総合目次 札所一覧 足あと 3章 愛郷 4章 更新記録 さんまのメモ
 浄久寺塔頭 福生院(伊那坂東第19番札所)

    所在地(江戸時代の村名):阿智村駒場(駒場村上町)      
<御詠歌>
 罪科も消えて残らぬ米沢や
 清き流れは久かたの寺


 米沢山浄久寺は阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺で、観世音菩薩と勢至菩薩を脇侍とする阿弥陀三尊を安置している。
 江戸時代には家光以降の将軍より13石の朱印状を下付され、額面上の朱印地の多さは、上下伊那で第8位だった。
 阿智村では最も多くの檀家を持つ。

 伊那坂東三十三所の観音札所になっているのは、境内にある塔頭で福生院という。別称「一言(ひとこと)観音」で親しまれている。
 本尊は聖観世音菩薩で、縁起によれば源義家の陣中守本尊八分の黄金像を体内仏とする秘仏であるという。
 「一言観音」の語意は、「一言にして功徳をあらわし給う」というのが寺伝であるが、「一生に一言の願いが叶えられる」と、一般には信じられている。

   一言をたのみに上る浄久寺
       (阿智村かるた)

 浄久寺境内には、万治4年(1661)の名号碑、寛文3年(1663)の閻魔大王座像(三門内)、この地を治めた宮崎氏市岡氏の墓所、複数の筆塚、お姫様のお霊屋などがあり、いずれも本堂や福生院の周辺にある。

 尚、参道にある百日紅の古木(写真下)は、備中原村の上原茂左衛門が西国四国秩父坂東の霊場188カ所を巡拝して戻った際に持ち帰ったと言われ、備中原の普門院にある百日紅と同じものだという。

(参考)
→ 『阿智村誌』下巻 p.748、p.783
→ 『愛郷探史録』 p.127
     「朝日受永の寺社評価
福生院(一言観音)
市岡氏墓所(福生院裏)
上原茂左衛門の百日紅