<御詠歌>
罪科も消えて残らぬ米沢や
清き流れは久かたの寺
米沢山浄久寺は
阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺で、観世音菩薩と勢至菩薩を脇侍とする
阿弥陀三尊を安置している。
江戸時代には家光以降の将軍より13石の朱印状を下付され、額面上の朱印地の多さは、上下伊那で第8位だった。
阿智村では最も多くの檀家を持つ。
伊那坂東三十三所の観音札所になっているのは、境内にある塔頭で
福生院という。別称「
一言(ひとこと)観音」で親しまれている。
本尊は
聖観世音菩薩で、縁起によれば源義家の陣中守本尊
八分の黄金像を体内仏とする秘仏であるという。
「一言観音」の語意は、「
一言にして功徳をあらわし給う」というのが寺伝であるが、「
一生に一言の願いが叶えられる」と、一般には信じられている。
一言をたのみに上る浄久寺
(阿智村かるた)
浄久寺境内には、
万治4年(1661)の名号碑、寛文3年(1663)の
閻魔大王座像(三門内)、この地を治めた
宮崎氏・
市岡氏の墓所、複数の筆塚、
お姫様のお霊屋などがあり、いずれも本堂や福生院の周辺にある。
尚、参道にある百日紅の古木(写真下)は、備中原村の
上原茂左衛門が西国四国秩父坂東の霊場188カ所を巡拝して戻った際に持ち帰ったと言われ、
備中原の普門院にある百日紅と同じものだという。
(参考)
→ 『阿智村誌』下巻 p.748、p.783
→ 『愛郷探史録』 p.127
「
朝日受永の寺社評価」