表紙に戻る 総合目次 章の目次 更新履歴 阿智の産土神
安布知神社と阿智神社
〜 さんまのメモ書き 〜

 「安布知(あふち)神社」という社名は随分古めかしく由緒を感じますが、この呼び名は比較的新しく、江戸時代の絵図では、「よさか(清坂)八幡」と<地名+祭神>の形ですし、朱印状では「新羅明神」となっています。祭神は八意思兼命と八幡神と新羅明神です。「安布知神社」の名は、この地に「あふちの関」があったとする故事に因んで付けられたものと思われ、文化元年(1804)秋に神祇管領長により命名されました。江戸時代末期の絵図に、ようやく「安布知神社」と書かれていますが、庶民に定着したのは明治維新以降でしょうか。

 現在の「阿智神社」は、文化元年(1804)の春までは「山王権現」でした。祭神は大山咋神(山王権現)、八幡神、諏訪明神の3神で、思兼命や表春命は「式内社阿智神社」に合わせて、改めて祀ったようです。すると、式内社阿智神社は本当はどちらだったのかという疑問が生まれます。市村咸人先生は下伊那史4巻で阿智神社について掘り下げており、山王権現を思兼命と同じものと見なして祀っていたのではないかとの見解を示して、山王権現が式内社阿智神社であると述べています。

 由緒正しそうな社名も、意外に歴史が浅く、江戸時代後期の改名が多く見られます。このような神社名は、別称として元々あったものか、社家や氏子が考え出したのか、神祇管領長が吟味して命名したのか、是非知りたいものです。例えば、「伊賀良神社」のように「伊賀良の庄」を代表するような神社名を、どういういわれで付けたのでしょうか。吉田家には各神社からの文書が残っていないのでしょうか? いずれにせよ、多額のお金を「吉田様」へ持参して改名の許可を得ています。

 →『愛郷探史録』p.14 アチとアフチの語源について
 →『愛郷探史録』p.140 古典文学的な神社名考
 →『愛郷探史録』p.185 安布知神社と阿智神社