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2012年6月〜 2014年6月  
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ミホミュージアム(滋賀)と吉田神社・真如堂(京都) 
 桃源郷の美術館 ミホミュージアム2014.12.7
       
ミホミュージアムで2014.12.14まで行われていた特別展「獅子と狛犬」を見に行きました。常設展示もとても魅力的です。  駐車場はレセプション棟の近くにあります。自家用車で入れるのはここまで。レセプション棟には有機野菜のみを使ったレストランなどもあります。  レセプション棟からは徒歩またはスタッフの運転する電気自動車で美術館棟に向かいます。このトンネルの向こうです。  トンネルを過ぎ、橋を渡るとこんな形の美術館棟がみえてきます。創設者はトンネルの先は桃源郷をイメージして作ったそうです。
     
特別展は北館で行われていました。常設展示は南館のエジプト室、西アジア室、南アジア室、中国・ペルシア室。興味深い美術品がもりだくさん。  南館には喫茶室があり、ここも有機農法で栽培された食材で作ったお菓子とお茶が楽しめます。私はお抹茶と和菓子をいただきました。  美術館棟側から見た橋とトンネル。紅葉は終わりかけでしたが、それでもこんなにきれい。春はトンネルを抜けた先に枝垂桜のトンネルがあります。  ミホミュージアムがあるのは滋賀県甲賀市信楽町。そう、信楽焼の里です。道の両側に窯が並び、お馴染みの信楽焼のタヌキでいっぱいです。
吉田神社と吉田山の「茂庵」2014.12.8
 吉田神社は京都大学のすぐ東側にあります。「ここにお参りすると受験に失敗する」と京大卒の方に聞きましたが真偽のほどは不明です。 清和天皇の頃平安京の鎮守として勧進され、室町中期、山上に大元宮が作られてからは吉田神道の総家として権威を誇っています。 上段左は守護としての鹿、右は「君が代のさざれ石」。ミホミュージアムで狛犬について学んだので狛犬もつい気になります。  吉田山にはお社が沢山あります。これは山陰神社。料理の神様だそうで、有名なステーキハウスや老舗の料理屋さん寄進の石柱が沢山あります
 斎場所大元宮。もと吉田家邸内にあったもの。八角形の珍しい形は密教、儒教、陰陽道、道教などを統合しようとした吉田神道の理想を表します 宗忠神社は黒住教祖黒住宗忠を祀る神社。両親も自分も重い病にかかったのを文化11年冬至の日に神の啓示をうけて回復。黒住教を創始した。 宗忠神社には、珍しい逆立ちの陶製の狛犬があります。左が「阿」右が「吽」。この神社には山上なのにかつて水の湧いた「神井戸」もありました  竹中稲荷は幕末に勧進された神社。お稲荷さんだから商売繁盛の神様かな。ご祭神は猿田彦神(案内の神様)、天鈿女神(芸能の神様)
 
「紅燃ゆる」の碑。「吉田山」ってどこかで聞いたなあ、と思ったら、旧制三高の寮歌に出てきたんでした。これは吉田山山頂にある寮歌「紅燃ゆる」の石碑。  ここは吉田山の三等三角点。「北緯 35°1分18秒168、東経 135°47分19秒724、標高 105,12m」とあります  そして雑木林を抜けた先にある山頂のカフェ「茂庵」。茂庵はもとは大正時代に作られた茶苑。8つあった茶室のうち2つが残っているそうです。ここでは毎月茶会も行われます。 手作り感のある木枠の窓から愛宕山、三尾、衣笠山、洛北の町並みやお寺、そして左大文字、船形等の大文字山が一望できます。バニラアイスの抹茶がけをいただきました。
 真如堂(真正極楽寺)2014.12.8
 
 吉田山を下りて真如堂に向かう途中に「陽成天皇陵」がありました。街なかに当然のように古墳がのこる京都です。  鈴聲山真正極楽寺というのが正式名称。開祖は戒算上人、開基は984年ですから1000年以上前。観経曼荼羅とお庭が特別拝観中でした  真如堂は紅葉で有名です。もう紅葉の時期は終わっていましたが、三井家によって建てられた萬霊堂のお庭は落ち葉で彩られていました。  これが特別公開中の「涅槃の庭」1988年曽根三郎作。中央に横たわるお釈迦さまと周囲を取り囲むように弟子を表す石が置かれています
 
行田古代蓮の里とさきたま古墳群 2014.7.21
 古代蓮の里
 
 ここは行田古代蓮の里。昭和46年、この近くでの公共施設建設工事の時、掘削跡にたまった水で池ができました。そこに偶然出土した古代蓮の種子が自然発芽し、開花しました。その後の研究で、この蓮は恐らく1400年〜3000前のものと推定されています。数千年の眠りから覚めた多くの蓮の実が自然発芽で一斉に開花するのは極めて珍しいことです。公園内には、古代蓮池のほか、博物館や、忍城も見える行田タワーがあります。 行田は江戸時代、良質の米が採れました。隣の水田は稲のアートのキャンバスになっています。稔りの時期には埴輪や古代人の絵が浮き出ます。
 さきたま古墳公園
 埼玉古墳公園は行田市の南東にあります。ここには大型古墳が集中しており、「さきたま風土記の丘」として整備されています。歩いて回れる距離に、愛宕山古墳、二子山古墳、稲荷山古墳、将軍塚古墳、瓦塚古墳、鉄砲山古墳、奥の山古墳、中之山古墳(以上は前方後円墳)、丸墓山古墳(円墳)などがあります。
 稲荷山古墳は115文字の銘文が彫られた「金錯銘鉄剣」が発掘されたことで有名です。また、丸墓山古墳は日本最大の円墳として知られ、将軍山古墳は横穴式の石室が復元されており、中に入ることができます。
 
 愛宕山古墳は全長53mと小さいですが周囲に二重の堀があり、出土品から6世紀前半のものと推定されます  瓦塚古墳は全長73m。やはり二重の堀があり、多数の須恵器が出土していて、6世紀前半のものと推定されます  二子山古墳は全長138mと埼玉県内で最大の前方後円墳。大埴輪が沢山出土。やはり6世紀前半のもの。 115文字もの銘文が刻まれた鉄剣が発掘されたことで有名な稲荷山古墳。これは丸墓山古墳から見たところ
 
 稲荷山古墳には階段が付いていて上ることができます。前方後円墳です。これは前方部。 前方部から一度下がって後円部に上ります。   この時代は後円上部から墓室に埋葬したそうです。ここが入り口です  丸墓山古墳は直径109mの円墳。これは稲荷山古墳の上から見たところ
 
 石田光成が忍城の水攻めをしたときに作った石田堤の説明板が丸墓山古墳のふもとにあります。  石田光成は丸墓山古墳の頂上に陣を張りました。
丸墓山古墳にも上れます。
三成は古墳を利用して堤の一部としました。丸墓山古墳からは忍城がよく見えました。  これは将軍山古墳(稲荷山から)。多数の馬具が発掘され、6世紀末の古墳と推定されます。
 
 将軍山古墳は明治時代、近所の住民によって横穴式の石室が発見され、最近になって整備されました。これは石室中の展示物です。  県立さきたま史跡の博物館。さきたま古墳群からの出土品やいろいろな資料が展示されています。  稲荷山古墳についての江戸時代の文献。  左は稲荷山古墳を有名にした「金錯銘鉄剣」。「辛亥年七月中記」などの文字が刻まれています。右上も鉄剣。右下は馬具の飾り。出土品で年代が推定されます。 
 近江路・大津〜長浜2014.6.20
 先ずは大津。初めは三井寺です。源氏物語ゆかりのお寺です。平家物語にも出てきます。
 仁王門。560年前の建立。慶長6年にここに移築されたそうです。  釈迦堂。室町初期の建築 石段と 金堂。ここが三井寺の総本堂で、ご本尊の弥勒さまは秘仏です  三井の晩鐘。
 閼伽井屋に今もぶくぶくと湧く水。この建物に伝左甚五郎作の龍の彫り物があったのですが撮影し損ないました。  善神堂。鬼子母神を祀ってあります。  弁慶の引き摺り鐘。比叡山に引き摺りあげられて「帰のう、いのう」と泣いたら弁慶に谷底に落とされたんです  一切経蔵と三重塔。
一切経が収められている回転棚  観音堂  大津の街と琵琶湖が一望できます  大津はそろばん発祥の地です
 三尾神社(みおじんじゃ)
 
 三井寺のお隣にあります  ここは兎の神社。手水もウサギ  瓦にも兎の姿が。  門の屋根には見かえり兎
義仲寺にも行きました 
   
 義仲寺には木曾義仲を祀った塚と、この寺を愛した芭蕉の墓があります。  この近くに巴御前の庵があったとも。左が義仲の墓、右は巴御前の塚石  芭蕉翁のお墓があります。 芭蕉庵には 伊藤若冲が花の絵を描いたと伝わる格天井があります
 建部大社へ
 
 夏の大祓神事「茅の輪くぐり」左右に8の字を描いてこの輪をくぐりました。  本殿はとても立派です。ご祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です  大きな石灯籠が目を引きました。百済から渡来した大友氏が作ったもの  これが建部大社のご神木の根。「産霊(むすぶ)の樹」とありました
石山寺も大きなお寺です。 
 堂々とした造りの東大門。
石山寺は良弁僧正の開基。紫式部のお寺としても有名です
 毘沙門堂。本尊の兜抜(とばつ)毘沙門天は大坂で加工しここで組み立てたのだそうです。  美しい青葉に囲まれた蓮如堂。蓮如上人にまつわる物が収められていることからこう呼ばれます  御影堂。弘法大師の御影が安置されています。室町時代の建立だそうです。
 良弁僧正の杖が根付いて育った桜と伝えられる「良弁杖桜」。古花の奈良八重桜です。  石山寺の名前の由来となった「硅灰石」。石灰岩と花崗岩の接触でできるのだそうです。大理石も同様。  石山寺の本堂は滋賀県最古の木造建造物。本尊の如意輪観音は秘仏で33年に一度開扉されます  本堂には紫式部が源氏物語を起草した「源氏乃間」があります。
草津「伊砂砂神社」 
       
 中山道にかかる「伊砂砂橋」
 伊砂砂神社本殿は応仁2年に建てられた、重要文化財です。  明治以前は「天大将軍社」という名称だったそうです。  ご神木はモッコク。海岸に生えていることが多く、内陸の大木は珍しい
彦根城 2014.6.21
国宝彦根城にずっと憧れていました。美しいお濠が迎えてくれます 金亀山に建てられたので別名は「金亀(こんき)城と言います。  コの字型の天秤櫓。内側 が回廊になっている珍しい櫓です  天守が完成したのは慶長12年ごろ。攻められたことがなく、昔の姿です
 △から鉄砲の先を出して敵を撃ちます。矢狭間は□です。  武者溜(むしゃだまり)。今は観光客溜ですね。  天守から琵琶湖。朝のうちに来ればもっときれいな湖が見られます。  右の石段は「雁木」。大勢の城兵が一気に駆け上がって攻撃するため
 
 これは4代藩主井伊直興が建てた下屋敷「槻(けやき)御殿」。直弼の建てた「地震の間」などもあります。  やはり井伊直興が整備したといわれる庭園「玄宮園」。江戸時代の大名庭園らしい、池と橋とあずまやのある、回遊式庭園です。 玄宮園から彦根城の天守が見えます。  博物館横で、ゆるキャラブームに火をつけた人気もの、ひこにゃんのショーがあります。
埋木舎  井伊直弼は文武ともに長けた優秀な人材、十四男だった彼は、才能を発揮する機会のないまま風流の世界に生きていました。「ちゃかぽん」=「茶」「歌」「ポン(能の鼓の音)」 はそんな不遇時代のあだ名です。
 
 井伊直弼は部屋住み時代、自らを埋もれ木に例えていました。  「むっとして戻れば庭に柳かな」
柳を見て心を落ち着けたのでしょう
 こんなふうに長野主膳と会って国学の講義を受けたのでしょうか? 埋木舎に向かう道の松は初め47本だったことから「いろは松」と呼ばれます
天寧寺 五百らかん 
 天寧寺は井伊直弼(幕末)の父、彦根13代藩主直中が建てたお寺で井伊家の菩提寺です  広い本堂の周囲の壁にはぎっしりと仏像が並んでいました  井伊直弼の供養塔。桜田門外で暗殺された時の持ち物などが納められているそうです  高台にある天寧寺からは彦根城の天守を臨むことができます。
長浜  お城と琵琶湖と黒田観音寺2014.6.22
 
 谷崎潤一郎の「盲目物語」の冒頭「わたくし生国は近江の国長浜在でござりまして、誕生は天正21年みずのえねの年でござりますから、当年はいくつになりまするやら・・・。」と始まる美しい文章に憧れて長浜に来ました。左は琵琶湖のほとりにある豊公園からの長浜城天守(歴史博物館)、右は目の前の琵琶湖です。晴れていれば竹生島や対岸も見えるのですが。  黒田観音寺は長浜の北、木之本黒田地区「黒田官兵衛の里」にあります。ここの観音様にお会いしたくて北陸自動車道を北上しました。  伝千手観音となっていますが、お顔も十一面ではなく、腕も18対なので「准胝(じゅんてい)観音」という、密教の仏母らしいです。事前に申し込んでおけば参拝できます。
 
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 毛呂山町ローズガーデンばら祭り 2014.5.25
 毛呂山町滝ノ入地区に、地元ボランティアが育てているバラ園があります。一年のうちこの時期だけ、中に入ることができます。広い園内はバラの香りでいっぱい。あちらこちらにバラのトンネルがあって、まさにバラの国。夢中で写真を撮りました。
 
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石神井公園 U2014.2.23
一昨年も石神井公園に来たのですが、三宝池周辺はあまり歩きませんでした。厳島神社と池中のあずまや 厳島神社はこんな感じ。傍らに昭和天皇お手植えの松が。 水神社。比較的新しいちいさな社殿。 カエルの口から池に水が注がれます。湧水もあるようです。池の中から泡がたっているところもありました。
季節外れのカキツバタが一輪咲いていました。春にはカキツバタをはじめ種々な花が咲くそうです ここは石神井城址です。石神井城主は秩父平氏の流れをくむ豊島氏。文明9年、扇谷上杉の家臣太田道灌に攻められて落城しました。 当時の城主豊島泰経は黄金の鞍をつけた愛馬に乗り、三宝池に沈んだという伝説があります。縁者が建てたという「殿塚」 豊島泰経の二女照姫は父の後を追い三宝池に入水したと伝えられます。照姫を弔う「姫塚」も作られています
周囲は閑静な住宅街。洒落た洋館や趣のある日本家屋などが池のほとりに建っています。 園内には円形の野外音楽堂(?)もありました。平成26年2月の雪が残っていました。 マンガ雑誌に登場して有名になってしまった園内のお休み処「豊島屋」黄色い張り紙には「店内撮影お断り」です 豊島屋で買った「練馬サイダー」「大根の味?」はしません ふるさと文化館で買った「ブルーベリーエール」は区内農園でとれたブルーベリで作ったビールです
石神井公園三宝池の水鳥たち2014.2.23
 石神井公園には人がボートや釣りで遊べるボート池と、野鳥保護区域になっている三宝池があります。
カワセミの特別保護区にもなっています。
人を恐れず、ボート池にもたくさん泳いでいたカルガモ カルガモは雪の残る枯草に交じって見づらいけどクチバシの先は鮮やかな黄色 仲良しなのはハシビロガモの夫婦。ずっと一緒に泳いでいました。 オオヨシガモ(たぶん)は頭を水に入れて黒いしっぽを突出し、何やら食事中でした。
いたー!初めてカワセミを見ました。本格的カメラを構えた人達のそばに寄るのがなんだか悪くて遠くから撮ったのでピンボケですけど。 ゴイサギ。まわりが小さい水鳥なので立派に見えます。 オナガガモたちは日向で昼寝中
動きの速いカイツブリ。小さな体で熱心に水に潜っては魚を獲っていました。目の後ろが赤くてきょとんとこっちを見ているのが可愛い。 バンはクチバシが赤と黄色、足は鮮やかな草色です。 ちゃいろいバンと真っ黒なバンがいました。緑色の足ですぐわかります。
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秩父・長瀞町と寄居町2014.2.2
ここは長瀞町の宝登山神社。日本武尊ゆかりの神社でご祭神は神武天皇、宝登山の山霊、火伏神です。 秩父三社の一社で火災除・盗難除・諸難除の守護神。建物は幕末から明治初期にかけて造られたものです。 ロープウェイで5分、徒歩で50分ほどで宝登山(ほどさん)山頂へ。長瀞の町と秩父の山が一望できます。 山頂付近には梅園があり、今(2月2日)はロウバイが咲き始めたところ。一面に香りが漂います。
宝登山神社の奥ノ院がこの上にあります。哲雄先生がカメラを構える姿が見えます。 ここが奥ノ院。干し柿を買い、扇子の形のおみくじを戴きました。哲雄先生は大吉でした。 長瀞の駅から少し離れたところに、人気のお豆腐屋さんがあります。美味しいお豆腐も売っています。 一日限定25食の「冬のお豆腐ランチ」は、白菜や大根の入った豆乳鍋と湯葉、高野豆腐の煮物、おから、柚子と豆乳をまぶしたリンゴなど。
秩父鉄道の長瀞駅は「関東の駅百選」認定。ね、趣のある駅舎でしょう?手前の松とも調和していますよね。 これが長瀞名物岩畳の奇岩。太古には海底だったところが隆起して秩父山系になったのだそうです。 「ぽかぽかライン下り」と書いてありました。のぞきこんだら舟の中には長ーい炬燵が! さて、ここから荒川を下り、寄居町にある「川の博物館」に行きました。巨大な水車が動いています。
「アドベンチャーシアター」では水源から東京湾に注ぐ荒川を、雨粒の坊やになってたどる「水の旅」が上映されています。(ライン川扁もあり。)カワセミ君がガイド役です。 これはこんにゃく水車。昭和30年代までは実際にこんにゃく作りに使われていたそうです。 寄居町にあるもう一つの観光名所が「鉢形城址」です。関東管領山内上杉家が築城、後には北条氏支配下となり、天正18年秀吉に滅ぼされました。 廓周囲は荒川と深沢川の合流点で、断崖絶壁の天然の要塞となっています。柵の際に立ち、眼下の平野を見下ろすと戦国武将の気分です。
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日比谷公園2013.9.8
日比谷図書館で江戸楽セミナーが行われるので、ものすごく久しぶりに日比谷公園に行きました。 関東大震災復興のシンボルともなった日比谷公会堂ができたのは昭和4年。東京都選定歴史的建造物です。 野外音楽堂も今年90周年を迎えて立派に現役。雨の日はオーディエンスにはちょっと気の毒だけど 松本楼は公園創立の時からここにあります。学生運動のあおりで焼失してから、もう30年以上経ちますね。
日比谷公園は初の西洋式公園として明治36年に作られました。噴水は明治38年、公園の装飾用としては日本で3番目に古い噴水だそうです。最初銅製だった台座は戦時中に供出され、石作りに代りました。 これは馬の水飲み。同じものがお茶の水の水道博物館にありました。 この石橋は芝増上寺霊廟の旧御成門前桜川にかけてあった橋のひとつ。都市計画の道路造成に伴ってここに移されたらしいとのこと。 9.10月はここの広場でオクトーバーフェスタが開かれます。世界中のビールと軽食が集まっていて、ノンベたちでにぎわっていました。
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新潟白山神社と白山公園・県政記念館2013.8.15
朝の信濃川。
今日は近代公園としては新潟市で一番古い白山公園を訪ねます。
明治6年白山神社の境内に公園を作った時に狛犬や灯篭を集めた「獅子山」があります。 公園入口付近にある蓮池
猛暑の中、蓮池にはまだいくつかきれいな蓮の花が咲いていました。
白山神社は実は歯科医に関係のある神社。歯の神様で、境内には「歯固めの石」もあるのです。 哲雄先生はこのすぐ隣にある高校に通っていましたが、登下校の時に通り過ぎるだけ。初めてお参りしました。 「神明照覧」の扁額は戦後奉納されたもの。 格天井と大太鼓。奉納画は越後水軍かな?と思ったのですが「御城米積之風景」と書いてありました。嘉永5年奉納
噴水のある池には涼しげな藤棚やベンチがあり、市民の憩いの場となっています。 江戸時代泉屋宗平により奉納された道しるべ。「江戸へ九十五里」などと書いてあります。 タマ公は純柴犬。昭和9年雪崩で遭難した飼主刈田吉太郎さんを、昭和11年には刈田さん他3名を、何と二度に渡り救い出した人命救助犬です。 公園の創立者は明治5年6月から3年余り、新潟県令(後の県知事)だった楠本正隆。わが国最初の県議会を召集した方だそうです
白山公園に隣接して新潟県政記念館があります。明治16年県会議事堂として建てられたもの。 県政記念館正面図。設計者は新橋駅、大阪駅、神戸駅などの建築に参加した星野聡一郎(左下写真) 議会室。二階に一般傍聴人のための控室があります。議会の様子は手すりのあるところから傍聴したのでしょう 当時使用していた調度品や暖炉
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 会津若松・野口英世青春通りと会津の街の建物2013.7.14
渋川問屋というお店で
会津の郷土料理を頂きました
@食前酒は濁り酒 Aニシンの昆布巻きと棒だらの煮付 Bニシンの山椒炊き・鮭の寿司・こづゆ Cニシンの天ぷら・会津牛のステーキ D豆ごはん・そば粒粥 Eデザートは西瓜
 お店の奥に蔵があり、蔵の中はこんな風に立派な梁のある部屋。ここで会津の郷土料理をいただきました。
会津の街は野口英世が青春時代を過ごしたところ。「野口英世青春通り」があります。街灯には野口英世のレリーフが。 野口英世が手の手術を受け、のちに書生として学んだ会陽医院は現在「野口英世青春館」となり、1Fは「壱番館」という喫茶店になっています。 「野口英世青春広場」には野口英世の銅像があり、両側にお店が並び、野口英世を知るためのイベントが行われます。
野口英世通り付近には面白い建物がたくさんありました。この病院は古い洋館づくり。夜はライトアップされていました。 大正時代に流行した、銅板を葺いた建物。川越にも何軒か残っています。 煉瓦づくりの建物や黒い蔵造りの建物は明治中期から川越で建てられた商家とよく似ています。
これは酒屋さん。お店の前に大きな樽がありました。 白木屋資料館。会津塗の老舗白木屋に併設された資料館です。 蔵が建っていたり、コンクリに木の引き戸がついていたりする、こんな建物が多いところでした
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国立科学博物館特別展「深海」2013.7.7
ごぞんじ国立科学博物館
展示開始最初の日曜日なので混雑が予想されます
10:00AM、猛暑の中の行列。入場するまで10分ほどでした
ミストが出る扇風機が2基おいてありました。博物館側も用意周到。
海の明るさ。上から表層・中層・深層 表層中層深層の水温に触れて実感 塩分濃度の展示は見てもねえ・・ 水深6500mの水圧は670kg/cm3
しんかい6500の実物大模型
本物はチタン合金でできています
コックピット内の計器類をのぞいて中の狭さに驚きます 時々模型外壁に中の構造を示すスライドが写る 「よこすか」の後部からクレーンで海中へ
深海生物が沢山展示されていましたこれはダイオウイカをおびき寄せた「ヒロビレイカ」の標本 この魚は「ソコボウズ」
深海の魚は色が無い
そのソコボウズが泳ぐ様子が頭上のモニターの映像で見られます 下がタカアシガニの標本。上は深海で歩き回るタカアシガニの映像
ダイオウイカの標本。大きすぎて一枚の写真には納まらない。これは頭 足(腕)の付け根部分 触腕の先端部分 初めて撮影された生きたダイオウイカ大画面で映像を見ることができます
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国立科学博物館 地球館 
(「地球の多様な生き物たち」のフロア)
2013.6.12
企画展「江戸人」(江戸文化歴史検定のページにアップ)を見に上野の国立科学博物館へ。何時も素通りしてしまう科学博物館に、40数年ぶりに入ったので懐かしくて他の常設展も見学しました。時間が無くて、地球館のほんの一画しか見られませんでしたけど。
夕日を浴びる科学博物館。 天井には様々な海の生き物が 昨年沖縄で見ました、ジンベイザメ
でも今の入り口は建物の右下から入ります 小学生の頃に遠足で来た時初めてみた「フーコーの振り子」は昔のまま 深海のカニやエビ、イソギンチャクは白 ヒゲクジラのあごの動きがみられます
キリンとゾウの骨標本。ゾウはインディラらしいです。 マッコウクジラの骨標本も。 様々な地球上の生き物が展示された「系統広場」ここにいると「生き物は美しい」と感じます。 ミュージアムショップ入り口の恐竜テラちゃん。触ってもいいけど乗ってはいけません。
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仙台・登米
仙台市立博物館へ2013.4.28
土井晩翠先生の母校立町小学校
ここは通称晩翠通りといいます。
仙台市博物館はお堀と石垣が美しい青葉城跡にあります。 ここに来た目的は「伊藤若冲展」です。3年ほど前、NHKBSで伊藤若冲を取り上げた番組を見てから、一家揃ってすっかり若冲ファンになったので。
樹花鳥獣図屏風・白象群獣図モザイクのようなマス目で描かれている屏風絵は若冲のものではないという人もいるらしいけど、この斬新さと色使いはやっぱり若冲だとおもう。
東北大震災被害都市支援のため、日本人の夫人を持つアメリカ人日本画蒐集家プライス氏から東北三県での展覧会の申し出があったそうです。
仙台の街も好きです。面白いお店(KIJINですって!)見つけた商店街 仙台といえば牛タン。「伊達の牛タン本舗」のタンシチュー定食は美味! 晩年の若冲は色々な種類の鶏を実際に飼って観察したそうです。 若冲ファンの証拠。お財布は若冲のバラの柄です。
登米(とめ)市へ2013.4.29
登米町(現在の登米市)は宮城の明治村。これは教育資料館(旧登米尋常高等小学校) 明治21年建造。洋風のバルコニーのあるしゃれた造りです。 昭和初期の頃の授業風景。明治、大正、昭和の教科書や教材も展示 時鐘。「ご自由に鳴らして下さい」とあり、叩いたら大音響でした。
登米伊達家の城下町らしい風情が残されています。 水澤縣庁記念館。明治維新後この辺は水澤県でした。その県庁跡です。 水澤県が統合されてから、ここは裁判所として使用されました。 旧寺池城址にある登米懐古館。具足や刀剣が展示されていました。
警察資料館。明治22年に建てられ、昭和43年まで警察署として使われていました。 犯人気分で留置場に入ったり、警察署長気分で署長室の椅子に座ったりすることができます。 北上川の流れはゆったりとして気持ちが落ち着きます。向こう岸に桜並木が見えました。 創業享保元年という老舗の鰻やさんで鰻丼をいただきました。大変柔らかくて美味しい鰻でした。
歴史資料館から30kmほどのところにある大嶽山興福寺観音堂は奥州三十三観音札所です。 ここの六角堂はとても変わった建築で拝観したかったのですが、修復中でした、残念! 観音堂。周囲の壁に、中国の「二十四孝物語」の壁画があります。秘仏は33年に一度公開されるそうです。 山の上にある観音堂の近くには鐘楼があり、脇の枝垂桜が満開でした。
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高麗神社と聖天院(こまじんじゃとしょうでんいん)
日本書紀によれば、若光は高句麗からの使者でしたが、高句麗が新羅と唐に滅ぼされたため帰国できず日本で暮らすことになりました。716年に武蔵国に高麗郡がおかれ、朝廷は東海道の国々から1799人の高句麗人を移住させました。彼は渡来人たちを統率し、この地を渡来人の高い技術で開拓しました。
埼玉県日高市の高麗神社。ご祭神は高句麗から渡来した若光大王。代々若光の子孫が高麗神社の宮司を務め、現在の宮司さんは76代目です。
とらいくんとみらいちゃん。 国指定文化財の高麗家住宅 幽栖門というのが残っています
高麗神社の南東にある聖天院は高麗王若光の菩提寺です。山門修理中 羊は王の陵墓を守る守護獣として置かれています。 高麗王若光の霊廟。 池のある庭がきれいに整備されていました。左上に本堂の屋根が見えます。
若光王の石像
阿弥陀堂。 本堂。ご本尊はもともと聖天像でしたが今は不動明王です。 高麗川が流れる緑豊かな地が一望できます。
ソウルのパゴダ公園のものを模した八角堂。独立運動のシンボル的存在 在日韓民族無縁仏の慰霊塔。2000年に作られました。 塔の周囲の韓民族の偉人達の像は白衣の民族を表す白い石像
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東京スカイツリー2013.2.10
:念願かなってスカイツリーに昇りました。
見上げるととても堂々としています。幸いお天気に恵まれました。 通路の天井はしゃれた紫の麻の葉もようです。わくわくします。 エレベーターは春夏秋冬の4台。上が秋のイメージの鳳凰、下は夏の花火 エレベーターの天井は一部透明、昇っていく様子がわかります。
隅田川の上流。南千住と北千住方面。その先が荒川、その向こう側が埼玉です。 手前の緑は浅草寺で奥の緑は上野公園。浅草寺の向こうは昔田圃でその真中に吉原があったんですねえ。 おなじみ緑の屋根の国技館。その左の四角い白い建物が江戸東京博物館。国技館の右に安田庭園内の両国公会堂も確認できます。 富士山は宙に浮いているように見えました。江戸時代は唯一の高層建築であるお城とその向こうに見える富士が江戸の象徴でした。
ここが最高点。
451mのポイントです。
亀戸方面。手前はブルーベリー酢とミルクのドリンク。美味です。 荒川の向こうに東京ディズニーリゾートの火山とタワーがうっすら見えました 東京ドームが見える、という事は水道橋方面。左の方に新宿高層ビル
ガラス床から下を覗くと、さすがあ〜、という感じの高さ。 スカイツリーの影が向島の町並みに映っているところ。すぐ右は本所高校 手すりについているてっぺんペンと出口フロアのソラカラちゃん。 チョコクランチの缶の蓋。スカイツリーに抱きついているスヌーピー
左がてっペンペン
真中がソラカラちゃん
右はスコブルブル
東武鉄道には
キャラクターつき車両も
てっペンペンのぬいぐるみと
スカイツリーの影→
入場券は何種類かあり、朝・昼・夜のスカイツリー写真つき
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50年ぶりの江ノ島2013.2.3
本当は55年くらい前、幼稚園の時以来です。ロマンスカー快適! 小田急線片瀬江ノ島駅は開業当初から竜宮城の形をしていました 「この下のトンネルくぐって江ノ島へ」と川柳みたいな案内板がありました。 とんびがいっぱい飛んでいました
江ノ島橋をわたって行きます 弁天さまにお参りする善男善女たちの行列(私は行っていないです) 「朝獲れ」の字を見ただけで美味しそうですね 大森貝塚を発見したモースは日本で初めての臨海試験場をここに作りました
岬の突端にはヨットハーバー その二階にあるレストランで、以前勤めていたマリン歯科30周年をお祝いする会がありました。20数年ぶりに衛生士さんたちに再会。懐かしくて涙が出ました。そしてさすが江ノ島のパスタはしらすがたっぷり入っていました。 帰りの橋からの江ノ島。こんなに美しい夕日が見送ってくれました。
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江戸文字2012.11.3
江戸文字ってご存知?寄席の看板や「めくり」に使われている文字です。墨と白の部分が幾何学的、規則的で、書でありながら、画・イラストの面白さがあります。
神保町で開かれた江戸文字書家、春亭右乃香さんの個展を見に行きました。
江戸文字グッズもありました。江戸文字のひらがなを模様に使った一筆箋。
素敵でしょう?
右乃香先生のお弟子さんである友人から届く年賀状はいつもこんな江戸文字です。
かっこいい!
歌舞伎や相撲に使われる文字も江戸文字と似ていますが、歌舞伎文字は勘亭流といい、もっと丸みを帯びています。また、相撲文字は行司さんが書く文字で、ハネやトメの形が寄席文字と違います。
これ等の文字に共通しているのはお客さんの入りが良いように隙間をなるべく作らないようにしていることです。
☆ニュース!:2月10日夜22:00 BSTBS「女子才彩」という番組で春亭右之香先生が紹介されました。自転車で軽快に寄席めぐりをする
かっこいい姿と、クライアントからとても信頼されている職人芸と、お弟子さんたちに慕われる優しい姿が放映されました。
私の友人もインタビューに答えていたんですよ!今年は寄席文字ブームが来るかもしれませんね。
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西武ドーム2012.9.2
:プロ野球観戦は10年ぶり、ナイトゲームは30年ぶりです。昔はナイターって言っていました。
西武線に乗るときからウキウキ 埼玉フェスタなので埼玉県民は内野席\1,200で買えるのです 駅前がすぐドーム
お天気が悪くても大丈夫
案内板には描いてありますが、狭山湖はここからは見えません
ドーム球場で野球を見るのは初めて。昔の後楽園、横浜球場、ロッテマリンスタジアムはいずれも屋根無しだったので。 アストロビジョンに大きくうつるので選手の表情がよくわかります。ご贔屓は中島選手。やっぱりハンサムだから・・ ライオンズドッグと唐揚げ勿論哲雄先生は生ビール。でも一生懸命応援していたからあんまり飲めなかったみたい ライオンズ焼き。
小豆、カスタード、マンゴークリームの三種類がありました
5回の攻撃の前にはコバトンが
「勝手に埼玉応援隊」と一緒に応援
7回ラッキーセブンの攻撃の時は
バルーンが舞います
西武勝利の瞬間、大歓声!!
目下 首位を邁進中です。
こんなぬいぐるみを売っていました。
院長夫妻は野球も好き。私達が子供の頃はプロ野球人気は今の比ではありませんでした。子供の頃の哲雄は巨人、京子は広島ファン。
大学のチームでは教室対抗戦でカタキ同士でしたね。哲雄は保存学教室で時々ピッチャーもつとめ、自分では速球投手のつもり。
京子は小児歯科教室チームのマネージャー。グラウンド取りやスコア付けをやっていました。「インファンツ」という、このチーム、強かったんですよ〜
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沖縄旅行 2012.6.27〜29
 保存学会で沖縄へ。哲雄先生は勿論学会で勉強。その他の家族メンバーは仲良しのお友達と沖縄めぐりです
梅雨の明けた那覇空港 ホテルの部屋から海 庭にはハイビスカス 朝日が昇るうるま市 白いハイビスカスも可憐
ビオスの丘
ビオスの森と沼を巡るジャングルクルーズ。土日ならナイトクルーズで蛍狩りもできます オキナワキョウチクトウ葉にも花にも、特に実には猛毒があります バンというクイナ(水鳥)残念ながらヤンバルクイナではありません。飛べます 水浴び中の水牛沖縄本島全体で8頭の水牛のうち4頭がビオスにいます 水牛は力持ちこんな馬車、ではない牛車をひいて人を運びます
歩道の石にはカエルの絵守り神なんでしょうか 今年4月に生まれたばかりの水牛の仔。可愛かったです 芝生にはヤギが数匹寝そべっていました。暑いねー あちらこちらに竜のかたちに刈り込んだ木がありました お魚のドクターに足の角質をとって貰いました。コソバイ!
勝連城(かつれんじょう)址
勝連城は、国王に最後まで抵抗した有力按司(あじ)阿麻和利が住んでいた城。東アジアを中心とする海外交易を盛んに行って勢力を拡大した阿麻和利は中部沖縄では英雄です。グスク跡は世界遺産に指定されています。高台に建てられた城は難攻不落だったと思います。景色抜群。登り道は整備されていないので歩きにくいけれどとてもいいところです。お勧めです。
海中道路で伊計島へ
島から島へ、海の中を道路が走ります。 道の駅あやはし館は船のかたち。海の博物館併設 伊計島では船底がガラスのボートに乗りました でも海は船底のガラスよりも透きとおっていました 根もとが削られた奇岩と美しい海が人気。白い点は鴎です
美ら海水族館
美ら海水族館は是非行きたかったところ。海洋博公園の中にあります。 お目当てはやはりジンベエザメ。写真下の人群と比べると大きさがわかりますよね 運良く餌やりを見られました。ジンベエザメは口を水面にあけて立ち泳ぎの体制 マナティとジュゴンの違い?まあ分りやすいのはしっぽの形です。マナティのは丸い ここからの夕日は世界一美しいのです
「メガマウス」
の解剖標本
2007年に茨城沖で捕獲されたメガマウス。昨年この水族館で解剖したのだそうです
チケットは4種類のジンベエザメの絵が描いてあって
カワイイ!
メガマウスはその名の通り巨大な口を持っているサメです。口を開ける筋肉が非常に発達しているのです。
古い形態を保ったサメで、 水深200mほどの深海に住み、世界でも40例しか発見されていません。
日本では13例ほど。北九州に打ち上げられた時は鶴見大の後藤先生も研究に参加なさいました。
プランクトンを主食にしている為に、サメの特徴である歯はとても小さく、ヤスリ状の列になっています。
首里城
琉球王国の栄華を伝える首里城守礼門には「守禮之邦」の額琉球は礼を重んじる国なのです 屋外のテントで琉球舞踊が上演されていました 正殿と御庭(うなー)
ここで様々な儀式が行なわれました。
城郭に上って景色を一望すると美しい空。豊かな琉球を感じます。 広い首里城公園。
首里城は世界遺産に指定されています。
識名園
識名園は琉球王家の別邸。美しい庭園は王族の保養や中国の使者をもてなす為に使われました。 池を廻る廻遊式庭園です。17世紀に作られました。江戸時代の大名庭園と似ていますが池の中の島に建つ六角堂は中国のテイスト。 琉球は小さな島ではない事をアピールする為に、展望台からは海が見えないようになっています。福建の役人はこの景色で故郷を思い出したそうです。 平成12年には特別名勝と、ユネスコの世界遺産に指定されました。
草むらにはハブが出るらしいですネエ。
先の戦争で、米軍が上陸した沖縄。識名園も壊滅的な被害を受けました。
御殿(うどぅん)は復元されたものです。
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大正・昭和の日本橋〜徳岡達司氏を訪ねて2012.6.1
この方が徳岡達司さん。
名前を言えば誰でも知っている、大手の運輸・倉庫会社の社長さんを長く務めていらっしゃいました。
今は悠々自適の身。今年95歳になられます。

徳岡家のお嬢さんと院長は、幼稚園から高校までの友人で、幼いころから家族ぐるみで仲良くしていただいていました。

最近江戸の歴史を勉強し始めて、日本橋の廻船問屋のお生まれという徳岡さんに、大正から昭和にかけて、まだ江戸のニオイの残る日本橋のことをお聞きしたいと思い、大田区にいらっしゃる達司さんを訪ねました。
達司さんが生まれたのは京橋区新川(旧南新堀、北新堀は日本橋区でした)の廻船問屋「徳岡廻漕店」。

新川は江戸時代は酒を揚げる河岸で酒屋が軒を連ねていたところ。
徳岡廻漕店が扱っていたのは石炭、炭、米、酒樽。正月は店先にこもかぶりが積み上げられました。
大人が白い猪口で酒を口に入れては「ブッ」と吐き出してしまうのを見て勿体無いなあと思っていたそうです。
大川(隅田川)に入ってきた船からポンポン蒸気のはしけに荷を移して荷揚げし、河岸からは馬車で倉庫へ、そして荷車に積んでそれぞれの店に運んでいました。

お店は永代橋の近くでした。永代橋は「エイタイバシ」とカナがふってありますが、みな「エータイバシ」と発音しました。表に面して店があり、中庭を隔てて母屋がありました。

近所にどんな店があったか覚えていますか?とお聞きしたら、酒屋の鹿島清兵衛、米屋のセイコクヤというのが大きかったと教えてくださいました。
先々代の猿之助が鹿島屋に出入りしていた(写真に凝っていた当主が道楽半分に写真屋を始め俳優の舞台写真を撮っていたとネットに書いてありました)関係から、猿之助が町内のこどもに芝居を見せたこともあったそうです。
そして12月11日には銀行が近所に汁粉をふるまってくれたこと、大晦日の夜は商店が揃って提灯をだすので昼間のようにあかるかったのを覚えています。
年越しそばの習慣は、掛取りから帰ってきた奉公人に食べさせる為に二八そばをよんだのが始まりだときいたそうです。大晦日の夜では他に出前などはやっていなかったから。
僕は6人兄弟の末っ子でね、
「ねこのしっぽ」と呼ばれていたんですよ
猪牙舟のこと
徳岡廻漕店の番頭、ミネキチさんという人がいました。「坊ちゃんが舟に乗りたがってらっしゃる」と達司さんをダシにして連れ出し、柳橋から芳町辺りまで一緒に猪牙舟に乗りました。当時大川には、新内流しや声いろ屋が舟に乗って流していました。ミネキチさんはそれを聞くのが好きだったのです。亀清や柳光亭(今でもあります)といった料亭から芸者さんと舟遊びをしている客が、新内流しや声いろ屋を呼んでおひねりをあげていました。ただ投げたのでは川に落ちてしまう恐れがあるので、細い竿の先に小さなカゴを結びつけて、それにいれて渡していたそうです。
新内流しは三味線を弾きながら。声色やの呼び声は「こわいろやでござい!」頭に畳んだ手ぬぐいを載せていました。「音羽やでござい」などと、歌舞伎のセリフの物まねです。
小学校のこと
本来ならば南新堀地区の子は越前堀小学校に通うのですが、電車道を渡って通学するのは危ないということで、箱崎小学校に入学しました。
(ハコザキは「コ」ではなく、「コザキ」にアクセントがあります。「ザキ」は下げないのです)

中学は高千穂中学。
チンチン電車で新川から九段下をとおり、大久保で角筈行に乗り換えて新宿まで通いました。
当時新宿で大きな店といえば「ほていや」デパート。この跡地を伊勢丹が買ったのです。
ある日の帰宅路、日本橋で人だかりが出来ていて足止めされ、覗き込んで見たのが白木屋デパートの火事でした。向かい側の柳やから見物しました。
ご趣味は清元。
艶と伸びのある良い声で
猪牙で行くのは深川通い
上る桟橋はアレワイサノサ
いそいそと…
と深川節を聞かせてくださいました。

因みに二番は
駕篭で行くのは吉原通い
おりる衣紋坂アレワイサノサ と続き、
……おたのしみ と終わります
関東大震災
震災は達司さん6歳の時です。
徳岡さん一家ははしけに家財を乗せて大川を逃げました。永代橋が焼けていると聞いたので、上流に向かいました。両国では被服廠が燃えており、川面に死体がたくさん浮いているのを見ました。
長兄のショウイチさんという方は、避暑中の大磯から歩いて無事戻って来ることが出来、家族がみな泣いて喜んでいたのを覚えています。
震災後一年間は、お母様のご実家の栃木県に預けられました。他にも従姉妹が二人預けられてこども3人、一緒に過ごしました。
戦争のこと
徴兵検査は早稲田大学のとき受けました。幹部候補生試験も合格しました。
三菱石油に勤めていて、航空燃料を担当していたため、海軍に配属されました。
バリ、ジャワ、シンガポール、ベトナムを回って帰国し、「アジア各地では日本軍は負け続けている」と事実を話すと「非国民」呼ばわりをされました。

・・・戦争のことや空襲のことはまた伺った時に詳しくお聞きしようと思います。今日のところはこの辺で・・・
徳岡達司さんを訪ねたのは平成24年6月のことでした。他にもいろいろ面白いお話がありそうだったのですが、ご高齢の徳岡さんがお疲れになってはと思い、ここまでのお話で帰りました。
またすぐに伺うつもりが、そのうち、そのうち、、と延ばし延ばしとなったことをとても後悔しています。
平成25年1月4日。徳岡さんは永眠されました。
お嬢さんのお話では、苦しむ事も無く、静かな最期だったということです。
心からご冥福をおいのりいたします。
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