伍和の丸山は向関村の飛地で、江戸時代中期以前に、何件かの草分けの人々によって開拓された。一説には高坂弾正だったとも言われる。
現地調査をしていないため、部落の開発を考えながら地名について私見を述べ、今後の研究を待ちたい。
☆牧の元、大妻神(さいのかみ)、十王堂畑、飼付、称(ね)た木、今屋敷、水供養、荒木、ももの木畑 藪のこし、そ称(ね)、出口、屋(や)き畑、久保、元屋敷、垣外尻、たいざ、いど洞、曽平畑 弥三畑 源五右衛門後
→ 『探史の足あと』 p.78
塔身なき信玄の供養塔
→ 『探史の足あと』 p.79
丸山の井水供養碑
→ 「阿智の産土神」 丸山八幡社