浄久寺境内にある万治4年(1661)の紀年銘をもつ名号塔です。おそらく飯伊地域では最も古い名号石の一つでしょう。名号とは「南無阿弥陀仏」の念仏のことですが、この塔は板碑型の様式で作られた、頭部が山形、額部の条帯などの特徴がある上に、台石をもたず、直接土中に基部を埋めるという古い様式の塔で、大きく厚みがあり立派です。
この石塔を建立したのは、下部にある刻字の「飯田善太郎夫婦敬白」によって明白ですが、飯田夫妻はさらに2年後に浄久寺参道登り口に木造閻魔大王座像を造立寄進し、その首級内墨書銘によって泉州境の出身で駒場に住居していると明記しています。飯田市三穂立石寺本堂の棟礼には「大工飯田ノ善太郎」と書かれていて、寛文7年の建立といわれています。大工の資料は別にもあり、同一人物と思われます。 (S58・7)