芳野懐古(藤井竹外)
 

 【題意】

 本によっては「芳野」。芳野を訪ね、古の南朝に思いを馳せた。吉野三絶の一つ。

 【詩意】

 古の御陵の樹木が強風にざわめき音をたてる

 山寺に春を尋ねたが、ひっそりとして物寂しい

 眉の真っ白な老僧が境内を掃く手を休め

 なお花の散り積もる中、南朝の世の昔語りをしてくれた

 【語釈】

 芳野=吉野。奈良県吉野郡。南朝の史跡で知られる。

 古陵=南朝の中心的人物、後醍醐天皇の塔尾陵。

 天d=天より吹き渡る激しい風。天飆の俗字  山寺=如意輪寺。

 【如意輪寺】

 吉野にある浄土宗の寺。平安時代醍醐天皇の御代創建。

 後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた際、勅願所(祈願所)となった。

 楠木正成はこの堂の扉に辞世「かえらじと」を書き残し出陣したという。

 【後醍醐天皇】

 1288〜1339年。第96代天皇。文保2年(1318)即位。鎌倉幕府討伐を計画するも、

 正中の変(1324)、元弘の変(1331)に失敗し、隠岐へ流された。

 正慶2年(1333)に隠岐を脱出、新田義貞、楠木正成らの活躍により鎌倉幕府が倒れると、

 建武新政府を樹立した。その後、足利尊氏らと対立が深まった為、吉野に拠点を移して

 南朝を開いた。以後1392年まで南北朝時代が続いた。

 藤井竹外(ふじいちくがい)  

 1807〜1866年。摂津国(大阪府)の人。高槻藩藩士。江戸末期の漢詩人。

 名は啓、字は士開。竹外は高槻藩でも名のある家柄の出身で、藩校菁莪堂に学んだ。

 殊に鉄砲術に長けていたと伝えられる。

 頼山陽を師と仰ぎ、漢学や詩を学び、後に梁川星巌、広瀬淡窓らとも交友があった。

 ある頃から、詩に深く傾倒し、酒に浸り、仕事を休んで突然旅に出たりする行動が多くなった

 という。原因は不明だが、天保8年(1837)大阪で起きた大塩平八郎の乱が、竹外の思想、

 行動に何らかの影響を与えたのではないかともいわれる。

 晩年は官を辞し、京都に隠棲して詩、書に没頭した。

 細かい事にはこだわらぬ性分で、酒を好み、飄逸で奇行が多かったらしい。

 特に七言絶句に巧みで、絶句竹外と称せられた。著書は『竹外二十八字詩』等がある。

 淀川を舟で下る際に詠んだ「花朝澱江を下る」は代表作として広く知られる。

 また「芳野」は吉野三絶の一つに挙げられる。

 明治維新の前々年、慶応2年7月21日没。

 明治期に入り門下により「竹外吟社」が創設された。

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春雨筆庵に到る(廣瀬旭荘)
 

 【題意】

 春雨の中、友人である筆庵の家を訪ねた。

 【詩意】

 植えてある唐菜や葱を踏まぬよう、畑や畦を斜めに歩いていく

 桃のひときわ咲き誇っている辺りに君の家がある

 このような片田舎の夕時に門を叩くのは誰あろう

 春雨か私か落花くらいである

 【語釈】

 菘圃=唐菜、あるいはすずなの畑。   筆庵=旭荘の友人か。伝未詳。

 【鑑賞】

 ほのぼのとした作者のユーモアが漂い、明るい春の訪れを感じる。

 廣瀬旭荘(ひろせきょくそう)  

 1807〜1863年。江戸後期の儒学者、漢詩人。豊後(現在の大分)日田の人。

 名は謙。旭荘は号。廣瀬淡窓の末弟。

 幼い頃より聡明で、兄淡窓や亀井昭陽に学び、早くから頭角を現すと、若くして

 淡窓の開いた私塾感宜園を任せられた。

 後に大阪に出て、堺に逍遥吟社を開き、その後江戸でも塾を開く。

 勤皇の志厚く、釈月性、佐久間象山、吉田松陰らとも親交をもった。

 清代の学者、愈エツ(愈曲園)は著書「東瀛詩選」(日本漢詩選集)中で旭荘の詩を

 「変幻百出」、「東国詩人の冠」と絶賛した。

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落花を惜しむ(武田信玄)
 

 【題意】

 散る花を惜しんで

 【詩意】

 軒端の先に目を遣れば、紅の残る山は三つか四つになった

 蜂は飛び交い蝶の舞う春景色には、未だなお深い趣がある

 春に遊んだ風流人達も、今は漁夫の手を借り

 舞い散る花を網ですくう思いで、晩鐘の響くまで名残を惜しんでいる

 【語釈】

 檐=軒(のき)、庇

 【参考】

 能「桜川」で、川面に浮かんだ桜花を網ですくう場面を髣髴とする。

 武田信玄(たけだしんげん)  

 ※作者については解説の栞・夏は来ぬで紹介しています。

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遂に奉じて芳埜に遊ぶ(頼山陽)
 

 【題意】

 作者が母親を連れ、芳野を旅した時の作。三首の一つ。

 【詩意】

 前に春を訪ねた時、花は真っ盛りであった

 今年も舞い散る桜花は陽に映え、人の顔を照らしている

 長年の親不孝を多少なりとも補うべく

 再び母の伴をして、芳野を楽しんだ

 【参考】

 熊基を発す 天草洋に泊す

 頼 山 陽(らいさんよう)  
 ※作者については解説の栞・熊本漢詩紀行一で紹介しています。
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桜花(大正天皇御製)
 

 【題意】

 桜の花。

 【詩意】

 玉のように美しい花が鮮やかに春の陽に映える

 満開の花に霞がたなびき いつまで眺めていても飽きることが無い

 春風に揺れ きらめく千万の木々

 桜の花こそ将に百花の王である

 大正天皇  
 1879〜1926年。第123代天皇。在位1912〜1926年。名は嘉仁(よしひと)。
 明治天皇の第3皇子。漢詩への造詣が深く、千三百余の作詩をされたという。
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