塔身なき信玄の供養塔

 この塔は、阿智村丸山の八幡社境内に現存するもので、建立は明治30年で比較的新しいものですが、変わっているのは塔身が欠落していることです。それも建立後に抜け落ちたものではなく、初めから塔身ぬきで造立されたことです。

 これは当時丸山に住んでいた高坂代太郎氏が、自分の遠祖が武田信玄の重臣高坂弾正であることを信じて、根羽村横畑の信玄塚の宝篋印塔を模造したもので、その頃根羽の宝篋印塔は塔身が欠落していたのです。そのことを知らずに、根羽村の石工石原虎次郎に依頼して横畑の塔を原寸大に模造させたのですが、その後根羽では郷土史家の努力により塔身が見つかって原型に復元されましたが、丸山の塔はそのままになっているのです。

 今日では信玄終焉の地は「駒場」が有力となっていますが、武田氏の軍学書「甲陽軍鑑」は根羽で没したと記しています。「甲陽軍鑑」は高坂弾正の執筆といわれ、自分の遠祖の書いた信玄の最期を信じて建てた供養塔がこの宝篋印塔です。  (H1・8)

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