The Final Tribute : Day 1

2002年10月19日(土)

私は数年前から2002年が、1977年10月20日のあの飛行機事故から25年目に当たり、必ずジャクソンビルで何らかのイベントがあると期待していた。もし、仮にイベントがなくてもジャクソンビルを訪れようと思っていた。そこへ4月頃、友人からジャクソンビルで「The Final Tribute」という追悼イベントが開催されるという情報が舞い込んできた。

「The Final Tribute」は、スキナードのトリビュートバンド「ストリート・サバイバーズ」のボーカルであるダラス・ブライアン、ロニーの幼馴染でスキナードのローディーをしていたジーン・オダム、スキナードの大ファンでコレクターのジョン・イーストウッドが主催者のスキナードの追悼イベントで、10月19、20日にジャクソンビルで開催された。

参加人数は400名限定。19日は12:00から23:00まで、多数のバンドの演奏、スキナードに関係した多くのゲストが参加するイベント、20日は10:30から夕方まで、スキナードにちなんだジャクソンビルにある名所、旧跡を訪れるバスツアーとのことだった。私は期待を膨らませながら、早速、英語の達者な友人の手を借りながら、 チケット、ホテル、航空券の手配を済ませた。

あとはジャクソンビルへ行くばかりと思っていた9月27日、違う友人から「ジャクソンビルと同じフロリダ州のポークシティというところで、10月19日にRocktoberというイベントがあり、スキナードがラインナップされている。」という情報が入った。同じ10月19日にスキナードのイベントが二つ、しかも違う場所で開催されるとは想像もしていなかった。ポークシティとはフロリダ州のほぼ真ん中にあり、フロリダ州の北東部にあるジャクソンビルとは300km離れている。日本でいうと東京と仙台の距離である。

はっきり言って迷った。The Final Tributeには参加したいし、ポークシティはジャクソンビルからかなり遠く、交通手段は車しかない。そんな事情から一度はポークシティ行きを断念した。だが、私はリッキ−・メドロック、ヒューイ・トマソンが加入したスキナードを見ておらず、また現在のところスキナードが日本に来日する可能性が非常に薄い。この機会を逃したら二度と「生スキナード」を見られないのではないかという強迫観念にかられ、強行軍を決行することとした。

計画は、まず19日の12:00から始まるThe Fnal Tributeに参加し、バーベキューを食べ終わってから、14:00に会場を抜け、一路、ジャクソンビルからポークシティに向かう。車では約3〜4時間。スキナードの出演は10バンド中の9バンド目で、夜の19:30に演奏開始予定とのことだったので、充分間に合う計算だ。この計画変更で、私は新たに「Rocktober」のチケットとレンタカーの手配を追加した。

このライブに関するレポートは「Lynyrd Skynyrd Live」の項に移させていただく。

The Final Tribute

10月19日

The Final Tributeは、ジャクソンビルのほぼ中心にあるMetropolitian Parkで12:00から開かれた。私はRonnie Van Zant Memorial Parkに寄ってから、11:00ごろ公園に到着した。会場はジャクソンビルの海と思えるような大きな川に面したメトロポリタン・パークの一角に、ステージ、売店と100人程度が座れるテーブル、椅子が設営されていた。ステージはいわゆる野外音楽堂のような作りで、ステージ、客席の上には天井がある。(Ronnie Van Zant Memorial ParkのレポートはRonnie Van Zant Memorialのページを見てください。)

この場所はジャクソンビルのビル群から程近く、水際であることや高架の高速道路が近くを走っているため、賑やかさという点では異なるものの東京のお台場に景色の雰囲気が似ている。また、地元のラジオ局が会場の中に放送車を用意させていた。

早速、友人に頼まれたTシャツを購入しに設置されていた売店へ赴いた。Tシャツと、一緒に並べられていたスキナードの新刊本を購入すると、売店の女性に声を掛けられた。すると目の前に座っていたのは本の著者で主催者でもあるジーン・オドム氏だった。

オドム氏は、購入した本を手にとり、「君の名前は?」と聞いてきたので、自己紹介用の名刺を差し出した。オドム氏は本にサインとメッセージを記入した後、私の渡した名刺を見て、「Lynyrd Skynyrd Data Baseのやつか!」と言い、次にこんなことを言い出した。「日本で私の本を売ってくれ。君から注文を受けたら本にサインをして送るよ。」 オドム氏の商魂のたくましさは翌日にも発揮されることとなる。

12:00前からバーベキューが始まった。私が「バーベキュー」という言葉で想像していたのは、でかいステーキを焼くコンロが鎮座し、煙がもうもうと立つ中、牛肉のステーキにかぶりつくというイメージを描いていた。しかし、期待は裏切られ、テーブルに並べられたのは、なま暖かい鶏肉の足のロースト、ハンバーガーのパン、ハンバーガーに挟む肉の煮込み、煮豆といった質素なものだった。

まあ、こんなもんかとテーブルを囲み日本から来たメンバーで用意された食事を食べていると、サングラスを掛けたひげ面の男性テーブルに割り込んできた。実は前日の夜、SY君等はモーテル近くにあるBuffalo Cafeという飲み屋で、この男性と会っていた。

前日のBuffalo Cafeにはオドム氏、ウェストウッド氏、ストリート・サバイバーズのメンバー、そして何とスキナードの初代ドラマーであるボブ・バーンズが来ていたそうである。SY君が気づいた時にはボブ・バーンズが帰るところで、SY君はサインをもらい損ねた。

このひげ面の男性は、ストリート・サバイバーズのドラマーで、T-REXと名乗った。英語が達者であれば、なぜ恐竜の名前をつけたのか、マーク・ボランと関係があるのかなど名前の由来を尋ねたのであるが、それはかなわなかった。面白かったのはNT君が箸を取り出し、T-REXに渡したところ彼は箸で食事を始めた。彼は途中で諦めず、一生懸命その箸で食事を続けていた。

食事も終わろうとしている頃、ステージではバンドの演奏が始まった。最初のバンドは地元の若手バンドらしい。数曲演奏した後、Simple Manを演奏したが、普段は演奏したことがないらしく、曲の構成や歌詞もままらない状態だった。まあ、余興としては楽しめた。次のバンドは、南部の正装といったいでたちの巨漢の男性が登場し、ドブロ・エレキを独特のスライドで演奏した。日本ではあまり聞きなれない演奏のバンドであった。

12:00から始まったこの日のイベントは、最後にストリート・サバイバーのライブがあり、その後、23:00からの追悼式典で終了する予定だった。それにしても、私が会場をあとにする時点で、この会場にいた人は多く見積もっても100人もいなかった。夜になればもっと集まったのだろうが、それにしても少し寂しい感じがした。帰国してから伝わった話であるが、やはり、あまり人が集まらなかったらしい。

13:30を過ぎた頃、私は会場を後にした。名残惜しかったが、ぐずぐずしているとスキナードのライブに間に合わなくなる。この日のこの後のレポートは「Skynyrd Live!」を見ていただきたい。

私は中途で退出したが、この日の出演バンドと、ゲストの名前を記しておく。なお、バンド名とゲストは事前に案内されていたものであり、私はその場にいなかったので実際にそのバンドやゲストが出演したかは定かでない。

Band:
1.Failures Art
2.Swamp Funk Band
3.Bobbie Merle Sanders Band
4.No Coincedence
5.Universal Slim And The Blue Kangaroos
6.Frank Pilgrim Band
7.Dilla Blues Band
8.Street Survivor

Guest:
Bob Burns the original drummer for Lynyrd Skynyrd
Randall Hall who played with Lynyrd Skynyrd from 1987 to 1994
Barry Harwood formerly of the Rossington Collins Band and who played on Nothing Fancy and Street Survivors for Lynyrd Skynyrd
Leslie Hawkins (a plane crash survivor and originalHonkette)