音楽室(5)




[ 12音技法=”相互の間でのみ関係付けられた12の音による作曲技法”・第5回 ]


・次世代への萌芽/ヴェーベルンの試み

 シェーンベルクを中心としたいわゆる新ヴィーン楽派や、その他の革新的音楽家たちによって、12音による新しい作曲技法は様々な場面での無理解や抵抗・拒否に会いながらも、この技法の可能性の探求と、そこに見出される音楽的意味への思索についてはそれぞれにおいて尽力されてきた。その先頭にいたのが他ならぬ、シェーンベルクその人であったといえる。

 ヨーロッパ伝統音楽においては、いつも音楽と旋律という概念においては分離する事はなかった。実のところ、このようなすでに過去のものとなった音楽とは全く違った音楽作法の原理を編み出したシェーンベルク自身の音楽といえども、このような概念に関しては全く無縁ではなかった。

 たしかに彼は根音による支配と、それによって生ずる個々の音の間にある古典的・機能的従属関係を断ち切り、個々の音の取り扱いに関する意味においての平等化を図ったけれども、しかし、それを新しい時間的、空間的配置にまで意味付けられるものとしては把握してはいなかった。シェーンベルクにとって12音技法とは、和声に関すればあくまで旧来の和声法に取って代わる新しい秩序としてであり、音楽構造にあっては動機的労作の手段であって、音列とはその根源的形態であった。

 一方、ヴェーベルンは12音技法を、自身の師であるシェーンベルクとは異なる観点から用いている。それは音列というものを主題的労作としてではなく、音楽の形式構成上の要因として把握し、過去の名残りである主題という線的思考というものを、個々の音の拡散や擬集による音響現象に置き換えたのである。さらに音列の理念を音高についてのみではなく、音のその他の要素の次元にも密接に関係するものとして探求しようとした志向性は、後の世代の音楽に深い影響を及ぼした。

 ここでヴェーベルンの作品において、従来の音楽とはまるで違う発想を実際の場面でいかに具体化しようとしているのかをみてみたい。この事を考察するには、このシリーズの第3回でもすでに取り上げた”9つの楽器のための協奏曲 作品24”を再び引き合いに出すのがまさにうってつけであろう(実際、ここで取り上げる譜例はこの手の考察にあってはよく引き合いに出されるものである)。ちなみに本項においてはあまり多くの譜例を掲載できないが(私の都合による部分が大きいのであるが・・・)、しかしながら、そのわずかな譜例においてさえ、彼の音楽思想の一端を見出すのは決して困難な事ではない。


 以下にこの作品の基本形音列O1を示す。この音列は3音からなる4つの音群に分割できる構造を持っている。


  


 以下の譜例は作品24の第一楽章の冒頭の部分である。このきわめて簡潔な3小節の中にいかなる構造要素があるのか、ここではシュトックハウゼンの行った詳細な分析を参考にしながらみてみよう。そして、そこにはセリエル(セリー=ある要素や値を一定にまとめ上げた列、順序)な思考というものを見出す事が出来よう。


 譜例1
  


 まず、この3小節において上記の基本形(基礎)音列は3音単位で4つの音群に分割され、各々の音群は長3度と短9度(上行・下行の両方向を含む)の音程で構成されている。そして、音程の方向と順序は音群ごとに全て異なる。さらにその音群は異なる楽器(音色)によって演奏される。これらの音群は楽曲全体にわたり、ある規則に基づき多様に変容され現われる(しかし、それは決して”変奏”としてではない)。

 各々の音群は、その音群独自の音価と奏法を持つ。ただし音の強度に関しては、いずれの音群に対しても特に特徴付けられてはいない。

 ・音群Aの特徴は、下行短9度、上行長3度、オーボエ、レガート、16分音符である。

 ・音群Bの特徴は、上行長3度、下行短9度、フルート、スタッカート、8分音符の音価である。

 ・音群Cの特徴は、下行長3度、上行短9度、トランペット、3連8分音符である。

 ・音群Dの特徴は、上行短9度、下行長3度、クラリネット、テヌート、3連4分音符である。

 これらの4つの音群は、このように全て異なる要素を持ち、この4つの音群において基礎音列の12の全ての半音が含まれている。そして音群の最後の音と、次の音群の最初の音とが同時に存在する。垂直方向へ重なり合う音の数を数えると、”1-1-2-1-2-1-2-1-1”という具合に、左右対称の鏡像関係となっているのが見出せる。


 下記の譜例2は続く4小節と5小節目である。


 譜例2
  


 譜例1の3小節と上記の2小節とは、それぞれ密接に関連したひとまとまりの部分として考える事が出来る。譜例2を譜例1と比較してみよう。

 譜例2においてもやはり構成の上で4つの音群を認める事が出来るが、この部分においては4つの音群全てを通して、ただひと通りの音色(ピアノ)が適用されている。そして、ここでも音の強度に関しての特徴的な変化はみられない。

 各々の音群の順列は譜例1と変わらないが、しかし音の順序は異なっていて、それぞれの音群単位で”逆行”して現われる(つまり、譜例1の音群を”1,2,3-4,5,6-7,8,9-10,11,12”とすれば、譜例2においては”3,2,1-6,5,4-9,8,7-12,11,10”となる)。また同時に音価も逆行して、この二つの部分はシンメトリックに配置されており、音群ごとの奏法も入れ代わっている。

 また、重複する音の関係をみてみると、譜例1と同様に”1-1-2-1-2-1-2-1-1”である。これは左右対称の順列なので逆行形は存在しない。

 この楽章はさらに以下の4つの層にわたるセリエルな対位法によって作曲される。

 1.音高、音群におけるセリエルな変容。
 2.音価のセリエルな変容。
 3.奏法のセリエルな変容。
 4.音色(楽器)のセリエルな変容。

 最初の3音と4つの音群という作曲単位が、これら4つの局面において絶えず新しい順序で、しかも同一の形態ではなく、その都度変容された新しい形として現われる。

 また次にような要素に、ある一定の比率がセリエルに適用される。

 ・4つの音程=長3度(短6度)、短9度(長7度)
 ・3つの奏法=レガート、スタッカート、テヌート(記号の付かない通常の演奏を入れれば4つ)
 ・3つの音色(楽器群)=木管、金管、弦楽器

 そしてさらに

 ・水平方向への3音からなる4つの音群グループ。
 ・垂直方向へのシンメトリカルなグループ。

 このような作曲法の在り方から2つの重要な事柄が導き出される。

 1,12音技法におけるシェーンベルク的な主題的、動機的音列原理はすでに放棄されている。先の譜例1にみられた4群・3音セリ-の最初の変容は、たしかに基礎音列の逆行反行形を移高させたものであるが、しかし同時に3音グループ内での音の在り方と操作とが課題となっている。

 2,例にあげた長3度、短9度の音程は、上行および下行、あるいはその転回形としての短6度や長7度に置き換えることも出来る。たとえこれらの音程を数オクターブにわたる復音程として拡大したとしても同じ事である。

 つまり、ここで本質的な事は、すでに作られてある”形”としての動機や主題などではなく、音高・音価・音強等の要素を組織すべく選ばれた一連の”比率”であるといえる。この”比率のセリー”がヴェーベルンを絶えず新しい形へと導いているのだ。同一性の代わりに普遍的な類縁性がそこに現われる。形の発展や展開といった概念のかわりに、形への構造的な媒介という思考がそれに取って代わる。いかなる形態も同じ形で反復される事はなく、しかし、音の様々な要素の次元で適用されたセリーは、そのセリ-自身の順序において自身が絶えず回帰する。作品のいずれの場所においても、そこにはいつも始原の比率が存在している。今や部分は全体であり、全体は部分と矛盾するものではない・・・。

 ところで、ここでは4つに分割できる各々の音群に、それぞれ重複する事なしに必ず別個に要素のセリ-を与えなければならないという訳ではない。例えば以下の例(67〜68小節)では、4つの音群はそれぞれ異なる音程と音色を持っているが、音価の次元ではいずれの音群もただひとつの音価(16分音符)によって構成されている。また、奏法に関しては最初の2つの音群のみレガートを指定されている。


  


 また、以下の例(14〜17小節)においても4つの音群に対しての音価は上記と同じく1種類(8分音符)である。奏法の次元では各々の音群において2つの音はレガートで結ばれ、残りの1音はテヌートである。


  


 このようなセリ-による組織化は他の部分でも多くみられる。この場合、4つの音群という単位からなる部分を、さらにひとまとまりの上位の群ととらえたり、4つの音群を2つずつの群の集合としてみなした上で、その一群に対してセリエルな処理をほどこしているだけの話である。このような思考は何も上記の例のように音群と音価のセリーの次元に限ったわけではなく、他の要素のセリ-においても同様に適用できる。例えば垂直的に音の重なる数の順列についていえば、基本的なセリーとしての”1-1-2-1-2-1-2-1-1”が終始一貫されるのではなく、他のセリーを適用する事も可能である。以下の例(9〜10小節)は”1-4-1-3-3”であり、構造的には非シンメトリックである。


  


 以下の例(69小節)は”3-3-6”であり、12の音列構成音が1小節の内に圧縮されて全て現われている。


  


 これらのような例は一見、作曲者の気まぐれや偶然の産物のように思えるかも知れないが、そうではなく、セリエルな思考に基づいての意図的な音列の変容なのである。



 ヴェーベルンにおける音列の扱いは、たんに音高を秩序だてる事において満足する論理としてではなく、音に備わる他の要素や、構造にまで音高と同一の思考を向けている。そして音列の概念からすでにセリエルな思考を引き出している。これは音列技法である事には違いないけれども、自らの師であるシェーンベルクの12音技法とは異なる方向性を示唆する。ヴェーベルンはある音群におけるセリーと、その他の音群においてのセリーとを対位させる作曲法(いわばポリフォニックな原理に基づくポリフォニー)を見出した最初の作曲家であるといえる(”対位セリ-”による作曲といえよう)。そのセリエルな要素が音群を組織化するに限定されたものであるにせよ、また、そこに暗示されているに留まるものであるにしても、その本質は他のあらゆる音の次元にまで拡張する事が可能である。それは例えば、ある群における垂直・水平の両方向への音高の要素、音と音との間隔や実効的な音の持続、また、音の強度における最大値から最小値、エンヴェロープの種類、そしてさらには音の方向や距離等々、セリエルに構造化されたある要素の上位、および下位にある要素の領域にまで作曲の可能性は拡大され得るといえる。この段階に入って12音音楽は次の段階へとさしかかりつつあるのである。



[ 第5回・終了 ] 2003.8.10







参考文献
 20世紀の作曲 現代音楽の理論的展望 ヴァルター・ギーゼラー著 音楽之友社 (理論)
 新訂・近代和声学 近代及び現代の技法 松平頼則著 音楽之友社 (理論)
 新ヴィーン楽派 音楽之友社 (楽曲分析)
 シュトックハウゼン音楽論集 カールハインツ・シュトックハウゼン著 現代思潮新社 (理論)
 その他。

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