大地に潜むは八百万の顔の狂気、地上に立つは一つの仮面の正義。

クレイジー・ダイヤモンド CRAZY DIAMOND

2016/10/13改訂

本体名:東方仗助 <ヒガシカタ・ジョウスケ>

ジョセフ・ジョースターの息子、プロフィールJC29巻P75、エピソードJC35巻P57〜

能力:破壊された物体や生物を直す

スタンド形成法射程距離パワー
身体同形体+α
(本文参照)
2m

当ページの要点

  • ジョジョの世界には「知性」という世界を満たす力が存在する。
  • この「知性」は世界のあらゆる物体に浸透して宿り、その構造を記憶する。
  • クレイジー・Dは破壊された物体の中にある「知性」の記憶を基に、物体を修復できる能力を持つ。
  • またその修復には仗助が暮らす「杜王町の大地に宿る知性」も重要な役割を果たす。

知性の大地

ジョジョの世界には、世界をあまねく満たし、物質や生物に宿っている霊的な力である「知性」なるものが存在する。この知性はそれが宿った物質・生物の構造などを情報として「記憶」し、またその情報を周囲に信号として「発信」する性質を持っている。

そしてこの知性は、人々が集まり、住まい、社会を形成する土地の「大地」の中に、その土地固有の巨大な意識体を生じさせる。この「知性の大地」は、過去にその土地に生きた者たちの生活習慣・しきたり・精神性といったものを記憶しており、そしてその情報を今現在その土地に生きる者たちに発信し続ける。この影響によりその土地の住人は無意識的に、その土地で受け継がれてきた精神性に従う傾向が強くなる。またその影響力は、大地に生える「木」のように先祖代々その土地に「深く根ざす者」ほど大きくなる。

こうしてその土地は緩やかにしかし確実に、この「知性の大地」にして「大地に根ざす者たちの隠れた領主」である存在、「木と土の王」の力に治められていく。

スタンド解説

■杜王町の住民の一人であり、ジョジョ第2部の主人公ジョセフ・ジョースターの息子でもある東方仗助を本体とする人型スタンド。破壊された物質や生物などを「元どおりに直せる」能力を持つ。特撮ヒーローの着ぐるみのように逞しいその全身は、筋肉の盛り上がる部分はダイヤモンドのような青みがかった白色の装甲を被せたようになっており、頭部は白色の兜で目と口元以外が隠され、それ以外の体表は血肉の色のように赤みがかっている。そしてそれら全身の装甲は、頭頂部や肩の部分など、所々が「ハート形」になっている。またその後頭部の下方からはパイプが6本伸び出て、それらは背中の中央上部辺りへと繋がっている。

■ジョースターの血統である東方仗助は、4歳の時にDIOから発信される「邪悪な波動」を受けて高熱を発し、50日間昏睡状態となった。そのプロセスは第3部の空条ホリィと同じく、邪悪な波動を強力に受信して本体に送り込むスタンド体の発現によるものである。(その姿はおそらくホリィやジョセフのスタンドに似た、ツル植物の形状だったと考えられる) まだ4歳の幼児だった仗助は肉体的にも精神的にも空条ホリィより弱く、そのままではDIOが殺される50日後を待たずして死ぬか、あるいはDIOの思念に洗脳されてしまうしかなかった。しかし彼はそのどちらにもならず生き延びる。そのきっかけとなったのは、彼が病院に運ばれる際にその手助けをした一人の少年である。

■少年のヒーローのような行動を心に焼き付けた仗助は、その記憶をひたすら思い返してDIOの邪悪な思念に抵抗する。そしてそれが彼のスタンドに一つの変化を起こす。その変化とは、自分の母親側の血筋、祖父以前の代から杜王町に暮らす自分の血筋を通じて、杜王町の大地に宿る「知性」という力が作り出す意識体から、その出来事の記憶を受信できたことである。さらにそれを皮切りとして仗助は杜王町の大地から、家族の記憶や、それ以外のあらゆる記憶をも、無意識かつ無差別に受信し始める。これにより、一つの強大な意思から成るDIOの邪悪な思念は、杜王町の大地に記憶された「八百万の思念」で薄められて、仗助へ送り込まれることになる。

■そして50日後、DIOからの邪悪な思念は途絶えて仗助は高熱と昏睡から回復するが、一方で大地からの受信能力は絶えることなく働き続ける。50日間ひたすら行い続けたそれはもはや、スタンドの自動的な性質として強固に定着され、仗助自身にも止めることはできなくなってしまっている。しかしこの性質こそが1999年時点のクレイジー・Dが持つ、類まれに強力なスタンド体と、物体を修復する能力の礎となっている。そしてこれらには「知性」が持つ性質の一つである、「知性の引力」という力が深く関係している。

知性の引力

ジョジョの世界に存在する「知性」という力の実体は、素粒子よりも遥かに小さい粒子である。この「知性粒子」は原子や素粒子など物質の力場に囚われて、それら1個1個の内に無数に宿る。これにより「知性」という力は、それが宿った物質の素材や構造から、生物の思念といった情報までをも、細大漏らさず記憶する。これは我々が脳細胞のシナプスの無数の集まりによって、「物」に関することから「概念」に関することまで、極めて複雑な情報を記憶できているのと同じ理屈である。

そしてこれら物体に宿る知性は前述したように、自身が記憶している知性情報を周囲の空間に「発信」もするわけだが、それが「同じ知性情報」を宿す別の物体に届くと、それらは「引力」を発生させて互いに引き合う。そしてこの引力は、物理法則において「重力」と「磁力」が別の引力であるように、あるいは神道において万物に宿るとされる神仏が「八百万の神」として分けられているように、「知性の引力」はそれぞれの物体の素材や構造などに対して、無数の種類の引力が存在する。

ただそれらの引力は完全に別個に存在するわけでもなく、「近い」知性パターンのものは「同じ」ものより弱いながらも引力は働く。例えば「鉄」という素材は同じ「金属」である「銅」や「アルミ」ともある程度は引き合うわけである。(そしてさらに、例えば人間社会で知り合いの知り合いを辿っていくと全人類を結び付ける図が描けるように、無数の種類の知性情報もそれぞれの関連性を辿っていくことで、あらゆる情報を結び付ける巨大な概念的構造体を得ることができる) 

ただし「知性の引力」は重力や磁力と違って、物理的な引力は無に等しいほど弱い。代わりにその引力は、「運命」や「因果」という次元で発揮される。同種の知性を宿す物体同士は、いつの間にか、知らず知らずのうちに引き合い、関わり合う。それはジョジョの世界の宇宙において、本来なら偶然に頼るしかない「生命の発生」や「進化」を後押しし、必然的に引き起こす原動力となっている。また、ジョジョ作中で時折り語られる「スタンド使い同士は引かれ合う」という法則も、「スタンド使い」という知性パターンが引き起こす強い運命的引力によるものである。

スタンド解説(2)

■杜王町の大地から「八百万の記憶」を受信し続けているクレイジー・Dは、それらの記憶を常に体内に充満させている。そしてそれら全記憶に働く緩やかな「知性の引力」は、スタンドパワーを与えられて強い結合力となり、クレイジー・Dの体内に柔軟性を持った立体的な網目状の結合組織を作り出している。これによりクレイジー・Dのスタンド体は、半ばゴムの塊のような「弾性」を有しており、この性質はこのスタンドを攻守両面において非常に強力にしている。攻撃に際しては曲げや捻りの反動を加えて弾き出すように繰り出される拳の一打一打は鋭く重く、特に両拳による連打(通称「ドラララのラッシュ」)の威力は「スタープラチナ」にも引けを取らない。また攻撃を受けた際には、その体はサンドバッグのように鈍く弾ける音を発して衝撃を少なからず吸収し、他の人型スタンドを大きく上回るタフさを発揮する。(なお、このように強い弾力を持ったクレイジー・Dを仗助が動かすには、通常の人型スタンドより強い「精神の信号」が必要であると推測され、クレイジー・Dの後頭部から背中に繋がるパイプはおそらく「精神の信号」を増幅するためのものである) 

■また、クレイジー・Dは全身を常に引き締め続けるこの結合力により、スタンド体の外見に本体側の負傷が反映されないという特徴がある。仮に本体の仗助が全身傷だらけで大量出血していようと、体に風穴が空いていようと、スタンド体側ではそれらは引き締められ塞がれて、外見上は全く負傷していない姿を保ち続ける。またクレイジー・D自体が攻撃され負傷した場合には、そのダメージは当然本体にも返るが、スタンドの側は数秒もすれば「知性の結合力」で再度引き締められて元の姿を取り戻す。この性質はスポーツ選手が故障部位を支えるために付けるサポーターのような効果をクレイジー・Dの全身に与え、負傷による運動性能の低下を大きく抑えることができる。

■そしてクレイジー・Dが持つ「物体を直す能力」も、「知性の引力」にスタンドパワーを与えることで行われる。クレイジー・Dは物体に触れることで、その物体に対応・関連する知性情報を大地から大量に受信することができる。(この性質は父親ジョセフのスタンド「ハーミットパープル」と良く似ている) そしてクレイジー・Dはその大量の知性情報にスタンドパワーを加えて物体に流し込むことで、その物体内に「記憶の引力場」とでも呼ぶべきものを作り出す。この「記憶の引力場」は、強力な電磁石が周囲の鉄をパワフルに引き寄せるように、同種の知性情報を宿す物体にのみ働く「記憶の引力」を発生させ、それらを強力に引き寄せ、くっつける。これがクレイジー・Dの修復能力の原理である。

■クレイジー・Dの修復能力は基本的には、物体の破壊状態がどれほど酷くても、物体内の「知性」に破壊されることなく残っている「その物体の構成情報」によって、元の構造を取り戻させて復元することが可能である。またその修復には「記憶情報の部分差」も非常に重要な役割を果たす。例えばバラバラに切断破壊された物体が直る時には、その物体「全体」が一つの塊となるべく引き寄せ合うのと同時に、その「部分」部分は「記憶の微妙な部分差の一致」によって、さらに強く引き寄せ合う。これによってバラバラになった物体は、ジグソーパズルのピースが正しく噛み合わされ完成されるように、正確に各部分が組み合わされる。そしてさらに「記憶の引力」は、組み合わされた部分の断面の、原子レベルでの結合状態すらそのパワーと記憶の部分差とで精確に復元し、以上をもって物体は元どおりに直ることになる。

■クレイジー・Dが発生させる「記憶の引力」のパワーは非常に大きく、100kgを超える重さの物も軽々と引っ張り、力任せに元の形へと組み立てていく。またその直すスピードも非常に速く、対象の破壊度合いや破片の散った範囲の広さにもよるが、完全に直るまで大体は数秒足らず、長くても10秒弱しかかからない。ただしこれほどのパワーとスピードが発揮されるのはせいぜい20m以内といったところであり、「記憶の引力」のパワーは距離に反比例してどんどん弱くなり、100mも離れれば紙切れ一枚引き寄せることもできなくなる。なお、切断された物体を引き寄せて直す際に「引き寄せる側」になるのは「重い方」であり、どの断片に「記憶の引力場」が与えられたかは関係しない。これは磁力において「引き寄せる側」になるのが「磁力の強い方」ではなく「重い方」であるのと同じ理屈である。(軽い方に重い方を引き寄せたければ、軽い方をクレイジー・Dで抑えておくなどする必要がある) 

■クレイジー・Dの修復能力には大地から受信する「記憶情報の強さ」が非常に重要である。これが弱いと、例えば小さな音を無理やり増幅するとノイズや音割れを起こしてしまうように、純度とパワーを両立した「記憶の引力場」を作り出せない。これを踏まえてクレイジー・Dは、構造が単純な物体や、構造は複雑だが個体差の小さい物体(例えばバイクなど)は、大地から充分な強さの記憶を受信できるため簡単に直せる。その一方で「人間の肉体」のような、「複雑かつ個体差の大きいもの」を元どおりに直すには、少しばかり慎重な能力のコントロールが必要となる。

■この場合クレイジー・Dは、杜王町の大地からその人間自身の「肉体の情報」は当然受信するが、その情報だけをスタンドパワーで増幅しても、強力な引力場を作るには「記憶情報の強さ」が足りない。このためクレイジー・Dはさらに、修復しようとする人間に近い「肉体の情報」も大地から受信して適宜に組み合わせ、充分なパワーを得た「記憶の引力場」で修復を行うことになる。この性質上、人間を治す時の「記憶の引力場」にはどうしても対象との誤差が生じ、その修復は時を戻したかのように完璧に元どおりではない。しかし治された者が肉体動作や鏡で見る顔に違和感を持たない程度には完璧である。(ただ作中では唯一、ナルシストな少年噴上裕也だけが「垂れ目になった気がする」と言っている) そして仗助がクレイジー・Dで人間の修復を行う際には、修復対象の個性を尊重する、ある種の「優しさ」や「慈しみ」を心に留め置いて修復にあたらなければならない。この真逆に仗助が怒り狂っている時に修復能力が発動されると、「記憶の引力場」は手抜き工事のようにぞんざいな修復を行い、破壊の際に潰れた物は潰れた形のまま、曲げられた物は曲げられた形のまま、ただ裂け目や断片がくっついて修復されてしまう。

■クレイジー・Dは破壊された物体に流し込む「記憶情報」のコントロールにより、いくつかの変則的な修復も可能としている。まず可能なのは「物体の一部分だけの修復」で、例えば車をバラバラに破壊してタイヤも破壊し、そのタイヤに「タイヤの記憶情報」だけを流し込めば、車本体は引き寄せられずにタイヤだけが直る。また破壊した物体に対して、「その物体の別の状態」の記憶情報を流し込めば、物体をある程度ではあるが「変質」させることも可能である。作中ではこの手法で料理を調理前の食材に戻したり、アスファルトをコールタールに戻したりしている。(この変質は一見すると特殊だが、「焼け焦げた物」を直すのと特に違いはない) 

■さらにクレイジー・Dは、物体を変質させる能力を使った極限的な技として、人間を物質内に「封印」するという芸当も可能である。この技はクレイジー・Dで対象とする人間を物質に叩き込み、そこに「その物質の記憶」だけを大地から膨大に吸い上げ強力に流し込むことで発動される。これによりその人間の肉体は、破壊された後にその物質に近しい何かへと変質させられ、叩き込まれた物質に入り込みくっついて一体化させられる。封印された人間は生命活動をほぼ停止し、その物質に囚われた半ば幽霊のような存在として生き続けることになる。作中ではこの技は、仗助の家族に危害が加えられた時に二回使用され、一人は杜王町の片隅の岩に叩き込まれて慰霊碑にされ、一人はシュレッダーの紙に叩き込まれて本へと変えられ、杜王町の図書館に寄贈されている。

■このようにクレイジー・Dの修復能力は比較的万能であるが、それでも「直せないもの」は存在する。まず直せないのは「部品が足りない物体」で、その部品の部分だけが足りない状態で直る。これには「記憶の引力」が及ばないほど部品が遠く離れてしまった物体や、「ザ・ハンド」のスタンド能力で削り取られてしまった物体が該当する。また「死んだ生物」を直した場合には、肉体を問題なく直せても「魂」が遠く離れて戻ってこなければ「生き返る」ことはない。また生物の「遺伝的な病気」も直すことはできない。生命のシステムは非常に複雑かつデリケートで個体差も大きい。そしてクレイジー・Dの能力では、システムを作り変えて問題なく機能させる「創造」レベルの修復は不可能なのである。

■さらにクレイジー・Dは作中で明言されているとおり、本体である仗助の負傷も直すことはできない。その理由は彼の肉体内の知性情報にある。前述したようにクレイジー・Dは常に大地から「八百万の記憶」を受信しており、その記憶は仗助の肉体にも流れ込む。この結果、仗助の肉体内に宿る知性は、「仗助の肉体の記憶」が「八百万の記憶」により限りなく薄められてしまっている。それゆえに物体内の記憶情報を参照して「記憶の引力場」を作り出すクレイジー・Dの修復能力は、仗助の肉体にはほとんど効果を発揮できないのである。(ちなみに「体外に出て時間が経ち乾いた仗助の血」などはこの制限から解放され、記憶の引力で一つ所に集めるくらいはできる) また作中でジョセフ・ジョースターが息子の仗助をスタンド能力で「念写」しようとした時、念写能力が仗助ではなく杜王町を写したのも、仗助の肉体が「杜王町の記憶」で満たされているからであろう。

■さらに仗助が受信し続ける「八百万の記憶」は、仗助の精神にも影響を与えている。仗助にとって肉体に流れ続ける「八百万の記憶」は生活音のように自然なもので、またそのほぼ全ては異国の言語のように解読不能なものである。ただそれでもそれらは10年の時によって、仗助に感覚的で断片的な理解を与えてもいる。作中で仗助が他者から横暴な振る舞いを受けた時に見せる不気味なほどの寛容さは、彼が10年受信し続けてきた「八百万の価値観」によって、他者の価値観への許容限度が無闇に高いせいである。

■しかしその一方で仗助は、「自分の髪型」を侮辱された時だけは容赦のない暴力性を発揮するが、これにも理由がある。一般に人間の精神は、食欲などの生物的な「本能」や、「幼少期の強烈な体験」を土台として、その上に「自分の思考や体験」を地層のように積み重ね続けて形成されている。そして普段人間は、その地層の最上部付近だけを「自分」と認識し、地層深くの本能や幼少期の体験が刺激され揺り動かされた時には、それを「理解不能で抗いがたい衝動」として認識する。

■「八百万の思念」を受信し続けてきた仗助の「精神の地層」は他者よりも重く深く、その深部には仗助が自身のスタンド能力で最初に受信した2つの記憶、即ち「DIOの邪悪な思念」と「4歳の仗助を助けた少年の記憶」が眠っている。そしてこれに加えて仗助は、おぼろげな少年の記憶を忘れてしまわないよう、最も印象に残った彼の髪型を真似してきた。この結果、仗助の髪型は彼の精神において、地下のマグマ溜まりから地上に繋がった火山の火口のようになってしまっており、他者がこれを侮辱すると仗助は「理解不能で抗いがたい衝動」に襲われ、噴火のような感情の爆発を引き起こす。そしてその怒りの激しさはまるで、「少年の記憶」と同じ深さに封印されている「DIOの邪悪な思念」が、暴力性として発揮されたかのようである。(クレイジー・Dの姿は見ようによってはDIOのスタンド「ザ・ワールド」に似ているが、これもあるいは「暴力性の象徴」としてDIOの思念から受けた影響なのかもしれない) 

ダイヤの大地に育つ黄金

ジョジョ第4部の舞台「杜王町」は、日本の東北地方、M県S市にある、山と海に挟まれた人口6万人弱の町である。少なくとも縄文時代からの歴史があるこの土地は、社会の激動や文明の発展に伴って、大きな時代の変化を幾つも越えてきた。

時代とともに変わりゆく社会の中では、「正しさ」というものもまた時代とともに変わる。例えば社会に普及した新たな物事は、それに適した新たな行動様式や価値観を人々にもたらし、それは人々の中にある既存の物事の行動様式や価値観にも影響を与えて、それら全体のバランスを変化させる。逆に社会の中で衰退していく物事の行動様式や価値観は人々から失われ、これも全体のバランスを変化させる。そしてそれらの適切なバランスこそが、その時代における「正しさ」となるのである。

だがこのような価値観の変化は社会の中で、「親」と「子」の世代間に価値観の違いを生み出す。この両世代にはそれぞれ「正しい面」と「誤った面」とがある。親の世代にとっては自分たちの価値観は、子よりも長く生きて培ったものだという正しさがあり、しかし一世代前を基盤とするその価値観は今の時代とはズレがあるという誤りがある。子の世代にとっては自分たちの価値観は、今の時代を基盤として自然に体得したものだという正しさがあり、しかしその価値観はまだ人生の序盤しか経験していない未熟で狭い世界のものにしかすぎないという誤りがある。そして価値観の違う両世代の関わりは、分かり合えないことによる軋轢と不和を生み出し、双方の世代にストレスを与える。そしてこのストレスは、溜め込めばいずれ限界を超えて感情の爆発を引き起こし、細かく発散すれば双方の世代に相手世代への忌避感を与えてしまうことになる。

こういった世代間の軋轢と不和は、社会が変化するものである限り幾度時代が変わろうと消え去ることは決してない。しかし家族や社会の中に「優しさ」「慈しみ」「寛容さ」「信頼」といった想いが働くならば、軋轢と不和による負の感情は和らげられ、その関係が修復不可能なまでに砕けてしまうことも決してない。そしてそのような社会ではきっと、その時代固有の瑞々しい正しさと古き時代への敬意を「黄金の精神」として持った若者が健やかに育ち、それは次の世代にも同じように受け継がれていくはずである。

内部リンク

『ハーミットパープル』
仗助の父親ジョセフ・ジョースターのスタンド。ジョセフの肉体またはジョセフが触れた物体と同質の物体を「念写」できる。
『DIOの呪縛』(スタンド名なし)
仗助の異母の姉にあたる空条ホリィのスタンド。そのツタ状のスタンドはDIOの邪悪な思念をアンテナのように強力に受信し、ホリィの精神と肉体を衰弱させる。
『ザ・ワールド』
幼少時の仗助に邪悪な思念を送り込んだDIOが持つスタンド。ただDIOの思想は「人の世の正義」から見れば邪悪なものであるが、より大いなる「神の正義」から見れば必ずしも間違ってはいない。
『パール・ジャム』
イタリア料理人トニオ・トラサルディーのスタンド。彼が作る料理にはスタンド能力が込められており、肉体の不調や病気を治す力がある。
『キラークイーン』
物体を爆破して破壊する能力を持つスタンド。その本体吉良吉影は「杜王町の大地に宿る意識体」の一側面に愛され、運命的に守護されている。
『フー・ファイターズ』
ジョジョ6部に登場。ジョジョの世界に存在する「知性の海」とでも呼ぶべき高次領域、そこからやって来た知性体がスタンド化したもの。