銀色夏生ページ 掲示板
銀色夏生さんの「ロマンス」の世界へようこそ。こちらは「ロマンス」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
角川文庫
1989(平成
1)年5月25日 初版発行


在庫の有無は角川書店ホームページ
ロマンス
元気ですか
大切なあの声を
聞いたでしょうか
私はいつも
耳をすましているのに
どうしてかいつも
悲しいことばかりです
けれど私にとって
それはいいことかも
しれません
だってだからこそ
こうしてみなさんに
会えるのだから
いつまでも
会っていたいのです
見えない力に
抱きしめられて
前からも後ろからも
追いかけたりせずに

     (「ロマンス」裏表紙より引用)

あるところで、銀色夏生は自分自身の人生を切り売りして本にしているというような感想を読んだことがある。
作家は、さまざまな形で自分を書いている。自分の身に起きた衝撃的な感動的なものをそのままに書いたり、日常を描いたり、恋や人を描く。その中に本質的なものとしての精神面を表現する。
また、作家はこれを表現せずに入られない衝動を持つ。書き、読んでもらえることにその作家の喜びがあるのだろう。
人は誰でもが平穏無事に生きているわけではない。日常の喜怒哀楽をはじめさまざまなものにぶつかりながら生きている。凡人と作家の違いは、これを形(文章)に残せるかどうかにある。
夏生さんは、悲しみばかりだという。
「ロマンス」は、恋する夏生さんの言葉がちりばめられています。しかし・・・・「ロマンスの道は遠かりき 我と我が身をはげまさん」と。この別れの恋は、同時に夏生さんが我と我が身の道を進まんというような力強い言葉で終わっています。
夏雄さんは、書かずに入られなく、読者に読んでもらいたいという気持ちと同時に、自身を励ましているのではないかと思います。
P、11「プロローグ
誰でもが何かを感じながら生きているのだけど、ついそれを忘れて一日を過ごしてしまう。泣いたり喜んだりの・・・・喜怒哀楽。
素敵なものを素敵と感じられる自分が素敵なのだ。素敵なものを素敵と感じられる自分があるなら、特別な人でなくてもみんな詩人なのだと。
P、20「北風が
浮気な心を持つあなた。あなたの心も北風にとじこめられてしまえばいい。強い心を持ちたいが、あなたがどこへ行ってしまったのかが気になる。
P、23「耐えるということ
忘れたくても忘れられない恋。忘れられないなら耐えるしかない。
P、25「私の心は
いろいろなことをだめと思ってもしてしまうのは心が弱いから。でも、してしまうこと自体は心が強いから。
P、30「菜の花別離
「さよなら」という言葉を何回も心に浮かべたけど、何回もそのたびに口に出せなかった。心の中でいろいろと考えて、でもこの考えたことは自分の心の中だけのもの。いざ会ってしまうと。。。。
P、35「疑うこころ
疑う心。それは自分自身の迷う心。その心が本当なら、この恋ははじめからなかったのも同然。その疑う心で見る私があなたにとっての私のなのです。すごい詩です。。。。
P、43「かなしいウソつき
我慢して物分りのいいふりをしていたら、物分りのいい人になってしまい、今ではずっとウソつき。。。。
P、53「彼らが君を・・・
僕だけが君をわかっているんだ。。。
P、59「そして君に・・・」
僕は孤独ではなくなった。君が来てくれたから
P、68「知らないみずうみ
静かな僕の心の中には恋という湖がある。その湖に漣が立った。この湖は誰も知らない。一人で願いをかけた。
P、73「パレード
架空の体、架空の地球。そこには架空の重力がある。人と人とが引き合う恋の重力。バランスが取れているときはいいが、明日は僕の心もどこかへひきつけられるかもしれない。
P、74「麦藁帽子の散歩道
君は何も知らないで今の時間を見つめている。純粋な目で。君が知るべきことを知ってしまったら、今という二人の時間はまた別のようなものになってしまう。君は知らなくていいんだ。そんな君に少し意地悪をした。僕の心も知らないのかな?
P、76「やさしい月夜
螺旋状の階段が夜空に伸びている。僕は登る。同じところをくるくる廻っているようだが僕は登っているのだ。何が待っているのかはわからないけど、その階段の上にあるドアをぼくはあけるだろう。月夜に照らされた螺旋の階段は帰る道はない。
P、79「決心
月夜の光に照らされた螺旋状の階段を登り、鳴かないでドアをあけようと決心したのならないチャだめだ。僕は笑っていようと思う。
P、82「木もれ日の中
えくぼがかわいい。触らせてといったら恥ずかしそうに逃げた。よし、えくぼだなんていわないで全部さらってしまおう。そんなかわいい君。
P、95,98「もしも好きな人ができたら」「もしも好きな人ができても
もしも好きな人ができたら、欲しいものをたくさん上げよう。僕を必要としてくれるのだから。でもそれで失敗をしたんだ。今度好きな人ができても、今度はとぼけた顔をしているんだぁ。
P、105「人間は
人間の弱さだけでは社会はうまく動かない。だから着飾ったりお面を付けている。そうしないとすかれない。でもあの人の前だけではお面も着飾ったりしなくていい。そんな人が一番いいのかもしれない。
P、118「夜の中
小石を蹴ったら、僕の心がその小石に飛び乗って・・・・・
P、129「
旅に出た。あなたとのことを考えながら。僕はまだ考えがつかないんだ。でもあなたを思う心だけが先に進んでしまう。
P、135「丘をとおってまた丘へ
同じところをぐるぐる廻っても変化している。変化しないものはない。同じところを廻っているようだけどそれは螺旋状に登っているのだ。自分がどう変化しているかはわからないなかで不安定に変化している。自分らしく変化をして行こう。そこの中からの自分の「告白」に心理は生まれる。
P、139「私たちのこの一歩
わがままといわれても私たちは一歩を進めるだろう。同じ時刻、人々はさまざまな方角に動いている。私たちはこの人々の動きを見極めながら動くだろう。迷ったなら、このばらばらに見えるような人々の動きのはるか遠くにある本質を見つめよう。この本質というのは具体的にはわからない。遠くにある本質的なものを見るときに、その本質にむかってさえいれば、そこには自由が存在する。この本質を見失うとき、自由は存在しない。難しい詩です。。。。。
P、148「川が流れてとするなら
心の奥底で湧き出た水が流れとなり、川となって流れている。この川の流れは外へと川下へと流れる。私はこの流れに何かを伝えたいのである。私はこの伝えるというためにすべての時間はその手段だと思う。
僕の好きな詩と感想
POST CARD
角川文庫
1989(平成
1)年8月10日 初版発行


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銀色夏生さんの「POST CARD」の世界へようこそ。こちらは「POST CARD」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
写真には確かに何かの力がある
と思います。この本におさめた
いくつかの景色を私が好きだと
思う気持ちによって、この写真
を手にしたあなたやこの写真が
送られた誰かに静寂や遠い希望
やなつかしい未知というものに
似た何かが伝えられると思って
います。
胸の奥にやきつくような静けさ
が身上です。


(「POST CARD」背表紙より引用)
    文の段落はそのまま
僕の感想
POST CARDそのままこの本は「絵葉書」です。
夏生さんは、時々写真集というべき本を出しています。
POSTCARDU・PINUP・冬の道。写真が主でそこに解説を入れたような、かわいいものの本・ケアンズ旅行記、そして最近出版された「家ができました」。
また、詩集としても写真に詩を入れたものがたくさんあります。
僕自身は写真のよさというものを理解できていませんし、夏生さんの写真が専門家にどのように評価されているかもわかりません。しかし、夏生さんの写真に関しては、枡野浩一さんという歌人が「君の鳥は歌を歌える」(角川文庫)という本の中で「今でこそ市民権を得て時には「アート」と呼ばれたりしているけれど、私たちが最初にそれを見たのは銀色夏生本の中だったのではないか。」と評価をされています。
写真と詩の組み合わせという点ではどうなのでしょうか?
写真という表現方法は、夏生さんの作品には欠かせないものでありますし、読者にしても写真から受ける印象も大きなものであることに変わりはありません。
もちろん、夏生さん自身も左の背表紙からの引用に書かれているように、写真を通して何かを伝えたいと思っています。
夏生さんの写真にはいくつかの特徴があると思います。どこにもあるような道を遠近をもって写したもの、野原などを手前に遠景に建物や森(林)などを入れたもの、走る車のから写したように手前の風景を流して遠景を写したもの、都市のシャープさ、ピントをわざとはずしたもの、花や葉っぱ、人物、海、月・・・・・・
POSTCARDにもこの夏生さんの写真の特徴が現れていると思います。
白黒写真ばかりで「静けさ」が出ていると思うのですが、その静けさも悲しみや寂しさや心の落ち着きなど、さまざまな「静けさ」なのではないかと思います。
背表紙の言葉に「なつかしい未知」とありますが、すごい言葉です。なつかしさは過去の思い出があってこそですが、未知をもなつかしさに入れるところは矛盾のようですが、今まで未知であったものにふれたときに持つ懐かしさは、ある気持ちでしょう。このある気持ちを今は知らない未知なものに求める。
夏生さんらしい言葉です。
Balance
角川文庫
1989(平成
1)年11月25日 初版発行


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銀色夏生さんの「Balance」の世界へようこそ。こちらは「Balance」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
私は、世の中の出来事や様子は
すべて、バランスとタイミング
という二つの要素から成り立っ
ている、という見方で物を見る
ことがあります。そうすると、
いちばんいい時期(動き出すのに
いちばんいい時期、失うのにい
ちばんいい時期、心をひらくの
にいちばんいい時期など)が、自
然とわかってきます。冷静で客
観的なところを持っている人こ
そ、本当に相手を守る感じで、
愛情をそそげるのではないかと
思います。

(「Barance」背表紙より引用。改行はそのまま)

夏生さんは多くの作詞もしています。
もしかしたら、作詞家銀色夏生のほうが知っているという方もいらっしゃるかもしれませんね。
僕は夏生さんが作詞した曲というのはほとんど知りませんが、かなり有名な歌手の作詞をしているようです。
「Balance」は、歌詞としてのBalanceを含め、本の前半に紹介されています。歌の歌詞というものが苦手な僕なので、夏生さんの本の中では少し苦手な詩が多いと思います。
作品の前半は、この歌詞を含めた詩としてまとめられ、後半は、詩的な文章といったらよいのでしょうか、短い文章で綴られています。こちらは僕も好きな作品が多いです。
作品の中身は、高校生時代から大学生時代の恋を思い出して書かれているようです。男女のグループ、その中での恋。。。。この男女の一人ひとりの気持ちが誰に傾いているのか?他の人を好きだとわかってはいるけどひそかな恋心を燃やし、その人のことを考えると、自分の都合のよいように考えたり、そしてそれが幻想だったり。それでもみんなで一緒に過ごす時間は楽しかった。
こんな若い頃を思い出す甘酸っぱい作品です。
背表紙には、
すべて、バランスとタイミング
と書かれていますが、ただの友達同士から一歩踏み込むときのお互いの気持ちのバランスと、告白するタイミング。。。。
相手の心を知ったときに離れていくタイミングと、友達のままで入れる心のバランス。。。。
まさにそんな恋の詩集です。
動き出すのに
いちばんいい時期、失うのにい
ちばんいい時期、心をひらくの
にいちばんいい時期

とも書かれていますが、夏生さんの「つれづれノート」を読むと、この見切りをじっと観察しているようにも思います。結婚や離婚という夫婦関係にしても夏生さんはこのバランスとタイミングをしっかり見極めているのではないでしょうか。一番新しい「つれづれノート」でも、娘さんの「カンチ」が高校を卒業するまで「あと7年、あと7年・・・・」とつぶやくようなところがありますが、親離れ・子離れの見極め(バランスとタイミング)を描いているのかと思います。
夫婦関係でも親子関係でも、どことなく冷たいような感じもする書き方がありますし、若い頃の恋愛においても未練と同時にこのきっぱりした別れを描いています。
それが夏生さんの生き方です。
バランスとタイミングを見計らってすばやく行動をする。強い人にしかできないものですね。。。
同時に次のステップへの好奇心でしょう。。。。
夏生さんを冷たい人、あるいは飽きっぽい人と見ることもできますが、そうではなく、見切りを付けるまでは精一杯頑張りますし、「もうだめだ。。。」というときにはすばやいということです。
僕の好きな詩
P、4「きりの中に見える夢はなんだろう
時の流れの一瞬一瞬の今に今を見つける。しかし今という時間は一瞬にして過ぎ去りか異なり忘れ去られる。
この中にたしかなものはあるのか。
今という時間を追いかけて追いかけて何かを探そうとするけど、たしかなものが見えるだろうか。夢が見えるだろうか。
P、18「きれいな声
誰も他にはいない彼の部屋のはずなのに、電話をしたらきれいな声で彼の名を答える人がいた。
どぎまぎしてしまう気持ち。。。わかりますね。
P、24「バランス
男女4人のそれぞれの恋。でも他の二人には教えられない秘めた恋。彼が好きだと彼女に打ち明けられたけど。。。。もてる男にやきもきしながらも彼は私の彼と、うれしくもあり心落ち着かない恋を描いています。歌の詞です。夏生さんは時々このCDを重い出しますがそれだけお気に入りのCDのようです。
P、42「彼女の特権」
この詩も誰にも言えない秘めた恋の詩です。ほんとは「私の彼」とみんなに言えるのが特権なのだが、今はひそかに落ち込んでいる彼に近づけることが特権・・・・
P、46「さよならラララ」
上の詩で、私だけの特権だと思っていたものが崩れてしまったというような詩です。お互いに何も告白はしなかったけれど、私だけが彼の彼女だと思っていた。そんな一人で決めていた恋だった。まだ幼い自分。
P、60「海」
この詩も独りよがりの恋が崩れ去ったという詩です。一人海に来て風景を見ながら考える。もう「勝手な理想化はやめよう」と。海が消し去ってくれる自己嫌悪。。。。
P、74「世界不思議物語」
彼に「バカ」といわれた。バカなんていわれたことはあるけどあれほどつめたい「バカ」という言葉はなかった。その冷たさに愕然とする私。他に彼女がいたとしても仕方がない。でも、こんな冷たい「バカ」という言葉は悲しい。こんな夏生さんの悲しさが出ています。ひとりよがりだったとしても彼の気持ち自体がこんなにも冷たいものだったのか。
P、76「灰皿」
夏生さんの詩には彼を含めた大勢の友達との楽しい日々を書いたものがありますが、そんな高校時代の楽しさが過ぎてそれぞれの道に進んでしまうとみんな忙しくなってしまった。そんなさみしさ。これを男心で書き始めています。そんな忙しい合間に彼女と京都へ行った。京都へ二人で行くと別れるといううわさが僕の心を支配するが、彼女は楽焼の灰皿を楽しそうに作っている。このようないろいろ考え悩む男に対する女性の天真爛漫さ。夏生さんの詩のよさです。
P、78「夜の堤防から投げたもの」
失ってからその大切さを知る。そんな彼だったという詩です。甘えっぱなしで、他の人とデートをしたり、でも何もいわないで私を見つめていてくれた彼。気まぐれを許してくれていた彼。最後は傷つけて終わってしまった。
P、90「カーテン・葉」
今だけがあるという彼。しかし私たちには始まりがあったはず。木の葉が揺れる音は風と出会ったから。これが始まり。出会わなければ木の葉の音はないはず。しかし彼は、この木の葉の音がする今だけがあるのだと。私は継続した今が欲しいの。。。。
P、98「風」
あなたは木の葉を揺らす風のような人。風は感じ取れるけど捕まえられない。風は木の葉を揺らして音を立てる。私はその音にあなたをかじる。掴まえ所のないあなた。もし私があなたを独占してしまったら、それは風を閉じ込めて風ではなくなるということ。捕まえたい、独占したい。でもそのときあなたはあなたではなくなりますね。
P、102「森」
夕暮れが近い風景に溶け込んだように落ち着いた心。あわただしく揺れ動いた心は大きな森のよう。今はその森も深閑としている。この森には誰も来る道はない。わたし一人のもの。夕暮れが訪れるだろう。そのようにこの森も消えていく。しかしこの森のカケラだけはいつまでも持ち続けたい。
P、106「男の人」
夏生さんの男性観です。基本的には別な生き物。でも、別な生き物だからこと仲良く話せるのが楽しいのかもしれないと。。。。
P、116「わすれな草」
学生の頃のあのこの世から離れてまるで空中に浮かんでいたような心。この心をいつまでも持ち続けたい。そのためには現実の心揺らす物事のすべてのものをクリアしなければならないと。
P、118「曖昧」
夏生さんの作品への思いともいえるものです。言葉は伝達手段だけではない。まじめに話をしているときは、その人の心が相手の心に発するものである。言葉で表現をするということは、心を表現すること。話し言葉。夏生さんの詩はこの話し言葉です。とつとつと語る中に夏生さんの心を聞く。
P、122「いつもいつも次に来る季節が好きだ」
次というものを追いかけることが好き。だから次に来る季節が好き。何か新しい好きなものがやってくるような予感。夏生さんらしいです。
微笑みながら消えていく
角川書店
1989(平成
1)年11月25日 初版発行


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銀色夏生さんの「微笑みながら消えていく」の世界へようこそ。こちらは「微笑みながら消えていく」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
微笑みながら消えていく
    悲しみのようになりたかった

           (以下もあとがきより引用)
別れ、それは悲しいものですが、二人の思い出を大切にしながらお互いに好きなままで別れるならばその悲しみのなかでも微笑みながらあなたの前から消えることができるのではないかと思えます。
このような悲しみの中にも暖かさを感じる詩集だと思います。
「自由長のように自由に作りました」とあるように、恋の詩ばかりではなく、自然、旅行など、そして視ではないエッセイや写真の解説など、心の中に浮かんできたものをページの中に多くの写真とともにちりばめた本となっています。
それは私や誰かにとっても、ひどく大切なある気持ちであって、それというのは時間や場所や状況や理由といったものから自由であるところの、ひとつの気持ちであると思われます。
この詩集全体の中にちりばめられている言葉や写真すべて全体を通して読者に対してひとつに「気持ち」を心の中に残す。それは悲しみだけでもなく、寂しさだけでもなく孤独だけでもなく、微笑んでその悲しみをはじめとしたすべてを受け入れようというような温かさでもあります。心の自由感と言ってもいいかもしれません。
時間や場所、状況や理由という生きていく中でのさまざまな事象から心が自由に解き放たれたとき、
失望することなくこれからも、この複雑で単純な世の中を冷静に泳いでいきましょう。できれば、やさしくて純粋なものを見落とさずに、もちろん、悲しくて透明なものから目をそらさずに、にっこりさせられるって、素敵なことです。
という言葉になるのではないでしょうか?
この世の中は矛盾に満ち溢れています。その矛盾から人々の中に争いごとも弱いものいじめも現れます。人は利己的になります。社会はこのような人たちも含めて動いていきます。あるときには怒りなどをもつ必要もありますが、この世の中は、長い時間の単位で見れば少しづつ良くなっています(時には逆流もありますが)。こんな長い単位としての時間の流れを心にとどめながら今あるわずらわしさを微笑みながら見たいと思います。
社会というような大きな人の集団という単位だけではもちろんありません。
一人ひとりの人が生きていく上での失恋や死別やさまざまな思いも客観的になって時間の流れの中で見つめなければならないのだと思います。冷静に今の悲しみなどを微笑みながら見ることができればこんなすてきなことはありません。
この本は小さな文字や写真がちりばめられていますので、たぶん文庫化は難しかったのではないかと思います。これから先も文庫版は出ないのではないか?これは残念です。このような素敵な詩集が。。。。
単行本でじっくり味わってもらいたい1冊です。
初版発効日が「Balance」と同じです。
この頃は雑誌にエッセイを発表したりと、夏生さんの創作活動は盛んだったようです。
僕の好きな詩
P、3「疾走する涙」
人生なんてさっと過ぎていくもの。涙も流すことがあるがその涙もさっと過ぎ行くもの。疾走する人生、その中に涙もある。涙もすぐに過去のもの。今という時間はすぐに過去となり、未来はすぐに近づいてくるその未来に生きよう。「ぱっと笑って」
P、12「あきらかに別れの言葉」
言葉にしなくても気持ちがわかることがある。あなたのすべての行動が別れの言葉だった。。。。
P、16「朝早くそっと。。。」
早朝の霧の中。歩くと後ろが見えなくなる。それはあなたが遠ざかるということ。このさみしさ。霧の中は寂しいけど孤独だから寂しいのではない。あなたという人が遠ざかるから。
P、20「あなたが春に恋した日から」
あなたは私を春のような人といってくれた。でも、私は冬に生きている。あなたは春に恋をしている。私は春のような人ではないのに。。。。なぜ冬の私を見てくれないのだろう。冬だっていいところがたくさんあるのに。先走るあなたの背を私は見つめる。
P、22「風の少女 空の少年」
私が何をしてもあなたは微笑んで見つめてくれる。あなたはいつも微笑んで私を見つめてくれる。私が風ならばあなたは雲。私が風となって動けばいつもあんたは雲となってそばにいてくれる。でも優しさってそんなこと?私も雲になりたいときもある。でもいつも風となって苦しむだけ。
P、27「強く言い切る」
どうにかなってしまうものだなぁ。だって時間は流れていくものだから。良くも悪くも今ある事態はどうにかなってしまう。それを知っていて「どうにかなる」と強く言い切れるそんな楽天家はすごい。
P、31「チューリップひろってきた貝その他」
さっきもらったチューリップを生けてみた。その隣には依然拾った南の島の貝を置いてみた。今の時間と過去の時間。平凡な毎日でもそれを素敵な思い出として今ある時間のそばに置けたらいいのに。
P、50「優柔不断」「ひとり旅」「後悔」
「雲の少年」あなたはいつも笑ってそれでいいという。行雲流水。。。。すべてをそのままに受け入れるあなた。しかしすべてを受け入れられるということは、あなた自身も自由な人。人に自由を受け入れられるという人は自分自身が自由であること。それは無茶にも感じられること。人には優柔不断に見えるだろう。私はそんな優柔不断に憧れるが、その時々に迷ってしまったらしないほうが後悔しないと思うんだけど。。。。
P、53「感動にみちた直立不動」
心の中のすべてから解き放たれたある一つのもに向かう強い心。恋すら忘れさせられるものに感動に満ちた直立不動。そして「これが私の日常です」と。夏生さんを理解するうえに「日常」はなくてはなりません。こんなにも日常に心を集中させられるなんて。。。。僕はそんな夏生さんに直立不動です。
P,73「悲しくなった海」
悲しみもたくさんある人生だがそれを悲しくないのだと思う合理的なもの。「今、落ち込んでいる。。。。」と何回も口にする中に「ムッフッフッフ。。。。」と今ある自分を客観視しながら次を見る夏生さんが時々みます。
P、89「やさしくするなら・・・・」
わからないのは心。。。
P、93「一地帯」
今ある二人が永遠にという約束を果たせないものならば、ひとつに交わるところにいましょう。永遠というものはない。変化しないものはないだろう。しかしどこかで交わるところを持っていれば、それは永遠となる。日常のさまざまなもの、自然などなど、これらに交わることのできる一地帯を持つこと、それは心の中に存在するもの。心の中にさまざまなものを受け入れる場所画が常に存在することのできる心。その心があれば森羅万象の中にさまざまなものを見つけることができるでしょう。心を釘付けにするような日常。。。。
P、102「飛翔」
渡り鳥たちが青空を渡っていく写真に添えられた詩です。渡り鳥たちはその目的地に懸命に羽ばたく。息絶えて目的地にたどり着けない鳥もいるだろう。しかし鳥たちはそれでも目的に向かって羽ばたく。夏生さんは言う「この空よ忘れるな」自分の目的を忘れるなと自身に言い聞かせているのでしょう。
P、111「秋の声を聞いたら・・・・」
夏の間にした恋。秋とともに思い出となった。夏の恋の思い出が秋の深まりの中に流れていく。こんな恋をずっと昔からしていたような気がする。でもあの恋は終わったのか、これからはじまるのだろうか。池の水が揺れるように私の心も揺れる。
P、114「丘をバラ色に染めながら」
静かに見つめたい恋。ゆっくりとゆっくりと。。。。性急に伝わる心、心が見えすぎてしまう瞳。急ぎすぎたらこの恋はどうなってしまうのだろう。心に秘めながら丘の上から眺める。「ほほをバラ色に染めながら」
P、116「負け知らず」
勝っても負けてもそんなそぶりがない人。それはその人の中に常に勝ちや負けが内包しているから。それが自然だから自然に受け止められるから。勝ちを内包していれば勝ち誇ることもない。負けを内包していれば負けという意識すらないだろう。負けを自然に受け入れよう。。。。微笑みながら消えていく
こんなに長い幸福の不在
角川文庫
1990(平成
2)年7月25日 初版発行


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銀色夏生さんの「こんなに長い幸福の不在」の世界へようこそ。こちらは「こんなに長い幸福の不在」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
ゆううつで暗い気分のときをえらんで書いていたら、こんな本になりました。悲観的で望みをなくしたような、この本を手にとるとその本みずからがぶるぶるとふるえ、イヤがりながらぱっと遠くへ飛んでいってしまうような、そんなスネた本を作りたかったのですが、できてみるといがいと人見知りながらもかわいげのあるものになってしまった。
このはかなくてもどかしい気分たちをよろしく。

      (背表紙より引用)
詩というよりも憂鬱な心の中をとつとつと語るような手書きのままの文章です。それぞれの言葉にはイラストが添えられていますが、どこかユーモラスなところもあります。詩も落ち込んではいるけどその落ち込みを客観視して「フフフ。。。」と笑ってしまうようなところがあります。このようなところが「かわいげのあるものになってしまった」ということなのでしょう。
この詩集の雰囲気で思い出したのが「つれづれノート6」だったか、夫のむーちゃんが恋をして離婚してしまうのですが、夏生さんは「私は落ち込んでいる。。。」というようなことを何回も書く日があります。しかしどこか「フフフ。。。これで自由になった」というような心が読めてしまうのです。
立ち直りの早い夏生さんです。
「非常に苦しくても
ヘラヘラ笑ってしまう
情けない僕」
(92ページより)
この前読んだ「微笑みながら消えていく」という詩集の題名でも、苦しみや悲しみを微笑んで受け止めるというそんな生き方。苦しみも悲しみもヘラヘラ笑いながら受けとめて行くという生き方。アメリカ映画の中で、悲しいときや死に逝くときにもジョークを言ったりするこのようなものと同じ生き方ですね。
憂鬱な中に日常があります。
タラタラと日常を生きる。ヘラヘラと日常を生きる。そして微笑みながら日常を見つめる。もちろん苦しみや悲しみも見つめるのですが、人は誰でもそんな中にも日常を過ごさざるを得ない。そんなときには時間の流れに身を任せて、タラタラと、ヘラヘラと微笑みながら生きていくしかない。そんなことを教えられます。たしかに情けないけどそれしかできないときもありますから。そこに未来を思い描ければそれは楽天的な生き方にもつながります。
人は楽天的に生きなければならない。悲しみや苦しみを内に秘めながら。
P、6「ゆううつな日々」
何をするにも憂鬱。でもこの憂鬱な気持ちは本来の憂鬱ではない。何にも前向きになれなくて憂鬱だと考え込んでいる今が本当の憂鬱なんだ。
P、10「まだ、気がめいる」
気がめいるときは、自分だけが沈んでいるように思う。そんなときは何をしてもだめ。ため息ばかりが出てしまう。
P、16「みんながだれかをすきでも」
みんながだれかを好きになって女の子を追いかけているのを見ると、僕は見ているだけ。みんなと同じことをしなくてもいいじゃん。集団しりの中に入らなくてもいい。でも、こういう自分が寂しくなるときがある。今はそんな気分。
P、22「長い孤独」
みんなは君の事を好きになるなといった。みんながそんなことをいうけど、僕は好きになった。みんなと同じことなんか考えないほうがよかった。みんなから離れて孤独だったけど。孤独な気持ちの先には君がいる。
P、24「はー、ゆうべは」
暇なときに忙しい人を見るとうらやましい。忙しければ暇な人がうらやましいそうだ。人と自分を比べてもね。。。「さんこうにするならなんて多ってあの七人だ」この7人と言うのは、初期の作品「黄昏国」に出てきます。7人の中へ、7人の神様?中間?
P、36「長つづきしないタイプ」
好きなのに無視したり、うれしいのにしらっとしたり、楽しいのにぷいっとしたり。。。。こんなことであの人と別れた僕。
P、40「この悲しい気分のひとつは」
中途半端な恋。つかづはなれずの恋。。。。恋に迷いはつきものだけど、迷いながらもたしかなものを見つけるのも恋。見つけられないうちに終わったのが悲しいのかもしれない。
P、46「こんなに長い幸福の不在」
長いトンネルに入ってしまったような幸福の不在。しかしきっと「僕用の」幸せが来るだろう。この「僕用」という言葉には深い意味がありますね。
P、56「僕は、今の、・・・・・」
僕という一人の人間が存在する。この僕はこの僕であるから僕として生きなければならない。しかし僕という人間は、僕以外に何かを必要としている。この何かが人ならば、それが恋だろう。そしてその人が僕を好きになってくれないかな。「僕用の」。。。
P、74「みんなでワイワイするの、嫌い」
みんなでワイワイしているのを遠巻きに見てしまう。人はそれぞれに一人なんだ。そんな一人一人が好きでもない人同士が集まってワイワイする。そういうのは嫌い。でも好きな人ならば二人で、それが100人だったらその100人でワイワイするのは好き。
p、106「宇宙の法則が・・・」
宇宙の法則、それは自然かな?人も自然なままの心で動けば不幸もないだろう。強い気持ちで生きられるに違いない
僕の好きな詩
悲しがる君の瞳
角川書店
1990(平成
2)年10月25日 初版発行


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銀色夏生さんの「悲しがる君の瞳」の世界へようこそ。こちらは「悲しがる君の瞳」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
私たち二人の関係が
私たち二人にしかわからない理由で
ずっと続いていきますように

                 (扉ページより引用)
人と人とのつながりは、なぜそのようにつながっているのかわからないところがある。
仕事や趣味などさまざまなつながりはあるのだろうが、その目に見えるつながりのほかに何かを感じることがある。お互いに口に出して話しをすること、できることではない心のつながりが。
時にはこれが男女の中にも現れる。
友情なのか恋なのか?その心のつながりがどんなものかはわからないけど、つながる心がそこにはある。この心のつながりがどのようなものかはわからないが、なぜつながっているのかという理由なんかわからないが、この心地よい関係がずっと続くことを密かに思う。
しかし。。。
僕たち二人の関係は
僕たち二人にしかわからない理由で
いつか終わっていくだろう

       (表題詩「悲しがる君の瞳」より引用)
二人の関係が、一方に恋を意識したときにどうなるのだろう。恋に心が支配されたとき、心地よい関係は崩れていく。
恋に突き進む心。心地よい関係に満足する心。この二人の心にすれ違いが出てくるのだろう。恋を意識した戸惑い。恋されてしまった戸惑い。
これは、二人にしかわからない二人だけの新たな関係である。
まったく変わってしまった二人の関係は、このために終わりに向うのかもしれない。
詩集には、このような思春期を感じる詩やエッセイ物語がちりばめられています。
恋もそうですが、人と人との関係もほんのちょっぴりしたお互いの心の動きですれちがっていくのかもしれません。人と人との出会いと別れがそこにあります。
見知らぬ人々の間に、ある瞬間伝わりあう感覚が好きです。共通感覚は、何よりも遠く何よりも強く、人を人と一体化させるものだと思います。そして、その中では時や場所を越えたどこかへ行けるような気がします。
私は、人生を肯定的にとらえている人や、懐かしさや力を感じるさせるものがすきです。

               (背表紙裏より引用)
ある瞬間伝わりあうもの。。。。
これはその瞬間の二人にしか(もちろん一方通行のこともある)わからないものでしょう。理由もなくわからなくても、何の目に見えるようなものがなくても、それが人と人とを一番強くひきつけ合わせるのでしょう。今はあまり使われなくなりましたが、昔「フィーリングが合う」というような若い人の言葉がありました。このフィーリングが合うというのは、お互いに自分をしっかり持っていないと成り立たないものです。なんとなく友達がたくさんいて(今ならやたらとメルアドの件数ばかりが多いなど)、手帳にはオフ日がないほど人の名前が記されている。ここにも素晴らしさはあるのですが、不安も多いでしょう。いつも友だちなのかを確認しあわなくてはならない。
夏生さんは、自分をしっかりと思った方なのでしょう。その上に立って「人生を肯定的の・・・・・」と書けるのかも知れませんん。
僕の好きな詩
P、12「楽しいことがあったような」
君はしきりに話をしている。きっと楽しいことがあったんだね。でも、聞こえているんだけど意味は聞き取れないんだ。僕は僕の言いたい事ばかりが頭の中で回転するばかりだから。「ごめんね」という言葉。。。。
P、25「加南子のまあるい空」
「夕方らせん」P、51「天使でなく」にも加南子が出てきます。「おにいさま」と呼びかける相手は、悠一郎か?「天使でなく」では、加南子と悠一郎は従兄妹同士。「加南子のまあるい空」では、兄妹か?従兄妹でも「おにいさまはるけど。「つれづれノート」の夏生さんの兄「せっせ」も思い出す。
P、33「自転車をビュンビュン飛ばして・・・・」
「あの空は夏の中」の「二学期」を思い出します。
P、36「星かごの森」
深い心の森に蝶を追いかけた。やっと見つけた蝶。星がちりばめられたように飛んでいた。もっと深いところに進む僕。もう戻れないものを見つけたんだ。
P、46「オレ達の日々」
3月も終わろうとしている。4月からは違う生活が待っている。でも人はそうは変わらないもの。変わらない人が変わる世界へ。どうなるんだろ?
悲観することもあるけど、オレには「いいかげんさと情けなさがある」
P、56「月のまわりの光」
あの人が出て行った。 「一瞬幸福を」しかしその「一瞬後不幸を感じた」苦しみがなくなる幸福、しかしそれ自体が不幸だ。
P、73「人知れず苦痛の・・・・」
幾千年も続くような恋の苦しみ、心捕らわれたこの年月。新たな目で見てみよう。そうすれば今までをただの夢として見れるかもしれない。苦しみから抜け出せるだろう。
P、77「出港」
僕はあなたという港から出て行こうと思う。しかし僕の心の中に「今までの二人の日々を忘れられるんだね?」と君の声が響く。「出て行く船と帰る船」心惑う僕。。。
P、86「さようなら」
「さようなら」こんな言葉があるからいけないんだ。言葉なんかないほうがいい。心だけがあればよかったんだ。でも、さよならという言葉はあるんだから仕方がない。この言葉を愛するよ。
P、96「さめざめと泣くのに・・・」
出て行くというあなた。残される僕は、そんなあなたに何もできないんだよ。こんな僕を知っているじゃないか。
P、139「波子と海彦」
とっても仲のよい友だちだった。何でも話せる友達だった。でもそれまでは恋ではなかった。恋だと気づいたのは、彼が女友達と手をつないで歩いたときだった。なぜ恋をするのか?難しい本を読めば書いてあるけど、そんな知識は感情の前では無力だ。
ONLY PLACE WE CAN CRY
角川書店
1991(平成
3)年1月25日 初版発行


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銀色夏生ページ 掲示板
銀色夏生さんの「ONLY PLCE WE CAN CRY」の世界へようこそ。こちらは「ONLY PLCE WE CAN CRY」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
ほんの前半は、月刊カドカワに「ONLY PLCE WE CAN CRY」という題名で写真とエッセイや詩を連載されていたものです。
後半は新たに欠かれたと思われる詩やエッセイ、物語が収められており、作詞家銀色夏生としての代表曲「そして僕は途方にくれる」も収められています。
「つれづれノート」(@)によれば、「ONLY PLCE WE CAN CRY」は、夏生さんが恋人「むーちゃん」と再会をした後1991年1月25日に出版をされ、2月1日には夏生さんは実家である宮崎に帰ります。その後2月9日には「むーちゃん」が宮崎に来ます。二人は結婚をするのですが、そのためのむーちゃんのご挨拶か?
というわけでこの作品は、結婚直前の作品といえます。こうして見ると
「その人は突然やってきた
 ドアをあけてきたんだよ
 おどろいているボクの目の前で
 星座はなに?ときいたんだ」

        (3ページ巻頭の言葉より引用)
という言葉は、一度別れた「むーちゃん」が、最後ページにある「今はチラリと東京」という詩の中で
「お元気ですか
 お元気ですか」

と一人東京で思う夏生さんの前にどんなにさわやかに現れたことか!と想像をしてしまいます。
夏休みが終わった9月の別れは、多くの詩集にありますが、そんな別れをした「むーちゃん」との恋。。。。。これがこの作品からも想像できます。
ですから別れの詩が収められている作品ですが、その中身は、「むーちゃん」との再会があり、実家のお母さんやお兄さん(せっせ)に紹介をして後に結婚をするという中での幸せな中での思い出として読める作品ではないかと思います。
「このトンネルは暗くはないです。ちゃんと日が射すし、風も吹いて、友達もいて、愛する人もいます。」
           (あとがきより引用)
生きていくのは一人というのが夏生さんの生き方ですし、先の見えない人生というトンネルを進みます。しかし、そのトンネルは、この時期の夏生さんにとっては、暗いトンネルではなく、愛する人もいるという幸せ感が伝わります。
僕の好きな詩やエッセイ
P、5「その人は突然・・・・」
この詩集は、夫となる「むーちゃん」との再会を果たし、結婚間じかという時期に出版されたのですが、この詩を読むと、そんな「むーちゃん」が突然現れた様子を想像してしまうようなさわやかな詩です
P、10「アツくんの宿命」
人は永遠とも言える過去と永遠とも言える未来の隙間にちらっと生きているのかもしれない。ひどい別れもたったこのちらっとした時間の隙間の出来事。これが人の宿命なのだ。
P、21「楽しかったのは、いつ」
「あの頃の気持ちが思い出せない」この言葉は、「つれづれノート」の中でも時々読むことができる言葉です。ときめきは皮肉なことに付き合いが長く深くなると消えていく
P、26「避暑地の風」
ひと夏の恋。。。あなたにとっては避暑地なのだろうが、私は厳しいこの地の冬を知っている。夏が過ぎて9月になればいなくなるあなた。
9月という季節を書いた詩はたくさんあります。その詩を理解できやすくするエッセイです。
P、38「百合のようなきれいな幸せ」
「奔放で自由で、だけどしっかりしている人」夏生さんが人を見るときの基準としてはこのタイプが多いと思う。しかしはっとするような好みの顔には弱い夏生さん。奔放で自由な人が消えてしまった。なぜ?と考えても答えなどはない。消えてしまったのだから。。。
P、58「遅い夏」
二人で細い道を歩き森の中に入った。お互いの心が一つになるような幸せ感。沼のほとりで時間が止まったよう。しかし時間はすぎていく。もう9月になるのだから。今抱きしめられても遅いんだね。あなたはいなくなる。やっと心が一つになれたのに。
P、81「そして僕は途方に暮れる」
君は出て行く。君は悲しまなくていい。しかし僕は途方に暮れる。9月になり彼が消えていったのか、ひとつの恋の終わり。君の笑顔が残るこの部屋。
P、84「流星はあくまで速く」
恋人同士のような甘く楽しい時間は流星のように早く過ぎていった。僕たちはもう一段上のドアをあけるべきかを考える時期が来たのだ。二人の心は一つになったのだろうか。。。。
P、112「今はチラリと東京」
東京の空を眺めています。「お元気ですか」私の心は今の空のよう。東京からあなたを思っています。思っていてもどうなるんだろ?この思いが消えないうちに。。。
Pin・up
花の写真です。
(葉っぱもあります。)
字の書ける紙ですので、
表や裏に字を書いたりして、
いろいろに使ってください。


             (裏表紙より引用)
角川書店
1991(平成
3)年7月25日 初版発行


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銀色夏生ページ 掲示板
銀色夏生さんの「Pin・up」の世界へようこそ。こちらは「Pin・up」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
1998年に出版された「POST CARD」と同じようにハガキのような紙による写真集で、切り離して使えるようにミシン目もあります。
郵便には疎いのでよくわかりませんが、絵葉書のようにも使えるのではないかと思います。
左記の夏生さんの言葉にもあるように、はがき大の小さな額に入れて机に飾ってもきれいでしょうし、自筆で自作の詩やお気に入りの詩を書けばもっと楽しくなるかもしれません。
野にちんまりと咲いているような花の写真が好きです。
宵待歩行
銀色夏生さんの「宵待歩行」の世界へようこそ。こちらは「宵待歩行」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
角川文庫
1991(平成
3)年10月30日 初版発行


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散歩道には光の筋が落ちている。
どこまでも直進する明るい足跡。
浮かぶようにひとつ。
しずむようにふたつ。
ただようようにみっつ。
そしてまたどこまでも進むと、咲きこぼれる静かな花々が自由気ままにあらわれる。
かわかない涙はどこへいくのだろう。

                (裏表紙より引用)

1991年(平成3年)6月に「つれづれノート」(1巻)が発売になり、1992年6月から1993年3月までの日記が「つれづれノートA」として1993年6月に発行されます。
この作品「宵待歩行」は、ちょうどつれづれノートが中断(「つれづれノート」は、はじめは続巻を出す予定がなかったのか)されている時期のものであり、ちょうどこの時期に夏生さんは「むーちゃん」と結婚をされたように思います。
ですからこの作品は、その内容からして結婚を決意された夏生さんの心を読むような気がします。

私たち二人は
正々堂々と
戦うことを誓います

        (最終ページから一部を引用)
この言葉に夏生さんと「むーちゃん」の新しい結婚形態に結びついた生活への決意があるのではないでしょうか?
「できちゃった婚」かどうかは「つれづれノートA」をこれから再読してみなければ分かりませんが、「できちゃった婚」はともかくとして、「つれづれノートA」は、そんな結婚生活を甘く描いたものとしてだけ描いてはいないと思います。どこか二人の間に寂しさの匂いがします。
つれづれや詩を読んでの僕から見た「むーちゃん」像は、「むーちゃん」という方はそうとう自由な方のような気がします。もちろん夏生さんも自由な方ですし、二人の結婚形態は普通の結婚観では不思議に見えると思います。ここに一般的な結婚生活にはない寂しさが漂うのかもしれません。
このような自由な男との結婚。。。。
詩集などを読むと夏生さんの戸惑いも見えたりするような気もしますし、夏生さんが「むーちゃん」にぞっこんというものも見えます。結婚するまでには夏生さんの心も揺れ動いたのかと感じます。
この詩集も微妙な二人を描いているように読めます。
上に引用した裏表紙のことばは、自分の気持ちは決まっているし、そのたしかさと幸福感も読み取れますがその道筋は、定かでないような、この先どこにいくのだろうというような不安を感じます。「かわかない涙」とは、どんな涙なのだろう?いろいろと不安はあるが、「むーちゃん」を思う心と幸せ観から来る涙なのでしょう。。。。
別な方向から見た同じ時期の生活からの詩集として、「春の野原満天の星の下」がありますが、また違った幸せ間を感じます。
P、4「宵待歩行」
宵待ち草の咲く野を静かに歩く。しかし心の中はあなたを思い波立つ。宵待草は宵を待つように咲く(花の写真をいつも見せていただいている「季節の花300」サイトです)。当てもなく高まる心と向かい合うように宵を待ってさまようように歩く宵待歩行。。。
P、8「森」
夏生さんの作品では、森というのは心をあらわすように感じます。「音もなく音がひびく」「風もなく風が吹く」この矛盾。「宵待歩行」での、静と動と同じように、落ち着く心とそれでも激しく動く心。どうすることもできない思いが静けさの中に鼓動します。
P、18「いちばん遠いもの」
宇宙よりも遠いあなた。。。心だけならどんな遠いあなたの所へも。でも、今はその心さえ届かないあなた。
P、32「人生の縮図」
夏生さんにとっての川は、「つれづれ」のイラストなどにも時々書かれていて、「さよならばなな酒」にはバナナなどが流れ去っていく。夏生さんにとっては、人生は常に動である。流れ去って見えなくなった過去はすべて消え去ってしまったもの。こんな川に葉っぱを浮かべると、いろいろな動きを示す。そんな葉っぱに人生の縮図を見る。
P、46「人魚の夢」
「人魚姫」の物語。「一度だけ泡になればすむこと」
P、68「お別れ小道」
楽しかった二人での散歩。。。二人の心はすごく近づいていたはずなのに。思い込みだったのだろうか?あれが最後の散歩だったなんて。。。
P、72「丘の上」
この丘を時々見上げてみることがある。月日が移り変わることでその風景も違う。同じように自分を時々眺めてみると、やはり同じようにその心はちがってきているのだろう。その丘の風景が変わるようにそれを眺める自分の心の風景もちがうんだろう。
P、80「日常旅行」
日常の風景の中に立ち止まってしまう。友達と一緒にいても。心はどこかへ行っている。あなたのもとへ。。。これは恋の詩だと思いますが、この心が飛んでいってしまうところは人それぞれでしょう。このとき心は一人歩きをしてしまう。
P、84「天の星は昔の光」
星の光は昔の光。もうその星はないかもしれないけど。星の命は途方もなく長いのだろうが、それは星の物差しにしてみれば一瞬なのかもしれない。人の命も一瞬だが、その中には人の時間の物差しがあるはず。その物差しの中で生きればいいこと。。。人の命ははかないもの。それを惜しむように星の光に甘えたい。
P、100「できあがるたび」
ひとつのものを作り上げたらそれは拡散していく。その形付けられたものは、自分の心が作り上げたのだから。心が新たなものを作り上げようとしたときそれは拡散する。
P、114「輝き」
私が見ていたあなたとは違うあなたがいる。私は見えるあなたの輝きを見ていたのかもしれない。でも、その輝きはあなたの内の中なるもの。内にその輝きを持つとき、その輝きは見えないだろう。それがほんとの輝きなのだろう。
P、126から145
この詩集の最後のほうは、ページにまたがるもののひとつの詩と言ってよいものだと思う。出会いがあり、分かれた寂しさに心は揺れる。揺れた心は思い出を探り、恋そのものではなくてあなたの内面を見つけた。そこにはあなたではないあなたがいる。もう一度会いたい。新しいあなたとの恋を見つめたい。いや、それはもう恋という心を超えている。二人で行きたいという心は恋を超えている。先はわからないがこの心に殉じよう。
僕の好きな詩と感想
四コママンガ
銀色夏生さんの「四コママンガ」の世界へようこそ。こちらは「四コママンガ」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
角川文庫
1991(平成
3)年12月10日 初版発行


在庫の有無は角川書店ホームページ
ペンが最初の点をかき、ひとつ
の体をかきおえると、みるみる
うちに表情が産まれ、ピキピキ
と動きまわりはじめます。
遊びざかりのチビッコたちは落
ち着きなくとても元気です。こ
れからいろんなことを知って成
長していくだろうと思います。
年上であるということの視点で
年下のものを見ることができる
ことのよろこびというものをフ
ト感じます。


       (背表紙より引用・改行そのまま)
夏生さんの恋の四コママンガです。
いろいろな主人公が幼さを感じる恋をします。
もじもじとした初々しい恋。
恥じらいで失敗する恋。
自信過剰の恋。
ちょっと意地悪をしてしまう恋。

恋する苦しい気持ちでも楽しい一日。。。。

チビッコたちも一生懸命に生きてるんだなぁ。。。

心は大人も子供も変わらない。
チビッコたちを見てにんまりと笑ってしまうけど、
その心は大人が苦しむ心にそうは違いがない。
春の野原 満天の星の下
銀色夏生さんの「春の野原 満天の星の下」の世界へようこそ。こちらは「春の野原満天の星の下」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
角川文庫
1992(平成
4)年4月25日 初版発行


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僕の好きな詩と感想
私は、人が、人は結局ひとりひとりなんだなあと、時々感じて、そのことを無意識にいろんな言い方でぼんやりと口にするのに出会うと、心にぱあっと明かりがともったような、虹をみつけたような気持ちになります。個人個人であるということを、恐怖心からでもなく冷たい感情からでもなく、ただそのままの事実として認められる人は、とても強くてやさしい人だと思います。人のこころは無限にひろく、人の素敵さも無数にあるので、私は、人生が、楽しみで、素晴らしいものに思えてしようがありません。
                 (裏表紙より引用)
人は、結局はひとりだということは、人同士が心が完全に一つにはなれないということであり、自分の心を大切にすればするほど、そこには強さが必要になり、この強さを持つことで人にもやさしくなれる。
しかし恋は、お互いを一つの心にするように憧れを持つ。すべてを知りたい、すべての心を私にと。ここに人は常に一人なのだというものと乖離した感情が表れ、それが矛盾として恋する心を苦しませる。
この苦しみを詩集ではとつとつと語られます。
しかし恋には一つの頂点がある。それは信じるということ。
心と心はまったく一つにはなれないならばそこには信じることしかない。人はこれを妥協と呼ぶかもしれないが、妥協では信じることはできない。信じあうには心と心のふれあいの深さがある。
信じる心は急激にやってくる。恋が愛情という形に変わりながら。
霧のかかった心はすっと晴れ渡ってゆき、冬の寒さに震えていた心に春の風が吹く。
この素晴らしい心の動きを夏生さんは語り掛けてくれます。
「つれづれノート」2では結婚の報告。
一人目の夫「むーちゃん」との愛を感じる詩集です。
この信じることのできる心と心のふれあいは、恋だけではなくて様々な人や事柄にも向けられるだろう。だから恋する人は美しい。
世界が素敵なものに見えてくる。
これが頂点である。
そのあとには実際の生活があるわけで、その中での思いやりや理解や馴れ合いをどうお互いに築くかである。
P、5「この恋を・・・・」
この恋を失ったら一人で生きていく。その生き方は夏生さん自身の道。夏生さんは自分の生き方を大切にしますが、恋と自分の生き方との間に揺れ動く心が見えます。
P、11「よくよく考えて・・・」
この恋を受け入れるのもその恋がどうなっていくのかもそして自分の生き方がどのように変化していくかもそれは自分自身らしさなのだろう。
P、18「人生の危機という・・・」
人生の危機というと、人生を大きく変えてしまうような大きな出来事であるように考えるが、でも、よく考えてみるとほんの小さな出会いが恋という形に変化していくように、そしてその恋が自分の人生観も変えていくように小さなものからはじまる。しかし結局はその小さな始まりをどのように変化させてきたかはまた自分自身の人生なのだから、自分の人生を変えてしまうような危機も自分の選んだもの。そうならば危機という言葉が適当なものなのか。
P、27「問い返せる」
年上の人との恋。その年の差からかとらえどころのない人に見えた。
P、43「この日曜日を・・・・」
この日曜日を何もしない日と決めたけど、日常の時間は流れて行きその日常の時間の流れに生活はある。掃除をしたり洗濯をしたり散歩をしたり。何もしない一日とは、喜びも悲しみも入り込めない日常の生活
P、53「私たちはまるで・・・」
お互いを知りつくしたようだけど、あなたはもっと深いところに何かを持っているの?私の見ることができないものを。
P、68「どんなに心細くても・・・」
人はあなたのことをいろいろ言うけし、それはわたしたちの関係にも及んでくる。わたしの心は、深いところにあるあなたの心をわからないことに心細くなるけど、二人の恋は二人にしかわからないもの。。。。
P、72「いく筋もの小道」
あなたとの恋は、わたしの心にたくさんのものを残した。でもそのどれがあなたの持つ心の深さの中にある小道なのか。わたしにはわからない。
P、84「秋の日に私たちが・・・」
私たちの恋に何が足りないのか。何かを落としてきてしまった恋なのかもしれない。しかしその落としてしまったものには、私だけが落としたものもあるのではないか。その私だけが落としたもの。それが心細さになっているのか?
P、86「花酔」
揺れ動くあなたへの心は、あなたへの思いの両淵をさまよっていた。そのさまよいは私の心の問題だったのかもしれない。そして逃げだったのかもしれない。
P、98「今日、夕焼けを」
空が夕焼けに染まって行きそして夕闇はやってくる。夕焼けの一番美しい時間は一瞬である。今、あなたとの恋もこの一番美しい頂点にあるのかもしれない。結婚?恋の心の頂点は過ぎてもそのあとには思いやりやお互いの理解や馴れ合いという素晴らしい頂点がやってくるのかもしれない。
P、138「信じるというゲーム」
人は信じるというゲームから落ちていくこともあるが、あなたの心の奥底まではわからないけど、今いるあなたは私に信じる力を与えてくれた。私は信じるというゲームから抜け出したりはしない。
P、148「春の祈り」
私の心は冬のようであったのか。私の心は震えていた。目をつむれば怖くなるので目を見開いて歩き続けた。あなたとの恋の道を。そしたらいつの間にか春がやってきていた。もう心は震えない。もう目をつむっても大丈夫。目を開ければあなたがいる。
銀色夏生さんの「光の中の子どもたち」の世界へようこそ。こちらは「光の中の子どもたち」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
角川文庫
1992(平成
4)年11月10日 初版発行


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光の中の子どもたち
私は、風景の写真をとるのが好きですが、人の写真をとるのも大好きです。けれど、人の写真をとる時はとても緊張します。知っている人でもしらない人でも、カメラを通して見ると、やけに神々しく感じられ、畏敬の念にうたれてしまうからです。人という不思議な、それぞれにすごいものを、写真の中で形として一瞬だけ写しとってしまうことに申しわけなさのようなものを感じているのかもしれません。けれどやはり自分なりの見方で、あるものの魅力的な側面をとらえるというのは、うきうきする作業です。
今回の写真は、数年前から時々写していたもので、友達の子どもや近所の子や旅先の子どもたちがいます。
これからもいろいろな人の写真をとっていきたいです。


             (背表紙より引用)
左の背表紙からの引用にあるように、時々写していた子どもたちのモノクロ写真と、その写真に短い言葉や詩をちりばめた本です。
2歳から5,6歳頃のお子さんたちです。
この作品は、一人目の夫(むーちゃん)と結婚をし、そろそろ出産も間近い頃に出版をされました。産まれてくる丘ちゃん。。。そんな夏生さん自身の母性が出た中での子どもたちの写真なのかもしれない。このあとに丘ちゃんが誕生をし、赤ちゃんの写真をちりばめた写真集「ポストカードU」が出版されますが、子どもを写した作品というのは他にはないのではと思います。
しかし、夏生さんの母性の現われといっても、普通の(こういう表現は抽象的ですが)母親の持つ母性とは少しちがったものを感じます。
この作品と同時発売になったと思われる(同じ月に発刊されています)「冬の道」という写真集もモノクロですごく寂しいというのか、その寂しい道を一人歩く孤独を感じたのですが、「光の中の子どもたち」にも子どもの孤独を感じてしまいます。
これは、人という不思議な、それぞれにすごいものを、写真の中で形として一瞬だけ写しとってしまうことに申しわけなさのようなものを感じているのかもしれません。と書かれているように、子供とはいえ一人の人間としてみているのでしょうから、その内面があるわけで、人は本来孤独だという言葉にあるとおり子どもの中に孤独を見ることもありえることです。
なんとなく夏生さん自身と生まれてくる赤ちゃんの孤独を感じるところに、「つれづれノートA」との関連を感じます。
写真を見ていると、危うさも感じます。
小学生のガキ大将ならわかるのですが、2,3歳の子がとても一人では登れない木の上に一人立っていたり、高い石橋の欄干に危なげに座っていたり、海岸の崖っぷちによじ登っていたりと、ページをめくるとドキッとしてしまいました。
もうすぐ赤ちゃんが生まれる!!という心が弾むような印象は受けません。
このようなさみしさ、孤独、危うさというものは、夏生さんの夫への愛情に変わりはなく、夫婦仲がどうのという以上に、夏生さんの内面のものでしょう。
「つれづれノートA」では、赤ちゃんも生まれ、新築の家にも引っ越しますが、夏生さんはすぐに仕事場兼一人(赤ちゃんも含めですが)になれる場としてマンションを借ります。一つの目的というのか区切りが付くと次に突き進む夏生さん。この夏生さんの内面こそ、寂しさ、孤独、危うさとなり現れるのではないでしょうか?
「光の中の子どもたち」という表題作となった小品があります。この作品にも夏生さんの心が現れているような気もします。
でも 私は
まだ なにも 結論をだせないで
どんどんこのまま 行ってみる

     (最終ページより引用)
この最後の数ページにわたって書かれた詩は素敵です。
ナルシスナルくん
銀色夏生さんの「ナルシスナルくん」の世界へようこそ。こちらは「ナルシスナルくん」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
角川文庫
1993(平成
5)年1月25日 初版発行


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ナルくんは、かわいい正直者。
ちょっぴり自分のことをよく考えすぎるところはありますが、最後には、やさしさが感じられます。
かわいい弟がいて、なかよく遊んだり、ふざけあったりしています。
学校には友だちもいます。女の子たちからも、よく話しかけられます。不思議な同級生のようせいくんとは、どんな子なのでしょう。ナルくんに近づいてきます。さて、どんなお話がはじまるのか、おたのしみです。

 
               (背表紙より引用)
全ぺーじ、夏生さんのイラストと手書き文字による物語です。夏生さんのイラストがお好きな方には見逃せない1冊だと思います。
絵本のような本ですので絵本好きな方にも楽しんでもらえる本だと思います。
ナルくんは、卵で顔をパックしたり、いつも鏡に写る自分の顔を見つめます。そんなナルシスト。本当の名は、「マコト」くんですが、周りの友だちはみんなナルシストであるマコトくんをナルくんと呼びます。
女の子にも人気があるような。。。。女の子よりかわいいので嫉妬されていてイラツかれるよう。。。。
そこに「ようせいくん」登場。。。。
ようせいくんは、男なのか女なのか?
自分を「僕」とも言うし、ナルくんからは「くん」と呼ばれるので男の子のようですが、服装などを見ると女の子のようですし、可愛らしい子です。どうも中性性を持ちます。
夏生さんの作品には、男か女かわからないような中性を感じる作品があります。詩には「僕」という主語が多いですし、詩の中身も男から女へ、女から男へと移り変わるようなものを感じます。
この意味でも「ようせいくん」というのは面白いです。
ナルくんは、ようせいくんに告白される。。。
恋というよりもステキな人がそばにいてくれる。それは嬉しいような怖いような。。。。
人は恋をしたりステキな人にめぐり合うと自分を捨ててもいいと思ったりします。それがナルくんの怖さではないかと思います。
でも、ナルくんは考える。怖いとか自分がどうなるのかを考えるのではなく、素直になろうと。
ほんわかとしたラスト。。。。
最後のページには、ナルくんとようせいくんの着せ替え遊び(子供の頃「幼稚園」とかいう子供向けの雑誌などに載っていた切り取って肩の辺りを曲げて着せ替えて遊ぶもの)がおまけに付いてます!!(笑)
外国風景
銀色夏生さんの「外国風景」の世界へようこそ。こちらは「外国風景」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
角川文庫
1993(平成
5)年3月25日 初版発行


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海外へ旅行をした時に写した写真を並べて、思いついたことを書いてみました。
いろいろなところへ行くたびにまわりの景色を撮ってきますが、帰ってからそれを見てなつかしく感じるのは、有名な観光地ではなくて、外国か日本かわからないようななにげない片すみの情景です。だから、わたしの書いたそれぞれのひと言も、驚くようなことは何もなくて、近所を散歩したときに感じるような淡々としたものになりました。
どんな変わった景色を見ても、あまりびっくりしないので、私は少し冷たいのかとも思いました。

             (背表紙より引用)

日記のときは、感情を表現できるので、いきいきとしているのですが、写真にひとこととなると、普遍性を気にするらしくて、日記のときと違う自分になることがわかりました。
(中略)
いちばん好きな旅は、帰るという旅です。
           (「あとがき」より引用)
独身時代からお子さんができるまでの頃でしょうか?
夏生さんはたくさんの国々に旅行をしたようです。
メキシコ・インド・バリ島・ハワイなどなど。。。。
そこで写した写真に旅の思い出を書き添えたというような本です。
それぞれの国の思い出は、数ページほどにまとめられており、それが連続して書き進められます。小さな旅行記を集めた本という感じもします。
しかし、左の引用にもあるように
わたしの書いたそれぞれのひと言も、驚くようなことは何もなくて、近所を散歩したときに感じるような淡々としたものになりました。
と、あるように、一般的な旅行記というものではありません。日常の延長というのか、夏生さんの心は日常のままにあるが周りの風景が変わっただけという感じがします。そしてその周りの風景も観光地もありますが、その国々にある日常の風景を写しています。もし、夏生さんが外国に行き異国の旅を感じたとするなら、それはその国にある日常に触れたときなのかもしれません。
ニューヨークにいったとき、夏生さんは友人と別れて2週間ほどのカナダ一人旅に出かけますが、1昼夜バスに乗り出かけたのにホテルに着いてみると、
散歩にでたのですが、寒くて淋しくて心細くなり、次の日に帰りました。また二日かけて帰りました。
                     (P、50)
と、あります。
どうも夏生さんは一人旅が苦手なようで、二人あるいは数人で出かけたようです。
ですから旅行中は有名な観光地を歩きおいしいものもたくさん食べて楽しくおしゃべりもしたことでしょう。しかしその中で一人夏生さんはたくさんの写真を写したり、物思いにふけったりと、時々群れから少し離れるけど群が見えなくなると心配になってまた群に戻る羊というような旅を楽しんだのかもしれません。
自由・孤独を好む夏生さんですが、どこか人恋しくなるような日常の夏生さんを感じます。
このような夏生さんの旅ですから、その多くのたびの思い出である写真(もちろん仕事というための写真でもありますが)を見ながら時間が流れた後の旅の思い出ですから、執筆中の夏生さんの心の中に浮かぶものは、様々なものはフィルターに通され、残されたものはその外国の日常風景と、まるで一人旅をしたと感じるほどの孤独と自由な心なのではないでしょうか?
ですから読者の心に伝わるものも、夏生さんらしさなのです。外国の風景を観光したように感じ取るというのではなくて夏生さんの心に触れるのです。
私は道ばたにすわって、枯葉を日だまりのなかでかきまわす。その音はカサリとささやかに聞こえる。耳をすまさなくても、それが聞こえる人がいる。どこからどんなふうにかはわからないけど、枯葉のカサリが聞こえて、にっこりと微笑む人がいる。私は枯葉をかきまわす。ただぼんやりと。
                        (P、45)
旅の思い出にある夏生さんがかきまわす枯葉のカサリという音に微笑んでしまうのです。
これがまた、左に引用した
写真にひとこととなると、普遍性を気にするらしくて、日記のときと違う自分になることがわかりました。
という言葉にあるように、「つれづれノート」にでてくる旅の日記とは違うものが表現されていることなのだと思います。
旅に出ても日常の夏生さんと変わりがない。。。同時に日常の夏生さんの心はいつも旅先のように移動の途中(P、128)
それが「つれづれノート」に描かれ、日記のときと違う自分が詩集の中に描かれるのでしょう。
人は皆、人生の中での移動の途中。。。。