大三元(大山元)さんのHPで見かけた、アイヌ語説の例です。大山さんは『古代史料に見る縄文伝承』、『初期天皇后妃の謎』の著書の他、HPも素晴らしく充実している方です。HP中の歴史館にある地名関係の小論の中から拾いました。
アイヌ語の発音を感じる地名と、似た意味の字面を持つ地名が近くにあるケースに着目しています。 (→は、文責さんま)
1.「ア・フチ」は「我らの・(老女)女神」と読める
→阿智神社にも、安布知神社にも、女神は祀られていない。
安布知神社は文化元年(1804)命名で、社名としては新しい。
2.清内路(セイナイジ)は「セイ・ナイ・ル」で「貝・川/沢・路」、
「貝沢」が隣の飯田市にある(貝沢から清内路村の境まで約8Km)
→セイナイジには諸説あり。戦国時代後期からの呼び名か(清内路村誌)
3.飯田市の水晶山を「スィ・スオプ」=「穴・箱」と読むと、山麓の「箱川」と類似。
北海道の塩幌川の語源の一つにsuop-poroで「箱・大きい」というのがあり、「川床 のえぐらた深みのある川」の意味
→「箱川」が深みのある川とは言いかねる。
水晶山は昔水晶が出たとか、形が水晶に似ているとか言われる。
以前行ってみたが、「深みのある川」の出番はなさそう。新しい地名か?
4.5.「日の入り山」と、下條村の「粒良脇」=「チュプ・ラ(ン)」(陽が降りる)など
→松崎岩夫先生によると、「つぶら」は「円」で、「つぶれる」と同語源。崩壊地を表 す。粒良脇には「なぎ」の付く地名がいくつもある。
〜『長野県の地名その由来』(信濃古代文化研究会刊)
6.「夜烏山」の麓に「智里」。「チリ」は「鳥」の意味
→智里(ちさと)は明治維新での旧村合併の際、新しく付けられた村名
智者(思兼命)の里。三野村で申請したら、お上から智里村で認可された
7.「浪合村」の「鯉子山」、「波」=「コィ」、「浪合村」の「浪」も「鯉」も同義
→浪合は南北朝以前からの地名、2つの川の合流地点の意味か。波子山?
8.「昼神」は「ピリカ・カムイ」なら「良い神」の意味で、「熊」の事も指す
→峠の荒ぶる神なら分かるが、良い神とは? おいしい熊?
詳しい原文は、大三元さんのHP内の 伊那・伊奈・いな・否? へ。後半では、阿智村周辺と山形県小国町周辺の地名の類似性を取り上げています。
また、読者談話室に、大三元さんと私とのやりとりが記録されています。