熟年夫婦の 東海道五十三次 テクテク日記 |
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遊行寺の大銀杏が旅人をやさしく迎える
… 戸塚宿〜藤沢宿〜平塚宿 |
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第三日目 |
2006年12月2日(土) 曇り時々晴れ |
今日のコース : 戸塚宿〜藤沢宿〜平塚宿 |
日記の記録 : 旅人の J (熟年夫婦の夫 J、妻 M) |
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泊まりながら…テクテク いこう! |
今回は、試験的に泊まりながら「五十三次テクテク旅」をやってみる。一泊二日の予定で、今日は戸塚から平塚まで歩くことにする。しかし、昨日予約した平塚の宿まで歩けるのか、また、明日は予定通り小田原まで到達できるのか、若干の不安はある。でも、まあ、やってみよう! |
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車にも温かいお茶を! |
朝4時50分に起きて、5時30分、車で千葉駅に向かうため、駐車場にいったらフロントガラスが少し凍っている。今更、鍵をかけた自宅に戻ってやかんにお湯を沸かし…、というわけにもいかず、やむをえず、今朝入れたばかりの温かいお茶を車に飲ませた。
いつもお世話になっている車に、温かいお茶をサービスした。このおかげで、千葉駅6時12分発、久里浜行きの快速に乗ることが出来、予定通り、午前7時47分に戸塚駅に着いた。 |
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平塚宿を目指して |
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戸塚駅から旧街道まで歩き、予定通り、8時前の出発だ。
午前7時52分、江戸の昔から七夕まつりが盛んだったという、平塚宿をめざして歩き出した。
歩き出してすぐにJR東海道本線の踏切があり、3〜4分待たされた。昔の人は、日本橋からの一日の行程が十里、約40キロメートルで、戸塚宿までというから、驚いたなんていうものじゃない。何しろ、一日でわらじを2〜3足、履きつぶしたという。(ただし、3日で一足という資料もあるが…)
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「沢辺本陣跡」と「お軽勘平戸塚山中道行の場の碑」 |
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戸塚宿 澤辺本陣跡 |
戸塚宿 上方見附跡 |
「お軽勘平戸塚山中道行の場の碑」 |
街中の旧街道を進むと、「沢辺本陣跡」があり、更に道なりに大きくカーブして進むと、戸塚宿の西はずれとなる「上方見附跡」があった。道は急な登り坂となり、やがて国道と合流した。
また、旧街道に入ると「お軽勘平戸塚山中道行の場の碑」があった。旅人のMは、昔、小学生の頃、「お軽勘平」を踊ったことがあると、訳のわからないことをいい、子どものようにはしゃいでいた。
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街道を行く
日本橋から十一里七町
(44.0Km)
戸塚宿上方見附跡
(横浜市戸塚区戸塚町) |
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松並木、往時の面影あり! |
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さらに旧街道を進み、「原宿一里塚跡」を過ぎた辺りから、ところどころに松並木があったりして、やっと、五十三次の往時の面影あり、二人で喜んだ。
これが昔の東海道だ!!
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遊行寺の大銀杏が旅人を優しく迎える |
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国道から左手に折れて、道場坂をどんどん下っていくと、右手に樹齢660年の大銀杏のある「遊行寺」があり、小休止することとした。午前9時50分。
『樹高31メートルの大銀杏は、昔はもっと高かったが、雷で上部が折れた。』と参拝者の一人(地元の人らしい)が説明していた。昔も今も遊行寺の大銀杏が旅人を優しく迎えてくれる。
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藤澤の名物、豊島屋の「松露ようかん」 |
ある雑誌に、藤澤の名物として、嘉永二年(1849年)創業の和菓子屋豊島屋の「松露ようかん」がおいしいとあったので、電話で豊島屋の場所を確認した。
遊行寺橋を渡り、右手に折れてから、少し歩き、豊島屋の「松露ようかん」を買い求めた。旧街道を直進し、藤澤宿「蒔田本陣跡」に向かった。
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東海道五拾三次 相模国 |
藤澤宿
人口:4089人
総家数:919軒
本陣:1軒
脇本陣:1軒
旅籠屋:45軒 |
藤澤 [遊行寺] |
山の中腹に描かれている寺は、遊行寺である。遊行上人といわれた一遍上人開祖の時宗の総本山である。
大山参りに向かうと思われる一行が、大鋸端を渡る。
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「藤澤宿」 |
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「蒔田本陣跡」を探したが見つからず、そのあたりを藤澤宿として、写真を撮った。午前10時32分。
藤澤宿は、宿場として栄えるとともに、鎌倉や江ノ島などへの参詣や観光への分岐して、また、時宗の総本山である遊行寺の門前町としても賑わっていたという。
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旅人を風雨や強い日差しから守ったという松並木が続く |
藤澤宿を過ぎて、上正寺で休憩、昼食とする。
ちょうど、12時。
旧街道も茅ヶ崎市に入ると、ところどころに道の両側に松並木が残っており、東海道の往時の雰囲気がある。
並木は道行く旅人を風や強い日差しから守ったというが、江戸時代にはこの街道を大名行列も侍も町人も歩いたのかとの思いにふけりながらゆっくり歩いた。
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東海道の松並木を行く |
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街道を行く
日本橋から十四里二十八町
(58.0Kmあたり)
(神奈川県茅ヶ崎市元町) |
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茅ヶ崎一里塚を過ぎる |
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東海道の松並木を通り、茅ヶ崎一里塚を過ぎる。陽が出ているせいか、疲れてきたので、茅ヶ崎駅前の茅ヶ崎市役所敷地内公園で休憩した。
午後1時15分。
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間の宿「南湖」は、左富士の名所 |
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市役所を出て、しばらく歩くと鳥井戸橋、この辺りは間の宿「南湖」で、ここは、左富士の名所という。通常、東海道を江戸から京に上るとき、富士山は常に右手に見えるが、ここは左手に見える珍しい場所である。
しかし、富士箱根の辺りは薄い雲がかかっており、またもや富士山は見られなかった。
いつになったら、富士山は熟年の旅人を迎えてくれるのか!
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街道を行く
日本橋から十五里二十三町
(62.0Kmあたり)
平塚市 馬入橋
(神奈川県平塚市馬入) |
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馬入川を渡り、平塚宿へ |
馬入川を渡り、国道一号線を進む。しばらく行くと分岐があり、左手の旧街道を行く。
JR平塚駅付近に着き、ここを平塚宿とし、今日の「五十三次テクテク旅」は、ここまでとした。
午後3時、ちょうどだった。 |
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東海道五拾三次 相模国 |
平塚宿
人口:2114人
総家数:443軒
本陣:1軒
脇本陣:1軒
旅籠屋:54軒 |
平塚 [縄手道] |
「平塚宿」の境界を示す杭が立っている。
街道では飛脚が平塚宿へと急いでいる。
背後の富士山を小さく描くことによって、手前の丸みを帯びた高麗山をより大きく見せている。
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天気の良いなか、よく歩いた。 |
今日は「五十三次テクテク旅」の初めての宿泊で、予約している平塚駅付近の宿まで歩いた。午後3時15分に着いた。
疲れていたので、夕食前に少し寝た。天気の良いなか、よく歩いた。 |
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第三日目 2006年12月2日(土)
前日までの距離 43.5Km(67、448歩)
今日のコース 戸塚宿〜8.0Km〜藤澤宿〜13.9Km〜平塚宿
今日の歩行距離 21.9Km(今日の歩数 34、819歩)
今日の歩行時間 7時間8分(休憩、昼食、見学を含む)
日本橋から 65.4Km(102、267歩)
京・三条大橋まで、あと 457.9Km
《参考》
今日の全所要時間(自宅〜戸塚宿〜平塚宿〜宿)9時間45分
今日の全歩行距離(万歩計換算)24.1Km |
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旅人 J&M |