つれづれノート
    (年表)
エッセイ風なものを書いてみました。
日常生活の機微が伝わると思います。
いざ書いてみると、三枚目ですが、実際は気むずかしくて風変わりなのです。
                  (裏表紙より)
日記のように毎日少しずつ書けば、エッセイぎらいの私でも長くつづくのではないかと思って、去年からかかって、やっとできました。とてもうれしいです。つたないながも真心は・・・・真心は伝わったのではないかと思います。
(中略)
今この同じ時間に、私と、皆さんが生きていて、同じような現実社会の中でそれぞれの見方で人生を送っている。そういうことの不思議さやはかなさやよろこびを、認めながら生きていこうと思います。
(中略)
私は、本当は、人を元気づけたりなんかできません。
(中略)
それらに感じ入ってくださるのは、それをみた皆さんの心の中にあるものです。
                     (後書きより)
年表を書き進むにしたがい追加していきます。
英字 あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行
銀色夏生辞典
      年表の見方と使い方
このページは非公認ページです。すべての文章は作品からの僕の読後感と最小限の引用です。
それぞれの項目の中には作品紹介と感想僕の考え方のページにリンクされています。参照させていただいたサイトも ありますが、この場を借りてお礼申し上げます。本など商品の購入サイトもありますが、購入を促すものではありませんので、購入につきましてはご自身の責任においてお願いいたします。
*関連項目の検索にはYafooサイトを使わせていただきました。
年月日   つれづれノート」記事から引用 僕の感想
 1990年
 (平成2年)

 8月31日
(金) 引っ越したばかりの部屋で「つれづれノート」を書きはじめる。
8月29日まで20日間の東北旅行
(温泉三昧)盛岡・八幡平・田沢湖・花巻・遠野・釜石・八戸・下北半島・八甲田・男鹿半島・秋田・角館・盛岡
東京都世田谷区近辺か?
引っ越しは、人生の転換期に必ずある。
 9月 1日 (土) アンドレ・ブルトン「シュルリアリズム宣言」(サイト「山崎書店」)
(卒論を書くときの読んだ本)

「強い心をくじく雑音のようなもの・・・・」
「強い心をくじく雑音のようなもの」
出鼻をくじかれるということも多くありますね。
せっかく気持ちよく生活を楽しみ、いろいろと楽しい計画をしているとき、なんか気持ちを暗くさせられることもあります。もちろん社会や家庭で生活をしているわけですからいろいろといやなことも多いのですが、それは仕方ないとしても、なんか発展性のない、袋小路に押し込められるような気持ちにさせられるものもあります。こういうときの気持ちにさせらることが 「強い心をくじく雑音のようなもの・・・・」なのかな? 
 9月 2日 (日) 習い事11個。陶芸。  
 9月 3日 (月) ウォーターベッド購入。  
 9月 4日 (火) 「はじめて会う人と会ったとき・・・・」 「はじめて会う人と会ったとき」
「はじめてあった人の中に感じ取ろうと思うこと、心の奥底に落ち着いた静かな部分があるか」
人としての奥深さだろうか?それとも他の人にはない個性のようなものだろうか?たしかに初対面でもこのようなものを感じ取れるときがあるかもしれないけど、人によってはある程度付き合ってみないとその奥深さは見えないときもあるし、初対面で感じても付き合っているあいだに皮が剥げるときもあると思う。
でも、初対面の第一印象は大切ですね。
夏生さんは、どこに男を判断するか?どこかにそれは顔だと書いてあったところがあった。たしかに顔を見るとその人が現れているかもしれませんが、夏生さんの場合は面食いだから。。。。。
直感を信じるしかないということかな?
 9月 5日 (水) 読者からの手紙(ファンレター 夏生さんにとってのファンレターは、後にいろいろなことを夏生さんへ投げかける。
 9月 7日 (金) 夏生さんは、寝ているあいだの夢をよく覚えている。
 9月 9日 (日) 占い。版画。 占いも人生の転換期に占ってもらう。19ページのイラストに描かれている占い師「わ太郎」は、この後も時々出てくる。
 9月11日 (火) 映画「赤毛のアン」続編
 9月12日 (水) 友達と上野の美術館
味噌ラーメン
友人・・・・イラストでは女性のようだが「やよいちゃん」か?
上野の国立美術館、今はもう引っ越したのかな?HPはありませんでした。
 9月13日 (木) ウォーターベットにしてからを忘れなくなった。
「私は永遠のアマチュア・・・・」
「私は永遠のアマチュア」
ほかの芸術家と比べると、夏生さん自身「永遠のアマチュア」と思うという面では、「ミタカくんと私」や「ひょうたんから空」という小説?を呼んでもほかの作家に比べると下手だと思う。この下手というのは、何も感動しない、考えさせられないという意味ではなくて文章が淡々と流れすぎて重みがないというのか。でもその中に夏生さんでしか書けない何かを感じます。
「何かを、まぬがれている」と書かれていますが、ほかの作家が、何かを表現しようとあくせくするような、そんなものが夏生さんの作品にはないということだと思います。心の中に沸き起こる言葉をそのまま原稿用紙に置いたという感じがします。それがまた夏生さんらしい文章になるのだと思います。
詩にしても、どの本だったか、心の中に浮かぶ言葉をそのまま書いているというようなことを書いていますが、それが詩についても夏生さんらしいのではないかと思います。
ほかの作家から見ると幼稚さというものですら感じますが、夏生さんが大人としていろいろないいものも悪いものも持っているとは思いますが、その作品となると、その幼稚さが純粋さになるのではないかと思います。
「つれづれノート」は、こんな夏生さんの日常を描いたもので、よくあらわされているのではないかと思います。作家にいつも高い思想性や考え、あるいは完全さを求めている方には、夏生さんの作品は物足りなかったり、その生き方に疑問も出ると思います。
でも、普通の女性が普通の言葉で心の中や行動をある程度隠さずに表す。「つれづれノート」の中に、「大衆的な詩」というような批評が書かれていますが、そこに普通の女性が何かを感じ取れるものがあるのだと思います。生活のさまざまな上において。。。。。。
 9月14日 (金) 映画ヒッチコック「救命艇」
「本屋について」「について」「について」
「本の山」
カレー
湯川秀樹自伝
中学時代の思いで(作品について)
車(運転)については時々失敗談が・・・・
自宅の本の山についてはあとにも出てきます。
「中学時代の思い出(作品について)」
中学生ころのイメージは、「青っぽい夕暮れ」
「夕方らせん」という作品もこれに通じます。また、詩の中にも写真にもたくさんの夕暮れの風景が現れます。今でも作品を書くときには、あそこに行っているような、と書いてありますが、どこかうらざみしいようなものが伝わります。明るさもあったのでしょうが案外暗い少女というイメージがわきます。
作品を作っているときの作者の心が読む者の心に感応する。
たしかに夏生さんの物語も小説として何かを読み取ろうとするような作品ではなくて、読み終わったあとに何かが心の中に残るというような心で読むという性格があります。ましてやしとなると心と心の感応そのものですね。詩のような形で物語なども書かれているのでしょう。。。。。
 9月16日 (日) 環境と私
恋人「むーちゃん」と銀座へ映画「ニューシネマパラダイス」
「環境と私」
自分の周りの環境は、自分自身の精神状態の反映だと思うと書いてあります。
少し唯心論的な雰囲気のある文章です。
たしかに心の持ち方によっては周りの環境への見方やとらえ方が違ってくるものだと思います。その意味では自分自身の精神状態の反映と言えなくもありません。しかし自分が望んだから、自分の精神の反映として世界ができているというように見るならば間違いでしょう。世界は自分の精神によって作られているなどと。。。。。
この後夏生さんは、環境は「たえまなく自分が出しつづけている力のはねかえり」だと書いてあります。ここには唯心論だけではなく、自分の行動としてみています。未来へ向けての自分自身の行動や努力、これらの実践的な働きかけというもの自体が環境として自分に跳ね返ってくるということでしょう。
夏生さんは自分自身を行動派だと書いていますが、ただ心で思うことを大事にするだけではなく、この思ったことを実行していくことが、結婚など生活面で「つれづれノート」には書かれています。
夏生さんは、ある神秘的な力を信じています。それがごく内面の問題で、その神秘性からの行動を重んじているのではないかと思います。
 9月18日 (火) 映画「フランスの友達」  
 9月19日 (水) ペンネームの由来」
作家になったきっかけ
いつどんなふうに詩を書くか

恋愛観
P、45ページのイラスト中に「キーちゃん」という友達が出ています。後の心の友と呼ばれる人に同じキーちゃんが出てきますが同一人物かと思います。
「黄昏国」に、キーちゃんが現れる物語があります。関係あるのか?

「作家になったきっかけ」
大学を卒業し宮崎の実家に帰っていたときに120ほどの歌の詩を作り作詞家になったとあります。作詞ということでは、「balance」の中にどんな曲調にするかというような記号が書かれたページが多くあります。
その後に「黄昏国」が出版されたりして詩人となったものと思います。
後のつれづれノートには、この詩人という職業を自分の生活リズム(生き方)にあったものだというようなことが書いてあったと思うのですが、つれづれノートの中に書かれた生活ぶりは、たしかにサラリーマン、女性という面では専業主婦、これではあのような生活ぶりはできません。
夏生さんの生活を表面的に読んでうらやましがることもあるかと思いますが、夏生さんも詩人になるためには相当苦労をしたようですし努力の結果ということだと思います。
夏生さんの詩などを読むとボクも勇気付けられます。女性のファンの方ならなおさらでしょう。自分の今ある環境の中で、あるいは少しづつ環境を変えていこうとする中で夏生さんの行き方のおすそ分けがもらえたらと思ったりもします。
ただ、夏生さんのように生きるためには、経済力も必要ですし、生き方を否定されたなら、小さな赤ん坊を抱いて離婚も決意するような毅然としたものも必要でしょう。
この辺のことについてはまた後で読み進めながら感想を書きます。

「いつどんな風に詩を書くか」
心の中に「”ある感じ”が生まれて、その”感じ”をそのまま、指先のペンの先から、心をそのまま出したときに、勝手に文字になっている、という具合です」
詩人だけではないでしょうが文章で生活をしている人は、サラリーマンが拘束された時間内に決められた仕事を仕上げていくというような単純なものではなく、やはりぐっと集中したときにしかしなんてものは書けないのだと思います。
夏目漱石がたしか「吾輩は猫である」だと思うのですが、昼寝をしてのんびりしているようだが、頭の中は宇宙の真理を考えているというような文章があったと思います。夏生さんのつれづれノートに出てくるお気楽極楽の世界も、その中の夏生さんの頭の中はぐるぐると働きまわっているのではないかと思います。その中でぐっと集中したときに詩が生まれるのかな?
そういえば、自分で作品を書くだけではなく、こうして感想文を書いているときも、ある程度集中したときでないとかけませんね。今日は時間があるからと思ってもかけるものではないです。
なんとなく作家の方の苦労がわかるような気がします。
夏生さんのように女性の場合は、子育てという精神面でもきつい労働がありますからね。。。。。
そういう中で集中することの難しさ・・・・・・共働きで「主夫」をしている僕としては夏生さんの心情を理解します。
    9月19日で「つれづれノート」の第一部は終わっています。
49ページからは第二部で、つれづれノートが書かれる以前のことが書かれています。これは「銀色夏生ページ」のトップにまとめておきました。
P、107ページ(1991年1月12日)から第三部の日記がはじまっています。

「悲しがる君の瞳」
10月25日角川より発行。
1991年
 (平成3年)

 1月12日
(土) 父親の死」(1990年秋)死について
「私は思った。父は、何か、帳尻があったのだろうと。」
吉本バナナの作品について
正月中、ニュージーランドに旅行。

軽飛行機(セスナ機)の墜落でなくなったようですが、年をとってから軽飛行機に乗るなんてお父さんも自由な方だったのだと思いました。
「微笑みながら消えていく」の80ページには、父親がセスナ機の実習の時に同乗して写した写真とエッセイがあります。
 1月13日 (日) むーちゃんが帰ってきて・・・・」もう同棲していたのか?
 1月14日 (月) 「作品について」
「作品の書き方について」
清酒「玉乃光」
日記、私の詩の書き方は・・・・・
「日記、私の詩の書き方は」
日記(つれづれノート)もしと同じように心の中に浮かぶある感じをそのままに書いていくというようなもだそうです。自動筆記的。。。。。。と。
自動筆記・・・・・なんとなくわかります。僕も長い文章を書くとき、いくら内容をまとめてから囲うとしてもだめで、自動筆記のように頭に浮かんだことを書いていき、書いていくうちに足りない・おかしいなどというものが頭の中に浮かんだら書き足したり直したりします。
「私の中に感じたことそのものが、読んだ人の感覚そのものを刺激するのだだろう(?)」と書いてありますが、こういうし全体でかかれたものが好きです。
僕もこの「思ったこと」を心の中に浮かんだ言葉を自動筆記的に書いていきたいと思います。そして「日記ページ」も。。。。。
 1月15日 (火) 雑誌で、銀色夏生の本が批判されていた作品への批評
恋愛感
ビートたけし「教祖誕生
天ぷら
「雑誌で、銀色夏生の本が批判されていた」
詩人「銀色夏生」が雑誌で紹介されていたことを自慢したそうです。わかる、わかる!!
テレながら批評を読む夏生さんのイラストが楽しいです。
批評が世のため社会のために批判されるなら、ほめられてもけなされても同じで、世の中に愛情を込めて書いた本を同じように愛情を込めた批判なら、同じ方法に向かって進んでいける。
そうですね。。。。。
これは誹謗中傷とは違う。夏生さんもいろいろな方(ファン・読者)から批評されていますが、この批評のあり方を学ばないと。特につれづれノートは、夏生さんの生活(生き方)を書いたものですから、作品への批判だけではなく、このような生き方への批判も出てきます。でも、この場合もたんなる誹謗中傷はいけませんね。
 1月16日 (水) 作品への批評」(現代の民衆詩)
習い事
陶芸・着付け・パンづくり・合気道・料理・お茶・ガラス彫刻・エッチング・淡彩画・リトグラフ・ガラス絵付け・フラワーアレンジメント・α波教室・カウンセラー養成教室・ファッション
 
 1月17日  (木) ぎょうざ  
 1月18日 (金) 間違い電話・・・・「神さまの目覚まし」
「理論が通じない困った人」
シメジと油揚げの炊き込みご飯・キュウリとジャガイモのサラダ
 
 1月19日 (土) 床に散らかる物
「必要な物と捨ててもいいものの境目にある物」
「過去にあったいやなことを思い出してふさぎ込む」
作詞家時代に知り合った芸能人評
「梅の香巻」
「過去にあったいやなことを思い出してふさぎ込む」
たしかにありますね。。。。。
気持ちのよい一日を送っているとき、突然にいやなことや心配事が浮かんできて、それからはもうふさぎこんでしまいます。
夏生さんが思いさしたいやなことは、価値観の違う人と話しをして接しなければならなかったことらしいです。
このような時は、どうやってうまくしていくかに人の真価があらわれると書いてありますが、たしかに水と油という場合もありますから・・・・・・
考え方を変えれば、いろんな考えを価値観を持っている人と話すのも楽しいかもしれません。しかしこの場合でも話しているうちに最後は問答無用となる性格の人もいて、そういう人って箸にも棒にも引っかからないという感じです。こういう人とは最後にまたお話しましょうとはならないですよね。
結局は価値観の違いというよりもお互いに話をしていく中で、立場などを捨てて純粋に話ができ少しは理解しあおうというものが歩かないかという人間性なのかもしれない。
最後は自分の地位を利用して怒鳴るように相手を威圧する人や、それは見解の違いだと席を立ったりする人。こういう人はボクも苦手です。政治家で言うと、石原都知事や小泉首相・・・・・・政治家ってある程度の地位になるとみんな一緒かな?(笑)
 1月20日 (日) 「何かを壊したいという欲求。愛するという行為には、そういう一面があるような気がする」
椎名誠
食えばわかる図鑑
清酒「美少年」
焼きそば
「何かを壊したいという欲求。愛するという行為は、そういう一面があるような気がする」
バラの花びらを浮かべたお風呂に入り、その花びらを噛んだ感触から思い出したよう。
小さいころ、妹があまりにもかわいいのでほっぺを噛んだこと。アイスクリームを握りつぶした感触。。。。。
テレビに映る赤ちゃんがあまりにもかわいいのでめちゃくちゃにしたいと思ったこと。
そして愛情の中にはこんな壊したいという欲求があるのではないかと。
ううううう・・・・・・・ん
愛するものが自分のものにならなかったり、その愛すべきものが自分の中にはなかったりしたとき、その中で自分の愛情の裏返しとして愛すべきものが壊れてしまえばいいと思ったりすることはなんとなくわかるけど。。。。。
夏生さんは、ある程度自分のものになると次を追うという性格があると思うのですが、そのときに一度壊してしまい次へ進むというこんな面もこの言葉の中にはあるのか?
それとも異常なほどの愛着心からなのか。。。。。。
 1月21日 (月) 野菜炒め  
 1月23日 (水) 会ったことのない男と会う。
ベーコン・グリンピース・卵のチャーハン
 
 1月24日 (木) むーちゃんテル(弟)・エミ(妹)と沖縄旅行の話。
本づくりについて
「人から与えてもらうもの、与えるもの」について、片思いをどう見る?
作品について
アンコウ鍋
つれづれノート以前の本が紹介されています。これについては「銀色夏生ページ」トップの年表にまとめておきました。
「人から与えてもらうもの、与えるもの」
好きな人に会いたいと思っているとき、このときは相手から与えてもらうものばかりを見て与えるものというものは何も考えていない。
ある意味ではこれは一方的な熱望でしかない。
人として対等の出会い。これは、自分に与えるものがあり、そこに人は与えてもらいたいと近づいてくる。このお互いに与えたり与えられたりする中にこそ対等な出会いがある。片思いというときに、相手に与えてあげられるものがあるかどうかを考えてみると、この片思いの見方も変わってくる。
夏生さんは、憧れの強い女性でしたからこれは自分の反省だと書いています。
たしかにいろいろな人間関係の中で、お互いに与えたり与えられたりそういうものが無意識にあるときに付き合いは深まるのでしょうね。
でも、自己嫌悪だけはだめだと思います。
自分が悪いのだから・・・・・・と思い込んでもだめですね。この場合もお互い同士の中に何かが足りなかったのだろうから。
先の夏生さんの反省。。。。。。「ONRY PLACE・・・・・・」のなかにエッセイがあったと思います。
    161ページから176ページは、写真とイラストなどがあります。
表紙にもなっている「こぶたシール」・ムーミー(むーちゃんとみーちゃん)国発行「あんま件」・詩「空の中のNews」・陶芸作品・エッセイ「子供のころの写真について思うこと」・著者近影(1990年1月のメキシコ旅行)
「みーちゃん」は、本名「ヤマモト ミキコ」から
 1月25日 (金) 「ONRY PLACE WE CAN CRY」角川書店より初版発行。
コンタクトレンズ
テレビゲーム(ハットリス)
カレー
 
 1月26日 (土) テレビで映画「点と線」
ぶりと大根の煮付け
 
 1月27日 (日) 去年の日記の清書。つれづれノートか?
寄せ鍋
 
 1月28日 (月)  ハム・キュウリ・卵のサンドイッチ  
 1月29日 (火) 好きな人、苦手な人
「漢字を少ししか知らない」
占い
「あなたの魂は、死ぬまで小学生」
「この間キョンキョン(小泉今日子)が遊びに来る」
サツマイモと林檎のカラメル煮「カラメル味が好物」
「好きな人・苦手な人」
好きな人、自分の仕事に誇りを持っている人。
苦手な人、好きなことをしていない人。
夏生さんらしいです。夏生さん自身が好きなことをしている人ですからね。。。。。。
でも好きなことを続けていくことの難しさはありますし、夏生さんも苦しんでいるのではないかと思います。でも、その中で「好きなことに向かっている人」とありますが、自分の条件や力に応じて続けていくそんな姿勢自体を書いているのだと思います。夏生さんは家庭すらこの自分の好きなものに向かうことに対しては毅然とした態度をとりますね。
そこにいろいろな夏生像からの読者の見方が出てきてしまう。
 1月30日 (水) 美容院・ビューティークリニック
ビーフシチュー

髪型
 1月31日 (木) フラワーアレンジ・陶芸
友達の家
おいしいパン屋さん
前日行こうと思い行けなかった「アンデルセン」か
 2月 1日 (金) 宮崎の小さな町にある実家へ帰る。温泉町。  
 2月 2日 (土) 実家の家
明治に建てられた古い家。昔は呉服屋さん。
この日より毎日改装する夏生さんの悪戦苦闘記が書かれています。
 
 2月 4日 (月)  焼き肉  
 2月 6日 (水) ゴミの山
おでん
 
 2月 7日 (木) 足にくぎを刺す
すき焼き
 
 2月 8日 (金) お客さんが泊まりに来る。
母親が壁に穴を開けはじめていた。おちゃんが板でふさぐ。
テレビ映画「恐怖の報酬」
寄せ鍋
お客さんってむーちゃん関係かな?結婚の話か?
 2月 9日 (土) むーちゃんが来る。 結婚の許しを?
 2月10日 (日) 家族・むーちゃんと温泉。
鍾乳洞「球泉洞
「球泉洞」球磨村森林組合さんのホームページを参照させていただきました。 
 2月11日 (月) むーちゃん帰る。横穴式古墳幽霊寺
昔話。部屋が10個もあるような広い新築の家にいたのに、家の中では乞食のような生活。でも楽しいことがいっぱい。私たちはみんな、家庭を大切に・・・・
しげちゃんについて。
「幽霊寺」
曹洞宗岩空山威徳寺さんのホームページを参照させていただきました。

「私たちはみんな、家庭を大切に・・・」
ここで夏生さんの子供のころの家庭環境が少しかかれています。母親が何もできない人だったようで、「おいしいごはんを自分で作れると知ったときは、とても不思議な、世界が開けていく感じをもった」と書いています。
このような環境で夏生さん自身や兄弟は育ったので、「私たちはみんな、家庭をとても大切にし、夫や妻をとても大切にする人生を送ると思う」と書いています。
夏生さんの母親しげちゃんは、やはり自分の好きなものに向かう性格で、夏生さんはその血を引いています。ですから、世間一般で考えられる「よい妻」にはなれません。好きなことに向かう、それは詩人としての人生ですが、そこにはやはり世間一般の「よい妻」にはなれない要素があり、夏生さんの結婚観も世間一般の妻ではありません。
夫を大切にしようと思ったこと、その後の結婚生活でもそのようにしたのでしょうが、その結婚生活の中に詩人そして家庭内のことまでも開けっぴろげに書くような日記が出版され、そこに夫自身の結婚観というのか、何を大切にして向かっていくのかというものの違いが出てしまったように思います。
二度の離婚・・・・・・・世間一般の「よい妻」を考えている人から見れば、夏生さんは夫や家庭を大切にはしなかったと見えるでしょう。しかし、銀色夏生という詩人(これは夏生さんの生き方)いう人とある結婚形態を前提として結婚したのならば、それは、「よい妻」の常識では考えてはいけないものだと思います。結婚形態が違うのですから。。。。。
妻あるいは夫をそして家庭を大切にするという言葉には、それぞれの人において頭の中に描く映像が違う。昔の良妻賢母、これを常識として夏生さんの結婚生活を見てはいけません。
 2月12日 (火) 空席まちで帰宅。
むーちゃんへのチョコレートを買う(バレンタイン用)
特別な3人の女の子からのファンレター
 
 2月13日 (水) 里芋の煮付け  
 2月14日 (木) バレンタイン
フラワーアレンジメントで作った花とローソクを飾る。
年中行事には興味はない。
気が合わない人に近づくこと
  
 2月15日 (金) 作りたい本がある。 「Pin・up」か?
    あとがき
「つれづれノート」発行について
むーちゃんとの関係
土地探し
しげちゃんへの思い
 
角川文庫「つれづれノート」背表紙・後書きより引用。
「つれづれノート」に描かれる夏生さんは、たしかに三枚目ですね。その行動に思わず笑ったりもしてしまいます。詩を描く夏生さんとのギャップが大きいです。
でも、思うのですが詩や夕方らせんに現れる夏生さんの内面ばかりだったら、夏生さんは相当苦しみ抜くのではないかと思います。作家の中には破滅型といわれ自殺までする人もいました。悪くいえば夏生さんもある意味では破滅型の作家といえるかもしれません。いや、そう思えてしまいます。あの重苦しい内面を助けているのが「つれづれノート」や「ミタカ君と私」などみみられる夏生さんのもう一つな側面ではないかと思います。
そのギャップの激しさから二重人格的なものを思いつくかもしれませんが、たしかにその激しさはあるにしてもこのような内面の様々な側面は誰しもが持っているものだと思います。ただそれが詩を生むように夏生さんには強くあらわれているのだと思います。
「つれづれノート」がなかったら、多くの詩集や物語集の中に現れる夏生さんの内面もわからないかもしれません。詩集を読みつれづれがわかり、つれづれがあり詩もわかるような気がします。詩集とつれづれを平行して読むこと、これが夏生さんを理解するひとつの方法かと思います。
僕の「銀色夏生ページ」はこのようにつれづれと詩集などを平行して作って行くつもりです。
角川文庫
1991年6月25日初版発行

在庫の有無は角川書店ホームページ
1990年8月31日から91年2月15日
夕螺
銀色夏生ページ 掲示板