Freebird Cafe

2002年10月18日(金)、20日(日)

10月18日、天気は雨。私はスーツケースを転がして電車に乗るのが億劫で、車で成田空港へ向かった。8:30に家を出発し、途中で同行のMさんを乗せた。この日は一般道も渋滞気味で、首都高速道路も予想通り渋滞だった。あせる気持ちを押えつつ、成田空港近くの駐車場に到着したのは12:00。駐車場から送迎バスに乗り、空港へ到着した。

成田空港でまず、デルタ航空のカウンターへ向かい、チケットを受け取り、荷物を預けた。昨年9月21日のテロ事件の影響からか飛行機へ積み込むスーツケースの中身をくまなく調べられた。ちなみに成田からジャクソンビルへの直行便はなく、どの航空会社を利用しても経由となる。

私の友人のSY君が、自分もジャクソンビルに行きたいという強い思いを胸に、10月23日が出産予定日という身重の奥さんを連れて、成田まで見送りに来てくれたが、私の出国審査の時間に間に合わず、二つのターミナル挟みお互い姿を見ることなく携帯電話で見送ってもらった。ちなみに、彼の奥さんは11月4日に無事、男の子を出産した。

DL056便は成田空港を15:30に出発。搭乗時間12時間30分。機内では美味しいとはいえない食事が2回に軽食が1回。知人が言っていっていたように若いスチュワーデスは皆無だった。日本語の話せるスチュワーデスが数名、搭乗していた。週末の金曜日のせいか機内は思ったより混雑していた。機内で上映された映画は、日本でもうすぐ公開するロバート・デニーロとエディ・マーフィーが主演の「Show Time」だったが、内容はまあまあ。映画館で見るほどの映画ではない。

12時間30分を退屈な思いで過ごしたのち、やっとアトランタのハーツフィールド国際空港に到着した。到着時間は現地時間の15:00。天気は晴れ。積み込み荷物を受け取り、乗り継ぎ便への積み込み手続きを終え、さらに乗り継ぎ便に搭乗するための身体チェック、手荷物チェックがあり、最後に型どおりの入国審査を終えた。

ハーツフィールド空港は馬鹿でかい空港で、コンコースがA〜Eまで5つもあり、各コンコースの間を無人の地下モノレールが結んでいる。到着したコンコースがいくつだったか忘れたが、地下モノレールで乗り継ぎ便のコンコースDに向かった。飛行機に乗り込んでから、このコンコースDに到着するまでタバコが吸えず苦しい。

ジャクソンビルへの乗り継ぎ便はデルタ航空DL1782便で、アトランタを17:20に出発。そして搭乗時間66分、18:26にジャクソンビル国際空港に到着した。積み込み荷物を受け取り、レンタカー窓口(ダラーレンタカー)へ向かい、カウンターの女性に日本で予約をした予約表を見せた。始めは予約表を怪訝そうに見ていたが、予約表に予約番号があり事なきを得た。

手続きを終えレンタカーの駐車場へ向かうと、レンタカー会社の係員から英語をまくし立てられた。自動車のある場所を説明してくれているのはわかったが、なにせ早口で聞き取れない。私が「わからないよ」という表情をしていると、やっと彼は察してくれて自動車のある場所まで案内してくれた。借りた車はダッヂのエコノミークラスでネオンだった。

注釈しておくが、私は英語を話すことが出来ない。まあ、買い物程度では問題ないが、少し難しい会話になるとチンプンカンプンである。この旅行では英語が話せないことから何度か苦しい思いをした。中学、高校、予備校、大学と11年間も英語を学んでおきながら情けない話である。皆さんも海外旅行をされるときは、旅行前に英会話学校へ行くことをお勧めする。

レンタカーに乗り込み、ハーツフィールド空港を出発。高速95、295号線に乗って、宿泊先「Motel 6」へ向かった。このMotel 6は、今回のイベント主催者が押えたモーテルで、場所はジャクソンビルの南、オレンジ・カウンティにある。近くにはロニー、スティーブ、キャシーのお墓があるジャクソンビル・メモリー・ガーデンズがある。

慣れない左ハンドルをこなししつつ、40分のドライブを経て20:00にMotel6に到着。18日の8:00に家を出発してから24時間以上かかった。Motel6では、この日、日本から先に到着していたSYさん(前出のSYさんとは別人)、NTさん、Sさんが出迎えてくれた。彼らは、ノースウェスト航空で、デトロイトを経由してたどり着いた。日本から、今回のThe Final Tributeに参加したのは私を含め5人である。モーテルはまあ多少古いが一般的なモーテルで、風呂がシャワーのみであること以外は、特段の不便は無かった。







Freebird Cafe

10月18日

早速、モーテルを出てFreebird Cafeに向かう。Freebird Cafeはジャクソンビルの中心地から18km、車だと30分ぐらいのジャクソンビルビーチの近くにある。Motel 6からは高速295号線を東に向かい、高速95号線をに入って北へ、それからBatler BLVDを東に行く。距離は約19km、車で40分ぐらいだった。

参考までに、ジャクソンビルに行かれる方、特にスキナードの名所、旧跡を訪れたい方は必ずレンタカーを借りることをお勧めする。電車やバス、タクシーもあるにはあるようだが、サンフランシスコやアトランタのようにきめ細かく交通手段があるわけではない。スキナードの名所、旧跡はジャクソンビルの中心街を起点として、東にFreebird Cafe、南にメモリー・ガーデン、ロニー・ヴァン・ザント・メモリアル・パーク、西にロニーやゲイリーが住んでいた地区、そして東にジャクソンビル空港がある。高速道路は95号線と295号線が環状線のようにジャクソンビルの周りを一周しており、高速道路を使えばそれぞれの地区へは30〜40分で到着する。レンタカーは日本で予約していくと手続きが便利である。

高速を降りジャクソンビルビーチと平行している道路を北上すると、ほどなくしてFreebird Cafeのネオンが見えてきた。Freebird Cafeの入口で$10を払い店内に入ると、客席は一杯で立っている客がたくさんいた。Freebird Cafeは外観は比較的大きな店で、入口を入ると客席を挟んで正面にライヴ・ステージ、左手にフリーバードカフェ・グッズ売り場、右手にビリヤード台が一台、右手奥にカウンターがある。二階もあるが、この日は閉めていた。一階の客席数でいうと50名ぐらいで満員になる広さだろうか。

店内は、スキナードのポスターがいたるところに貼ってあり、カウンターの奥にはスキナードの額入りのゴールド・ディスクが10枚ほど壁に掛けられている。また、レオン・ラッセルやジョニ−・ウィンターのサインが入った写真も、柱に飾られていた。




人をかきわけてカウンターに向かうと、意外にカウンターは空いておりすぐに座れた。後でわかったが、立っていた客はライブ・ステージを見るために、ステージの正面に陣取っていて、ステージが横からしか見えないカウンターは席が空いていたのである。

私はビールにChiken Fingers($5.95)、Freebird Nachos($5.95)を注文した。ふたつとも美味しかったが、特に鶏肉のささみをからっと揚げたChiken Figersが美味しい。この日は特に有名なバンドの出演予定が無かったが、しばらくすると3人組の演奏が始まった。たぶんアマチュアかセミプロだろうが、今風のロックでなかなかうまかった。

この日は2時間程度で引き上げた。帰りにフリーバードカフェ・グッズを買い求めたことは言うに及ばずであるが、Freebird Cafeのホームページで販売されているグッズの内、店では数点が在庫切れや売り切れであった。フリーバードカフェ・グッズで必ず手に入れたい物は、お店で買うよりホームページから購入するほうが確実かもしれない。








10月20日

話が前後してしまうが、ここで10月20日に飛ばさせていただく。実は10月18日に購入したTシャツのサイズを確認しなかったことをモーテルに帰ってから気づいた。私はMサイズで、二枚を購入したのだが一枚はXL、もう一枚はLだった。私は10月20日の夕方に時間が空いたので、 Freebird CafeにTシャツを替えてもらいに行くことにした。

Freebird Cafeに向かう途中、ジャクソンビル・ビーチに寄った。季節外れのビーチで人はまばらだった。ジャクソンビル・ビーチの砂は真っ白でとてもきれいなビーチである。ビーチは東向きにあるので、夕日は見られないが空がピンク色に染まり、とても美しい風景だった。ジャクソンビルに住んでいる人から「ジャクソンビル・ビーチへ行ったか?」と聞かれたが、ビーチは地元でも名所なのだろう。

Freebird Cafeに近付くと、この日は有名バンドが出演するらしく、入口から客が長蛇の列であった。Tシャツをもって事情を説明しようと、店の入口で椅子に座り客から入場料を回収していた女性に声を掛けた。すると、なんとその女性はロニー夫人であったジュディ・バン・ザントさんではないか。とりあえず、頭が混乱しながらジュディさんにTシャツの件を説明すると、「店の中に入って係りの女性に言って下さい。」と言われて店内に入り、Tシャツを替えてもらった。

店の外に出るとすれ違いにジュディさんが店内に入ってきた。私はとりあえず外に出てジュディさんを待つことにした。店内をガラス越しに眺めると、ジュディさんは入場料の勘定をしており、ほどなくして店の外に出てきた。とりあえず、つたない英語を駆使しながら、日本から来たスキナード・ファンであることを伝え、握手して帰ってきた。これもTシャツのサイズを間違えたおかげである。災い転じて福となすとはこのことか。