東人の出戻り浜生活産業遺産産業技術記念館


産業技術記念館


      
 滋賀方面から高速バスで名古屋まで出た時、名古屋駅付近で赤煉瓦の大きな建物を見かけた。
 
 これが旧豊田紡績本社工場跡であり、産業遺産でもあるこの建物は産業技術記念館として公開されていた。
 
 産業技術記念館では、トヨタグループが携わってきた数々の繊維機械と自動車が展示され、産業と技術の変遷を辿ることができる。
 
 
 名鉄 名古屋本線 栄生 下車徒歩3分
 開館時間 9:30〜17:00
 休館日  月曜日
 入場料  大人:\500 中高生:\300 小学生:\200
 


 産業技術記念館内部のエントランスホールには、豊田佐吉が発明した環状織機が、この記念館の基本理念のシンボルとして置かれている。
 
 これは定期的に動くようであるが、訪れた時には停止状態であった。

当館の基本理念を語る
環状織機(1906年発明)
 
 環状織機は、これまでの常識にとらわれず、織機の平面的な機構を立体的にした豊田佐吉の独創的な発明であり、当館のねらいである「研究と創造の精神」と「モノづくりの大切さ」を語るシンボルである。

展示機は、1924年に製作され、耐久テストを行った現存する唯一の完成機台である。この織機では、動力を減少し、超広幅の織物を容易に織るため、よこ糸の打ち込みは、往復運動する杼(ひ)を円運動に、筬(おさ)打ちは上下揺動運動にかえた。一方、円形の筬を用い、綜絖(そうこう)の駆動カムは滑らかな動きが得られる形状の溝カムにするなど、高い技術が使われた。この発明により、18か国におよぶ特許が取得された。
佐吉は独特のものを案出し社会に貢献しようと考え、研究と創造に心血を注いだ。また、創造的なものは自ら製作すべきであるとモノづくりの大切さを説いている。
 
広辞苑より         

(ひ)
:製織の際、緯(ヨコ)糸を通す操作に用いるもの。木または金属製で舟形に造ったものの両端に、金属・皮革などをかぶせ、胴部に緯管を保持する空所があり、一側にうがった目から糸が引き出され、経(タテ)糸の中をくぐらせる。さす。シャットル。

(おさ)
:経(タテ)糸の位置を整え、緯(ヨコ)糸を織り込むのに用いる。竹の薄い小片を櫛の歯のように列ね、長方形の框(ワク)に入れたもの(竹筬)であったが、今は鋼または真鍮製の扁平な針金で製したもの(金筬)を用いる。
綜絖
(そうこう)
:織物製造の際、緯糸を通す杼道を作るために経糸を上げさせる道具。

ようこそ、産業技術記念館へ

 当館は、トヨタグループ創業者、豊田佐吉が1911年に設立した旧・豊田自動織布工場の建物を産業遺産として保存・公開するとともに、トヨタグループが携わってきた繊維機械と自動車をとおして日本の産業技術の変遷を紹介するため、トヨタ自動車創業者豊田喜一郎の生誕100年を記念して1994年6月11日に設立されました。
 

 広い館内に数多くの繊維機械が展示されていた。

 自動車館の入口を入ると木造の建物に導かれる。
 「材料試験室」として、金属材料の試験などを行った建物のようだ。

 エントランスホールから出られる中庭があった。

 ここには「動力の庭」の説明があった。
 今は中庭になっているこの場所も、
 屋根があり、発電設備などの部屋があった工場の一部であった。

動力の庭

 
 豊田佐吉は、自ら手がけた自動織機を完成させるため、1911年(明治44年)にここ栄生の地に織布工場を創設しました。当初の工場は、建築面積約1千m2の建物でしたが、自動織機の研究を進めるうちに、品質の安定した糸の開発が不可欠と考え、1914年(大正3年)に紡機6千錘の紡績工場(建築面積約1.8千m2)を増設致しました。
 また、工場用の動力源は、同年設置された蒸気機関(ユニフローエンジン440馬力)で発電される電力(300kwh)と、名古屋電灯会社からの電力(720kwh)でした。 ここには、蒸気をつくり、電力に変える「汽かん室」「汽機室」や「煙突」などの原動力施設がありました。
 また、この場所には、工場へ送られてきた原綿を開俵する「開俵室」や種類の異なる原綿を調合する「混綿室」、綿の繊維をほぐす「打綿室」もありました。 北側の建物にあります2つの高い構築物は、「混綿室」や「打綿室」から出る綿ほこりを外部に排出するための「塵突」です。
 

トヨタグループ館

 
 このトヨタグループ館は、1925年(大正14年)に建設された豊田紡績本社事務所を、建設当時の状態に修復したものです。
 ここでは、豊田自動織機製作所(現 豊田自動織機)やトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の設立総会などが開催されております。
 なお、この地は1911年(明治44年)、豊田佐吉が、発明の足場として、独立自営の豊田自動織布工場を設立し、後に豊田紡織本社となった場所であり、トヨタグループの発祥地でもあります。
 

豊田商会事務所

 
 豊田商会は、豊田佐吉が究極の目的とした自動織機を、本格的に発明・研究するため、192年(明治35年)に設立しました。
 この事務所は、1905年(明治38年)に名古屋市島崎町(現在の中村区名駅)に建築され、豊田佐吉が住居とし、研究室として、常住座臥「研究と創造」に没頭した由緒ある建造物であります。
 この建物は、1907年(明治40年)に設立された豊田式織機株式会社(現 豊和工業株式会社殿)の本社屋として使用されました。
 その後も、豊和工業株式会社殿の本店事務所であったものを、1994年(平成6年)に産業技術記念館設立の趣旨にご賛同のうえ、ご寄贈いただき、移転、修復したものです。
 
→戻る