「アフチ」の地名は東山道と三河道が「逢う地」とする説も有力であるが、延喜式等で「アチ」の地名が古くからあったことが明らかなため、「アフチ」が縮まって「アチ」になったとは言い難い。逆に、「アフチ」の地名は11世紀以降の和歌3首の中に「あふちの関」として見られるのみで、他の文献には見られない。このことから、「アフチ」は和歌の字数を整えるための延音であって、「会う」ことを表す歌枕として使われているが、実際の地名は「アチ」だったのではないか。
☆しなのじやそのはらからとみる人はあふちの関はこえぬものかは 藤原経衡(?〜1072)
☆今ならばいなと思いし道あれど君にあふちのせきぞ嬉しき 信濃守隆基(?11世紀)
☆しなのぢや通ふ心はありながらさもぞあふちの関は寂しき 藤原知家(1182〜?)
→ アイヌ語地名 説( 大山 元氏 ) ・アフチ=我らが女神?
→ オウチ=凹地 説(松崎 岩夫氏) ・オウシナ坂=オウチノ坂?
→ アチ神社=茅の社 説(志賀 剛氏) ・アチ=芦 または チ=茅?