NO.099 ラッカー5
その日の夜から雨が降り出した。
恐らく生まれて初めて楓は寝付けずに、ベッドの中で雨音を聞いていた。
頭の中は、今日聞いた桜木花道の事で一杯だった。
真っ赤な髪の、少年院帰りの中学生だという、ラッカーの落とし主。
見たい。
会いたい。
声が聴きたい。
どくどくと心臓が逸る。焦燥感を伴うそれは、既に好奇心を超えていた。
どんな奴か、この目で確かめたかった。
外は雨だ。明日、公園のリング下にラッカーは落ちているだろうか。
楓が何度目かの寝返りを打った時、バシャバシャと家の前を駆け抜ける足音が、聞こえてきた。
家の前のアスファルトの道路は、何度も補修を繰り返したせいで表面に大きな窪みが出来ていて、水はけが悪かった。普段はそんな音には全く気づく事もなく睡眠をむさぼる楓だったが、寝付けない今、その水音がやけに耳についた。
無意識に起きあがり、カーテンの隙間から窓の外を覗く。
外の光景に目が吸い寄せられる。
雨の中を走り去る人影。
月明かりもない深夜に、その影の赤がくっきりと目に焼き付いた。
−−−−−!
カーテンを押しのけ、ベッドに膝たちになりながら両手で拳を作り、ドンッと窓を叩く。
もどかしげに窓の鍵を外し、窓を全開にして雨が差し込んでくるのも気にせずに身を乗り出す。
上半身を雨に濡らしながら、赤い影を目で必死に追いかける。
『あいつ』だ。
間違いない。『あいつ』だ。
−−−−−……どあほう……!−−−−−
楓の心の中の叫びが聞こえた様に、十メートル程遠ざかった後、ふと影が立ち止まり、振り向く。
赤い影は、まっすぐに家の二階の窓から覗く楓を見上げた。
雨と暗さでお互いの容姿も分からない状態で『目が合った』と楓は思った。
赤い短髪。きつい眼差し。その目が、驚いた様に楓を見たのは気のせいだろうか。
赤い人影はくるりと向き直り、バシャバシャと走り去っていった。
「……!」
楓は部屋から飛び出し、階段を駆け下り、パジャマ姿で裸足のまま、外に飛び出した。
だが、既に赤い影の姿は消えていた。
楓はその姿が見えなくなっても、消えた方角をじっと見ていた。
どのくらい時間が経ったのか。
ぶるっと体が震えた事で我に返り、雨に濡れそぼり冷たく 固まった身体をぎくしゃくと動かして、家に入る。
「楓なの?」
その声に楓が顔を上げると、玄関先に、ネグリジェにカーディガンを羽織った姿の母が驚いた表情で楓を見て立っていた。
「ちょ、楓っこんな夜中に何やってんの……! びしょびしょじゃないの。……ああもう、そのままじゃ風邪ひくからすぐシャワー浴びてきなさい! ほら、早く!」
うつむいて動こうとしないで立ちつくす楓の背中をぐいぐいと押しながら、脱衣所に追いやる。
「ぐずぐずしないでさっさと入りなさいよ! ……まったくもう裸足で。玄関拭かないと」
母は濡れた玄関の後始末をしながら、ぶつぶつとぼやきつつも、首を傾げていた。
「寝ぼけたのかしら、あの子。嫌だわ……今までこんな派手に寝ぼける事ってなかったのに」
上に固定したシャワーコックから出る熱い湯を、ただその場に立って浴びながら、楓はさっき見た赤い残像を繰り返し思い出していた。
目は排水溝に向けられていたが、何も見ていない。
意識は、それしかなかった。
会えた。
『あいつ』だった。
あいつが目の前にいて、動いて、自分を見た。
赤い髪、濡れた様な鋭い目。自分を見て驚いた顔をしていた。
母親の鋭い勘で、ちゃんと身体全部浴びなさいよとどやされるまで、楓は全く同じ体勢でシャワーを浴びていた。
つづく
ラッカー5/2007.4.25
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