日本列島徒歩縦断記

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8【縦断中の荷物】

 計画では2か月ほどの野宿をしながらの一人旅であり,その長期日程に耐え得る荷物を準備する必要があった。
 まず,荷物を入れるリュックであるが,これは,当時流行していたアルミフレーム製のバックパックにした。しかもメイドインUSAの本場物である。これなら沢山の物が入り,背負いやすい。

 最初の時点で,リュックに入れた荷物は次のとおりである。
 Tシャツ,短パン,下着,靴下,バスタオル,タオル,歯ブラシ,石けん,洗濯用洗剤,シャモニーナイフ,ヘッドランプ,小型ライト,ロウソク,キャンプ用ガソリンバーナー・鍋類・食器類・燃料,シェラカップ,ドーム型テント,水用ボトル,夏用シュラフ,レインスーツ,折り畳み傘,細ロープ,日本道路地図,コンパス,カメラ,三脚,ノート2冊,筆記具,赤チン,針,糸,爪楊枝(笑)

 キャンプ用ガソリンバーナーは,当時はまだ珍しかったコールマン製。
 ドーム型テントは,軽量アルミフレームながらも冬山用の強いもので,まだ三角テントが多かった当時は,これも珍しいものだった。

 一応厳選したつもりではあったが,総重量は25キロほどになった。
 でも,結局,重さに耐えきれずに,いくつかは下に書いたように途中で外すことになる。









9【耐えきれない重さ】

 計画を実行するに当たっては,アルバイトの合間を縫って事前のトレーニングにも精を出した。
 アルバイトから帰ってきてからの夜のランニング,休みの日には重いリュックを背負っての山登り,早朝のサッカーの練習などで体を鍛えた。
 ここまで鍛えて出発すれば,少々重い荷物を背負っても肉体的な苦痛はないだろうという自信があった。
 しかし,毎日何十キロも歩き続けると予想できない事態が生じる。一歩歩くごとに荷物の重量が肩に食い込んできて,それが日ごとに大変な苦痛になってきたのである。
 そして,遂にと言うか,早くもと言うか,出発して5日目には荷物を整理して東京の寮に送り返すことになった。
 送り返した荷物は,バスタオル,ブッシュパンツ等の衣類の一部,キャンプ用ガソリンバーナー・鍋類・食器類,三脚である。これで数キロは軽くなった。
 さらに,荷物を少しでも軽くするため,歯磨き粉のチューブを絞って半分にし,石けんも,爪楊枝も半分にした。それほど重たかったのである(笑)
危険物のガソリンバーナーの燃料は捨てた。
 後で考えてみたら,ガソリンバーナーを持っていったのは失敗だった。もちろん重いこともあるが,当時出回り始めたガソリンバーナーの燃料がどこでも手に入るはずは無かったのである。ガソリンバーナーに使用するホワイトガソリンという特殊な燃料は,東京でも登山専門店でしか売っていない時代だった。失敗,失敗。








10【靴はどうした】

 良く聞かれるのが「日本を端から端まで歩いて,靴は何足つぶれましたか」ということである。
 ところが靴は一足で通したのである。
 計画の段階で最も検討したのが,靴である。
 運動靴で歩くのが普通のように思われるけど,長時間歩き続ける歩行には,実は運動靴は向かないのである。
 何故か,それはソール(靴の裏)が柔らかいためである。
 ソールが柔らかい運動靴は,足裏に負担をかけ疲労を早める。また,足首のホールドが弱いために足首への負担も生じる。さらには,道路には釘やガラスなど色々な危険物が落ちており,それが刺さりやすい。
 そこで使用することにした靴が,ビムラムソールの革製軽登山靴である。
 ビムラムソールはイタリアのビムラム社が作っている靴底で,強さは当時世界一であった。う〜ん,またまた道具の話か(笑)
 結局,この靴一足で北海道から鹿児島までの3,000キロを歩き通した。ただし,ソールはほとんどすり減って,かかと部分は鹿児島に到着したころはもう無くなっていた。
 道路には,思わぬ段差があったり,コンクリート片などの固まりが落ちていたりして,それにつまづいたり,あるいは蹴飛ばしたりしたことが何回もあった。しかし,足首がほどよくホールドされていたため捻挫をすることはなく,また,蹴飛ばしてもつま先が固い革製の靴であったため怪我をすることは無かった。
 また,ソールが固いことのメリットである足の疲労の抑制,これにも助けられたはずだ。
 それと,気づかなかったけど,危険物も相当踏んづけていたかも知れない。それらもビムラムソールのお陰で知らず知らずのうちに怪我を免れていたのだろう。

 ちなみに,歩いている途中で,同じように日本列島徒歩縦断中の人に一人会ったが,その人は運動靴だった。
 その人は,私とは逆コースの鹿児島から北海道を目指していて,会った場所は縦断の大半を終えつつある東北だった。その時で,靴は4足目と言っていた。






 

11【雨&台風対策は?】

 東北は国道4号線を南下した。
 函館から,夜の青函連絡船に乗って青森に上陸したのが8月4日。
 その後,関東に入るまで,東北は毎日のように雨が降り続いた。この年の東北地方は,長雨の冷夏で農作物の被害や水害が起きていた。
 快晴の炎天下も辛いが,毎日降り続く雨も難儀である。
 雨対策には登山用のレインスーツを準備していた。
 登山では長時間着続けることがあるので,普通の雨合羽よりも内側が蒸れない工夫がかなりしてある。ミゾレの降るような状況の中で,合羽の内側が蒸れて濡れるのは,体温を奪われることにつながり,とても危険である。このため本格的な登山用の合羽は通気性に特別の配慮がされている。 
 ところが,このレインスーツは1回着ただけで東京の寮に送り返すことになった。
 いくら雨の中とは言え,真夏の平地で丸1日着て歩き続けると猛烈に蒸れるのである。山と平地は違うことに気が付いた(笑)
 代わって活躍したのが折り畳み傘である。
 傘は横殴りの雨を防ぐことは出来ないが,ある程度濡れてもレインスーツよりはず〜と快適であった。
 ただし,台風の時と集中豪雨の時は,傘も一切役にたたなかった。と言うより,台風の時などは傘をさしているとかえって危険だった。結局,こういうときは濡れるしか無かった。
 う〜ん,今考えてみると極めて異常な行動をとっていたのかもしれない。台風や強風の大雨の中を傘もささずに濡れながら歩いている,これはやはり異常行動である(笑)。不審者がいると110番通報されてもおかしくない。今であれば絶対にできない。やはり若さのエネルギーはすごい。

 雨で最も困ったのは,洗濯物が乾かないことと,靴が中まで濡れて,足の皮がブヨブヨになったことだった。
 それに,野宿する所にも困ったし,背負っているバックパックが重くなった。
 ちなみに,雨が続いて洗濯物が乾かないときは,必殺技の「着乾かし」で乾かしていた。字のごとく,濡れた服を着たまま寝て,体温で乾かすのだ(笑)



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第2章 3,000キロメートル&63日間
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