Stone Mountain 

2002年10月22日(火)

この章は、スキナードと直接関係がない。アトランタを訪れた方に是非訪れていただきたいので記載した。

7:00起床。天気は曇り。ホテルでバイキング形式の朝食を食べ、8:00にホテルをでた。この旅行で観光らしい観光は、全くしていなかったが、この日はまず「ストーン・マウンテン」へ行くことにした。ストーン・マウンテンは、アトランタでも数少ない観光地の中で、必見の世界最大の花崗岩に馬に乗った南軍の将軍を彫刻してあることで有名な名所である。

ストーン・マウンテンへはピーチツリー・センター駅からMARTAに乗り、ファイブ・ポイントでイースト・ライン乗換えて西へ向かい、7つ目のアボンデール駅で下車し、そこから30分バスに乗る。アトランタに来て気づくのは、アフリカ系アメリカ人の方が多いことである。この日、乗車したイースト・ラインの車両には、私たち以外、全てアフリカ系アメリカ人の人だった。

アボンデール駅で面白いのは、出口が北と南の二つがあり、北側の出口に改札がないことである。北側出口を出ると、そこはバスターミナルでバスに乗らない乗客は、全て南口を利用するようだ。そして、驚くのは地下鉄からバスに乗換えた乗客は、バス代がただということである。

バスに30分揺られて、ガイド・ブックに載っていたストーン・マウンテン・ビレッジは通過したが、そろそろストーン・マウンテンに到着かと思っていたが、一向に入口らしきものが見えてこない。不安にかられ、あるバス停でしばらく停車したので運転手に「ストーン・マウンテン経行くには、どこのバス停で降りればよいのか?」と聞いてみると、ここで降りて歩いて行けと言う。バスを降りたが、周りを見回してもそれらしきものは見えない。ガイドブックを頼りに歩き出し、しばらくすると女性が歩いてきたので道を尋ねた。すると、この先の駐車場を越えたところがストーン・マウンテンで、時間はかからない」と言われた。ここで、英語を理解できなかったことが、大きな失敗につながる。

駐車場を越えると、入口らしき建物があったが誰もいない。駐車場には車が何台か止まっていたが、人影がない。とりあえず、私たちはその建物を通過して歩き出した。しかし、行けども行けども入口らしきものが見えてこない。今度は、ジョギング途中で歩いていた男性に道を尋ねると、ここはストーン・マウンテンだが、正面の入口はここから10分ほどあると言う。お礼を言い、また歩き出すと、やっと入口らしきものが見えてきた。入口に近付いたところで、あのストーン・マウンテンが忽然と現れた。離れて見ても迫力のある光景だった。結局、先ほど女性に教えてもらった地点から30分ぐらい歩き、やっと正面の入口にたどり着いた。



ここで、ストーン・マウンテンについて説明しておきたい。ストーン・マウンテンは世界最大の花崗岩で、山の面積は236ヘクタール、標高262メートル。約3億年前にマグマの活動からできた火成岩が、のちに地上に噴き出し冷却されて花崗岩になったものだそうだ。斜面には3人の南部同盟の英雄の像がレリーフになっており、向かって左側からジェファソン・デイビス南部同盟総司令官、ロバート・E・リー将軍、そしてジャクソン将軍である。レリーフの大きさは横58メートル、縦27メートルにも達する。製作は1923年に工事が始まり、途中30年あまり中断した後、1958年に再開し、完成は1964年。ひじのレリーフの部分の深さは3.5メートルもある。

さて、入場料を払い、パークに入る。平日ということもあってか、人影はまばらで団体と言えば中学生が遠足に来ていたくらいだった。パーク内は土産物屋やレストラン、パン屋などが建ち並び、更に進むと、汽車の駅がある。左手へ進むとメモリアル・ホールがあり、2階が武器や軍服などの資料館になっている。また、メモリアル・ホールには土産物屋が併設されていて、南軍グッズの土産物がたくさんあり、南軍旗関連のグッズも多く、パスケースやペン、消しゴムまで売っていた。

山の裏側に回らない限り、このパークのどこの位置からもレリーフが見えるのだが、このメモリアル・ホールを出たところが、レリーフの正面になっていて、レリーフ全体を見物する絶好のポイントである。さらに、左手には花崗岩の頂上に向かうスカイ・リフトというロープウェイがあったが、この日はあいにく天候不良で運休していた。スカイ・リフトに乗るとレリーフが間近に見えるため、とても残念だった。行かれた方は是非、スカイ・リフトに乗って欲しい。

昼食はパーク内にあるファースト・フード店でハンバーガーを食べた。ハンバーガーに挟む野菜は自分でトッピングする。味はまあまあ。マクドナルドやバーガーキングに飽きた方は食べてみると良いかもしれない。

昼食を終え、土産物屋をうろうろしていると、私の後ろからTuesday's Goneの一節を歌う声が聞こえた。その歌声の主は白人の若者であったが、私はバッグにスキナードのロゴが刺繍してある帽子をぶら下げていたので、からかつもりで歌を歌ったのだろう。私はむしろ、若者がスキナードの歌を知っていることに感心してしまった。

土産物屋を一巡した後、汽車に乗った。ここで、私は大きな失敗に気づいた。汽車に乗る前にパーク内の地図を見たところ、冒頭に女性に教えてもらった入口には汽車の駅があった。改札でこの駅で停車するか尋ねたところ、停車すると言う。汽車に乗り20分ほどでその駅に着いた。無人駅だった。そう、あの女性はたぶん、「駅があるからそこで汽車に乗れ」と言ってくれていたのだろう。本当に言葉が正確に理解できないのは厄介である。

途中駅で降りるとバス停までは、歩いて10分かからなかった。再びバスに乗ること30分。私はアボンデール駅からミッドタウンへ向かった。





※使い捨てカメラであったため望遠も無く、また当日は曇天であったためレリーフのはっきりとした写真が撮影できませんでした。上の2枚の写真は私が撮影したものではありません。