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目次
§雪村・奇想の誕生 
§春の小川町散策
§坂戸慈眼寺の枝垂れ桜と仏さま 
§行田八幡神社と行田の古墳群
§埼玉県立自然の博物館とおがの化石館 
§歯の博物館
§春日大社 千年の至宝展 
§武蔵越生七福神めぐり
§黒山三滝と龍穏寺
§県立自然の博物館カエデの森と月の石公園
§静嘉堂文庫・漆芸名品展 
§入間基地航空祭
§平安の秘仏~樂野寺の大観音とみほとけたち 
§甲府武田神社と舞鶴城
§佐渡ヶ嶽部屋千秋楽祝賀会 
§巖殿山正法寺と足利基氏の塁跡
§浦和と大宮の神社めぐり  
§新潟駅周辺の神社 
§マリンピア日本海と朱鷺メッセ
§東松山市周辺
§水郷佐原と香取神宮 
§富士市六所浅間神社と田子ノ浦 
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 雪村・奇想の誕生東京芸術大学美術館
呂洞賓の顔。口をあけ、舌を出し、何かを叫んでいる。
 雪村周継は16世紀後半、戦国時代の画家です。常陸佐竹家の家臣の家に生まれましたが出家し、故郷の茨城や福島、小田原など関東各地で活躍しました。雪舟に憧れて付けた画名と思われますが、画風は雪舟とは異なります。
    
     
重要文化財「呂洞賓図」 。彼独特の意匠は後世模写の手本となりました。 上は「山水図」。従来の山水図と異なり、人物が中心に置かれている。下は「龍虎図」。六曲一双の大きな屏風の右双。左双は虎が描かれます。 中国の絵の模写であるとされる絵でも、雪村の独特の工夫が見られます。これは背後に沢山の猿が蟹を狙っている絵の一部です。 「蝦蟇鉄拐図」鉄拐上人が3本足のガマと相似形で踊っている。ガマは気味が悪いのですが、絵全体は軽やかなイメージ
       
「列子御風図」左下から右上に風が巻き起こっています。    ↑の2枚も「呂洞賓図」です。龍に乗り、手にした壺から小龍が現れ、空から別の龍が睨んでいます。   「欠伸布袋」のんびりした、ユーモアたっぷりの布袋様。他の仏画家たちとはひと味違う表現です。   「風濤図」画面全体の大胆な筆遣いと独特な波の形や木の枝葉。荒れ狂う風濤に逆らうような帆船はリアルです。重文。  
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 春の小川町散策2017.4.9
 今年はお天気も桜も上々の休日というのが無し。で、雨模様でしたが9日(日)に、比企郡小川町在住の方に教えていただいていた小川町散策コースを歩いてみました。桜もソメイヨシノがちょうど見ごろ、そしてこの時期はカタクリとニリンソウが盛りです。他にもオオムラサキの林や、世界遺産に登録された和紙作りの体験ができる伝統工芸館や、県内最古の吉田家住宅など、見どころの多い町です。
 駅から西方面に10分ほど歩くと英霊塔のある広場は桜が満開でした。町には色々な種類の桜があるのでどれかは見ごろ この先にある八幡神社の参道も桜のトンネルになっていました。2対の狛犬の他に狛ハト(?)。右はご神木の大ケヤキ すぐそばにあるのが「穴八幡古墳」。高さ5.6m一辺が32mの方墳。埴輪などが出土しないことから7世紀後半のものらしい。 ここから南下して河畔の道を歩きました。日の出橋周辺から槻川沿いの遊歩道では桜がきれい。雨なのが残念でした。 
「福助」も元は宿屋。主人の親友が吉原の花魁に一目ぼれして身請けしたものの本妻のいる家に入れられず福助に預けました。伝授された吉原のタレで焼いたのが「女郎うなぎ」 
槻川をたどって行くと栃本親水公園に出ます。美しく整備され、水車小屋や休憩所、健康運動器具まで設置してありました  元禄年間には既に築かれていたという栃本堰。小川用水が引かれ、近隣の田畑を潤しました。左岸寄りの斜面は魚道。  小川は和紙の里。街には紙問屋や取引の為の宿屋が沢山ありました   街道から槻川に出て東に下るとカタクリとニリンソウの自生地があります。カタクリは終わりかけですがまだ鮮やか。可憐なニリンソウの写真も撮れました。

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 樹齢260年ともいわれるしだれ桜。保存のために春には色々なイベントが開かれます 本堂が開放されます。弁財天、地蔵菩薩、准諦観音  大きな閻魔大王  金剛界大日如来  愛染明王 ご本尊
十一面観音 
 大威徳明王
 
     
外のお地蔵様のところに桜保存のための基金箱があります。  この千手観音さまはJAZZ観音呼ばれます。音符と休符をもっていらっしゃるので。  不動明王 普賢菩薩  釈迦如来 
       
 菜花の畑のすぐ横です。 馬頭観音  降三世明王   胎蔵大日如来 文殊菩薩  薬師如来  金剛夜叉明王 
 
 
 行田八幡神社と行田の古墳群
 行田八幡神社
   
源頼義・義家が奥州征伐の際に勧進したと伝えられる神社。忍城成田氏の総鎮守でもありました。  ここは色々な病封じの祈願に訪れる人で混雑しています。↑は「お願い文」。封じたい病と祈願者の名前を書いて神様へのポストに投函します。  これは病魔払いの「なで桃」。イザナギ命が悪鬼に追われた時桃を投げて追い払ったという古事記の話に由来します。  境内社もいろいろ。眼病平癒はアジスキタカネ命を祀った「目の神社」に。「め」と書いた絵馬が沢山奉納されています。 
 行田の古墳群
八幡山古墳・地蔵塚古墳・小見真観寺古墳・虚空蔵山古墳・真名板高山古墳+高澤家住宅カフェの古墳カレー
   
八幡山古墳は「関東の石舞台」とも呼ばれる石室が残っています。石室の調査から全長80mの円墳で、7世紀前~中期ごろのものと推測されます。  石室の中に入ると電気が点きます。哲雄先生は身長168cm。石室の大きさが分ります。出土した多数の青銅器や須恵器はさきたま史跡の博物館に展示。 地蔵塚古墳は一辺約28mの方墳、7世紀中頃のもの。北武蔵では唯一、石室内の壁に人物や動物の線刻画が描かれているそうです。 高さ4、5mほどの墳頂に地蔵堂があることから「地蔵塚古墳」と呼ばれています。左は堂内の地蔵菩薩、右は隣り合った祠の石地蔵。 
   
小見(おみ)真観寺古墳は、慈霊山真観寺の境内にあります。全長112mの前方後円墳。7世紀前半のものと推定されます  寛永11年に石室が発見され、明治13年に発掘調査が行われて、副葬品の太刀や鉄鋏等は国立博物館に展示されています。  墳頂に虚空蔵菩薩が祀られている虚空蔵山古墳。6世紀後半築造で、元は60mの前方後円墳であったと推定されます。  周溝内からは大きな乳房を持つ笑い顔の土偶(↑)や、太刀型、鳩型の埴輪などが発見されています。 
 
 真名板高山古墳は全長90mもある前方後円墳。周辺の出土品などから6世紀後半の築造と推定される。 隣り合う真名板薬師堂。江戸時代は花蔵院という寺があったが維新の際に壊され、薬師堂と楼門と3本の大銀杏が残っている。  行田名物「古墳カレー」は高澤記念館「花かんむり」で提供されています。古墳型のライスは古代米。辛口の美味しいカレー 高澤家は江戸時代初期から続く豪農。幕末、明治期に建てられた土蔵や長屋門が現存。母屋は典型的な養蚕中二階造り 
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 県立自然の博物館とおがの化石館
 埼玉県立自然の博物館
 
 
埼玉県立自然の博物館は秩父鉄道上長瀞駅から歩いて5分ほど。車なら関越自動車道を花園ICで降りて皆野寄居有料道路を使います。博物館の前には大きなメタセコイヤが立っています。 現在のテーマは「皮と骨」。コンセプトは「触って学ぼう」。↑はイタチや狸のの剥製を撫でたり、猪の顎の骨で、学生時代の解剖学を復習する哲雄先生。企画展示室には毛皮や骨格標本がいっぱい。  ↑はニホンシカとニホンカモシカの角の成り立ち違い。シカの角は骨でできていて♂だけ。秋に皮が剥離します。カモシカの角は爪や毛と同じケラチン(蛋白質)で出来ています。 自然の博物館に2回行くと、アンモナイト型のけしごむがもらえます。4回行くと、なんと本物のサメの歯の化石がもらえるんです。右は「カバじゃねえんだよ!」と叫ぶ珍獣パレオパラドキシアのスタンプ
 おがの化石館
 
 
↑の博物館から車で25分、おがの化石館は歌舞伎で有名な小鹿野町にあります。右下はこの付近で化石が発見された珍獣パレオパラドキシアの親子モケイ 。カバやムーミンではありません。 化石館ですから化石だらけ。左は秩父荒川沿いの化石、真中は山梨産の、スカシカシパンヒトデの化石、右はアメリカ産古代サメの歯の化石です。恐竜の骨格標本もありました。  博物館裏の崖は「ようばけ」(「太陽があたるガケ」という意味)と呼ばれる断層で有名です。地層や化石の研究家が必ず訪れる場所。かつて宮沢賢治もこの地を訪れ、地学研究をしました。 1500万年ほど前、秩父一帯は「秩父湾」すなわち海でした。クジラやサメの他に、海辺の哺乳類パレオパラドキシアの化石も発掘されています。左はパレオパラドキシア、右はチチブサワラのクッキー(!) 

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歯の博物館
無料で立派なカタログを配布、中身は禁転載なので写真はリーフレットからのものです。
 
横浜は近代歯科治療発祥の地です。横浜開港に伴って作られた外国人居留地にアメリカ人イーストレーキが歯科を開業し、西洋の歯科治療を広めました。   横浜市中区山下町の神奈川県歯科医師会館の7階に、「歯の博物館」があり、江戸時代から近代に至る歯科医療の東西の歴史と歯科に関する物を展示しています。 ↑は明治大正期の診療室。その他、お歯黒や江戸時代の歯科治療西洋の歯科治療や民間療法のコーナーがあり、、東西の入れ歯や歯ブラシ等も展示されています
   
 
日本の木製義歯(左)は歯肉に吸着し、奥歯部分は鋲が打ってあり、咬めるものです。 西洋の義歯(右上下)は動物の骨で作られ、バネで開くので咬むことは出来ず、吸水性のため悪臭を放ちます 日本の歯ブラシは「房楊枝」で、房状の楊柳の棒の先で磨きます。女性用はお歯黒を傷つけないように房が長く柔らかい。右は歯磨き粉。浮石末に色や香りを付けたものも。  上は西洋の歯ブラシ。子供が生まれると祖母が銀製の歯ブラシを贈るなどの習慣もありました。下左は「歯石を取り歯を白くする」右は「歯と歯肉を美しくする」西洋の歯磨剤の陶製容器  左は浮世絵「きたいなめい医」の中の歯を抜いている風景。ヤットコの様なものを持っています。右は西洋の抜歯の絵。歯に糸を巻き、引っ張って抜こうとしているようです。

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春日大社千年の至宝展 
       
 
昨年の式年造替を機に実現した秘宝展。
今「なら」見られる。
行く「しか」ない!のです。
 
ニャデン、シカスガさん、シカコマさんというゆるキャラのトートバッグを買いました。 
上野国立博物館平成館で行われている「春日大社展・千年の至宝」。開場時間前に行列が出来るほどの人気です。 春日大社は「平安の正倉院」と呼ばれます。めったに拝観できない国宝が数多く出品されています。展示替えは8回。何度も行きたい。  記念撮影コーナー には様々な美しい灯篭。普段は参拝不可の内殿が設置してあり、ここに提げられた「瑠璃灯篭」はとても美しい青でした。
金、銀、銅の研ぎ出し 蒔絵が美しい琴。(展示期間外でした、残念) 金地螺鈿毛抜形太刀。柄や鍔などは金無垢に線彫りの文様。鞘の部分の雀を追う猫の装飾は見事な螺鈿細工です。 
上の左の二つ(黒革威伊予札胴丸と赤糸威大鎧・梅鶯飾:素敵でした)は展示中でした。右の二つはこれからの展示です。この四領の甲冑はいずれも国宝です。  
 春日権現験記絵(春日本) 会場に入ってすぐ目を引く「鹿図屏風」 
 
 
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武蔵越生七福神めぐり
越生の七福神は、龍穏寺・全洞院・円通寺・最勝寺・弘法山・正法寺・法恩寺の七寺。
自動車でまわれば2時間ほどで参拝できます。
龍穏寺にあるのは毘沙門天。黒山三滝の近くです こちらで色紙を購入。 財宝の神、毘沙門様を参拝することができました 全洞院は龍穏寺の末寺、布袋尊は福徳円満の神。本堂で飴を頂きました。 この近くには渋沢栄一の養子平九郎が飯能戦争の折に自刃したという岩があります。
円通寺には長寿を授ける神、寿老人様が 円通寺は龍穏寺焼失時、再建まで住職が住んだ寺です。  最勝寺は幸福と長寿の神、福禄寿のお寺。  12世紀に源頼朝が作らせたお寺。医聖田代三喜の碑がありました。  音楽と財宝利得の弁財天は弘法山。明治初年に廃寺となった高房山妙見寺の観音堂です
 この辺りは山岡鉄舟の父の所領であった関係で、この扁額は山岡鉄舟の揮毫です 幸福と財宝招来の神、大黒天は大慈山正法寺に。 正法寺は臨済宗建長寺の末寺。ここの山門と閻魔堂の額も 山岡鉄舟の字だそうです。 可愛い大黒様。江戸時代から寺子屋があり、明治以降も暫く「正法寺の学校」がありました 商売繁盛の神、恵比寿さまは松渓山法恩寺です。
この顔だし看板は県立越生高校美術科の生徒さんが平成26年に制作したものだそうです。なかなかの力作。全部の看板で顔を出しました。 
天平10年に行基開創と伝えられる。無人の寺を夫婦が守っているのに感銘を受けた頼朝が伽藍を再建させたとのこと 
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黒山三滝と龍穏寺 2016.11.23
黒山三滝 
 
     
「三滝」とは下流の「天狗滝」(真中の写真)と少し上流の二段の「男滝(上段)」「女滝(下段)」(右の写真)の三つを総称していいます。修験の霊場としての歴史は古く、室町時代には関東の修験場の拠点でした。幕末に越生出身の新吉原の尾張屋三平が江戸に紹介して知られるようになり、明治期に鉱泉が発見されて人気の観光地となっています。夏は涼しく、秋は紅葉を楽しめます。
 ちょっと寒かったので茶店「もみじ」で
暖かいゆず味噌蒟蒻を頂きました。
美味!
 
 
黒山三滝は越辺川源流域にあります。越生梅林から山道を上がるとカエデが色づき、イチョウの葉が絨毯のよう。 八高線越生駅周辺はベッドタウン。そこから車ならわずか15分ほどで、清流と紅葉が美しい山の中に入ります。 
   
11月23日は第27回みそぎ祭が行われるそうで、(えー?寒いよ)滝の手前には紙垂(シデ)が張られていました。(ビニールを掛けてあるので四角い)  渓流の横に釣り堀。イワナやマスを炭火で焼いて食べられるお店が川の上に建っています。 
龍穏寺 
 長昌山龍穏寺は大同2年(807)草創。江戸時代には徳川の朱印地となり、格式10万石。住職は江戸に拝領屋敷を持ち、登城していました。山門↑は岸亦八の彫刻が素晴らしく、県の重要文化財。 室町時代足利幕府により関東管領上杉持朝が復興。1472年太田道真・道灌が中興しました。龍穏寺には道真(左)道灌(右)の墓があります。 左は道灌の像、右は道灌築造の江戸城の外濠の神田橋の台石。首都高側道路建設の際に取り外されたものが、道灌ゆかりの当寺に寄贈された。  大正2年に火災で7つの伽藍を焼失。その時、火のついた魚鼓(ホウ)が自ら池に飛び込んで消火した。また、この池の鯉は寿命が来ると住職の足元に浮かんで供養を託すのだそうです。 
   
   
 
この辺りは昔大沼で、悪龍が住み、人々を悩ませていました。そこで太田道灌が自らの師と仰ぐ雲南俊徳和尚を遣わして龍を治めたので「龍穏寺」です。
↑は境内社熊野神社
熊野神社本殿外壁の彫刻は群馬太田市の名人岸亦八の作品。↑は天照大神が岩戸から現れたところ。山門と経蔵の外壁にも岸亦八の彫刻があります 朝鮮様式の独特の龍頭をもつ梵鐘252は鐘銘によれば寛文12年のもの。山門、経蔵、そしてこの梵鐘は重要文化財に指定されています。  周囲の彫刻は岸亦八。経蔵内部は拝観できませんが、壁画には酒井抱一の落款があり、天井は抱一の弟子抱玉が花鳥風月を描いた格天井だそうです。 
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県立自然の博物館カエデの森と月の石公園2016.11.20 
埼玉県立自然の博物館に行きました。今年2度目の来館なので、アンモナイトの消しゴムがもらえました。4回でサメの歯の化石、6回で宝石セット、8回行くとアンモナイトの化石がもらえるのです。  博物館の正面には色づいたメタセコイヤの大木。そしてお隣の敷地は「カエデの森」。この季節、紅葉が美しい。学芸員さんによるカエデの解説もあったのですが渋滞に巻き込まれて間に合わず・・。 そして博物館の向かいには埼玉有数の、紅葉の名所「月の石もみじ公園」があり、前日たまたまテレビのツアー番組で放映されたため、高速道路も長瀞駅前の道路も大混雑でした。  この公園からは荒川の河川敷がよく見えます。人気の「ライン下り」は、早朝から申し込みがいっぱいで満員だったそうです。 
 道路も駐車場も大混雑でしたが、広い公園ではゆっくり紅葉を楽しむことが出来ました。 「月の石公園」の名の由来。高浜虚子の「ここに我 句を留むべき 月の石」の句碑があります。  「蕎麦と言えば長瀞そば」なのだそうです。二宮金次郎の像がある勉強屋さんでは今年一番の繁盛で売り切れです  長瀞に婿に来て65年という、84歳のこのお店の主人、そば打ち名人のおじいさんと仲良しになりました。 
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静嘉堂文庫・漆芸名品展2016.11.6 
 堆朱、螺鈿、蒔絵など、それぞれの地域、国々(日本、中国、朝鮮、琉球)や時代で
様々な技法を生んだ漆の美しい作品群。特に塗り物好きでなくても楽しめる展示でした。
     
 
(重要文化財) 
静かな環境がとても気に入っている
静嘉堂文庫美術館。
「漆芸名品展」に来ました。
「堆朱牡丹文稜花盆」 
堆朱とは、朱漆を何層も
塗り重ねて彫る技法
「鞨鼓催花・紅葉図密陀絵屏風」
この日は「鞨鼓催花」だけの展示でした
漆と油絵の見事な、美しい屏風
     
大名もの 唐物茄子茶入れ。
右:付藻茄子、左:松本茄子
大坂夏の陣で焼け壊れたものを
藤重藤元が漆で修復して
徳川家康に献上した
 原羊遊斎作
右:秋草虫蒔絵象嵌印籠
(下絵は酒井抱一のもの)
左:雪華蒔絵印籠
柴田是真作 
柳流木青海波塗重箱。
5色の漆で川が流れる景色の
移り変わりを描いています。
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 入間基地航空祭2016.11,3
 飛行機大好きな哲雄先生が、入間基地の飛行ショーを見に行っていっぱい写真を撮ってきました。「ブルーインパルス見たぞ」と興奮。
朝、自宅のマンションの上を
ひっきりなしに飛行機が飛んでいました 。
これはショーの機ではなく輸送機らしい。
 
会場は混雑ときいて回避、
入間基地の見える某所で撮影しました。 
   
     
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平安の秘仏ー樂野寺の大観音とみほとけたち 
     
 延暦11年(792)伝教大師最澄が櫟(イチイ)の立木に観音像を彫り、納めたと樂野寺の縁起にあるそうです。近江を愛した白洲正子もこの寺を訪れ、その著書「かくれ里」などにも樂野寺が登場します。
 
上野国立博物館の特別展「平安の秘仏」に行きました。滋賀県甲賀市樂野寺の秘仏と、20体の重要文化財の仏様にお会いすることができます 今回の展示は収蔵館の改装に伴うもの。2年後にも秘仏ご開帳があるそうです。
 一日中でも拝観していたい、素晴らしいほとけさまばかり。音声ガイドを借りるとみうらじゅん氏といとうせいこう氏の面白いトークを聴くことができます。絵葉書と、ひさご型のボーロも買ってしまった。 この「光仏ライト」はテンションが上がります。スイッチを押すと観音様のお顔が浮かび上がるのです。  ご本尊の十一面観音は秘仏で、寺外では初めての公開です。台座を入れると高さ5m。重厚な仏様ですが穏やかなお顔は優しげです。左手に薬壺を持つ薬師如来座像も2m以上あります。やはりしもぶくれの優しいお顔のほとけさまです。地蔵菩薩坐像は珍しい僧形、お腹に帯を結んでいらっしゃることから安産祈願に訪れる信徒も。右の観音立像は少し吊り上った目と、すっきりとした体のラインを持つ美しいほとけさまです
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甲府武田神社と舞鶴城 
 武田神社のご祭神は武田信玄公。信玄公を敬愛する甲府市民の手で、大正8年に創建されました。 拝殿で参拝し、右手の宝物館へ。有名な風林火山、「孫子の旗」のホンモノ(左)が特別展示中でした。 この神社は武田氏の館跡に建てられたもので、多くの遺構が残っています。これは信玄公も使用したという井戸  別名躑躅ヶ﨑館。 土塁や柱の跡も残っています。この辺りにあった厩の掘立柱の礎板も出土しています。
甲府城(舞鶴城)跡は現在舞鶴城公園となっています。もとは20haの広大な城郭ですが今は6haほど。平成になってから櫓や門が復元されています。JR甲府駅はもと城郭内にあります。 城郭の石垣や天守台は昔のままです。天守台に上がると、甲府の街や周囲の山々、南アルプス、富士山が一望できます。リニアモーターカーのテストコースも見えました。 ボランティアさんに 天守台から見える建物の説明を受けました。上の写真の「稲荷櫓」は創建当時と同じ様に漆喰で再建したのに、知ら無い人はセメントだと思っていると悔しそう。 上の矢印のところ、よーく目を凝らすと武田神社の鳥居が見えました。村岡花子さんが教鞭をとった学校や、山梨大学、武田氏の菩提寺も教えてもらいました。 
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佐渡ヶ嶽部屋千秋楽祝賀会 2016.9.25
 わーいわーい!某後輩のツテで、佐渡ヶ嶽部屋の千秋楽祝賀パーティに行きましたあ!
 
 入口にはずらり、部屋の力士たちが並んでお出迎えです。 今場所は琴奨菊がカド番脱出、琴勇輝は10勝、琴恵光が11勝と好調  勿論、大関と写真を撮りました。彼は頭脳派で文章が上手 なんです。
 
いつ見ても親方(もと琴ノ若 )はかっこいい!真中は長男琴鎌谷、右はおかみさん、先代の親方(もと横綱琴桜)のお嬢さん。さすがに皆大きいわあ! 今場所11勝をあげて、入幕も近い琴恵光は、とてもハンサム。きっと強くなるわあ!応援しちゃいま~す 。 芸能人や有名人のお客様も沢山いらしていたようですが、やっぱりこの方!元なでしこジャパン監督の佐々木則夫さんと写真を。
 
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巖殿山正法寺と足利基氏の塁跡 ~東松山市の史跡~
真言宗智山派岩殿山修善院正法寺は源頼朝の命で比企氏が復興した古刹。この山門の奥、さらに石段を上ります。 延暦10年(791)坂上田村麿が奥州征伐に行く途中正法寺観音堂に通夜し、悪龍を退治したという言い伝えがあります 山門の仁王像は運慶作と伝えられています。力強さが感じられます。  この制札は戦国時代の松山城主上田朝直が発した、岩殿山一帯の樹木の伐採を禁じたもの。「巖殿八王子山において木くさかり取るべからず」 (復元)
 
本殿の後ろは岩山です。ご本尊の千手観音は頼朝の妻政子の守本尊とも言われています。 岩壁に仏様のお姿が沢山彫刻されていました。千手観音、阿弥陀仏、地蔵菩薩など。  絵馬堂の手前のサルスベリが美しい花を咲かせていました。  絵馬堂には大絵馬や奉納された繭玉の額、最近の奉納物の写真も掲げてありました。 
 
銅鐘は元享2年(1322)に鋳造されたもの。県指定文化財。鐘楼は元禄15年(1702)に再建された市指定文化財  関東108地蔵尊霊場札所の地蔵堂。「百地蔵尊」の額があります。中に地蔵さまが沢山いらっしゃいます。  とても美しい「薬師瑠璃光如来像」(寛文3年のもの:彩色された本当に綺麗な仏様)がおまつりされている薬師堂。 「正法寺の大銀杏」も市指定の天然記念物です。いくつものイチョウが合わさり、根は岩に巻き付いています。
   
 
   
山門から続く参道の両側には約50戸からなる門前町があります。右は江戸末期に作られた町並みの地図の復元。それぞれにつけられた屋号も復元されています。  坂上田村麿が悪龍を退治し首を埋めたところにこの「弁天沼」ができ、蛙がいないことから「鳴かずの池」と呼ばれます(今は蛙だらけ)。参道の下にあります。右は中の島のカワイイ弁天様  弁天沼のほとりには昔阿弥陀堂がありました。これは「阿弥陀堂の板石塔婆」。応安元年(1368)に明超上人と弟子の僧たちが建てたもので、このような板碑を「結衆板碑」というそうです。  この近くに「足利基氏の塁跡」があります。基氏は尊氏の正室の次男。芳賀高貞の反乱の時の「岩殿山合戦」に際しての布陣跡と言われています。 今は指標も草に埋もれ、「兵どもが夢の跡」
 
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浦和と大宮の神社めぐり 
浦和調(つき)神社:「つきのみや」さま 
 
 調神社は地元の方々は「つきのみや」と呼ぶそうです。月→兎で、お守りしているのは狛犬ならぬ「狛兎」です。 なんと、調神社には鳥居がありません。「調(税金)」を納めるのに邪魔だったからだというのですが・・・  手水舎もウサギさんが管理 鳥居をくぐらなかったので、この注連縄でお辞儀をしてお詣りしました。 
 
この神社には兎が何羽いるでしょう?あ、ここの彫刻にも、六角形の灯篭にも・・。答えはここ  調神社の七不思議というのがあり、その中に「蠅がいない」「蚊がいない」というがありますが、蚊はいますよ~!  神楽殿には今年の干支の猿の大絵馬がありました。  お稲荷さんは旧本殿だということですが、ここには鳥居がありました。 
氷川三社のうち・氷川女體神社
 
氷川女體神社は見沼(古くは神沼)の三室地区の鎮守。見沼用水のほとりの小高い丘の上にあります。社叢の楠、タブノキ、白樫等は埼玉県指定天然記念物です。  古来武蔵国一宮と称されていた女体神社では新田開発が行われるまでは「御船祭」が行われていました。沼が無くなってからは「磐船祭」に。 江戸時代は幕府から50石の地を拝領していました。家綱公再興の社殿は埼玉県指定有形文化財です。右は「武蔵国一宮女體宮道」の道標  女體神社の「巫女人形」に願をかけ、願いが叶ったら、このお人形に着物を着せて奉納します。  
中山神社(氷川王子神社) 
中川地区の鎮守は氷川王子神社。つまり父大宮氷川神社と母氷川女體神社の中間にある「王子様」 通称は「中氷川神社」。
天正19年家康公からご朱印をいただいた由緒ある神社です。 
 12月8日の「鎮火祭」では焚き終わった炭火の上を素足で渡り、無病息災を祈ります(今は中断中)  国道に面した入口は目立たない細い道ですが、参道はとても立派です。 
 大宮氷川神社
 
ここは武蔵国で一番大きい氷川神社。「大宮」という地名はこの大きなお宮が由来です。  三の鳥居も大きくて立派。村尾嘉陵の「江戸近郊道しるべ」にも出てきます。(日帰りで江戸から歩いたのすごい ) 今も境内は広く、 稲荷神社、松尾神社、宗像神社など多くの社殿があり、4つの池と深い森に囲まれています。 しかし、今日は美術館や3つの神社を回った後で、ここに来た時は時間切れ。拝殿まで行かれませんでした。 
 
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新潟駅周辺の神社 ~朝、新潟駅の北側を散歩して見つけた神社です~
海に向いて大鳥居のある蒲原神社。成立は大化の改新以前。おしりをつんと揚げた可愛い狛犬でした。 ご祭神は五行(火水木金土)の神を合祀していて古くは「五社神社」と呼ばれていました。現在は「蒲原神社」です。 延喜式典に「青海社(おうみのやしろ)」として載っているそうです。本殿の扁額は青海社となっています。  この欅には精霊が宿っており、今の宮司さんの曽祖母に「長男を薬師に」とお告げがあり、医者にしたそうです。
 蒲原神社の奥にある「奈佳美祢神社」。この辺りの地名は長嶺町です 乙子神社は弥彦大神の末っ子建諸隅命を お祀りしています。 沼垂原野を開拓し漁業・農業を振興させた功績を後世に残す為に勧進されました。 本堂には時代を感じる絵馬や額が沢山ありました。 
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マリンピア日本海は新潟の中心地から車で10分ほど。レストランではのどぐろの天ぷらが食べられます。  水族館は大好きです。
人気者のチンアナゴとハゼ 
なんだか仲が良さそうな、チューしている魚たち発見  ゴンズイ。たしか井上靖の小説で読んだことがあるような。
 今は大抵の水族館にある、クラゲのコーナー。動きは面白いですよね トドの給餌を見学。繁殖期には少し体重が減るので彼は今500kgほど(!)  トドの口の中。歯は犬歯のみで臼歯無し。咬まないで丸呑みなんです  ごひいきのイワトビペンギンを見つけました。暑そう。 
日本海の空と海の色は太平洋とちょっと違う。濃い群青色です そこからちょっと走れば朱鷺メッセ。
ベフコばかうけ展望室へ。
朱鷺メッセは信濃川の河口に面して建っています。  鳥屋野潟とビッグスワン。新潟の街は信濃川が運ぶ砂でできました。
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東松山市周辺ー吉見百穴・岩室観音・松山城跡・箭弓稲荷神社ー 
 百穴(ひゃくあな)は古墳時代後期に死者を埋葬するために掘られた横穴群。戦時中、地下工場を作る為に破壊された部分もありますが、現在は天然記念物「ヒカリゴケ」の生息も確認され、保存されています。 百穴の並びに「「巌窟ホテル」の看板!?明治の終りに、21年かけてノミひとつで、こつこつ岩を掘ってホテルを作り上げた人がいたそうで。その後崩落があって今は廃墟。心霊スポットになっているそうです。 松山城址の麓。岩を穿って観音像を祀ってある「岩室観音」のお堂。9世紀ごろ建てられ、松山城主が代々信仰しましたが戦火で焼失し、これは江戸時代にたてられたものです。 この石仏群は、四国八十八か所弘法大師巡錫の霊地の寺々の本尊を模したもので、ここでお参りすれば八十八か所を巡ったのと同じご利益があるとされています。 
 お堂の後ろ側の崖を鎖をたよって登ると、こんなハート形の「胎内くぐり」をすることができます。ここを通るといいことがありますよ。 格子の向こうは暗くてよく見えないけれど、観音様がおまつりされています。お賽銭が箱の横からこぼれちゃうんですけど・・・。(笑)  お堂には幕末から明治くらいに奉納されたと思しき絵馬が沢山架けられていました。  お堂の舞台(?)に立つと、緑豊かな東松山の田園風景が広がっています。床板がぎしぎしいうのでちょっとコワイ。 
松山城は丘陵の上に建てられた平山城。お城の歴史ははっきりわかっていないようですが、城の存在が広く知られたのは上杉、北条、武田による城を巡る戦いがあってからだそうです。  ここが本丸跡。ここから北東に向かって二の丸、春日丸、三の丸跡が直線に並び、両側に他の郭や兵糧蔵、物見櫓跡などが残っています。  天正18年、豊臣氏に攻められて落城。歴代の城主上田氏滅亡の後は松平家広が城主となったが、松平氏は慶長6年浜松に転封され、松山城は廃城となりました。 本丸跡からは東松山の町が一望できます。城山の三方を市野川の流れが囲み、なかなか堅固な要塞となっています。この周囲には他にも多くの城跡があります。 
 箭弓稲荷神社。創建は和銅5年(714)と伝えられる。平安中期平忠常の乱のとき源頼信が戦勝祈願し、勝利してのち「「野久」を「箭弓」と改めたそうです 稲荷神社ですから、ご祭神は 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)。作物蔵の鍵を加えたお狐様の横でお祓いの太鼓をならす宮司さん 天保6年に建てられた本殿は、県の指定文化財です。本殿の蟇股や縁の下持ち送りの彫刻は格子塀の間から見てもとても立派です。  これは本殿蟇股(かえるまた)彫刻「王子喬と唐子」。王子喬は魏晋時代の仙人。真中の板の地紋は「蜀江錦繋文様」その下は「入子菱文様」
 「仙人と烏鷺(うろ)」。烏と鷺とは黒と白、即ち囲碁のこと。余りに長い仙人の対局を木こりが見物しているうちに斧が腐ってきたところだそうです 「二頭の一角霊獣」。龍の長を表したものらしい。このような霊獣が神殿に彫刻されるのは珍しいそうです。  縁の下持ち送り彫刻「山椒魚」水辺に生息するサンショウウオは、火の災いを うけないよう、願いをこめて彫られたと思われます。 「獏」一見、亀と波の彫刻なのですが、全体としての形をみると、悪夢を食べてくれるという「バク」の形になっています。 
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水郷佐原と香取神宮 2016.7.18 
 
ずっと前から行ってみたかった!水郷佐原の街を訪ねました。観光地の中心は小野川。佐原も5年前の東日本大震災で被害を受けましたが、石垣も水路も修復が出来ました。  左写真の右下にみえる「だし」と呼ばれる河岸から、舟に乗って佐原の街を楽しむことができます。上の写真左の樋(とよ)橋は通称「じゃあじゃあ橋」といいます。 かつてこの橋は水道橋で、余り水を放水していたことからじゃあじゃあ橋と呼ばれました。今は橋の下から30分に一度、5分間放水があります。川の水を循環させて放水しています。  小野川の流れの中、黄色い花をつけているのは千葉県選定の保護生物「ナガバコウホネ」 というスイレン科の植物です。水がきれいで、水中で十分光合成ができないと育ちません。
   
忠敬橋を中心に、「江戸勝り」を誇った商業の街並みが整備されています。震災で被害を受けた店や蔵も修復され、延期されていた電線埋設も終わったところです。 佐原の商家には、関西の大きな店にあるような「うだつ」はありません。その代りここ「正上」のような店は両袖に蔵があるのです。 蔵の中もボランティアガイドさんに案内してもらいました。天井の梁は一本ものの大木(ケヤキ?)。今は蔵も商店として使っているところが多いようです。しゃれたグッズを売っています。  今は無料休憩所になっている、もとは漬物店だった(後ろに「なら漬」の看板あり)お店では、半被を着て帳場に座って大きなそろばんをはじき、番頭さん気分に浸ることができます。
   
   
「佐原まちなみ交流館」 にはドールハウス作家の橋本京子さんの作品が。上は中村屋呉服店、下は乾物屋で、お店の中の商品まで完璧に再現されています 佐原の誇り伊能忠敬の記念館にも入りました。ご存知「大日本沿海與地全図」を作った人。50歳を過ぎて隠居してから天文学を学び、四千万歩を歩いて日本中を測量しました。 右は象限儀。仰角から星の位置や距離や傾斜を計算します。 これは大中小のうちの中型で、測量旅行に持って行ったものと同じ大きさです。天体観測には大を使い、小は坂の傾斜計測用です。 小野川をはさんで反対側には、伊能忠敬の旧宅があり、見学できます。隠居して天文を学ぶ前、伊能家の商売にも熱心で家を大きくし、佐原の名主後見時代にもいろいろな功績がある人です。
 
佐原八坂神社の大祭の翌日、1時間前に山車が戻ってきていた山車会館に 入館。山車側面の彫刻は、日光東照宮を手掛けた職人が彫ったもの。 山車会館から車で10分ほどのところにある下総の鎮護社、香取神宮にも行きました。「香取神宮の森」は古くから信仰の場として守られてきた、幹回り3mを超すスギ、イヌマキ、モミなどの巨木が多く残り、千葉県の天然記念物に指定されています。  神社の格式の高さはこの、神殿の「鰹木」の本数でわかります。伊勢神宮が最高で10本。他の神社はこれを越えることはありません。香取神宮は9本です。
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 富士市六所浅間神社と田子ノ浦 2016.6.26
   
 用事があったのは御殿場。圏央道が東名高速の厚木まで伸びたので、富士山を見に行くには大変便利です。 そして富士市に足を延ばし、ここで一番大きい六所浅間神社へ。延暦4年(785)勧進されたという歴史ある神社です。 夏越の大祓で茅の輪くぐりをしました。ご遷座1220年記念事業で新築された社殿はぴかぴかです。 手水舎の横にいるのは・・・!
ドラミちゃん?! 
 ご神木の大楠はとても立派です。手前にいるのはドラえもん! 樹高15m、目通り13m、枝張17m×16m。推定樹齢1200年 境内のあちこちにピカチュウやのび太くんと静香ちゃん、蛙くんもいました。  富士山噴火の時の火山弾。推定200kg。いつの噴火かは不明。 
 
 そして田子の浦に行きました。名物シラスのお店とヨットや小型船舶が並ぶ、穏やかな漁港です。 港公園にはスケボーや自転車の練習ができる広場や小さい子供向けの遊具もあって賑やかです。 山部赤人「富士山を望む歌」の碑。「天地の別れし時の神さびて高く貴き駿河なる富士の高嶺を・・・」  田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける。梅雨どきの今日は殆ど見えませんでした。
 
 右上写真の展望山の上からの駿河湾。伊豆半島がうっすら見えました。とてもきれいな海の色でした。 そして静岡県の人気チェーン店「さわやかハンバーグ」レストラン。テレビやネットで話題なので行ってみました。  ラグビーボールみたいな形のハンバーグを店員さんが目の前で半分に切り、鉄板に「じゅー」と押し付けるスタイル それから富士市の有名な果物店「杉山フルーツ」の高級フルーツゼリーも、手に入れました。 
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