東人の出戻り浜生活産業遺産

産業遺産


旧汐留駅
(東京都港区 新橋) 【更新】(2003/09/03)
東京駅
(東京都千代田区) 【更新】(2004/04/07)
新永間市街線高架橋 
(東京都千代田区〜港区) 【新着】(2004/06/29)
日本銀行本店
(東京都中央区 三越前) 【新着】(2004/08/09)
三井本館
(東京都中央区 三越前) 【新着】(2004/09/8)
C11蒸気機関車
(東京都港区 新橋) 【新着】(2003/09/22)
D51蒸気機関車
(東京都台東区 上野) 【新着】(2004/06/07)
奏楽堂
(東京都台東区 上野) 【新着】(2004/06/16)
鉄道連隊跡
(千葉県習志野市 津田沼) 【新着】(2004/04/30)
工大の煉瓦門
(千葉県習志野市 津田沼) 【新着】(2004/02/19)
K2形 機関車
(千葉県習志野市 津田沼) 【新着】(2005/02/28)
産業技術記念館
(愛知県名古屋市) 【更新】(2005/12/19)
D51蒸気機関車
(静岡県富士市 入山瀬) 【更新】(2006/01/18)
湧水トンネル
(熊本県 阿蘇郡 高森町 ) 【新着】(2007/07/24)

奏楽堂

 東京の上野公園の北側、東京都美術館の近くに、東京音楽学校の本館であった奏楽堂が移設、保存されている。


 
旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財)

台東区上野公園8番43号

    
 この建物は、明治23年(1980)東京音楽学校(現東京芸術大学)本館として建設された。設計は山口半六、久留正道で、わが国初の音楽ホールであり、音楽教育の記念碑的な存在である。
 中央天井をヴォールト状(かまぼこ型)に高くし、視覚、排気、音響上の配慮がなされている。また、壁面や床下に藁や大鋸屑が詰められ、遮音効果をあげるなど技術的な工夫があり、貴重な建築物である。
 この奏楽堂からは、滝廉太郎を始めとする幾多の音楽家を世に送り出してきたが、老朽化が進み、取壊しの危機にひんしていた。しかし、音楽関係者を始めとする多くの人々の保存に対する努力場実り、昭和62年3月、歴史と伝統を踏まえ、広く一般に活用されるよう、この地に移築復元された。
 また、移築工事とあわせて、日本唯一の空気式パイプオルガンも修復され舞台中央に甦った。昭和63年1月13日付で国の重要文化財に指定された。
 
平成6年3月

 
台東区教育委員会
              
 

日本銀行本店

   この建物は昔の五千円札(表が聖徳太子の紙幣)の裏に描かれていた。
 今でも現役の有名な建物であるが、どこにあるか知らなかった。
 
 場所は、三越デパートの裏側で、地下鉄半蔵門線の三越前駅から近いところにあった。
 明治29年(1896)に完成したこの建物は、後に東京駅の設計も行った辰野金吾の設計で、21.105個の花崗岩で組み上げられているとのこと。
 文明開化後、多くの建築物がお雇い外国人によって作られてきたが、この日本銀行は、日本人の手による最初の西洋建築物と言われている。
 
 本館は石及びレンガ造りの地上3階、地下1階建て。建築面積は約2685平方メートルと、かなりの大きさで、全景を写真に収めるのは困難であった。
 
 事前に予約すると見学もできるようだが、外から見るだけで内部がどうなっているかは確認していない。
 


三井本館

   日本橋の三越の隣に三井本館がある。大きな建物で、裏の方は日本銀行にも隣接する。
 
 ギリシャ神殿のようなコリント式の円柱が並ぶ建物は、関東大震災で類焼した三井本館を建て直し、昭和4年(1929年)に竣工した建物とのこと。
 今では三井住友銀行と中央三井信託銀行が入っている。

 平成10年(1998)に国の重要文化財に指定された。
 


鉄道連隊跡

 
 津田沼の駅前一帯には、終戦までは鉄道連隊があったという。
 
 津田沼から松戸までを結んでいる新京成線も、かつては鉄道連隊の演習線の敷地で、この敷地で各種軌道幅の鉄道敷設演習が行われていたとのこと。
 
 津田沼にはJRの大きな習志野電車区があるが、これも、鉄道技術の拠点として整備された施設を継承したものであろう。
 
 
鉄道連隊跡

 日本の鉄道隊は、明治28年(1895年)、日清戦争における臨時鉄道隊の編成に始まり、同29年、東京牛込に常設され鉄道大隊となりました。同39年、習志野に派遣隊がおかれ、津田沼-三山間の演習線が敷設されると、翌年、連隊の編制が始まりました。
 これにともない津田沼は、第三大隊が千葉より転営し、翌40年、材料廠がおかれて、軍の鉄道敷設演習の拠点となりました。
 演習線は、明治44年に千葉-津田沼間が敷設され、大正7年(1917年)には津田沼-松戸間もほぼ完成しました。同年、連隊の編制替が行われ津田沼には鉄道第二連隊がおかれました。
 第二次世界大戦後、連隊跡地は千葉工業大学・県立千葉工業高校などの教育施設に利用され、、昭和22年(1947年)には、松戸線の軌道敷を利用して津田沼-薬円台間に新京成線が開通しました。
 その後、国鉄津田沼駅北口にあった高校は商業用地にかわり、南口駅前にあった市立第一中学校や仲よし幼稚園は、サンペデック・津田沼公園・文化ホールなどに生まれかわり本市の表玄関となっています。
 
習志野市教育委員会
              
 

工大の煉瓦門

 津田沼の駅近くに千葉工業大学があるが、その門が登録有形文化財となっていた。
 
登録有形文化財
第12-0007号
この建造物は貴重な国民的財産です。
文化庁

 
 この門は明治40年(1907年)当地に移駐した陸軍鉄道連隊第三大隊(大正7年に鉄道第二連隊に改組)兵舎の表門として使用されていたものです。
 第2次大戦後、ここが千葉工業大学の校地になった後も、「工大の煉瓦門」として親しまれています。
 平成10年5月、国の登録有形文化財に指定されました。
 わが国の私立工業系大学で最も古い歴史を持つ本学のシンボルとして長く保存していきましょう。
 
千葉工業大学              
 

K2形 機関車

 津田沼のイトーヨーカドーとJRの線路の間に津田沼一丁目公園という小さな公園があり、そこに小型の蒸気機関車が保存されていた。
 
K2形 機関車134号

 
 この蒸気機関車は、かつて、ここ津田沼に本部を置いていた陸軍鉄道第2連隊が使用していたもので、現在の新京成線敷内にあった陸軍演習線での機関車として活躍したものです。
 この度、西武鉄道潟ネスコ村に保存してあったものを譲り受け、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一丁目公園に設置したものです。
平成6年3月