前宮までは、軽トラックで入れそうな道が、参道並木に並行して通っている。行き止まり手前に、「奥宮まで765m」の標柱がある。
前宮のすぐ右横から背後の山へ登っていく。「七丁」、「八丁」の丁石(写真下)の他、所々に距離を示す金属製の標識もある。参道はよく踏まれており、前半は並木道風、尾根に出ると急な登りになる。途中にヌタ場と思われるぬかるみもあり、どんな獣に出会っても不思議はない。ガサゴソという枯れ葉が落ちる音や、山鳥の飛び立つ音がすると、熊でも出たかとドキッとする。
伊賀良神社奥宮の標柱と鳥居(写真上)を見つけて、ほっと一息。少し登ると奥宮(写真中)がある。素朴な山の神様である。
昔の山は大切な財産であり、肥やしにする草を刈ったり、薪を集めたりと、日頃からの仕事場だった。そこに「山の神」を祀るのは自然な思いであって、祭神は漠然とした自然神だったと思われる。
社名は、てろうの山神(慶長6(1601)年)、手老御社(享保4(1719)年)、寺尾山神御社(延享4(1747)年)、寺尾山神(安政3(1856)年)と表され、現在に至るまで「おてろう様」と親しまれている。
前宮が寄進を集めて立派に整備される中、「伊賀良神社(前宮)」「手羅尾山神社(奥宮)」と、別々の社名にしたようにも見え(寛政9(1797)年の神道裁許状)、祭神も現在は別々になっている。寛政10年の標札は「伊賀良神社手羅尾大権現」と併称である。
→ 『阿智村誌』 p.739
→ 『探史の足あと』
p.25 伊賀良神社の標札
p.26 おてろう様の鳥居沓石
p.27 二社併称のてろう様
→ 『愛郷探史録』
p.164 伊賀良神社(寺尾山神)の棟札
p.140 古典文学的な神社名考
尾根を登ると、奥宮の鳥居がある
奥宮は、素朴な山の神様
途中には昔の丁石と、215mなどの標識あり