駒場の歴史的な街道 (2006.9.16 城山から撮影)
〜 さんまのメモ書き 〜
去る9月14日未明、阿智パーキング近くの中央自動車道下り線で、大規模な多重衝突事故が起き、大勢の方が死傷されました。謹んでお悔やみ申し上げます。
現場は駒場中心部から見上げる山際で、黄色い線で示したのが上り線、事故は一段下の下り線で起きました。
駒場地区を通る道路や家並みは、この40年で随分変わってしまいました。
江戸時代からあった道は、赤い線で示した三州街道(伊那街道、東山道跡)です。
緑の線の153号線旧道は、明治時代に県道として開通したものです。飯田に向かって道の右側は切り立っており、道に沿った下町の家並みも明治以降にできたものでしょう。
青い線が国道153号線バイパスで、もう少し左手で長岳寺の敷地を通ることになったため、現在地に移転した経緯があります。駒場保育園も、以前は長岳寺の旧境内にありました。浄久寺の山門付近も道に懸かりました。更に関田地区でもバイパス工事が進み、ピアやJAラックもでき、駒場の町並みや人の流れはすっかり変わりました。
中央自動車道が通る際には浄久寺の参道を横断することになり、当時の住職さんが土地買収に応じず、強制執行騒動がありました。当時は日本列島改造ブームで、道路建設は何よりも優先される雰囲気でした。