木戸脇に「千ダツ」という小字があり、これは「先達(センダツ)」を表すものと思われる。その近くに安布知神社の社家で、横川へ安布知神社を勧請した林甚右衛門尉清定の墓と回国供養塔がある。
この回国供養塔は、西国・四国・板東・秩父の霊場百八十八カ所すべてを巡拝して享保20年(1735)に建立したものである。更に、墓には日本五大山に登ると刻まれ、甚右衛門は山岳信仰にも通じた修験者であったと思われる。「先達」とは先頭に立って他者を導く者を表すが、特に峰入り5回以上の修験者を「先達」と呼ぶこともある。まさに、彼は「先達」に相応しい人物である。
ところが、彼が亡くなる以前の延宝7年(1679)の検地帳にも「センダツ下」の地名が記帳されている。従って、甚右衛門以前にも林家には山岳修験者のような人物がいて、何か関係する物件があったのではないだろうか。
尚、この供養塔は道路工事等で若干位置が動いており、元々は大品坂の道沿いにあったようだ。
<付記>関田周辺の面白い地名
☆ドウド(とうと、とうど)、トウキウ(どうきう)、大キウ(大きやう)、ミダレハシ(ミたれ橋)、番匠免、モノクルイ(物くるい)、釜沼、古城(ふるじょう)
→ 清坂の回国巡礼供養塔
(足あと第4章 p.75)
→ 駒場の街道
(さんまのメモ 06.9.16)