日本列島徒歩縦断記

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北海道編             





【遂に九州! 9月12日(月):55日目】

 厚狭公民館を午前6時出発。
 出発するとき,管理人のおばさんが「頑張りなさい。」と言ってパック入りの牛乳と食事代を持たせて,見送ってくれた。ありがとう,おばさん。
 
                
                     もらった牛乳を飲みながら一休み

 山陽町からしばらく進むと,国道2号線は瀬戸内海に沿って下関に延びており,海を見ながらの西進になる。
 そして,海の反対側に九州が見えた。
 北海道,東北,関東,中部,関西,中国と歩いてきて,最後に歩く九州である。
 やっとここまで来たことを感慨深く思いながら更に歩いていると,遠くに関門橋が見えてきた。
 あそこの関門海峡を渡れば九州に入るのだ。

 本州と九州をつなぐ関門橋は車専用で,人は渡れない。
 人は関門橋の下,海の中にあるトンネルを歩いて渡るようになっている。
 午後2時10分,本州に別れを告げて,トンネルに入った。
 そして,午後2時20分,遂に九州に入った。
 稚内からここまで55日間。よく頑張ったと思う。
 
 国道も3号線になった。後は3号線を鹿児島まで南下するだけだ。
 段々見えなくなる本州を何度も振り向きながら,小倉の方へ歩いた。

 小倉に午後7時着。
 夜は,小倉で働いている父親のところに泊まる。
 父と夜遅くまで話した。その父も亡くなって7年が経つ。
 縦断に反対していた父も,ここまで歩いてきたら,さすがにもう止めろとは言わなかった(笑)















【まだ1週間があと1週間 9月13日(火):56日目】

 小倉を朝7時20分に出発。

 午後8時50分,古賀町の工事現場にテントを張って野宿。
 この夜は久しぶりに熟睡した。
 姫路からここまで飛ばしてきて疲れていたことと,九州に入ったことの安心感からだろうか。

 北海道を歩いていいるときは,なかなか先が見えず,本当に鹿児島まで歩けるのだろうかという不安があり,1週間歩いても「まだ1週間しか歩いていないのか」とがっくりきていた。
 それが,残り1週間で鹿児島に着く所まで来た。あと1週間になったのだ。
 















【俺はホームレスか? 9月14日(水):57日目】

 古賀町を午前6時に出発。
 午前11時30分,福岡県庁で通過証明を書いてもらう。


 ところで・・・
 縦断に使った服は,東京で着ていた普段着のTシャツ,短パンだった。
 だから稚内をスタートした時は,誰が見てもフツーの徒歩旅行者に見えたはずだ。
 ところが,この服は,夏の強烈な日差しや土砂降りの雨に毎日さらされた野ざらしの状態であったことに加え,洗濯は手洗いのため汚れ落ちが十分で無かったため,みるみる色あせてボロ切れのようになっていった。
 しかも,肌は焼けて真っ黒だし,そのままだとホームレスであるが,背中にしょっているバックパックに掛けた「日本列島徒歩縦断中」の文字が辛うじて徒歩旅行者であることを示していた。
 それに,野宿の旅ではあるものの,自分がホームレスであるなどとは思いもしないし,何よりも3,000キロメートル走破という目標に向かって突き進んでいるギラギラした目がホームレスとは大きな違いであったハズだ。
 しかし,着ている服が色あせ,肌が益々黒くなるにしたがって,私を見る人には,その区別が難しくなったようだ。しかも臭いし,仕方がなかったかも知れない(笑)
 だが,さすがに,ホームレスからホームレス扱いを受けたときはショックを受けて,少し落ち込んでしまった(爆)

 それは,福岡市博多区を通過するときだった。
 向こうからリヤカーを引いた,どこから見てもホームレス以外に見えない,まさにザ・ホームレスとも呼べるようなホームレスが歩いて来た。みんな避けるので間違いない(笑)
 普通ならそのまますれ違うところだが,ここからの展開が普通ではないのだ。
 何故かそのホームレスは立ち止まって私に話しかけてくるではないか。
 ホ「兄さん,どこへ行く?」
 私「鹿児島ぁ。」 
 ホ「そうか,寒いときは南の方が良いからな〜。俺も秋になったら南に行くとするか。」
 私「南?」
 ホ「でも,兄さん,この辺じゃ見かけない顔だな。」
 私「通りすがりだからね。」
 ホ「そうか,でも気を付けるんだよ。この辺は縄張りがあって,勝手に入ると大変だよ。」
 私「大変?」
 ・・・・ん〜,何だか私のことをホームレスと思っているようだ。
 ちょっとショックだけど,ま,それはそれで面白いではないかと思って,話を続けた。
 話を要約すると,近くにある歓楽街の中州は残飯が沢山出るため,この辺一帯にはホームレスが多数集まってきて,それぞれ縄張りを持っており,その縄張りに勝手に入ると争いの元になるから気を付けろ,と言うことだった。
 間違えるな!と思ったが,忠告には丁重にお礼を申し上げた。
 このホームレス,犬連れのホームレスで,2匹の犬と,リヤカーに積んだ段ボールの中には数匹の仔犬を連れていた。写真の右側の犬が母親だ。
 そのホームレスに「元気で」と別れのあいさつをし,笑顔で別れた。

               
                          犬連れリヤカー引きホームレス


 国道3号線の南下を続けると福岡県から一旦佐賀県に入る。その後,再び福岡県になるのだが,この夜は,佐賀県鳥栖市にあった農協のテントの下に野宿。

















【熊本県 9月15日(木):58日目】

 鳥栖を午前6時に出発。
 国道3号線を南下して,佐賀県を出て再び福岡県へ。
 久留米市,八女市を過ぎて更に行くと福岡県と熊本県の県境,小栗峠である。この峠に午後4時到着。
 峠にある食堂が饅頭を売っていたので食べてみたら,これがうまいの何の。
 そこの主人が「数年前に歩いて日本縦断中の植村直己がここに寄った。」と教えてくれた。植村直己の本がきっかで,今回の日本縦断を計画したのだから,同じ店に立ち寄ることができたことに嬉しさを感じた。

 山鹿市の青果市場のテントの中で野宿。
















【取材 9月16日(金):59日目】

 山鹿を早朝出発。
 熊本市役所で通過証明を書いてもらう。
 あちこちでマスコミの取材を受けてきたが,熊本市役所での取材は記者の数も多く,取材時間も長かった。北海道や東北では取材は全くなかった。やはり,ここまで来れば,記事として価値が高まるのだろうか。

 この日の夕食代は,店に来ていたお客さんが「頑張れ」と言って払ってくれた。感謝。

 午後9時,竜北町の農協らしき建物の横にテントを張って野宿。

















【もう少し 9月17日(土):60日目】

 午前5時30分,竜北町を出発。

 あちこちで新聞を見た人達から「頑張れ」と励ましてもらった。元気が出る。
 
 午後9時30分頃,湯浦温泉を少し行ったところにあるドライブインの太郎茶屋の空き地にテントを張って野宿。
 後3日でゴール出来る距離になってきた。


            















【鹿児島! 9月18日(日):61日目】

 太郎茶屋を午前6時15分に出発。
 快晴の秋晴れの下,国道3号線を南下する。
 熊本県側の水俣市を通過。
 もうすぐ鹿児島との県境である。
 
 午後1時10分,そして鹿児島に入った。実に61日目である。
 北海道から沢山の都道府県を歩いて来て,最後の県に入った。
 5分歩いては10分休んだ,あの苦しいときが思い出される。
 しかし,こうしてゴールが見える所まで来た。これも励ましてくれた多くの人達のお陰である。

 この日も車に乗っている人,歩いている人,いろいろな人達から声援を受けた。

 夜は阿久根市の町工場の中で野宿。

















【明日はゴール 9月19日(月):62日目】
 
 今日も快晴。
 阿久根市を午前6時30分に出発。
 今日もみかんや飲み物を貰ったり,励ましを掛けてもらった。
 明日はいよいよ3,000kmのゴール。
 午後9時30分頃,東市来駅で野宿。
 
















【ゴール 9月20日火):63日目】

 午前6時に東市来駅を出発。
 暁の国道を一人,ゴールを目指して歩き出す。
 周りの山々が朝日に紅く染まっている。
 一歩一歩を確かめながら,ゆっくり,ゆっくり,急がず,これまでの2か月を振り返りながら歩く。
 
 午前11時30分,ゴールの鹿児島市役所に到着。

 でも,「挑戦」はこれで終わったわけではない。
 人生のゴールはまだまだ先である。
 

                          
                                   鹿児島市役所

               



             
               










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    第2章 3,000km&63日
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        関西・中国編  
        九州編  


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