FOX Theater 

2002年10月21日(月)

The Final Triburteの最後のイベントが終り、ベッドに入ったのは夜中の2:00を回っていた。そして10月21日、6:30起床。天気は晴。私は次の目的地、アトランタに向かうため、8:00にモーテルをチェックアウトし、ジャクソンビル国際空港へ向かった。

ジャクソンビル国際空港で、レンタカーを返却したが、ここでちょっとしたトラブルがあった。駐車場でレンタカーを返却したところで、レンタカー会社の担当者がレンタカー代金の清算をした。私が契約したレンタカー契約の内容は、レンタル料、税金、保険、ガソリン満タン一回分という契約だったが、清算書を確かめるとガソリン代が加算されていた。さっそく、空港のレンタカー会社のカウンターで、契約書と清算書を見せ確認を問うと、担当の女性が「間違いです。すみません」と言い、清算書を訂正してもらった。アメリカに限らないが、こういったものはきちんと確認しないと、損をすることがある。

ジャクソンビル空港で朝食を済ませ、食休みをしていると、スキナードのTシャツを着た男性が視界を横切った。昨日のThe Final Tributeに参加していた一人であった。私は席を立ち空港のロビーを見渡すと、先ほどの男性ともう一人の男性がソファーでくつろいでいた。近付いて、あいさつをすると向こうから「どこへ行くんだ?」との問いかけがあり、アトランタと答えると俺たちもアトランタに行くと返事が返ってきた。

私はデルタ航空、12:15発のDL1782便でジャクソンビルを離れた。飛行機は少し遅れて12:30頃に出発し、13:30すぎにアトランタに到着した。機内で先ほど会ったスキナード・Tシャツの二人とまた顔を合わせたが、乗り継いでニューヨークへ帰るといっていた。二人と別れのあいさつを済ませ、また無人モノレールに乗って、駅の終点に向かい預けた荷物を受け取った。

荷物の受取所を出ると、MARTA(マルタ)といわれる地下鉄駅の改札がある。このMARTAは、全区間$1.75の統一料金で長く乗れば乗るほど得である。またトランスファーという乗り継ぎ券があるため、降りた駅からバスに乗る際、このトランスファーを使えば、バスは無料となる。MARTAは日本の鉄道のように降りるときに切符が要らない。

私は駅でトークンといわれる切符代わりのコインを購入し改札を入った。ホームに立つと、この空港駅が終点であることを忘れ、二つのホームに停まっていた地下鉄のどちらに乗るのか駅員に聞いてしまった。ドジはこれだけに留まらず、この地下鉄がファイブ・ポイントという駅で終点であると勘違いして一度降りてしまい、乗換えの地下鉄を探したところ、今、乗ってきた電車にそのまま乗っていれば到着していたことに気づいた。これは、空港からファイブ・ポイント駅までの路線をサウス・ラインと言い、ファイブ・ポイントから先をノース・ラインと言うのが原因だった。もともと、同じ線ならばサウス・ノース・ラインとひとつの路線名にしてくれればよいのだが。

ファイブ・ポイント駅のホームでは、まごまごしている私に、おばあさんが話し掛けてくれ、「ピーチツリー・センター駅へ行きたいのですが」と言うと、このおばあさんもよく知らず、他の人に聞いてくれた。親切なおばあさんだった。

ファイブ・ポイントから一駅のピーチツリー・センター駅で降り、ホテルに向かった。ホテルは駅から徒歩で10分ほどのBest Western Inn at The Peachtreesというホテルで、設備はモーテルと変わらないが、清潔で安価なホテルだった。それと朝食つきというのも魅力のひとつである。ただ、大通りではあるが、駅から少し歩くため、夜は多少危険を感じる。

ホテルにチェックインし、荷解きしてから昼食を食べに、ピーチツリー・センターへ行った。このセンターは、オフィスとショッピング・センターが一緒になっており、食べるところもある。ただ、食べるところといっても、日本の大型スーパーにある大きな空間の真ん中に椅子とテーブルが並べられており、まわりにファースト・フードなどの店が並んでいる形式のものである。

あまりおいしくない昼食を済ませ、早速、私はフォックス・シアターに向かった。フォックス・シアターは、ピーチツリー・センター駅から地下鉄でふたつ目のノース・アベニュー駅で降りる。駅を降り、案内表示板に従って出口を出たが、方向がわからない。地図を頼りに歩き出したが、どうも方角がおかしい。通りすがりの30歳ぐらいの男性に道を尋ねたところ、全く逆方向に歩いていた。男性は親切にフォックス・シアターの見えるところまで道案内をしてくれた。そこは、先ほどの出口をでたところで、目の前がフォックス・シアターの裏側だった。

フォックス・シアターは黄土色のレンガで囲まれており、年代を感じさせる。表に回ると、あった。あのOne More From The RoadのLPに入っていた写真通りの風景が。この日、フォックス・シアターはイベントがなく、人はほとんどおらず閑散としていた。また、ここでは、月・水・木・土の10:00から劇場内部を案内してくれるツアーがあるのだが、ツアー中止の看板が立てかけてあった。私は、土産物屋でもあるのではないかと期待していたが、店が閉まっていたこともあり、そのようなものはなかった。

チケット売り場
ロビー
レリーフ
レリーフ

チケット売り場や、外観の写真撮影を終えた後、私は薄暗い奥まったロビーに入っていった。ロビーといっても石のタイルが引かれた、ただ広い廊下といった感じで突き当たりが劇場の入口になっている。当然ながら入口は閉まっていた。その入口の右手に、フォックス・シアターに功績のあった会社名や人物の名が刻まれた記念碑があった。ありました「LYNYRD SKYNYRD」の文字が。コカ・コーラなどの名前と並んで、彼らの名前が碑にはっきりと刻まれていた。この碑がなければ、フォックス・シアターでのスキナードの足跡を知ることができなかったこともあり、私はこの碑に感謝した。

写真撮影と見学を終え、私は駅に戻りファイブ・ポイントへ向かった。ファイブ・ポイントにはアンダー・グラウンドというショッピング・モールがる。ショッピング・モールといっても、そのほとんどが土産物屋である。ブランド・ショップなどはほとんどない。アンダー・グラウンドを一回りし、ピーチツリー・センターに戻った。

アメリカ料理にも少し飽きたため、この日はピーチツリー・センターのそばにある中華レストランで夕食とした。私が入口にあるメニューを眺めていると、後ろで日本語が聞こえ、中年のカップルが「このレストランだね」と話している。店に入り席に案内されたところに、続けて先ほどのカップルを先頭に、日本人の団体客15名ほどが店に入ってきた。店員が私たちに席を移動してもらえないかと言ってきたため、私たちは一番端の席に移動した。そして運悪く隣の席に案内されたのが、その日本人の団体客。どうも、カップルは女性がツアー・ガイドで、男性がその団体の幹事だったようだ。団体は観光で来たのではなく、商用だったようだ。少し、興ざめだが仕方がない。味はご想像にお任せする。

私はアトランタでライブ・ハウスにでも行こうかと事前に調べていたが、地下鉄やバスで行ける店がなく、タクシーでも距離があったので諦めた。もし、アトランタへ行く機会があり、ライブ・ハウスやレコード・ショップへ行くつもりであれば、やはりレンタカーをお勧めする。

中華レストランを後にした私は、時間つぶしにハードロック・カフェに入った。ごたんぶんにもれず、ハードロック・カフェの雰囲気はどこも同じで、グッズ・コーナーがあり、壁には所狭しとポスターやギターなどが飾られている。スキナードのものがないかと探してみたところ、「1991」のジャケットをデザインしたポスターと、写真のポスターがあった。他にはオールマンのポスターなども飾られていた。他のハードロック・カフェにはスキナードのポスターはたぶんないだろう。

この日は、久しぶりに早めにベッドに入ることができた。