目次 第四章 小野川八十戸の寺がえ → 小野川村八十戸の寺がえ
p. 20 下段 12行目 滝沢貞夫氏著 → (書名は?)
p. 24 下段 2行目 寛文二年(一六六二) → 寛文十二年(一六七二)
p. 53 上段 6行目 駅使 → 駅子
p. 55 上段 9行目 丹比(にひ) → 丹比(たじひ)
p. 55 上段 15行目 丹比(にひ) → 丹比(たじひ)
p. 60 下段 2行目 対象して → 対照して
p. 75 下段 6行目 (阿智高校と盟和産業の間( → (阿智高校と盟和産業の間)
p. 76 上段 5行目 阿智駅 → 阿知駅
p. 85 上段 1行目 王異みたまいて → 王異みたまひて
p. 85 上段 2行目 弾きかけたまう → 弾きかけたまふ
p. 85 上段 最終行 蒜(にんにく・又の野びるか)をもつて
→ 蒜(にんにく・又は野びるか)をもって
p. 95 下段 5行目 国を治めようと → 国を治めさせようと
p.101 下段 15行目 産土神的な正確 → 産土神的な性格
p.102 表中 1行目 七九里 → 七久里
p.104 上段 9行目 命じ維新の → 同じ維新の
p.113 上段 8行目 ニ神 → 二神 (カタカナ→漢字)
p.114 下段 9行目 郷土 → 郷士
p.117 表中 6行目 中関郷 壱貫六百文 → 中関郷 参貫六百文
p.131 上段 15行目 阿智神社 → 安布知神社
p.131 下段 4行目 阿智駅 → 阿知駅
p.146 下段 14行目 天正十九年(一五九) → 天正十九年(一五九一)
p.147 上段 14行目 江戸時代になると自ら名乗った僭称
→ 応仁の乱の後(15世紀末)頃からの僭称
p.147 下段 14行目 寺社奉行をさしおいて
→ 慶長14年(1609)神祇官代の吉田神社内への設置公認
寛文5年(1665)「諸社禰宜神主法度」発布により、
吉田家の権利は制度上追認されている
p.151 下段 1行目 天太玉命(インツミモトノミノリ) → 斎元道(インツミモトノミノリ)
p.154 上段 筆者注 旧事記が最も古く他の二書の底本になったと記している
→ 大成経:聖徳太子撰述で焼失した先代旧事本紀そのもの
旧事紀十巻:先代旧事本紀(大成経)の抜き書きを集めたもの
古事記:先代旧事本紀(大成経)の聞き覚えで作ったもの
日本書紀:諸家の秘伝をまとめ直したもの
従って、古事記や日本書紀は間違いが多い・・・と主張している。
p.155 下段 6行目 説祭供 → 設祭供
p.156 上段 9行目 伊那座二座 → 伊那郡二座
p.158 上段 2行目 開天之功義 → 開天ノ功義
p.193 上段 7行目 九十八年目当たる → 九十八年目に当たる
p.201 下段 11行目 特に大形では → 特に大型では
p.214 上段 13行目 板東・ばかりの参廻は → 板東ばかりの参廻は
p.217 下段 9行目 住みまじめた → 住みはじめた
p.220 下段 7行目 元祿五(壬申) → 元祿五年(壬申)
p.222 上段 2行目 伍和宗丹寺 → 伍和宗円寺
p.227 下段 12行目 旦那の内、、 → 旦那の内、
p.309 下段 1行目 二十四石 → 二十六石、60俵 → 65俵
p.311 表中 村名 矢栗 → 栗矢
p.377 脚注 96 園原新畑知久 → 園原新畑地区
p.404 上段 最終行 氏清は討氏し → 氏清は討死し
p.442 図中 三左衛門道次は金右衛門時重と兄弟 (横線を追加)
p.443 図中 上町宮崎氏城跡 → 上町宮崎氏館跡
p.457 表中 17行目 芭蕉翁 雪降るや → 芭蕉翁 雪散るや
p.516 上段 11行目 御礼難申礼之節 → 御礼難申尽御儀
p.525 下段 2行目 家康の次女 → 家康の侍女
p.589 上段 15行目 この由布園主人なる人が何人か明白でないが
→ 郊戸神社神官だった樋口与平(光信)ではないかという
p.615 上段 9行目 利市 → 利一
p.690 上段 15行目 機関誌主事 → 機関誌主筆