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§四谷消防博物館 
§あべのハルカスと通天閣と今宮戎神社
§大阪歴史博物館と造幣局の桜の通り抜け 
§埼玉県立自然の博物館
§静嘉堂文庫・三溪園
§弥彦神社と初穂曳神事 
§巾着田珠沙華公園 
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§近鉄奈良駅周辺半日の寺社巡り
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§坂戸市の古墳めぐり
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国指定史跡 古津八幡山遺跡
   
県内最大の古墳がある古津八幡山遺跡。竹内の菩提寺のすぐお隣にあったのですが、今まで行ったことがありませんでした。 2000年前、新津丘陵の上には高地性環濠集落がありました。遺跡に登って行く道には石楠花やウツギ、野生の藤が咲いていました。  1987年の試掘調査で発見され、2005年には国指定史跡になり、竪穴式住居、環濠、方形周溝墓、前方後円墳の復元など整備が 進められています。  復元された環濠の外側の土塁。「環濠」とは集落を守る空堀。彫はV字型になっており、中ほどには陸橋があったそうです。  これが県内最大の古津八幡山古墳です。弥生時代末期、米作りに適した平地に集落が移って行き高地性集落は廃絶したと考えられています
信濃川と阿賀野川の水運に恵まれ、豊かな田園地帯となった新潟。古墳のてっぺんから広々とした水田が見渡せます。白いのはビッグスワンです。  「弥生の丘展示館」。遺跡の説明展示があるほか、発掘体験が出来たり、弥生土器づくりやどんぐりを食べてみるなどのイベントもあるそうです。  弥生の丘展示館にあった面白い展示 。左は石斧で、右は鉄製の斧で切った木です。ここは縄文時代の石器も沢山発掘されているのです。 さらにここには「新潟県埋蔵文化財センター」があります。古津周辺だけではなく、新潟県の埋蔵文化財の研究機関となっています。入場無料。  縄文時代中期、越後湯沢周辺から発見された火炎土器は有名。新潟市中心の萬代橋にも火炎土器のモニュメントが乗っています。
 
 
鉄道の町 にいつ     ←SLのマンホール。

商店街のシャッターには
鉄道の絵が描かれているので
早朝散歩で写真を撮りました↓
 新潟市秋葉区、もとは新津市だったこの町は鉄道の重要な起点でした。
今も、JRの主要な工場があり、磐越西線のSLがやってくる「鉄道の町」です。
「 SLばんえつ物語」号写真展の優勝作品が信用金庫のウィンドウに飾られています。 これはばんえつ物語号の「オコジョ車両」 オコジョの絵が可愛い 言わずと知れたE4系MAX。
2階席はやはり人気です。
「貴婦人」C57180。戦後新津第一小学校にありましたが、平成11年に現役復帰しました。 トワイライトエクスプレスは新津にも停車しました。EF81103と書いてあるのは牽引車らしき。
 やはり磐越西線をはしる「キハE120系気動車」 この列車にもオコジョの絵が描かれています  北越クハ485-1508。懐かしい色と形。哲雄先生が良く乗ったのがこのかたちの「いなほ」 これはE653系の「いなほ」。運転席の窓も、客席も広くて快適そう。  200系新幹線。昔の「とき」ですね。これも懐かしい。  商店街のまんなかにあるモニュメント?は大きな動輪 です。
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 ユニバーサルスタジオジャパン2016.4.11
         
 オフィシャルホテルは入口から楽しい。左上はエレベーターのの中、真中は朝食のレストラン 開園15周年というので、涌く園内。「やり過ぎ」というコンセプトなんだそうです。  平日に行ったので、猛烈な混雑には見舞われませんでした。お天気にも恵まれました。 沢山アトラクションに乗れました。スパイダーマン、バックトゥザフーチャー、バックドラフト、ターミネーター2、ハリーポッターのフォービドゥンジャーニー、ウォーターワールド・・ 
         
 ハリーポッターエリアには時間指定の予約券を取って入場しました。中では乗り物だけでなく、ステージショーなどもあります ホグワーツ城。この他に暴れ柳に突っ込んだ自動車やホグワーツ行き列車など物語に出てくるものがいっぱい。  ジュラシックパークエリアではトリケラトプスやティラノザウルスがお散歩していたりします。  カフェに入ってお茶しました。これは、恐竜の骨チョコが乗った、オレンジティラミス  まだちょっと寒かったのですが、ウォーターワールドのショーでは、出演者も観客も水を浴びて大熱演。 
 
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四谷消防博物館 
   
ずっと前から行って見たかった消防博物館。丸ノ内線の四谷三丁目の駅と直結しているので雨に濡れずに入館できます。2Fは本当の消防署です。  なんで行ってみたかったか?それは「江戸の火消」の展示も面白そうだけど、何と言っても道路からこのヘリコプターが見えるんですもの。  大正13年アメリカスタッツ社から輸入したポンプ車。消防車にしておくには惜しいフォルム。運転シートの下にロータリー・ポンプが格納されています。 大正13年に輸入され、丸の内消防署で使われていたアーレンス・フォックス消防ポンプ車。昭和21年まで活躍しました。タイヤはノーパンクタイヤで、約5300件の火災に出場しました。  昭和4年にアメリカから輸入され、神田消防署で使われたたマキシム消防ポンプ車。放水量は毎分2800㍑と当時としては強力でした。 
 5Fは江戸時代の消防についての展示です。左から大名屋敷、定火消、町火消、番屋の火の見やぐら。櫓の半鐘の打ち方で火事の遠近が分りました。 初めに設置されたのが大名火消 。しかし江戸中を焼いた明暦の大火で不備を感じた幕府は旗本による定火消を、後に町火消の組織を作りました。 江戸の町並みのジオラマと、文楽人形が説明をするスクリーン。江戸で起こった大火事や消火の方法を子供にも分かるように説明してくれます。 ジオラマでは、当時の消火活動が破壊により延焼を防ぐというやり方であったこと、また、商家では商品を土蔵に入れて守った様子などがわかります。 「もしも江戸時代にスタンドパイプがあったなら」という展示。実際には「龍吐水」という手押しポンプしかなく、大きな火事には使えませんでした。 
4Fは明治から昭和にかけて、近代化を進めて行った消防の様子が展示されています。↑は馬が引く蒸気ポンプです。  段々現代の消防の姿に近づいてきますが、このハシゴ車はちょっとコワイ。風で倒れないかしら? 現代の消防士さんの防火服や放水ノズル。「連携プレイで被害を小さく」という展示。やはり最後は人の知恵と力。  これは自動車やビルなどで挟まれた人を助けるとき、鉄を挟んでつかむ道具(?)。ものすご~く重くてびっくり。 ヘリのモケイに乗ってスイッチを押すとフロントに上空からの火事現場が映し出され操縦士気分になります。危険な仕事なのを実感。 
 江戸時代の火消しについては、ブログ「夢見る獏」さんの「気ままに江戸」:江戸の災害に詳しいです。
明暦の大火・大名火消(20110624)、定火消屋敷(20111206)明暦の大火・定火消(20120622)町火消と消防博物館(20120920))  
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 あべのハルカスと通天閣と今宮戎神社  高いところ大好き♡
   
 地上300m、大阪の街を360度見渡せる展望台は最高  生駒山方面。残念なことにガラス床は養生中で歩けなかった 直下を見ると、「高ーい! 」高所嫌いの哲雄先生は沈黙 可愛い「あべのべあ」との写真は、さすが大阪、有料です 
あべのハルカスに行きましたァ! 幸い晴れました。気持ちいい 間近の足元に通天閣が見えます。ここにも行きま~す。  天王寺公園の中を通り、動物園の横を抜けて通天閣のある新世界へ。  通天閣の中にはこんな看板。面白すぎるやろ! エレベーターの天井にはビリケンさんが現れるというサービスぶり 
ビリケンさんは英国の女性の夢に現れた神さん。足の裏を撫でると幸運が訪れます(何とこの後Dr.イエローを目撃しました) 通常の展望台(5F)でさらに\500を払うともっと上の、スカスカのフェンスしかない展望台に上がれます。 そしてその\500を払うと、非売品の「もうカレー」(儲かれ)がもらえます(笑) 。双眼鏡も借りられます 通天閣のてっぺんではお兄さんが「あそこが今宮戎神社」 と説明してくれました。折角なので行ってみました。 戎神社は商売の神様です。「もうかれ~」。でも「かき集める」熊手ではなくて、「すくい取る」箕(み)のお守りを頂きました。 
 
大阪歴史博物館と造幣局の桜の通り抜け2016.4.10 
 
大阪歴史博物館は大坂城のそば、すぐ隣のNHK大阪のビルとは何やらガラスの球体で繋がっていました。  古代、中近世、考古学、近代現代のフロアがあります。↑は645年大化の改新が行われた難波宮の大極殿  中近世フロアには水の都大阪の橋や堂島米市場の様子、船場の町並みのジオラマ、文楽人形などが展示されています。  大阪のお祭りに欠かせないのがだんじり(楽車、壇尻などと表記される)。暗くてよく見えなかったけど。  近代現代のフロア。明治期以降の大阪の賑わいが再現されていました。 
特別展示は朝鮮通信使についてのもの。↑は狩野清真の「瀟湘八景図巻」の一部 「朝鮮人渡海船之図」。珍しい風俗に、みな興味津々。行列を解説する瓦版もありました。  博物館の階段の踊り場から大坂城の天守と大阪の街がよく見えました。  大評判だった朝ドラ「あさが来た」 の舞台も大阪。博物館と繋がっているNHKビルに、このドラマのセットや小道具が展示されていて、観光客が並んでいました。 
 
博物館終了後、お目当ての「造幣局の桜の通り抜け」に行きました。天満橋の駅から造幣局まで案内図などいらないくらい、行列が続いていました  大川にかかる天満橋をぞろぞろ渡っていきます。川岸にはまだ遅咲きの桜も残り、夕陽に照らされた川面がきれいでした。  殆どの桜は八重桜で、盛りでした。造幣局の桜は133種類もあり 、長い時期楽しめるそうです。他にはない、珍しい種類の桜も沢山あります。 通り抜けの長さは約560m。南門から北方向への一方通行です。ずっと、「立ち止まらないで」と言われましたが、皆止って写真を撮りますよねえ。 藤堂藩の蔵屋敷から造幣局移植されたものを、明治16年、局員だけでは勿体ないと当時の局長が一般公開を決めたそうです。 
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埼玉県立自然の博物館  2016.1.31
自然の博物館は長瀞にあります。長瀞は岩畳の奇岩で知られる景勝地。そしてここ秩父は地層観察と化石の宝庫なのです。 博物館の前にある大きなメタセコイア。 埼玉でも球果の化石が沢山発見される「生きた化石」です。この樹ははS29に植えられたもの。 入口を入るとすぐ、古代サメ「メガロドン」の顎の骨(レプリカ)が迎えてくれます。この近くではサメの歯の化石が沢山発掘されます。 荒川の流れ。長瀞周辺は「石墨片岩」や「緑泥石片岩」で畳のような形の奇岩が見られます。急流下りやラフティングを楽しむ人も訪れます。 曲がりくねった川のポットと呼ばれる壺のような形の部分に岩が流れ込み、留まってくるくると回転して↑のような球体の石が生まれます。 
1700万年前、秩父盆地は海の底、「古秩父湾」 でした。だから海の生物の化石が沢山発見されるのです。左はウミユリの化石、右はウミユリの模型です。 左からセイウチの仲間の化石、カツオドリの骨化石産状と頭骨(レプリカ)。秩父市から発掘 ウミガメの甲羅の化石(レプリカ)やはり秩父市大野原から見つかったもの。  1984年に秩父で発見された新種のクジラは「チチブクジラ」と命名されました。 
1500万年前、秩父に生息していた海獣「パレオパラドキシア」。海辺の草を食べる、カバのような身体の動物だったと考えられています。1972年に秩父市大野原から化石が発見され、他の化石群や秩父の断層とともに、天然記念物に指定されています。 1975.7年に発掘された大野原標本のレプリカ 。 骨はばらばらで、自分の歯が刺さっていました(矢印)。  般若地区で発掘された化石からはサメの歯(青矢印)やフジツボ(赤矢印)の化石が付いており、この個体は死後海中を漂ったと考えられています。 これは入間市の入間川付近で見つかった足跡から復元された「アケボノゾウ」の骨格。左下は足跡の化石(レプリカ) 
 女子トイレの壁に「このフン誰のフン?」と書いた紙と実物のフンが!「答えは天井」「?」と上を見たら「ヒナコウモリ」の写真が貼ってありました(笑) 企画展のテーマは「花粉が教えてくれること」。動くことができない植物の、他家との受粉の手段として花粉が生まれました。風や虫、鳥に運んでもらうため 学芸員の女性の手にはスギ花粉の入ったビニール袋。「これはまだ花粉症を起こさないです」とのこと。今日は埼玉県のキャラ「コバトン」が応援に。  花粉の化石は1億3000万年前の地層からも発見さるとのこと。蜜は花粉を運んでもらうために作るもの。花の付き方によって虫が選別されるのです。 「日本地質学発祥の地」の石碑。ナウマン象で有名なナウマン博士が来日してすぐに調査したのがここ秩父。以来、地質学上の重要な拠点となりました。 
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静嘉堂文庫・三溪園  2015.12.6
静嘉堂文庫
世田谷の岡本緑地にある静嘉堂文庫美術館で行われている「金銀の系譜」と言う展示を見に行きました。
「宗逹・光琳・抱一をめぐる美の世界 」小さいけれど中身の濃い展示。静嘉堂文庫は閑静な住宅街の中にあります。 美術館のある高台へ登る坂は紅葉に彩られていて、晴天の今日は気持ち良い道でした。 岩崎彌太郎の弟彌之助とその子小彌太が設立した静嘉堂文庫は古典書籍20万冊と東洋美術品67000点をを所蔵 文庫前のギンモクセイの大樹。世田谷区の保存樹木だそうです。  「貼花神仙文大甕 」は道教の寺で使用されたと思われる水甕。文庫の建物の前にありました。
三溪園 
世田谷から第三京浜国道で横浜へはすぐです。磯子区にある三溪園に足を延ばしました。☆は重要文化財 ★は横浜市指定有形文化財です
三溪園は明治期、横浜の実業家原三渓が作った5万3千坪の日本庭園。現在17棟の歴史的建造物があります ちょうど紅葉が美しい12月初め。早春には梅、春には桜、初夏は新緑が美しい庭園です。池には鴨、道には猫。 入口から少し行くと三溪園天満宮。江戸時代に京都北野天満宮から勧進されたもの。 旧燈明寺本堂。室町時代の建築物。昭和62年 京都燈明寺から三重塔とともに移築されました。☆ 「待春軒」とうお食事処で提供されている「三渓麺」は原三渓考案の汁無しそば。百年変わらない味らしいです。 
 中座敷の欄間は碇と櫂。
白川郷から移築された日本最大の合掌造り、矢箆(の)原家住宅。破風の火灯窓はこの住宅の格式を表します。☆ 接客空間と居住空間に分かれています。接客空間には普通の民家には許されていない玄関 がついています。 やはり庶民には許されていない書院造りの奥座敷。床柱は時の幕府に遠慮したのか、わざと節を表に出してあります。 御母衣ダム建設に伴い、湖に沈むことになった矢箆原家の当主が昭和35年三溪園に建物を寄付しました。 居住空間には囲炉裏が切られ、火が入っていました。厩も併設され、土間、流し台、食器等が展示されています
台所と思われる空間には沢山の味噌樽や醤油樽が。  急な階段を上り、屋根裏に上がると茅葺屋根の内側が見られます。  旧東慶寺仏殿。寛永11年の建築、明治40年、鎌倉から移築されました。☆ 横笛庵。奈良法華寺から移築されたと伝えられる。かつては横笛像があったとも。☆  芥川龍之介も訪れたという初音茶屋。ここで麦茶を振る舞われたそうです。
旧燈明寺三重塔。室町時代の建築。京都から移築。関東地方の木造の塔では最古☆  三重塔から展望台に向かう途中、「出世観音」というのが建っていました  坂の途中に崩れたレンガが。 昔の写真に依れば、これは明治20年に建造された「松風閣」。下村観山の障壁画もあったが大正12年関東大震災で失われたそうです。 展望台から東京湾が一望・・・の筈ですが、埋め立てが進み眼下は工業地帯です 
京都東山の西方寺から移築された海岸門。江戸時代の建築物 原三渓の構想により建てられた蓮華院(茶室)。大柱と格子は平等院鳳凰堂の古材。 旧天瑞寺寿塔覆堂。秀吉が大徳寺に建てさせた寿塔を納めるための覆堂 。☆  この橋は「亭樹(ていしゃ)」京都高台寺の観月橋を模して造られました。 秀吉愛用と伝えられる「瓢箪文手水鉢」。伊賀上野城にあったものを原三渓が入手
臨春閣は紀州徳川初代藩主頼宣が紀ノ川沿いに建てた別荘。大正6年移築。☆ 数寄屋風書院造の室内は粋を凝らした造り。この部屋の欄間には笙が飾られている  「月華殿」は家康公が伏見城内に建てた大名の控え室。大正7年に移築。☆ 大正7年築の茶室、 金毛窟。床柱は大徳寺三門の高欄の手すりを用いている 天授院はもと鎌倉の心平寺の地蔵堂で原家は持仏堂として使用。慶安4年のもの。☆
聴秋閣は今特別公開中。来歴は明らかでないが、京都二条城にあった建物とのこと☆ 聴秋閣内部。元和9年家光上洛の際の建築でその後春日局に与えられたと伝えられる。☆ 臨春閣と池。三渓は秀吉贔屓で聚楽第の建物を移築したつもりが後に徳川のものと判明したのだそうです  西方寺の薬位門を移築した「御門」★。西方寺には小野寺十内の碑や柴野栗山の墓がある京都東山の寺 庭園中央にある三渓記念館にはカフェがあり、お土産を売っています。↑は手拭いでできている 猫の絵本。
鶴翔閣★はもと原三渓の住居。普段は非公開ですが、10月に結婚式のため、中に入ることが出来ました。
 
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弥彦神社と初穂曳神事 11.23
新潟県弥彦村で11月23日に行われる「初穂曳」。弥彦神社ご遷座が行われた100年前から続く神事です。 弥彦駅から弥彦神社まで900mほどを1時間半の予定。先頭のすぐ後ろは太鼓と樽(太鼓)の車です。  前半は青い半被、後半は黄色い半被の人が山車を曳いていました。全員で掛け声をあげて山車を曳きます。 「エンヤア」「力を」「エンヤア」「合わせて」 「エンヤア」「おやしろ」「エンヤア」「めざして」と声を合わせます。
 山車には酒樽と米俵、それに稲穂が乗っています。樽も俵も本物の中身が入っています。500kgくらいかな? 終点弥彦神社の鳥居をくぐる氏子さんたち。途中車輪の調子を治しながら、2時間かかりました。  ここからは山車を曳いた氏子さんたちが稲穂や酒樽を本殿に運びます。子供も頑張って稲穂を抱えていました。 ご本殿で整列。氏子代表から禰宜さんに挨拶があり、お米とお酒が奉納されます。
お弥彦さんでは毎年この時期に「菊まつり」があります。江戸菊、嵯峨菊、肥後菊などを古典菊と言います。 もう殆どの菊は枯れていましたが、それでも本殿前に大作りの見事な菊が展示されていました。 ご遷座100年を記念して、宝物殿では重要文化財のご神鏡や大太刀が特別展示されていました。 明治17年頃新潟出身の田村虎次郎氏によって考案された我が国初の石油精製装置である石油蒸留釜。
弥彦村は弥彦神社ご遷座100年で沸いています。昔の神社やお祭りの写真をウィンドウに展示してある商店が沢山ありました。 弥彦神社の近くにある、親鸞聖人が弥彦神社に参拝した折、宿泊した家の地面を杖で突いたら涌き出したという清水。  本高寺の子育て地蔵。頭のてっぺんに赤トンボがとまったので写真を撮りました。  弥彦の摂社住吉神社のご神木は樹齢千年の大欅。分かれて伸びた枝の形から「蛸欅」と呼ばれています。 県の天然記念物です。
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巾着田曼珠沙華公園 9.23
お彼岸に咲くから彼岸花。で、車で40分ほどのところにある彼岸花群生地「巾着田」へ。観光客のために近くの小学校が駐車場になっています 公園に入ったとたんに朱色が飛び込んできます。真っ赤な絨毯を敷いたような、一面見渡すかぎりの彼岸花でした。  広いね~ 、と感心してぐるーっと周囲の動画を撮ったのですが、この看板にある通り、この一面の彼岸花は巾着田のほんの一部でした・・・。 高麗川はこの付近で左の図のように巾着のような形に蛇行しています。その内側を整地したら、彼岸花の群生が始まったそうです。 
少しですが可憐な感じの白い彼岸花もありました。シロバナマンジュシャゲというそうです。 彼岸花は毒があるので動物が寄ってこないそうですが、アゲハチョウは大丈夫みたいです 巾着田へは「あいあい橋」 を渡っていきます。ここからの景色は1996年「彩の国さいたま景観賞」を受賞 高麗は渡来人が開拓した土地です。巾着田祭りの期間中に渡来人の扮装の人たちの行列があります。 
聖天院山門 9.23 
 この写真は一昨年1月、聖天院(しょうでんいん)に来た時のもの。山門は修復中で見ることができませんでした 聖天院は巾着田から近いので修復後の山門を拝観するために再び聖天院を訪れました。  これが修復なった山門。天保3年から6年の歳月を費やして建造されました。扁額は下野国浩然上人の書 浅草の雷門と同じ大提灯がさがっています。この裏側に「風雷神門」と書いてあるのは浅草雷門と同じ。 
浅草の風雷神門は左右に阿吽の仁王様 が入っているのですが、ここは風神・雷神です。写真は屋根瓦 山門の天井には華やかな鳳凰が描かれていました。江戸の絵師南沢の筆によるもの。 聖天院には国の重要文化財の銅鐘があります。鎌倉時代平定済・新阿弥により奉納されたものだそうです 本堂から鐘楼。その向こうに高麗の人たちが開拓した豊かな平野が広がっています。 
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初めてのJリーグ観戦 8.12
哲雄先生は大学時代サッカー部。院長は高校の頃サッカーが好きで何度か観戦。結婚前のデートで何回かサッカーを見に行ったことも。でもその頃、Jリーグはまだ出来ていなかったので、 日本のプロサッカー試合を生で見るのは初めてなんです。
哲雄先生の故郷新潟のデンカビッグスワン。アルビレックス対レッズ戦の切符をとりました。要領が分らず、駐車するのもひと苦労でした。 アルビレックスのチアリーダー。美人の多い新潟らしくみんな可愛いお嬢さんばかり。  綺麗に整備されたピッチと明るい照明。そんなに混んでいるはずないと思っていたのですが、どうしてどうして、レッズファンも随分入っています。 いやー、サポーターの熱気がすごいです。大きな旗を振り回して応援です。もうこの時点で飲物以外は売り切れ状態  エスコートキッズと一緒に選手入場。観客は2万7千人 と発表され、後ろの席のアルビサポーターが「レッズさまさまね」と言うのが聞こえました(笑)
さあ、キックオフ!院長夫妻はアルビレックスを応援します。でも前期優勝のレッズは強敵、がんばれー!  最前列の席をとりました。前半はアルビレックスのゴールに近い方。アルビレックスのコーナーキックが目の前です。 試合開始まもなく先制したのですが20分後、追いつかれて同点のまま前半終了。ハーフタイムには花火が上がります  アルビレックスのマスコットキャラ、アルビ君とスワンちゃん。二人には三つ子の子供がいるのだそうで。  結局健闘むなしく、後半に日本代表メンバーだった李忠成が決勝ゴールを決めてレッズの勝利。ま、いいか、埼玉県民だものね。 
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 近鉄奈良駅周辺半日の寺社巡り7.11
喜光寺 
   
喜光寺は大和西大寺駅から車で数分。行基菩薩創建のお寺です。行基入滅の地でもあります。 本堂は東大寺大仏殿を造る時に参考にしたという伝承があり、「試みの大仏殿」と言われます。本殿の大仏様はとても優しいお顔でした。  喜光寺のお庭には200鉢もの蓮があり、 蓮のお寺としても有名です。歴史のある立派なお寺ですが、大正時代には荒れ果てていたそうです。 その、荒廃した寺を悲しむ新潟の歌人、会津八一の歌碑がありました。「ひとりきてかなしむ寺のしろかべに汽車のひびきのゆきかへりつつ」  インド請来の仏足石と転法輪像。
 
西大寺 
         
西大寺は東大寺を建立した聖武天皇の子、称徳天皇により建てられました。お正月の「大茶盛式」でも知られています。 四王金堂には、荒々しい表情の四天王と、ひときわ穏やかなお顔の十一面観音さまがいらっしゃいました。  本堂においでになる仏様はみなとてもすてきでしたが、中でもご本尊の釈迦如来像の衣の繊細な表現は見事です。必見。 西大寺は創建当時広大な敷地に多くの伽藍が並んでいましたが、平安遷都後寂れ、戦禍にも会いました。現在の伽藍は江戸時代に建てられたもの。平城京遷都1300年を機に大和四神寺というのを決めたそうで、西大寺は北を守る玄武の寺です。
大和西大寺から近鉄奈良へ 
         
大和西大寺駅に歩く途中に、西大寺の鎮守社、石落(しゃくらく)神社がありました。 大和西大寺から近鉄奈良線で奈良に向かいます。  近鉄電車は平城京跡の真ん中を走っているので、車窓から朱雀門や大極殿が見えます。 近鉄奈良駅をおりると、噴水の中央に行基菩薩の銅像が。  「あなたとなら、ひがしむき」と書いてある東向商店街のアーケード。 
伝香寺~卒川(いさがわ)神社~浄教寺~開化天皇陵~漢国(かんごう)神社・林神社 ~興福寺三重塔~猿沢の池~元興寺~興福寺~JR奈良駅
     
さて私が是非お会いしたかった「はだか地蔵」のある伝香寺。珍しい全裸のお地蔵様ですが、勿論衣をお召しです。年一度新しい衣になります。「大和地蔵十福」のひとつです。お写真は「禁転載」のものしか見つからなかったので、私のトレースで。とてもきれいなお地蔵様です。境内の椿は一枚ずつ花びらが散るので「散り椿」と呼ばれます。そしてここは筒井順慶の菩提寺でもあります。「彼は実は洞ヶ峠には行っていなかった」と日和見と言われる彼の名誉を守る説明板がありました。 伝香寺から「やすらぎの道」を北に向かったところに、奈良最古の神社、率川(いさがわ)神社があります。ここのご神花は「ササユリ(古名はさいくさ)」。例祭の「三枝祭」ではこの花で白酒(しろき)黒酒(くろき)の酒樽を飾ってお祭りをするそうです。ササユリは日本特産の日本を代表する百合です。 「やすらぎの道」から三条通に入ると、浄土真宗のお寺浄教寺があります。 ここは近代美術の父フェロノサが、明治21年に講演を行ったところだそうです。
     
浄教寺には、江戸時代にこの地にお寺が出来たときに植えられたと推定されているソテツの巨木があります。根元から25本の幹が出ています。 三条通を歩いているとき、あれ?ビルの間からなにやらこんもりしたものが・・。
さすが奈良。繁華街の真ん中に見えたのは・・
開化天皇春日率川坂上陵(かいかてんのうかすがのいざかわのさかのえのみささぎ)。 
墳丘長が100mもある前方後円墳です。
「やすらぎの道」に戻り北に向かうと、そこには「漢国(かんごう)神社の鳥居。とても古い神社ですが、本殿は江戸時代のもので 奈良県指定有形文化財の美しい建物 奈良は甲冑の生産も盛んでした。徳川家に仕えた甲冑師の作と思われる「茶糸威胴丸具足(レプリカ)」は慶弔19年家康奉納と伝わっています
   
漢国神社に行きたかったのはこの珍しい「狛(?)饅頭 」が見たかったから。境内の「林神社」は日本で初めて饅頭を作った林浄因をお祀りしています。 「東向き商店街」を南下すると東側に興福寺に向かう坂があります。ここにあった藤原氏の屋敷に敬意を表してみな「東向き」に建物を建てたのが由来。この坂を上り、南円堂と三重塔の横を通り、猿沢池まで来ると五重塔を見ることができます。三重塔も五重塔に負けない美しいフォルムでした。 猿沢池を過ぎて南に向かい、飛鳥時代の古刹、元興寺へ。本堂の建物は国宝極楽坊(本尊が浄土曼荼羅なので曼荼羅坊とも)は1998年に世界遺産に指定されました 飛鳥時代に建てられた時の丸瓦が使用されている本堂の屋根。西南隅と禅室南東隅には古代の軒平瓦が残っているのも珍しいことだそうです。 
 
そして 元興寺にも「大和地蔵十福」のひとつ「印相地蔵」さま。錫杖や宝珠を持たず印を結んで持ち物を象徴しています。お庭には沢山の石仏群とキキョウやジャノメソウが咲いています。これ等2500基余りの石仏や石塔はまるで田の稲の様ということで「浮図田(ふとでん)」と呼ばれています。 ふたたび興福寺に戻ります。奈良を代表する二つの大きなお寺を示す道標がありました。  奈良は鹿の街。興福寺の境内にも鹿がいます。壮年の鹿の角は沢山枝分かれして立派です。この鹿はまだ若いのが角でわかります。可愛い仔鹿も遊んでいました。  興福寺南円堂。弘仁4年(813)に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を祈って建てたもの。現在の建物は江戸時代のものですが、ご本尊は鎌倉時代の観音様で国宝です。 午後6時、興福寺の鐘撞きを間近で見て、東向き通りで食事をいただき、JR奈良駅まで歩きました。夜の旧駅舎は灯りが灯されて美しい姿でしたが、この直後真っ暗に・・。 
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北九州もりだくさんの旅  
小倉駅  6.25~28
 
 「銀河鉄道999」の作者松本零士氏は福岡県久留米市の出身で、小倉南高校在学中に 早くも才能を認められました。それで小倉駅のデッキにはには左からメーテル、鉄郎、キャプテンハーロックの銅像があるのです。 そして小倉の繁華街を走るモノレール。運が良いとこんなラッピング列車に乗ることができます。  小倉駅の天井はまんなかのあかり取りの周囲を 太いチューブが取り囲んでいてまるで宇宙船みたい。 北九州市は高度成長期の公害を一掃したエコのモデル都市。ゆるキャラのていたん(低炭素社会を目指します)とブラックていたん。
 宇佐神宮 6.25
 
宇佐まではJRで。上の写真左は普通列車。右は特急ソニック号。下の写真は途中の中津駅の「日本一長~いハモの椅子」  宇佐は「USA」なんですね。
ちょっとハリウッド風の大きな看板が宇佐駅ホームから見えました。
宇佐神宮は全国に4万社余りある八幡宮の総本宮です。和気清麻呂が道鏡と対立する原因となった御神託を受けた神社でもあります。 左から、八幡大神応神天皇御鎮座の一之御殿、比売大神御鎮座の二之御殿、 神功皇后御鎮座の三之御殿 ご本殿は国宝です。二棟の切妻屋根が並ぶ珍しいかたち。でもこの写真は絵葉書、実際は御殿の横から屋根が少し見えるだけです。
 
夏越の大祓。「茅の輪守り」をいただくことができるのは6月末~8月末限定、数量も限定です。  寄茂川にかかる「呉橋」は入母屋の屋根の付いた珍しい橋。川のほとりには熊本高校講師時代の漱石がよんだ俳句が並んでいます  境内で見つけた郵便ポストの頭に「呉橋」 の写真が貼り付けてありました。 国宝館の前ででんと座っているマガモがいました。まもなくマガモの家族が現れ、つがいのカモはなかよく散歩を始めました  明治24年ドイツクラウス社製の26号蒸気機関車。九州鉄道の車両大型化に伴い、宇佐参宮線に導入され、大正5年まで走っていました。
小倉城(八坂神社・小倉城・小倉城庭園・松本清張記念館)ーここからは北九州出身のお友達が2日間案内してくれました。 6.26
 
 
八坂神社にわたる橋。お濠を隔てた向かい側に派手な色の商業ビル。最初は相当反対があったそうです。 八坂神社はもとは祇園社と呼ばれていました。ご祭神はスサノオノミコト。小倉城主細川忠興公鷹狩の折に小祠のご神体を覗こうとして 鷹に蹴られて目に傷を負い、非礼をわびて立派な社殿を建てたそうです。それで目も快癒したとのこと。 手水にはフクロウ(神使のアオバズクかな?)。
そして境内の末社猿田彦神社の狛犬は可愛いたれ耳 
楼門の扁額には「豊前総鎮守」と書かれています。7月には400年の歴史を持つ祇園祭が行われます。 
あいにくの雨模様ですが、お濠と石垣と天守。とても立派なお城です。右下はマスコットキャラの「とらっちゃ」。なぜかというと・・・・→  これがあるからです
左が「迎え虎」右が「送り虎」。長州藩に攻められお城が焼失した慶応2年寅年に因んで昭和35~36年に描かれたもの
城内は、大人から子供まで楽しみながら小倉の歴史がわかる様にいろいろなアイテムがあります。これは江戸時代の生活を再現したジオラマ お殿様が乗る駕籠(揺れます)にも乗れます。この他小倉の名物を説明する人形や映像、島原の乱の作戦会議などのアトラクションがあります。 天守閣に上がると小倉の町が一望できます。眼下には小倉城庭園、背後は紫川。その向こうは繁華街や小倉駅方面です。
 
天守からしゃちほこの顔が見えました。  回遊式の小倉城庭園。この池はもとは汐入の池だったそうです。書院の広縁は「懸け造り」になっています。  書院の中も拝見できます。館員の女性が案内してくれました。欄間の格子をずらすと夏仕様になる優れもの構造 城郭内には小倉出身の巨匠松本清張の記念館があります。推理小説 好きの私、若い頃は読みふけったものです 松本清張に関する様々な資料展示の他、彼の家の応接間や書物室、書斎も再現されていました。 
紫川と水環境館 
 
この川は紫川という美しい名前の川。昭和30年代には工場排水で汚れていたというのが信じられないような、名前の通り美しい川です  川のほとりに「水環境館」という地下に降りる階段があります。川の中が見える、天然の魚の水族館 なのです。 紫川の断面です。この辺りは小倉港の河口 に近いので汽水川です。上半分の黄色がかったところは真水、下が海水です あいにくの雨で水が濁っていましたが、それでもスズキやクロダイなどを見ることが出来ました。クサフグ、アメフラシなども見られるそうです。  外に出て振り返ると、ピカピカの北九州市の市役所の壁面にお隣の小倉城が映し出されていました。
門司から下関・唐戸市場へ 6.27
 
門司港駅は鹿児島本線の起点の駅です。開設されたのは大正3年  昔の駅長さんのコスチュームを着て記念写真を撮ることができます。 お友達とやっちゃいました。 終戦後、引き揚げや復員の人々が祖国に着いてほっとして飲んだという「帰り水」  門司港から船で下関に向かいます。ほんの5分ほどで下関港 に着くのです 関門橋をくぐっていきます。この写真には写っていませんが漁船や観光船などで関門海峡は大混雑でした。
 
下関といえば河豚。地元の方々は「フ」 と濁らず、「フク」といいます。福ですよね。 で、ここが関門海峡の新鮮な魚がいっぱいの「唐戸市場」。近くの人も観光客にも人気。 大変なにぎわいです。
それは・・→
河豚や鯛の刺身、鯨、蟹 、水産加工品が並び、100円鮨や海鮮丼を売っていて二階のテーブル席で安価で食べることができるのです。 でも私たちは二階の回転ずしに席を取りました。いつもは大混雑だそうですがお天気が悪かったせいか奇跡的にすぐ入れました  左上:車海老、右上:鯨のベーコン、左下:さざえ、右下:鯨のさえずり(タン) 他にも河豚とか、関東の回転ずしには無いものばかり頂きました。
下関の神社  亀山八幡宮と赤間神社
 
亀山八幡宮は「関の氏神さま」と親しまれている、下関の総鎮守。馬関戦争で死者が出なかったので「矢除八幡」とも。  これは「日本一のふくの像」。古くはここは島だったそうで、その周りを埋め立てて 馬関(下関の旧称)の町ができました 馬関の町を作る為、人柱となり海底に消えた「お亀さん」を称え、至る所に亀さんがいました。  伊藤博文が亀山八幡宮で刺客に襲われた時、お亀茶屋の木田梅子に助けられ、後に二人は結婚しました。↑茶屋跡  下関の海を見下ろす高台。文久3年久坂玄瑞の指揮で馬関戦争の火ぶたが切られたのはここ亀山砲台からでした。
   
赤間神宮には竜宮城みたいな門があります。 源平壇ノ浦の戦いで、幼い安徳天皇を抱いた祖母二位の尼が「海の底にある都に参りましょう」と言って飛び込んだ、という平家物語の一節に因みます。この時安徳天皇の母徳子(後の建礼門院。京都大原寂光院に入寺)をはじめ多くの女性たちが源氏方に掬い上げられ生還しました。多くの女官たちは生活のために遊女となりましたが、安徳天皇のため、毎年手厚い法要を忘れませんでした。現在も5月に花魁姿の女官がお参り道中をする「先帝祭」が行われます。 平家一門の墓。
赤間神宮の隣には西日本唯一の御陵である、安徳天皇阿弥陀寺陵があります。 
赤間神宮はもとは「阿弥陀寺」というお寺。ここに住んでいた琵琶の名手、芳一 の話は小泉八雲の「耳なし芳一」であまりにも有名です。
下関の水族館 「海響館 」
   
下関の水族館「海響館」に入りました。イルカのモニュメントのあるきれいな水族館  イワシの群れが渦を作ってとてもきれい。その中をエイがゆうゆう泳いで行きます。 これ何の魚かなあ?体が黒くて背びれと胸びれが透き通っていてきれいなので  見事な桜鯛。見ている人たちも思わず「うまそう」・・・だめですよ!  天然記念物のカブトガニ。動きも面白いです。北九州にもいるらしい。 
   
さすが下関。日本だけでなく、世界中の100種類もの河豚が飼育されています。  で、河豚って、正面から見ると実に可愛い顔をしているんですよね。  クラゲも沢山展示されていました。透明で美しく、泳ぎ方も優雅なので人気です  ゴマフアザラシはひょうきんもの。こんな風に顔だけ水面に出して立って浮いていました。  トンネル状の水槽をくぐると、ペンギンが空を飛びます!さーっと泡がたってきれいです。 
   
屋外の「ペンギンふれあい広場」にいるのはフンボルトペンギンのファミリー  哲雄先生が指を動かすと、子供のペンギンが合わせて泳ぎます。遊んでくれるんです。  山口県は昔からクジラ漁で有名です。クジラの小さいものをイルカといいます。  ここはフランシスコ・ザビエル 上陸の地だそうです。イエズス会のエンブレム付石碑 巌流島上陸つき遊覧船が出ています。武蔵と小次郎の衣装で呼び込み中のお兄さんたち
門司港周辺 
   
下関から舟で戻って、お友達が連れて行ってくれたのが「門司港地ビール工房 」 出来立ての地ビールが飲めます。でも「門司港驛ビール」は残念ながら売り切れでした。 そしてここの名物が石窯焼きのピザ。みんなで分ければおやつにちょうど良い!  窓際の最上席でピザを食べていたら、あ!今渡ってきた橋が動き始めました!!  跳ね橋が上がって下を観光船が通っていきました。上がらなくても通れる高さでしたが(笑) 
   
門司には明治・大正期に建てられた洋館が多く残っています。これは三井物産の接客・宿泊施設として建てられた旧門司三井倶楽部。 大正11年にはアインシュタイン博士夫妻が宿泊。アインシュタインのサインも残されていました。門司生まれの作家林芙美子の資料室もあります。 旧門司港税関。明治45年に建てられたもの。昭和初期まで税関庁舎として使われていたそうです。  旧門司港税関の内部。二階は美術ギャラリーになっていて、この日は写真コンテストの会場になっていました。 旧大阪商船。大正6年に建てられた大阪商船門司支店を修復したもので、やはりギャラリーやカフェなどが入っています。 
博多の夜  6.27
     
博多はちょうど 山笠の時期だったので商店街に出番を待つ「やま」や「かざりやま」が置いてありました。「作成中」の札がついているものもありましたが、大きくて見事なやまばかり。 博多祇園山笠は博多の総鎮守 櫛田神社のお祭り。スサノオの命に対する氏子の奉納神事です。 このお城みたいな料亭の おかみさんは、長谷川法世の漫画「博多っ子純情」のヒロインのモデルらしいです 商店街のアーケードに下がっている博多弁番付。「えずい」は「コワイ」、「ねずむ」は 「つねる」なんですって!
太宰府天満宮  6.28
   
 太宰府天満宮駅を降りるとすぐ参道。両側に、梅が枝餅や天神様にまつわるお土産のお店が並んでいます。 日曜日は、受験生のお参りも多いし、観光客も 押しかけます。韓国の団体も多いみたいです。 赤い太鼓橋は神様がお渡りになる「ご神橋」です。参拝者は、ここを渡ることによって浄められるのです。  ご本殿は桃山時代の建築で、重要文化財です。学問の神様にあやかろうとお参りする参拝客たち(私もその一人) 太宰府に左遷された菅原道真公を慕って京都から飛んできたという「飛梅」。ここのご神木です。 
   
菅原道真公は野見宿禰の子孫なんです。大麻毛早に勝った野見宿禰は土師氏を名乗り桓武天皇に仕え、その子孫が菅原姓を名乗ったとか。 これは「夫婦樟(めおとぐす)」右の小っちゃいのとペアなのかな? 名物梅が枝餅。屋外に腰かけてお抹茶セットを頼んだらお懐紙に紫陽花が乗っていました。焼きたては美味!  道真公のご遺骸を安楽寺に運ぶ途中、突如牛が動かなくなったので、これは故人の遺志であろうと、ここに天満宮を建てたのです。 太宰府天満宮は、博多から西鉄に乗り二日市で乗り換えるのですが、一日数本、こんなラッピング列車が走っています 
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  桂離宮  4.27
桂離宮は後陽成天皇の弟君、八条宮初代智仁親王により建てられた宮家の別荘です。
子供の頃の教科書に市松模様の襖の写真が載っており、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが絶賛したと書いてあるのを読んで、ずっと憧れていました。
宮内庁の管理なので、拝観には予め、ネットか、葉書による申し込みが必要です。また、20歳以上でないと入れません。
今は日本ブームで外国人観光客も多いので、予約開始まもなくいっぱいになるようです。
表門から御幸道。お客様がたはこの手前にある平らな石のところでお輿またはお駕籠を降ります。 外腰掛から蘇鉄山。お茶室に案内されるまでの腰掛からはお庭は見えず、異国情緒を楽しみます。 松琴亭は桂離宮で最も格式のある茶室です。お茶室と言っても中は広く、お茶会だけではなく、食事も出せるよう、炊事場もあります 松琴亭内部の、有名な市松模様の襖は加賀奉書紙が使われていましたが修復は越前和紙で行われたそうです。また時が経ち色褪せて来ています。
桂離宮は季節によって色々姿を変えるそうです。4月はツツジの季節。池の向こうに見えるのは書院(御殿) 賞花亭は中の島の小高い丘の上に立つ、「峠の茶屋」をイメージした茅葺の屋根のあづまやです。   園林堂は茶室ではなく持仏堂として作られました。扁額は御水尾天皇。あの「紫衣事件」の中心人物ですね 園林堂も賞花亭のある小島にあります。橋の下を舟が通れるよう、橋げたが高くなっています。
笑意軒は茅葺の下に杮葺の庇が付いた田舎家風の建物。手前の池の縁の石組は舟をつけるためのもの 腰の低い窓の下の部分に注目。紺と銀の大胆なデザインです。窓からの景色も部屋の意匠のようです。 月波楼は月見に良い設計となっています。秋は紅葉の山が見える部屋と池が見渡せる部屋 があります。 月波楼内部。天井は舟底型の化粧屋根裏で覆われています。「歌月」の扁額は霊元天皇の宸筆。
左から新御殿、中書院、古書院。全体を「御殿」とも呼びます。古書院は池に面しています。  御殿の後ろには昔は田んぼを作り、障子を開けると田舎をイメージする景色が広がっていたそうです。 お客様をお迎えする玄関。左端の石段が「お輿寄せ」前庭は苔で覆われています。  お庭に続く道の両側は生垣で先の景色が見えません。目の前に突然、池と木々や築山が広がる趣向です。
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金戒光明寺・建仁寺・松尾大社 4.26
金戒光明寺 
京都の方からは「くろ谷さん」と親しまれている金戒光明寺は法然上人が比叡を下りて最初に入ったお寺だそうです。院長の両親の菩提寺、神楽坂の光照寺の浄土宗総本山です。 黒谷は、お寺でありながら戦時には本陣として使えるようお城のように作られています。文久2年、京都守護職会津容保は1千名の部隊を率いてここに駐屯し、新撰組を差配しました。 新緑の美しい季節、堂々とした山門は、万延年間建立のもの。  法然上人75歳ののお姿を奉安する御影堂は、昭和9年の火事で焼失し、昭和19年に再建されたそうです。(戦時下でねえ・・。さすが京都)
ここを訪れた目的のひとつはこの「五劫思惟阿弥陀像」。長い修行で螺髪が伸びてアフロヘアになった仏様。五劫(寿限無でおなじみの年月)でこれしか伸びなかった? これは二代将軍の御台所お江(宗源院)の供養塔。
この広い墓所には山崎闇斎のお墓もあると書いてありましたが見つけられませんでした。 
墓所の間の石段を登っていくと三重塔があります。お城で言うと天守のように見えます。  三重塔のある高台からは京都の町が一望できます。家康が京都の守りの要に砦となる黒谷を作ったのがよくわかります。 
建仁寺 
祇園の賑やかな通りを過ぎると、広い空間があります。京都で一番古い禅寺、建仁寺です。修学旅行以来です。  建仁寺と言えば勿論、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」。屏風や襖絵はレプリカが作られ展示 されているので撮影自由。 レプリカとはいえ、キャノンと京都伝統工芸家が協力して作成された海北友松の「雲竜図」は迫力満点です。  落ち着いたたたずまいの方丈は重要文化財。
方丈庭園の枯山水。
庭に立っているカエルの付いた石は何? 明治時代の画家で僧侶、田村月樵遺愛の硯なんですって。 秀吉の北野大茶会で紙屋川土手に造られた茶席の副席と伝えられる「東陽坊」という茶室もお庭に。  安国寺恵瓊の首塚。関ヶ原後、西軍の参謀だった恵瓊は石田光成らとともに六条河原で斬首された。 ちょうど牡丹の時期でした。
境内には見事な花が咲き誇っていました。 
松尾大社 4.27
松尾大社は、太古の昔、霊山信仰から始まり、のちに秦氏の一族が朝廷の守護神として 大山咋神を祀った社だそうです。赤い鳥居の下に下がっているのは榊の小枝を束ねたもの。右は随神門。江戸時代初期のものです。  左右の随神の周囲の金網にはには、願い事を書いた杓子がたくさん差してありました。 松尾大社はたくさんの山吹でも知られています。境内いっぱいに黄色い可憐な花が咲いていました。 
これは撫でてお願いをする「撫で亀」。和銅7年 松尾山の谷で、『首に3つ背中に7つの星があり、前足に離の卦、後足に一支、緑と金の尾毛を持つ亀』 が見つかり、朝廷に献上されて、元号は「霊亀」に改められました。この谷には霊泉「亀の井」もあり、亀に所縁のある神社です。この水を使って(混ぜて)お酒が造られます。松尾大社には「醸酒」(製造者用)「販酒」(販売者用)「服酒」(無論飲む人用)の三つのお守りがあります。 松尾大社から少し歩いたところにある妙徳山華厳寺(通称「鈴虫寺」)には必ずひとつだけは願いを叶えて下さるお地蔵様がいらっしゃいます。草鞋を履いた珍しいお姿は、お地蔵様の方から訪ねてくださるから。 帰りのバスから見た渡月橋。
平日でしたが、この近くは人が多く、賑わっていました。
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秩父の神社  3.14~15
聖神社 ・日本通貨発祥の地
 
8世紀の初めにここ黒谷(くろや)で和銅が 発見されました。元号は「和銅」と改められ、初めての和製の銅銭「和同開珎」が発行されました。 その祝典の為の祝宮が「聖神社 」。ご神宝は13個の和銅石。百人の文武官を遣わす代わりにと、雌雄の銅製百足が朝廷から送られました。  聖神社から15分ほど歩いたところに和銅の露天掘り跡があります 。飛ぶ鳥よりも早く走って毎日都に銅を届けた「羊太夫の伝説」が残っています。  右は朝廷から贈られた銅製百足のレプリカです。  
秩父神社 
武蔵国成立以前に栄えていた知知夫国の総鎮守。およそ1100年の歴史があります。京都祇園祭・飛騨高山祭とともに日本三大曳山祭りの一つとされる秩父夜祭(12月)で有名です 社殿は天正20年、徳川 家康の寄進によるもの。江戸時代初期の建築様式を留めており、埼玉県の有形文化財に指定されています。 本殿左壁の彫刻は 左甚五郎の「子育ての虎」。この下に「親の心得:赤子には肌を離すな・幼児には手を離すな・子供には眼を離すな・若者には心を離すな」という立札がありました。 「北辰の梟」。体は南の本殿方向を向いているのに顔は北を向き、妙見菩薩を守っている。秩父神社は鎌倉時代に妙見信仰(北辰=北斗星を神とする)と結びつき、「秩父大宮妙見宮」と称されていました。
 これも伝左甚五郎作「つなぎの龍」。秩父霊場札所の一つ少林寺近くの天ヶ池で龍が暴れ、そのたびにこの社殿の下に水溜りができるので、この彫刻に鎖を付けたところ、龍が暴れることがなくなったという伝説があります。  これは「お元気三猿」。日光東照宮の猿は「みざるいわざるきかざる」ですが、ここの猿は「よく見、よく聞き、よく 話そう」 細いスペースに彫られた「鯉の滝登り」にちなんで難関突破のお守りの根付を売っていたので即買いました。 
三峰神社 
   
三峰口から三峰神社まで、ロープウェイが2007年に廃止されたので、山道を車で行きます。ここは荒川を堰き止めて作られた秩父湖(ダム湖)です 三峰神社の名は、雲取山、白岩山、妙法嶽の三つの峰が背後にそびえることに由来します。珍しい三つ鳥居(三輪鳥居とも)があります。 修復なった美しい拝殿。守り神は大真口神(お犬様、ご眷属)。三峰神社には狼信仰があり、境内の狛犬はオオカミの姿をしています。 左のご神木に触ってパワーを頂くことができます。右は「縁結びの杉」手前の祠にある紙に相手の名前を書いて納めると恋愛が成就するそうです。
平成24年、拝殿前の敷石に、突如この年の干支である龍の姿が現れました。不思議不思議!! 長い歴史を持ち、たくさんのパワースポットのある三峰神社は標高1100m、3月半ばには雪が残っていました。  お仮屋。お犬様を祀っています。ご眷属(けんぞく・神の使い)は深山におわすので、仮にここでお参りするのだそうです。 遥拝所から妙法嶽の頂上にある奥宮(見えないけど)を拝します。標高1300mの妙法嶽は右下の雪道の先です
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聖天宮 ;2.20
 畑のど真中、ひときわ目を引くこんな豪華な建物が坂戸市塚越にあります。「聖天宮」は台湾の神様を祀るお宮です。
「聖天宮」の建て主は台湾の資産家。「三清道祖」に願って不治の大病が癒えたので、深謝の念でお宮を建造しました。
お宮の場所を決めるに当たり、何とお告げで、中国ではなく、坂戸のこの地に建てるよう指示されたのだそうです。
 
 最初に建築中のこの建物を見たときは、怪しげにみえました。  広場の奥にこれまた立派な門があります。柱には読めない漢字が  両側の渡り廊下を通っていくと本殿です。お参りの祭壇があります  本殿の天井。中央の高いところに二羽の鳳凰。周囲には金色の龍。
 お守りは、性別、干支、九星と、願い事によって異なるものが180種類用意されています。線香の煙をくぐらせるとよりご利益が増します。  廊下の壁画は中国の故事が描かれています。ここでテレビの子供向けヒーロー番組の撮影をしていたこともありました。  通路の入り口左右に守り神。陰陽道に基づいて作られています 
 台湾式のおまいりは、50cm位ある長いお線香を3本たて、台座に跪き、手を合わせたら、男性は掌を下に、女性は上にむけて額と手を足元の台につけます。これを12回繰り返します。
 
私も聖天宮で「学業成就」のお守りをいただき、この奥の本殿でお線香をあげてお祈りしました。 中門の袖の部分から「鼓楼 」に上がれます、と書いてあったので、階段を上がってみました。 毎日3時に太鼓がなるそうで、「大きな音が出ます。びっくりしないように」と書いてありました。  鼓楼のバルコニー部分からは 外の門と、その先の広い畑と高圧線が遠くまで見渡せます。
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 坂戸市の古墳めぐり  2.1
意外なことに鶴ヶ島坂戸周辺には古墳が沢山あります。ご近所の古墳さがしに出かけてみました。ここにご紹介するのはほんの一部です。古墳の上には神社が建っているところが多く、そういう古墳は保存はされていますが発掘はされていないようです。また、私有地にあったりして調査がされないまま崩されてしまう古墳も沢山あるようです。少しずつでも調査が進み、貴重な史跡として保存されることを望みます。 
 
 雷電塚古墳は前方後円墳。右側が後円部。木が立っているところに雷電社があるのでそう呼ばれます。平成2年に発掘調査が行われ、埴輪や須恵器の破片が見つかり、6世紀半ばのものと推定されています。  東光寺古墳。左の写真が東光寺。裏ににこんもりとした円墳があります。
東光寺は真言宗のお寺。14世紀に建てられたという伝承もあります。このあたりの豪族青木氏の菩提寺としてこの地区の信仰の中心的存在でした。
小高い丘の上に立つ勝呂神社。この丘は第8代孝元天皇の孫にあたるタケヌナカワワケノミコトの陵墓。平安時代中期に神社が建てられ、源義家が戦勝祈願を行ったという記録もあります。社殿からは富士山が良く見え、撫でると勝負に勝てる「勝運霊石」があります。また、「裏参り」の場所や、稲荷社、天満宮、八幡社、牛頭天王社などもある、小さいのに見どころ一杯の神社でした。天満宮らしく紅梅も咲き始めていました。 義家が鎌倉に駆けつける途中、腰を掛けて休んだのがこの塚=古墳。それでこのあたりの地名は「塚越」、この古墳は「義家塚」と言います。
 
 「胴山古墳」も比較的大きな前方後円墳なのですが、後円部はロープが張ってあり、子供たちのターザンごっこの場になっており、前方部は崩れてゴミが捨ててありました。 土屋神社のある、土屋古墳。背後の大きな神木杉は樹齢1000年を越えると言われる巨木。平成10年からの樹勢回復の努力が実り、青葉を付け始めています。  社殿の横から、この円墳の石室の入り口が見られます。古墳は7世紀後半のものとされています。
このあたりは「浅羽野」地区といいます。
浅羽野の名は古く、万葉集にも見られます。土屋神社に隣接した公園には「くれなゐの浅羽の野らに刈る草(かや)の束の間(あいだ)も吾(あ)を忘らすな」の万葉歌碑があります。
 
この辺りの民家の庭や畑の端に、祠が乗っている丸い土盛りがあります。大きな古墳の周囲には幾つかの小さな古墳があるようです。 石上神社古墳(成願寺古墳群・2号墳)はもとは前方後円墳だったとのことですが、現在石上神社が建っているのは円墳状の丘の上です。 社殿の横に 県の天然記念物に指定されている「ねじれビャクシン」の木があります。ビャクシンは臨済宗と関係の深い木で、ここも元成願寺という臨済宗の寺の境内だったそうです。  坂戸市のお隣川島町の名物は地元の小麦を使った地粉うどん。夏はさっぱりした「すったてうどん」。冬は↑のような味噌煮込みうどんがお勧め。中央の白い山はオカラです。
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 みちのくの仏像 H.27.1.25
 上野国立博物館で2015.1.14~4.5まで開催中の「みちのくの仏像」展
1.25は快晴。駅の向こうにスカイツリーも見えます。
 久しぶりに来てみたら、文化会館の先のカフェもきれいになっており、いつの間にか、スターバックスもできていたんですねえ。 噴水の周りにチューリップが植えてあって、見たところ行列もなくて、気持ちの良い日曜日です。
動物園はこどもがいっぱいでしたが。
噴水の横に水で描いたこんな絵が。
去年くらいから話題になっている上野公園の水絵描きおじさんの作品らしいです。
 
          
十一面観音像
宮城・給分浜観音堂
高台にあったので被災を免れました。14世紀 
聖観音菩薩
岩手・天台寺
表面一面のノミ目が美しい観音様・11世紀 
 釈迦如来像
青森・常楽寺
円空作ですが、初期のもので、表面を滑らかに仕上げています。17世紀
十二神将立像のうち、左から丑神、寅神、卯神、酉神の4体
山形・本山慈恩寺蔵。
本山慈恩寺のある寒河江氏は都の影響を早くから受け、
仏教文化が栄えました。
個性豊かな十二神将は中央の仏師による作だそうです。
表情の荒々しさとリアルな筋肉の腕や足が魅力
薬師如来坐像
岩手・黒石寺蔵・9世紀
像には貞観4年(862)の
墨書銘があるので、
この仏様は7年後の
貞観大津波も経験なさった
 ことがわかります。
(以上無料パンフより転載)
 
東北のお寺はいくつか行ったことがありますが、今回は初めて拝観する仏さまばかりでした。20体ほどの小さな展示でしたのでゆっくりと見ることができ、一体一体の印象が強く残りました。
また、近くの展示室で、3.11の津波で被害を受けた博物館の展示物修復の様子も見られます。
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