルクロードを横断する方法は車であった。
 他に少数派としてオートバイという手段もあった。
 いずれにせよ当時は,車でもオートバイであっても,シルクロードを走るのは危険を伴っていた。道路は整備されていないし,何と言っても治安が悪いのだ。行方不明になった日本人もいた。
 しかし,最も過酷な手段は徒歩である。
 治安の悪さは仕方無いとしても,自然環境はハンパではない。途中には広大なタクマラカン砂漠もある。何十キロ行っても水が無いところはザラなのだ。もちろん夏は40度の猛暑,夜は氷点下の冷え込み。
 そんな所は絶対に徒歩に限る,というのが当時の結論だったのだ。
 ただし,タクマラカン砂漠では水の補給が出来ないことから,水の運搬用にラクダを使うことにし,アフガニスタンにおけるラクダの値段も調べた。

 ところで,大学を休学して実行する予定だった「シルクロード横断計画」は,風土病対策に必要な事前の予防接種に至るまで調べたが,当時のソ連によるアフガニスタン侵攻などによって,アフガニスタン方面の情勢が極めて不安定になったため,結局,断念せざるを得なくなった。
 その計画を断念して,今の仕事をしている。
 もし,ソ連によるアフガニスタン侵攻がなければ,私の運命はまた違うものになっていたかも知れない。






【何故,親不孝者なのか】

  日本を歩く計画に親は最初から反対した。
 そして,東京に着いたとき,実家に電話をしたら「良くやった。残りは来年でいいからもう止めなさい。」と言われた(笑)
 しかし,資金が途中で切れたときに,頼んだ額以上のお金を送ってくれた母親の親心に胸が熱くなった。いつも心配ばかりかける息子であるが,本当に親には感謝している。
 何故,親不孝者なのかと言われても,これはもう許してもらうしか無い。 






【何故,南下コースか】

 日本列島を縦断するには,北海道から南へ下る南下コースか,あるいは南側から北海道へ上がる北上コースの何れかを選択することになる。
 この点は迷うことなく北海道から南下するコースに決めた。 
 決めた理由は簡単である。それは視覚的な理由である。
 地図を見れば北海道が上にあり,鹿児島が下にある。やはり,下から上に向かって上るよりも,上から下に下って行くのが楽そうである(笑)
 それに,夕方になったら,夕日を見ながらノスタルジックな気分で歩きたいという,やや情緒的な事情もあった。
 次に,南下コースを選択した場合,本州はどこを通るか,すなわち太平洋側コースか日本海側コースか,という選択をしなければならない。
 植村直己は南下コースの日本海側コースで縦断しているが,私は,太平洋側コースを歩くことにした。
 これも単純な理由である。距離からすれば,日本海側コースの方が短いのに,南国鹿児島生まれの私は,南側が海になって開けている太平洋側の方が気分的に明るくなれそうな気がして,太平洋側コースにしたのである。



 


【何故,真夏だったのか】

 当時は大学2年生で,2か月程度のことに休学する訳にもいかず,一番長い休みの夏休みを利用することにしたからである。
 それでも夏休みをオーバーして,9月20日までかかった。






【何故,単独だったのか】

 生まれつき一人が好きだったことと,一緒に縦断してくれる者がいなかったからである。
 ちなみに,縦断を始めてから分かったことであるが,1日当たりの歩行距離を伸ばすには,歩けるところまで歩いて適当な場所に野宿し,翌朝はテントを速やかに撤収,即出発するという機動性が必要である。
 そのような機動性は複数では難しく,その点では単独が正解だった。

 単独でやって良かったことが他にもある。
 それは後でも書いているが,数え切れないぐらいの人達から多くの親切を受けたことである。これも一人で歩いていたからだ。一人でいると相手も気軽に声を掛けやすいようだ。複数だとそれが難しい。
 それに,複数であれば,話し相手がいるから,見知ら人達と話をすることは少なかったかも知れないが,単独だと人恋しくて,こちらからも出会う人にどんどん話しかけていた。これによって,自分でも気付かないうちに人見知りする性格が治っていた。








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    第1章 Why?   


    第2章 3,000km&63日
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    第3章 あんなこと,こんなこと
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        パート4
        パート5 















3,000km 一人旅
第2章 3,000キロメートル&63日間
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