伍和丸山の八幡社の北東100m余の井土手にある、「井水供養」と彫られた石碑です。唐破風(からはふ)をかたどった笠石がのっているのも入念であり、例の少ない石造物です。第一「井水供養」という石碑は、石仏事典にも載っていないもので、通常は「水神」を建てて潤沢な用水の供給を祈願するのですが、この「井水供養」とは何を供養するのでしょうか。
丸山の集落は元来水に恵まれない場所で、元文4年(1739)に河内村へ要請して河内川の分水を受け、開削した用水路を「元文井」と名づけ今日に及んでいます。開削当時、丸山の百姓は8人で、その名もこの碑に刻まれています。「井水供養」という言葉から類推すれば、井水ができて水が流れて来るようになったことを、神仏及び故人の功徳として、子々孫々まで忘れずに感謝の念を捧げるという願意でしょうか。
いまでは構造改善事業により丸山耕地の様相が一変してしまいました。 (H3・7)
→ 『愛郷探史録』 p.27 丸山の地名考
→ 『探史の足あと』 p.78
塔身なき信玄の供養塔
→ 「阿智の産土神」 丸山八幡社