浄久寺裏山にある上町宮崎氏の歴代墓所です。230石の少禄の旗本とはいえ、当時の権勢をしのぶ五輪塔、宝篋印塔が立ち並びますが、山崩れや大井工事によって移転したことと、改易による断絶もあって、被葬者不明のものもあります。
右から二基目の円頭形墓塔は初代太郎左衛門安重の妻、清心院、また三基目は宝篋印塔で、二代目領主太郎左衛門公重の墓、法名は満相院殿心誉月鑑公重居士。塔高193p。その隣の宝篋印塔は「宮崎三郎兵衛重俊母儀」と刻字があるから公重の妻です。中央の五輪塔は、宮崎氏又は浄久寺にとって重要な人物の墓と思われますが、被葬者がわかりません。家康の側室となった当村出身の美女「於仙」か、上町初代領主の太郎左衛門安重か、又は?
次の相輪の上部の欠けた宝篋印塔は雲照院殿とあって市岡家の墓石が混入したらしい。次は智証院殿という信女で不明。左端の宝篋印塔は三郎兵衛尉重俊の妻で光照院殿、いずれも300年以前の建立です。 (S60・7)