古絵図でみる小野川関所付近
この絵図は、天保8年(1837)江戸幕府の巡見使に提出したものの控えであろうと思われます。巡見使というのは、将軍の代替わりのときに、各地に派遣された政情・民情の視察使です。
このころの小野川村は幕府領で、阿島の知久氏が関所と共に預っていました。中央の関所は正面には垂れ幕がしぼり上げてあり、冠木門をくぐって通るようになっています。その左下が、別項でも取り上げました無量寺です。
平成九年に、この無量寺の左上にあたる大垣外遺跡の発掘調査が行われ、古代東山道の経路を偲ばせる石製模造品270点と祭祀用の土器が出土し、峠の登り口でも山の神に対する祭りが行われたことがわかってきました。 (H9・1)
【 補足 by さんま 】
右下に見える森は、八王子社(現在の伏谷社)です